常世の彼方

ひろせこ

文字の大きさ
94 / 100
金の章

25.開戦

しおりを挟む
 「やあ、思ったより早かったね。もうトウコの体は大丈夫なのかい?」

トウコたち3人が神殿へ足を踏み入れると、柱にもたれ掛っていたカインが、微笑みを浮かべながらそう声を掛けて来た。
「それじゃ、後はこの間話した手筈通りってことでいいよね?」
質問の体を取りながらも、3人の返答を待たずにカインは静かに歩き出し、トウコたちも黙って歩き出した。
祭壇奥に開けられた穴にカインが気負いなく入って行き、3人もまたそれに続く。
穴の先はひんやりとした空気が漂う洞窟だった。
「5分くらいかな。魔物は出ないから大丈夫だよ。」というカイン言葉通り、5分ほど歩いたところで魔物に襲撃されることもなく、出口であろう光が見えた。

「ここは…。」
洞窟を抜けた先の光景を見た3人が驚いたように足を止め、トウコが少し目を見張って呟くと、カインも足を止めて振り返った。
「彼女…黒の巫女がいた離宮だよ。」
洞窟を抜けた先、鬱蒼とした森の中に白い石造りのこじんまりとした2階建ての宮殿があった。
幾本もの白い円柱の柱に、半円の窓。窓の周りは鮮やかな青で彩られおり、ところどころに控えめながら金色の装飾が施されている。
「そんなに大きくないけれど、とても綺麗で静謐な空気が流れる離宮だったよ。今は見る影もないけどね。」
日が差さない死の森に沈む離宮は暗く、白い壁も柱もそれを彩る青も陰鬱とした影を落としていた。
また、洞窟を抜けた瞬間から重くまとわりつくような不快な空気が漂っており、それがより一層、離宮に暗く沈んだ印象を与えていた。
「なるほど。ことを起こした場所に留まり続ける。良い趣味をしている。」
馬鹿にするような口調のトウコの呟きに同意するようにカインが小さく笑みを浮かべ、また前を向いて歩き出した。

「ここには、本来は庭があったんだ。季節ごとに色とりどりの花が咲き誇っていたよ。」
行くものを拒むように生い茂る草や木をかき分けて前を行くカインが、誰に言うともなく話し出す。
「だけど彼女は紫の小さな花を1番好んだ。離宮の裏手には草原が広がっていてね。そこは、ある時期になるとその紫の小花が一斉に咲き誇るのさ。彼女はそれを見るのが大好きだった。」
リョウが横目でトウコを窺ったが、トウコは何も気にした素振りを見せず、何を考えているのか分からない顔で、前を向いて歩き続けていた。

固く閉ざされた離宮の入口の前まで来たカインが、その手を扉に掛ける。
「封印されてるんじゃないのか?」
「ここまでは僕も入れるんだ。」
トウコの問いに答えながら、カインが金の装飾が施された扉をそっと押すと、その言葉通り扉は内へ向かって静かに開いた。
入った先は小さな広間になっており、左右へ延びる廊下と、中央には2階へと続く階段があった。
「…嫌な空気。」
少し呻くようして言ったマリーの額には汗がにじんでいた。
「ああ、すまない。忘れていた。ここは金の巫女の瘴気が濃いからね。障壁を張っていても高魔力じゃないと貫通するんだよ。僕が張ろう。」
言いながらカインがマリーに向かって手を振ると、マリーがほっとしたように息を吐いて礼を言った。
君たちはどうだというように、カインがトウコとリョウを見ると、2人は首を振った。
「さすが2人とも魔力が高いね。…行こう。2階だよ。」
踵を返したカインが再び歩き始める。
「…お前、剣士と魔導士どっちだ?前は魔導士だって言ってたが。」
階段を上がりながら前を行くカインにリョウが聞くと、「どっちもかな。」とカインが前を向いたまま答えた。
「もちろん剣の方が得意だよ。彼女…黒の巫女に術は教えてもらったんだ。それに時間だけは有り余っていたからね。いつの間にか魔導士としての腕も上がったよ。」
そう言ったカインが振り返り、少し不敵な笑みを浮かべた。
「どちらも君には負けないよ。」
「死なねえ時点で反則だろ。そのクセ今日は役立たずだ。」
「はは。手厳しいね。だけど補助はできるよ。僕のことが大嫌いな君にもちゃんと補助するから安心していいよ。」
「入れなかったら本当の役立たずだな。」
「入れることを祈っててくれ。」

2階へ上がるとカインは迷うことなく右へ進んだ。
左は近衛兵が詰めていた部屋、右の一番奥に闇の巫女の部屋があったとカインは歩きながら静かに言った。
そして、右の廊下を少し進んだ場所にあった1つの扉の前で足を止めた。
「ここだよ。」
カインが扉の前を明け渡すように一歩後ろへ下がる。
「ここが、金の巫女がいる場所。黒の巫女が封じられている場所。…あの日の部屋だ。」
金で装飾された白い扉の前でそう言ったカインは微笑んでいた。
想像もできないほど永い間、討つことを願っていた相手と対峙することにも、焦がれ続けた女に会えるかもしれないことにも、まるで何も思っていないかのような、いつもの微笑みを浮かべているカインを、トウコもまた感情の乗らない顔で静かに見つめた。

トウコが扉の取っ手に手を掛け僅かに力を入れると、カチリという軽い音と共に扉は簡単に開いた。
トウコが体をずらしてカインを見る。
カインは微笑んだまま扉を押し開き、足を踏み出した。

カインの足は、何の抵抗もなく部屋の床を踏んだ。
途端、カインの雰囲気が激変した。
獲物を前にした猛獣のような鋭い紫の瞳を昏い喜びに爛々と輝かせ、歯を剥き出しにして笑うその顔は、嬉しくて堪らないと言った様子だった。
しかし、その体からは抑えきれない殺気が漏れ出ており、カインの殺気にあてられたトウコたち3人の背中が粟立った。
「こいつが役に立たないとかマジかよ。」
「…まったくだな。」
珍しく顔を少し引き攣らせたリョウが呟くと、トウコも頷きながら部屋の中へ足を踏み入れた。
部屋の中は離宮の一室とは思えない、白い石壁に囲まれた広い空間が広がっていた。
その中央にぽつんと豪奢なベッドが置かれており、そこに1人の女が上半身を起こしてこちらを見ていた。
「久しぶりね、カイン。私に会いたくて堪らなかったって顔をしているわね。」
言いながら女―金の巫女が立ち上がる。

緩やかにウェーブした輝くような金髪。
ぱっちりとした心持ち吊り上がった大きなサファイア色の瞳。
しっとりとした象牙色の肌。優美に弧を描く眉。すっと通った鼻筋。
薄く色づいた桃色の艶やかな唇。
金の巫女は体に密着した袖の無い胸元が開いた白いワンピースを着ており、その肢体は儚げで、しかし匂い立つようだった。

サファイアの瞳に獲物を嬲る悦びの光を灯し、花弁のような艶やかな唇を歪めて愉悦の笑みを浮かべる金の巫女は美しかったが、しかし毒々しかった。

「ああ。お前に会いたくて会いたくて堪らなかった。この手で八つ裂きにできないのが残念だ。本当に。」
ほっそりとした手を口元にあて、鈴を転がしたような声で小さく笑った金の巫女は「まあ怖い。」と言いながらトウコを見た。
「それで…彼女に助けを求めたの?あの子の現身の成りそこないの女に。」
馬鹿にするようにクスクス笑った金の巫女は、トウコを見たまま言葉を続けた。
「あなた…トウコだったかしら。目障りだわ。本当に。あなたが死なないから、あなたが幸せを掴もうとするから、あの子が絶望しないじゃない。本当に目障り。」
憎しみの籠った目でそう言われたトウコはしかし、気にした素振りも見せずに、腰のポーチから煙草を取り出すと火をつけると、うまそうに煙を吐き出した。
「お前が私のことをどう思おうと、私はお前に用はないんだ。」
足元に視線を落とし、金の巫女を見ないままトウコがそう言うと、金の巫女は不愉快そうにその柳眉を僅かに顰めた。

「私はお前の片割れに用があるだけだ。お前の片割れを1発殴ったらここを出て行く。だから、とっとと出せ。」
「…あなた私を馬鹿にしているのかしら。カインに聞いたのでしょう?私がいる限り、あなたは死ぬ運命。だから私を殺しに来た。そうでしょう?」
楽しそうに歌うように言った金の巫女をトウコが見た。
嘲りの表情を浮かべたトウコが嗤う。
「何度も殺し損ねている分際でよくほざく。思い上がりも甚だしい。何度も言わせるな。私はお前のことなどどうでもいい。とっとと片割れを出せ。」
柳眉を吊り上げ、怒りに顔を歪ませた金の巫女だったが、すぐに哀れみの表情を浮かべた。
「あの子は出してあげられないわ。だって…。」
金の巫女がワンピースの胸元を広げて、花が綻ぶような笑顔を浮かべる。
「ここにいるから。」

金の巫女の胸元に、赤黒い球体がめり込んでいた。
球体は赤黒い血管のような管で金の巫女の体と繋がっていた。
それを見たカインが鬼のような形相で呻いた。
「…お前、彼女の力を取り込んでいるのか。」
「ええそうよ。そうしないとあの子出てこようとするんですもの。ずっと一緒って約束したのに酷いわよね。」
ワンピースの胸元を戻しながら、何でもないことのように言った金の巫女を見ながら、トウコが吸っていた煙草を足元に落とす。
腰のポーチからフィンガーレスグローブを取り出し、煙草を足で揉み消しながらそれを装着した。
「なるほど。お前を殺さないと片割れを殴れないというわけだな。」
「さあ、どうかしら。私を殺したらあの子も死ぬかもしれないわよ。」
「それならそれで仕方がない。双子なんだから顔もどうせ同じだろう。お前で我慢してやる。だから、とっとと死ね。」
「…本当に腹の立つ女だわ。死ぬのはお前よ!」

金の巫女の体から黒い澱が噴き出し、鋭い槍となってトウコたちに襲い掛かった。

「煽り過ぎだボケ!」
「トウコ!このおバカ!」
リョウとマリーがトウコを罵りながら槍を避け、金の巫女へと駆ける。
飛び退って槍を避けたトウコの隣に、カインが静かに降り立った。
「それじゃあトウコ行こうか。頼んだよ。でも、あいつは殺していいけど、彼女は殺してほしくないな。そうでないと、僕が君を殺してしまいそうだ。」
金の巫女の元へ駆けながら、トウコが蠱惑的な笑みを浮かべて隣を走るカインを見た。
「カイン、お前今までで1番いい顔しているな。あの胡散臭い顔より、今の顔の方がよっぽどいい。ぞくぞくする。」
「それは嬉しいな。僕にまだこんな感情が残っていたとは自分でも驚きだよ。だけど、そんなこと言ったら彼がまた怒るよ。」
「自惚れるなよ。リョウと比べたらお前なんか足元にも及ばない。…だが、私がそう言ったことはあいつには内緒にしててくれると助かる。」
「それはどっちだい?ぞくぞくするって言ったこと?それとも比べたこと?」
2人の目の前で、リョウの放った魔力石が爆炎を上げた。
「どっちもだ!」

叫んだトウコと、壮絶な笑みを浮かべたカインがその中に飛び込んだ。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さくら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

処理中です...