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紫の章
01.束の間
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「どうすっかなぁ、コレ。」
リョウがトウコのベッドの上で仰向けになって、刃が折れた短剣を握って嘆いている。
隣でリョウの方を向いて横になっているトウコが苦笑する。
「悪かったって。」
「ごめんなさいって言え。」
「嫌だ。」
リョウが舌打ちして、また短剣を見る。
「どうすっかなぁ。」
トウコたち3人が砦から帰還して10日が経った。
都市に戻った翌日に組合長へ報告に行くと、既に軍からの報告が終わっていたようで少し呆れた顔で迎えられた。
「君たちは行く先々で騒ぎを起こすね。まぁ今回は第4都市の軍の高官にも砦にもパイプができたから僕としては問題ないけれど。それに…僕よりも太いパイプを持っていそうな人物も現れたことだしね。」
意味ありげな視線を組合長から向けられたリョウは、忌々しそうな顔をしたが何も言わなかった。
その後3人は特に何をするでもなく過ごしていた。
元々、主討伐の高額な報酬に加えて遺跡護衛で上乗せされた報酬、そして軍からの指名依頼の報酬と、仕事にかかる経費などを差し引いても、3人がしばらく遊んで暮らせるだけの金は十分にあった。
そもそもが、主討伐が終わった時点で3人はしばらく仕事をしないつもりでいたのだ。それが何故か仕事が断れない状況に陥り、毎度毎度誰かが―主にトウコが死にかけるという羽目になっていた。
3人は今度こそ何もしないと誓って、この10日間ダラダラと過ごしていた。
そしてこの10日、リョウはほぼ毎日折れた短剣を眺めては、冒頭のセリフを吐き出し続けていたのだった。
前回の仕事の大森林においてトウコを庇ったリョウは、とっさに魔力を全力で短剣に付与してしまった。そのせいで短剣がリョウの魔力に耐えきれず、折れてしまったのだ。
トウコはあの後、折れた刃と柄を回収していた。それを砦で目覚めたリョウに渡すと、珍しくリョウが絶望に顔を歪め、トウコを驚かせた。
リョウは通常の人間よりも魔力が多いため、普通の短剣ではすぐに折れてしまう。現にリョウは、都市に帰還してからそれなりの値段の短剣を購入し、普段戦う時に付与する程度の魔力を流してみた。
見事にあっさりと全ての短剣が折れてしまった。
それならばと、都市内で鍛え直せる刀工を探したが、どこも無理だと断られてしまった。
「どこかの阿呆が転んだりしなけりゃなぁ…。」
トウコは少し目を泳がせると、リョウに背を向けた。
リョウは握っていた短剣を床に放り投げると、トウコの体を引き寄せて自分の体の上に乗るよう誘導する。
「体で支払え。」
リョウの褐色の胸に手をついて体を起こしたトウコが、リョウを見下ろしながら呆れたように言う。
「もう十分支払った気がするぞ。たぶん釣りがくる。」
「じゃあ、釣りの分は俺の体で支払ってやるよ。遠慮なく受け取れ。」
トウコはくすくす笑いながら、リョウに軽く口づけるとそのまま顎から首へ、胸から腹へと顔を降ろしていく。綺麗に傷がなくなった腹の刺されたあたりに舌を這わせて軽く吸うと、そのまま顔をさらに下へと移動させた。
リョウはトウコの揺れる頭を撫でながらしばらく見下ろしていたが、少し掠れた声で呟いた。
「トウコ、お前海行ったことあるか?」
トウコが目線だけ上げて小さく首を振る。
「…じゃあ海行くか。」
トウコが口を離し、しかし顔は埋めたままリョウを見上げて聞く。
「海って…南0都市か?」
「そうだ。…お前そんなとこでしゃべんなよ。くすぐってぇ。」
言いながらリョウがトウコの腕を引くと、トウコは体を起こしてリョウの腰に跨った。
「足が8本あるけど食うと美味い生き物がいるぞ。食わせてやるよ。」
艶めかしく動き出したトウコの腰を見ながらリョウが言うと、トウコがリョウを見下ろしながら少し苦しげに、しかし即答する。
「…絶対行かない。」
リョウは笑いながら揺れるトウコの胸と腰を掴んだ。
「はぁ?南0都市に行きたいから、そこへ行く護衛の仕事を受けろですって?なんでまたそんなとこに。魔導車でも5日以上かかるでしょう?」
翌朝、リョウがマリーに南0都市の話をするとマリーは素っ頓狂な声を上げた。
「俺の短剣は南0都市の刀工が打ったんだよ。だからそいつに鍛え直してもらうなり、新しいのを打ってもらおうかと思ってな。」
「なるほどねぇ…。って、アンタその刀工の名前知ってるの?そもそもその刀工はまだ南0都市にいるわけ?」
マリーの問いにリョウは目を逸らした。
「…知らねえ。」
その答えにマリーが盛大にため息を吐く。
「わざわざあんなところまで行って、結局打ち直してもらえませんでした、になったらどうするのよ。ねえ、大体あの短剣ってどこで手に入れたの?かなりの業物でしょう?」
「…あの砦の司令官にガキの頃に貰った。」
「それならあんたあの方に手紙でも書いて聞きなさい。」
リョウは目を逸らしたまま返事をしない。
「いいわね?その刀工が誰なのか、いまもまだいるのかはっきりしない限りは、南0都市への護衛の仕事は受けないからね!」
しぶしぶリョウは頷いた。
そこへトウコが「私は行かないからな。」と低い声で呟く。
それを聞いてリョウが大笑いしながらトウコの頭を撫でる。
「お前の嫌いな奴とは似てねーから大丈夫だって。」
「何よ、どうしたの?」
「…南0都市には、足が8本ある不気味な奴がいるらしい。」
「リョウ、何それ。あそこにそんな魔物いたかしら?」
「タコだよ、タコ。」
それを聞いたマリーも噴き出す。
「トウコ、足が10本あるのもいるわよ。8本も10本もあそこの名物で、美味しいのよ。」
「私は絶対行かないからな!」
トウコはそのままソファのクッションを抱きしめると、ソファに突っ伏してしまった。
その日の夜。
リョウはトウコのベッドの上でうつぶせになり、煙草を咥えたまま砦の司令官に手紙を書いていた。
トウコがリョウの口から煙草を奪うと呆れたように言う。
「お前、あの人には可愛がってもらってたんじゃないのか?それを失礼な奴だな。」
リョウは手元から目を上げず、手を動かしながら聞く。
「どういうことだよ。」
「煙草を咥えたまま。しかも全裸。」
「関係ねーだろ。どんな格好で書いたって見えやしねーんだし。」
リョウの言葉に苦笑しながらトウコが手紙をのぞき込むと、予想外に流麗な文字が目に飛び込んできた。
「お前、字綺麗なんだな。意外だ…。」
「お前こそ失礼な奴だな。文字の練習は死ぬほどさせられたからな。昔取ったなんとかってやつだ。これでもシュウより字は綺麗だぞ。まぁマイには負けるけどな。」
トウコは、新しく知ったリョウの小さな過去と、それをてらいもなく話すリョウの態度を少しくすぐったく感じながら、リョウの背中に腕を回して顎をリョウの肩に乗せると、微笑みながらリョウが綴る流麗な文字を眺めた。
リョウが手紙を書いて1週間後。
3人は渋い顔で組合長室のソファに座っていた。
「どうして私たちはここにいるのかしらね。理解に苦しむわ。」
「この間、砦の報告をした時にしばらく俺たちをここには呼ぶなって言ったのもう忘れたのか?耄碌すんにゃまだはえーだろ。それともあれか?もう引退か?」
「リョウ言い過ぎだぞ。だが、引退には私も賛成だな。」
足を組んで3人の向かいに座っている組合長が、涼しい顔で微笑んでいる。
「そこまで言われると、さすがの僕も多少は傷つくってもんだよ。」
少しも傷ついていない口調で言った組合長はさらに言葉を続けた。
「君たちに指名依頼だよ。また軍からのご指名さ。今度は第16都市だけれどね。」
諦めたようにトウコがため息を吐き、リョウがマリーを横目で睨み、マリーがさっと目を逸らす。
ミラが3人に資料を渡すと説明を始める。
「第16都市の治安維持軍よりお三方に指名依頼がありました。今回の仕事内容は、犯罪奴隷の移送です。南0都市の鉱山に送られる犯罪奴隷を、2個小隊約100名とともに移送して欲しいとのことです。出発は5日後、南門に迎えが来るそうです。そこから移動し、本隊に合流していただくとのことです。」
犯罪奴隷。
命がパンよりも安いこの世界においても、法は存在する。殺人や強盗、強姦などの重犯罪を犯した者は犯罪奴隷に落とされ、戦時中ならば最前線の肉壁として、平時ならば鉱山や道路の敷設工事などの重労働が課せられる。
しかし、毎日些細なことで当たり前のように人が殺されているため、1人や2人死んだところで、都市の警察組織も軍も動かない。基本的には集団で商隊を襲うなどした野盗が犯罪奴隷になることがほとんどだ。
マリーとリョウが気まずそうに口を閉じているので、トウコが口を開いた。
「私たちが出る必要がまっっったくない仕事だな。」
その言葉を待っていたかのように、ミラがすかさずリョウに何かを差し出す。
「こちら、アーチボルト中将よりリョウさんへの私信になります。」
「だろうな…。」
疲れたような声でリョウがミラから手紙を受け取り、組合長が愉快そうな響きを含ませて
言う。
「私としては中将―砦の司令官殿から私信が送られるという事実が大変興味深いところなのだけどね。」
「うるせえ。俺はもう関係ねーんだ。利用しようとすんじゃねーぞ。」
組合長がくつくつ笑いながら反論する。
「今回利用した形になったのは君の方だと思うけれど?」
言葉に詰まったリョウは頭を抱えて呻く。
「くそ、マリーが余計なこと言うから。」
「私のせいにしないで頂戴!そもそもアンタが南0都市に行きたいとか言うからでしょう!?」
「いや、事の発端は短剣を折る原因を作ったトウコが悪い!」
責任のなすりつけ合いが、巡り巡って自分のところへと回って来たトウコは苦笑いする。
「まあ、楽な仕事でいいじゃないか。2個小隊と一緒に移動なら魔物が出ても軍が蹴散らしてくれる。私たちはこの間みたいに乗っているだけだ。それで金がもらえるならいい仕事じゃないか。」
トウコの言葉に組合長がすかさず言葉を挟む。
「軍を乗合馬車代わりにするなんて、君たちも大物だね。」
組合長の言葉にマリーが盛大にため息を吐く。
「もしも南0都市までの護衛の仕事を別に受けてた場合、懸念事項がなかったわけじゃないのよね。だって、リョウの短剣は1本折れちゃってるわけだから。その分、多少は弱体化してるわ。まあ、死の森へ入るわけじゃないから1本でも十分だとは思うけれど。」
リョウもまた、溜息を吐いて応じる。
「そのことも考慮してくれた結果がコレなんだろうなぁ…。」
そこに組合長が「正直なところ。」と言葉を挟んだ。
「組合としては今の時期に君たちを都市の外へ出したくはないのだよ。南0都市まで往復で早くて10日。リョウの短剣を打ち直す場合、帰還するのが1か月は先になるだろう?前回君たちが遭遇した大森林の中の遺跡―遺跡になりかけの場所が他にもないか組合として調査する必要がある。例の神殿もあれからどうなったか、危険度が上がっていないかの調査、そして危険がなかった場合、どのくらい神殿が破損したか旧跡研究団体が調査したいと早速言ってきている。他にも君たちに指名依頼が来そうな案件が盛り沢山だよ。今回はトウコの言う通り、君たちというよりも組合が関わる仕事ではない。だから断ることも可能だった。でも、その私信がね。とても太い釘を打ち込まれてしまった。」
組合長の言葉にマリーとリョウが顔を盛大に顰める、トウコが自分は関係ないとばかりに涼しい顔で言う。
「しばらく楽な仕事はなさそうだな。今回は、司令官の好意に思いきり甘えたらいいじゃないか。楽して稼げるチャンスだ。…私は行かないけどな。」
最後だけ真顔で低く言ったトウコに組合長が不思議そうな顔をして聞く。
「トウコは南0都市に行きたくないのかい?」
「…あそこは魔窟だ。足が10本ある奴と8本ある奴がいる。しかもそれを食べるらしい。」
「イカとタコよ。」
すかさすマリーが補足すると、組合長が珍しくぽかんとした顔をした後、小さく声を上げて笑った。
「トウコ、そいつらはその足で吸い付いてくるよ。気を付けるといい。」
「ひっ。行かない、私は絶対行かない!」
トウコが無意識のうちにリョウに縋りつくと、リョウはトウコの肩を抱いて頭に顔を埋めながら言った。
「珍しくトウコが可愛い…。俺、ベッドの上で怖がるトウコを慰めとくから、マリー行ってきてくれよ。」
「アンタの短剣でしょ!アンタが行きたいって言い出したのよ!このバカ!」
こうして3人の短い休暇は終わりを告げた。
リョウがトウコのベッドの上で仰向けになって、刃が折れた短剣を握って嘆いている。
隣でリョウの方を向いて横になっているトウコが苦笑する。
「悪かったって。」
「ごめんなさいって言え。」
「嫌だ。」
リョウが舌打ちして、また短剣を見る。
「どうすっかなぁ。」
トウコたち3人が砦から帰還して10日が経った。
都市に戻った翌日に組合長へ報告に行くと、既に軍からの報告が終わっていたようで少し呆れた顔で迎えられた。
「君たちは行く先々で騒ぎを起こすね。まぁ今回は第4都市の軍の高官にも砦にもパイプができたから僕としては問題ないけれど。それに…僕よりも太いパイプを持っていそうな人物も現れたことだしね。」
意味ありげな視線を組合長から向けられたリョウは、忌々しそうな顔をしたが何も言わなかった。
その後3人は特に何をするでもなく過ごしていた。
元々、主討伐の高額な報酬に加えて遺跡護衛で上乗せされた報酬、そして軍からの指名依頼の報酬と、仕事にかかる経費などを差し引いても、3人がしばらく遊んで暮らせるだけの金は十分にあった。
そもそもが、主討伐が終わった時点で3人はしばらく仕事をしないつもりでいたのだ。それが何故か仕事が断れない状況に陥り、毎度毎度誰かが―主にトウコが死にかけるという羽目になっていた。
3人は今度こそ何もしないと誓って、この10日間ダラダラと過ごしていた。
そしてこの10日、リョウはほぼ毎日折れた短剣を眺めては、冒頭のセリフを吐き出し続けていたのだった。
前回の仕事の大森林においてトウコを庇ったリョウは、とっさに魔力を全力で短剣に付与してしまった。そのせいで短剣がリョウの魔力に耐えきれず、折れてしまったのだ。
トウコはあの後、折れた刃と柄を回収していた。それを砦で目覚めたリョウに渡すと、珍しくリョウが絶望に顔を歪め、トウコを驚かせた。
リョウは通常の人間よりも魔力が多いため、普通の短剣ではすぐに折れてしまう。現にリョウは、都市に帰還してからそれなりの値段の短剣を購入し、普段戦う時に付与する程度の魔力を流してみた。
見事にあっさりと全ての短剣が折れてしまった。
それならばと、都市内で鍛え直せる刀工を探したが、どこも無理だと断られてしまった。
「どこかの阿呆が転んだりしなけりゃなぁ…。」
トウコは少し目を泳がせると、リョウに背を向けた。
リョウは握っていた短剣を床に放り投げると、トウコの体を引き寄せて自分の体の上に乗るよう誘導する。
「体で支払え。」
リョウの褐色の胸に手をついて体を起こしたトウコが、リョウを見下ろしながら呆れたように言う。
「もう十分支払った気がするぞ。たぶん釣りがくる。」
「じゃあ、釣りの分は俺の体で支払ってやるよ。遠慮なく受け取れ。」
トウコはくすくす笑いながら、リョウに軽く口づけるとそのまま顎から首へ、胸から腹へと顔を降ろしていく。綺麗に傷がなくなった腹の刺されたあたりに舌を這わせて軽く吸うと、そのまま顔をさらに下へと移動させた。
リョウはトウコの揺れる頭を撫でながらしばらく見下ろしていたが、少し掠れた声で呟いた。
「トウコ、お前海行ったことあるか?」
トウコが目線だけ上げて小さく首を振る。
「…じゃあ海行くか。」
トウコが口を離し、しかし顔は埋めたままリョウを見上げて聞く。
「海って…南0都市か?」
「そうだ。…お前そんなとこでしゃべんなよ。くすぐってぇ。」
言いながらリョウがトウコの腕を引くと、トウコは体を起こしてリョウの腰に跨った。
「足が8本あるけど食うと美味い生き物がいるぞ。食わせてやるよ。」
艶めかしく動き出したトウコの腰を見ながらリョウが言うと、トウコがリョウを見下ろしながら少し苦しげに、しかし即答する。
「…絶対行かない。」
リョウは笑いながら揺れるトウコの胸と腰を掴んだ。
「はぁ?南0都市に行きたいから、そこへ行く護衛の仕事を受けろですって?なんでまたそんなとこに。魔導車でも5日以上かかるでしょう?」
翌朝、リョウがマリーに南0都市の話をするとマリーは素っ頓狂な声を上げた。
「俺の短剣は南0都市の刀工が打ったんだよ。だからそいつに鍛え直してもらうなり、新しいのを打ってもらおうかと思ってな。」
「なるほどねぇ…。って、アンタその刀工の名前知ってるの?そもそもその刀工はまだ南0都市にいるわけ?」
マリーの問いにリョウは目を逸らした。
「…知らねえ。」
その答えにマリーが盛大にため息を吐く。
「わざわざあんなところまで行って、結局打ち直してもらえませんでした、になったらどうするのよ。ねえ、大体あの短剣ってどこで手に入れたの?かなりの業物でしょう?」
「…あの砦の司令官にガキの頃に貰った。」
「それならあんたあの方に手紙でも書いて聞きなさい。」
リョウは目を逸らしたまま返事をしない。
「いいわね?その刀工が誰なのか、いまもまだいるのかはっきりしない限りは、南0都市への護衛の仕事は受けないからね!」
しぶしぶリョウは頷いた。
そこへトウコが「私は行かないからな。」と低い声で呟く。
それを聞いてリョウが大笑いしながらトウコの頭を撫でる。
「お前の嫌いな奴とは似てねーから大丈夫だって。」
「何よ、どうしたの?」
「…南0都市には、足が8本ある不気味な奴がいるらしい。」
「リョウ、何それ。あそこにそんな魔物いたかしら?」
「タコだよ、タコ。」
それを聞いたマリーも噴き出す。
「トウコ、足が10本あるのもいるわよ。8本も10本もあそこの名物で、美味しいのよ。」
「私は絶対行かないからな!」
トウコはそのままソファのクッションを抱きしめると、ソファに突っ伏してしまった。
その日の夜。
リョウはトウコのベッドの上でうつぶせになり、煙草を咥えたまま砦の司令官に手紙を書いていた。
トウコがリョウの口から煙草を奪うと呆れたように言う。
「お前、あの人には可愛がってもらってたんじゃないのか?それを失礼な奴だな。」
リョウは手元から目を上げず、手を動かしながら聞く。
「どういうことだよ。」
「煙草を咥えたまま。しかも全裸。」
「関係ねーだろ。どんな格好で書いたって見えやしねーんだし。」
リョウの言葉に苦笑しながらトウコが手紙をのぞき込むと、予想外に流麗な文字が目に飛び込んできた。
「お前、字綺麗なんだな。意外だ…。」
「お前こそ失礼な奴だな。文字の練習は死ぬほどさせられたからな。昔取ったなんとかってやつだ。これでもシュウより字は綺麗だぞ。まぁマイには負けるけどな。」
トウコは、新しく知ったリョウの小さな過去と、それをてらいもなく話すリョウの態度を少しくすぐったく感じながら、リョウの背中に腕を回して顎をリョウの肩に乗せると、微笑みながらリョウが綴る流麗な文字を眺めた。
リョウが手紙を書いて1週間後。
3人は渋い顔で組合長室のソファに座っていた。
「どうして私たちはここにいるのかしらね。理解に苦しむわ。」
「この間、砦の報告をした時にしばらく俺たちをここには呼ぶなって言ったのもう忘れたのか?耄碌すんにゃまだはえーだろ。それともあれか?もう引退か?」
「リョウ言い過ぎだぞ。だが、引退には私も賛成だな。」
足を組んで3人の向かいに座っている組合長が、涼しい顔で微笑んでいる。
「そこまで言われると、さすがの僕も多少は傷つくってもんだよ。」
少しも傷ついていない口調で言った組合長はさらに言葉を続けた。
「君たちに指名依頼だよ。また軍からのご指名さ。今度は第16都市だけれどね。」
諦めたようにトウコがため息を吐き、リョウがマリーを横目で睨み、マリーがさっと目を逸らす。
ミラが3人に資料を渡すと説明を始める。
「第16都市の治安維持軍よりお三方に指名依頼がありました。今回の仕事内容は、犯罪奴隷の移送です。南0都市の鉱山に送られる犯罪奴隷を、2個小隊約100名とともに移送して欲しいとのことです。出発は5日後、南門に迎えが来るそうです。そこから移動し、本隊に合流していただくとのことです。」
犯罪奴隷。
命がパンよりも安いこの世界においても、法は存在する。殺人や強盗、強姦などの重犯罪を犯した者は犯罪奴隷に落とされ、戦時中ならば最前線の肉壁として、平時ならば鉱山や道路の敷設工事などの重労働が課せられる。
しかし、毎日些細なことで当たり前のように人が殺されているため、1人や2人死んだところで、都市の警察組織も軍も動かない。基本的には集団で商隊を襲うなどした野盗が犯罪奴隷になることがほとんどだ。
マリーとリョウが気まずそうに口を閉じているので、トウコが口を開いた。
「私たちが出る必要がまっっったくない仕事だな。」
その言葉を待っていたかのように、ミラがすかさずリョウに何かを差し出す。
「こちら、アーチボルト中将よりリョウさんへの私信になります。」
「だろうな…。」
疲れたような声でリョウがミラから手紙を受け取り、組合長が愉快そうな響きを含ませて
言う。
「私としては中将―砦の司令官殿から私信が送られるという事実が大変興味深いところなのだけどね。」
「うるせえ。俺はもう関係ねーんだ。利用しようとすんじゃねーぞ。」
組合長がくつくつ笑いながら反論する。
「今回利用した形になったのは君の方だと思うけれど?」
言葉に詰まったリョウは頭を抱えて呻く。
「くそ、マリーが余計なこと言うから。」
「私のせいにしないで頂戴!そもそもアンタが南0都市に行きたいとか言うからでしょう!?」
「いや、事の発端は短剣を折る原因を作ったトウコが悪い!」
責任のなすりつけ合いが、巡り巡って自分のところへと回って来たトウコは苦笑いする。
「まあ、楽な仕事でいいじゃないか。2個小隊と一緒に移動なら魔物が出ても軍が蹴散らしてくれる。私たちはこの間みたいに乗っているだけだ。それで金がもらえるならいい仕事じゃないか。」
トウコの言葉に組合長がすかさず言葉を挟む。
「軍を乗合馬車代わりにするなんて、君たちも大物だね。」
組合長の言葉にマリーが盛大にため息を吐く。
「もしも南0都市までの護衛の仕事を別に受けてた場合、懸念事項がなかったわけじゃないのよね。だって、リョウの短剣は1本折れちゃってるわけだから。その分、多少は弱体化してるわ。まあ、死の森へ入るわけじゃないから1本でも十分だとは思うけれど。」
リョウもまた、溜息を吐いて応じる。
「そのことも考慮してくれた結果がコレなんだろうなぁ…。」
そこに組合長が「正直なところ。」と言葉を挟んだ。
「組合としては今の時期に君たちを都市の外へ出したくはないのだよ。南0都市まで往復で早くて10日。リョウの短剣を打ち直す場合、帰還するのが1か月は先になるだろう?前回君たちが遭遇した大森林の中の遺跡―遺跡になりかけの場所が他にもないか組合として調査する必要がある。例の神殿もあれからどうなったか、危険度が上がっていないかの調査、そして危険がなかった場合、どのくらい神殿が破損したか旧跡研究団体が調査したいと早速言ってきている。他にも君たちに指名依頼が来そうな案件が盛り沢山だよ。今回はトウコの言う通り、君たちというよりも組合が関わる仕事ではない。だから断ることも可能だった。でも、その私信がね。とても太い釘を打ち込まれてしまった。」
組合長の言葉にマリーとリョウが顔を盛大に顰める、トウコが自分は関係ないとばかりに涼しい顔で言う。
「しばらく楽な仕事はなさそうだな。今回は、司令官の好意に思いきり甘えたらいいじゃないか。楽して稼げるチャンスだ。…私は行かないけどな。」
最後だけ真顔で低く言ったトウコに組合長が不思議そうな顔をして聞く。
「トウコは南0都市に行きたくないのかい?」
「…あそこは魔窟だ。足が10本ある奴と8本ある奴がいる。しかもそれを食べるらしい。」
「イカとタコよ。」
すかさすマリーが補足すると、組合長が珍しくぽかんとした顔をした後、小さく声を上げて笑った。
「トウコ、そいつらはその足で吸い付いてくるよ。気を付けるといい。」
「ひっ。行かない、私は絶対行かない!」
トウコが無意識のうちにリョウに縋りつくと、リョウはトウコの肩を抱いて頭に顔を埋めながら言った。
「珍しくトウコが可愛い…。俺、ベッドの上で怖がるトウコを慰めとくから、マリー行ってきてくれよ。」
「アンタの短剣でしょ!アンタが行きたいって言い出したのよ!このバカ!」
こうして3人の短い休暇は終わりを告げた。
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しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
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