『あの日の処方箋』 ~婚約破棄から始まる、不器用な医師たちとの恋の治療法(リトライ)~

デルまりん

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第五章 秋風のロジックと、古びた記憶の鍵

第50.5話『凸凹ゲーマーと、羨ましい感情』

新巻竜平、霧生航:研修医1年目

4月。
救急科の処置室には、悲痛な叫び声が響いていた。

「うわぁぁ……どうしよう、血管逃げる……!」

研修医になりたての霧生航は、脂汗をかいていた。

点滴のルート確保。
何度も失敗して、患者さんは不機嫌、看護師からは「まだですか?」という冷たい視線。

パニック寸前だった霧生の手から、スッと留置針が取られた。

「……貸して」

「え?」

横から入ってきたのは、同じく救急ローテ中の同期、新巻竜平だ。

彼は無表情で患者の腕を駆血帯で縛り直すと、迷いのない手つきで針を進めた。

逆血確認。固定。終了。
所要時間、30秒。

「……すげぇ」

「解剖学的な走行を理解していれば、見えなくても刺せます。次、あるなら回してください。俺がやります」

「あ、ありがとう……!新巻くん、器用だなぁ!」

「プラモが趣味なんで」

新巻は素っ気なく答えて去っていった。

愛想はない。でも、仕事は完璧だ。

霧生は、この無愛想な同期に強烈なリスペクトを抱いた。



夏。研修医室。

待機時間の暇つぶしに、霧生はスマホで対戦ゲーム(MOBA)に熱中していた。

「あーっ!また負けた!なんで味方寄ってこないんだよ!」

「……今の、動きが悪かったですね」

背後から声がして振り返ると、新巻が冷ややかな目で画面を覗き込んでいた。

「え、見てたの?」

「右ルートの敵を放置して中央に寄ったのが敗因です。経験値の回収効率が悪すぎます」

「うっ……でも、助けに行かなきゃって……」

「感情で動くと負けます。……貸して」

新巻は霧生のスマホを奪うと、涼しい顔で操作を始めた。

その指捌きは、点滴の時と同じく精密機械のようだった。

無駄のない動き。的確なスキル回し。

あっという間に戦況をひっくり返し、勝利の文字が画面に踊った。

「……すげぇ!!」

「このゲーム、リソース管理とマップ把握が全てなんで。感情はいりません」

「かっけぇ……!新巻くん、いや、師匠!俺に教えてください!」

「……はぁ?師匠?」

嫌がりつつも、新巻は霧生に「効率的な勝ち方」を教えるようになった。

熱血バカと、冷徹なゲーマー。

水と油の二人は、こうして奇妙な友情で結ばれた。



そして季節は巡り、新巻と霧生は研修医2年目になった。

10月上旬。

皮膚科ローテ中の新巻と、泌尿器科ローテ中の霧生は、研修医室で休憩していた。

「師匠、皮膚科どう?天野先輩、優しいっしょ」

「……まあ、優しいけど」

新巻はプロテインバーを齧りながら答えた。

「なんか見てて危なっかしい。要領悪いというか、自己犠牲的というか」

「あー、わかる。昔からそうなんだよなぁ、あの人」

「昔から?」

霧生はニカっと笑い、スマホの写真フォルダを開いた。

「そういえば俺、結婚することにしたんだ。来年の夏」

「は?結婚?」

「うん。師匠には来てほしくてさ。……ほら、これ彼女」

見せられた写真には、可愛らしい女性と、デレデレに笑う霧生が写っていた。

「……へぇ。おめでとう」

「へへ、サンキュ。……実はさ、俺たち高校から付き合ってるんだよね」

「高校?」

「そう。付き合って10年目の記念日に、式を挙げるんだ」

新巻の手が止まった。

10年。

医学部受験、6年間の大学生活、国家試験、そして研修医。
環境が激変するその長い期間を、ずっと?

「……すごい。よく続くな」

「遠距離の期間もあったけどねー。でも、離れてたからこそ、大事にしなきゃって思ったし」

霧生は、どこか誇らしげに、本当に幸せそうに笑った。

「俺、こいつのためになら何でもできるって思ったんだ。……10年かかったけど、やっと迎えに行ける」

(……理解不能だ)

新巻は思った。

10年という歳月を、一人の人間に費やすコスト。リスク。
効率を考えれば、もっと近場で済ませるとか、結婚適齢期まで待つとか、やりようはあるはずだ。

けれど。

目の前で笑う霧生の表情は、新巻が知っているどの「効率的な成功」よりも、充実して輝いて見えた。

(……悪くない、のか?)

「バグ」だと思っていた感情が、こんなにも人を強くするのか。

新巻は、得体の知れない羨ましさを感じていた。

(……俺も、試してみるか)

身近な観測対象の中で、最も好感度が高く、かつ手に入りそうな「効率的な相手」。

ーー天野皐月という先輩の顔が浮かんだ。



新巻が皐月に「立候補」を宣言して1週間くらい過ぎた頃。

新巻は、食堂で五十嵐と皐月が食事をしているのを見ていた。
そこへ、通りがかった雷久保が面白そうに囁いてきた。

『うちの五十嵐と皐月ちゃん、高校の同級生でさ。黄金コンビって言われるくらい仲が良かったんだって』

(……高校の同級生?)

新巻の脳内CPUが高速で計算を始める。

霧生と同じ、10年という期間。 
霧生は、その10年を愛で埋めて、結婚という「成果ゴール」に辿り着いた。

対して、あの形成外科の五十嵐とかいう男は?

目の前で、水を注いだり、おかずを交換したりしている。
一見仲が良さそうだが、その関係性には名前がない。
付き合ってもいない。約束もしていない。

ただダラダラと時間を浪費し、保留にし続けている。

(……10年あって、まだ「ごっこ遊び」か?)

関係性は進展なし。成果なし。

霧生の「成功した10年」を知ってしまったからこそ、五十嵐の「停滞した10年」が、許しがたい「エラーバグ」に見えた。

同じだけの時間を与えられておきながら、結果を出せない男。

新巻は、正面で皐月と話している五十嵐を冷ややかな目で見据えた。

その指先が、無意識にリズムを刻む。

(……イラつくな)

この「バグ」をどう処理すべきか。

合理主義者の頭脳CPUが、静かに、しかし確実に攻撃的な解を導き出し始めていた。
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