常世の彼方

ひろせこ

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金の章

27.黒の巫女

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 「トウコ!」

カインの左腕を切り落とすというリョウの凶行に、金の巫女も僅かに目を瞠って動きを一瞬止めた。
リョウが叫ぶと同時に、カインの真後ろにいた―カインの防壁を破壊したトウコが、切断されたカインの左腕から噴き出す血を浴びながら、前へ飛び出す。

トウコの狙いが分かった金の巫女が慌てて黒い澱の壁を作り出した。
リョウがすかさず魔力石を投げて壁を破壊するが、魔力石の爆発でトウコの障壁が砕かれ、トウコの体に無数の傷がつく。
しかし、トウコは構うことなく金の巫女の胸元に右手を突き出した。
トウコが金の巫女の胸元にある球体―黒の巫女を握りしめ、ワンピースの布地ごと引き千切る。
ぶちぶちという嫌な音とともに、金の巫女の体から千切れたそれを両手握り締めたトウコがすかさずその場を離れようとするも、目を血走らせた金の巫女がトウコの腕を掴んだ。
掴まれたトウコの右腕の骨が砕かれたが、トウコは握り締めたそれから手を離さなかった。

「折れてくれるなよ…!」
リョウが呻くように言いながら限界まで魔力を乗せた短剣を振るう。
トウコを掴んでいた金の巫女の腕が切断され、すかさずリョウがトウコを抱き締めると後ろへ大きく飛んだ。
金の巫女の足元から黒い澱の槍が生え、2人の体を貫こうと襲い掛かる。
間に合わないと舌打ちしたリョウが、トウコを庇うように槍に背を向けた時、カインが2人の前に飛び出し、残った右手に握った剣で槍を切断した。

「ねえ、君たちろくでなしって言われないかい?」
着地したカインが、トウコを抱き抱えているリョウを庇うように前に出ながら言うと、リョウがすかさず馬鹿にしたような口調で言い返した。
「餌にしていいって言ったのはお前だろ。」
金の巫女の攻撃から2人を守りながらカインが呆れたように言う。
「そうだけど、僕が言う前からああすることを決めていただろう?」
「俺でよかったと思えよ。トウコはお前の腹に穴空けようとしてたからな。」
リョウの腕の中で血だらけのトウコが楽しそうに言った。
「開けるつもりだったのに障壁しか砕けなかった。」
金の巫女が放った無数の黒い礫を、同じく無数に生み出した炎の球で迎え撃っているカインが悲壮な声を出した。
「本当に酷いな…死なないけど痛いんだよ?」
カインがそう言った時、トウコが握り締めている手の中から光が溢れ出した。
「まずはうまく行ったみたいだね。トウコ、頼んだよ。」
「1発ぶん殴ってくる。」
カインの言葉にそう答えたトウコがリョウを見上げる。
「信じてるぞ、リョウ。」
「絶対守ってやる。安心して寝てろ。」
トウコが蕩けるような笑みを浮かべる。
そしてトウコの意識が途切れた。

**********

「君たちでは金の巫女は殺せない。」

トウコたちにすべてを語り、金の巫女を倒すとトウコたちが決めたあの後、カインは静かにそう言った。
「分かった。それならさっきの話はなしだ。」
トウコがあっさり前言を撤回すると、カインが小さく声を上げて笑う。
「本当に君は面白いね。まあ、少し話を聞いてくれるかな?」
カインはそう言うと話し出した。

主同様、金の巫女も再生能力を持っている。
そのため、倒すには主のように核を壊さなければならない。
しかし、カインの補助魔法で3人を底上げし、更にフォローに入ったとしても、金の巫女の核を3人が壊すのは無理だろう。
ならばどうするか。
金の巫女に匹敵する力を持つ者に頼ればいい。
黒の巫女に。

「金の巫女を殺らないと、黒の巫女は解放されない。だが、金の巫女を殺るには黒の巫女を解放しないといけない…。本末転倒じゃないか。」
呆れたようなトウコの言葉に、カインは小さく頷いた。
「うん。けれど、それは無理じゃないはずなんだ。」
「どういうことだ?」
「金の巫女が黒の巫女を封じたのは本当だけれど、黒の巫女もまた金の巫女を封じているとも言えるはずなんだよ。」

元々、双子同士の巫女の力は同じだった。
あの日、金の巫女は人々の生気を吸って大きな力を手に入れたが、黒の巫女も金の巫女を封じるために、金の巫女から力を奪っていた。
最終的には金の巫女が勝って術が発動されたが、生気を吸って得た力のほとんどは術に使用された。
残った力で黒の巫女を封じたが、それは金の巫女からすれば危うい均衡で保たれている。
その均衡を崩せば、黒の巫女の開放は不可能ではないはずだとカインは語った。

「で?その均衡を崩す方法はあんのか?」
「カギはトウコだね。」
リョウの問いに、カインはトウコを見つめて言った。
「黒の巫女は深い眠りについているはずなんだ。それを起こせばいい。」
「トウコがまた夢の中に入るってことか?今度は黒の巫女の。」
「そういうことになるね。夢というより…黒の巫女の意識に触れるという感じかな?」
リョウが大きくため息を吐いてトウコを見ると、今度はトウコが口を開いた。
「その方法は?」
「金の巫女はどこかに黒の巫女の核となるものを持っているはずなんだ。それにトウコが触れれば、きっと黒の巫女の意識に入れる。彼女とトウコは近い存在だから。…それで黒の巫女が起きるかどうか、後は賭けだね。」
「その言い方だと、確実に入れるわけでもなさそうだな。おまけに黒の巫女の核の場所は不明。」
そこまで言ったトウコが「そして。」とカインを睨みつけるようにしながら言った。
「…黒の巫女が正気を保っているかも分からない。起きるかどうかが賭けじゃなく、全てが賭けだ。」
「だけど、それしか方法はない。」
トウコの視線を受け止めたカインが静かに言った。
「とは言っても。もしかしたら永い時を経て、金の巫女の力が弱体化している可能性もないわけじゃない。実際に戦ってみたら、君たちでも勝てるということもあるかもしれないさ。」
肩をすくめておどけるように言ったカインを、3人がうんざりした様子で見つめる。
「結局はやってみなければ分からないってことだな。」
トウコの言葉にカインは小さく微笑んだ。

そして、カインがトウコたちの家を去った後、毒々しい笑みを浮かべたトウコが言った。
「決めた。カインを餌にするぞ。どうせ死なないんだ。無茶苦茶なことを言い出したあいつに体を張ってもらおう。」
トウコの作戦を聞いたリョウが爆笑しながら賛成し、マリーが顔を引き攣らせて「ろくでなしね、あんたたち。」と呟いた。

**********

金の巫女と乱戦になった時、トウコとリョウの2人でカインの不意を突いて攻撃する。
それで金の巫女の動きが乱れるなり、止まるなりした隙に核を奪う。
全てが何の確証もない綱渡りのような作戦だったが、2人はそれを実行し、賭けに勝った。
そして、トウコは黒の巫女の意識に入った。

「返しなさい!その子を返しなさい!」
髪を振り乱し、憎悪に満ちた形相で叫びながら、金の巫女がトウコを抱いたリョウとカインを追う。
次々と繰り出される攻撃をカインが破壊し、リョウがトウコを庇いながら避ける。
これまでは、トウコ、リョウ、カインはバラバラに動いており、金の巫女の攻撃もばらけていた。
そのため、攻撃を避けることはそう難しいことではなかったが、今は3人が1か所に集まっていることから、金の巫女の攻撃もそこに集中する。
また、リョウは意識のないトウコを抱き抱えており、ほぼ両手が塞がっている状態だ。
動きが制限される中、リョウはトウコを守り続けなければならなかった。

「できる限り僕が受け持つけど、君も頑張って避けてくれよ!」
リョウに切り落とされたはずの左腕で術を発動し、右腕に持った剣を振るいながらカインが叫ぶ。
「うるせえ!トウコには傷1つつけねーから、てめえはそっちに集中しやがれ!」
叫び返したリョウに向かって、カインが破壊し損ねた黒い澱の槍が襲い掛かる。
1本を横に飛んで避けながら、トウコの体から離した右手で短剣を振るう。
トウコの体を貫こうとした槍は切断したが、もう1本はリョウの障壁とともに肩を貫いた。
舌打ちしながらリョウが更に短剣を振るい、肩に突き刺さった槍を切断する。
トウコを抱く腕に力を入れたリョウが、次の攻撃に備えて睨みつけるように前を見据えた。
しかし、その顔には焦りが浮かんでいた。
リョウの魔力は枯渇寸前だった。

**********

気付いたとき、トウコは真っ暗な何もない空間にいた。
真っ暗な中、ぐるりと辺りを見渡すと遠くにぼんやりと光が見えた。
トウコは迷うことなく光に向かって歩き始めた。
光の中に女が座り込んでいる姿がぼんやりと見え始めた頃、女のすすり泣く声が小さく聞こえ、トウコはうんざりした表情を浮かべて足を止めた。
小さく息を吐くと面倒くさそうな顔をしながら、光に近づいた。

真っ白なワンピースを着た女が俯き、真っ直ぐな黒い髪を床に広げて座り込んでいる。
トウコには背を向けているため、顔は分からない。
足を止めたトウコが、すすり泣く女に声を掛けた。
「おい。お前、黒の巫女だな。」
問われた女がびくりと小さく肩を震わせる。
相変わらず背を向け、俯いたまま女は顔を少しだけトウコに向けたが、何も言わなかった。
焦れたトウコが再度「おい。」と言うと、女は消え入りそうな声で呟いた。
「…あなた誰。」
「誰でもいいだろう。質問しているのはこっちだ。お前、黒の巫女だろう。」
「…その名前で呼ばないで。」
「私はお前の名前を知らない。なんていうんだ。」
「忘れたわ…。」
苛立たしげにトウコが顔を歪める。
「お前はカインの女だろう。これでどうだ。それとも、それすらもう忘れたか。」
「カイン…?カイン。そう…そうだわ。私はずっとカインを待っているの。ねえ、どうしてカインは私を助けに来てくれないの?」
トウコが盛大に舌打ちし、黒の巫女の頭を冷たく見下ろす。
「どうしてカインがお前を助けに来ると思うんだ。」
「どうしてって…だって。私ずっとものばかり見るの。悲しくて辛いことばかり。もう私、あれを見るのは嫌なのよ。ねえ、ここから出して。カインを連れて来て。」

その後も女は呪詛のように言葉を吐き続けた。
沢山の人間が虐げられ、絶望していく。自分と同じ色を持つ人間が殺されていく。
こんなに苦しいのに、ずっと待っているのにカインは助けに来てくれない。
どうして私がこんな目に合わなければならないの。
女の言葉を苛立たしげな顔で聞いていたトウコの顔から、次第に表情が抜け落ちていく。
ついに無表情になったトウコが、女の胸ぐらを掴んで体を引き起こした。
「どれも、これも、全部。今、お前が言ったこと全てが、お前が引き起こしたことだ。」

女の紫の瞳と、トウコの紫の瞳が交わる。
「…あなた誰なの。あなたは私…?」
「ふざけるなよ。私がお前だと?寝ている分際で寝言が言えるとは器用だな。」
「だけど私、あなたのこと知ってるわ。あなただけが幸せそうなの。…そう、私はあなたになりたいって思ったわ。」
トウコが昏い目で女の瞳を覗き込む。
「本当に不愉快な女だ。お前が嘆いている間に、お前が逃げている間に、お前が羨んでいる間に、どれだけの人間が不幸になったと思っている。嘆くのも、羨ましがるのも、全て自分がしでかしたことを片付けてからにしろ。いいからとっとと現実を見ろ。全て受け入れて、起きろ。」
女が嫌々するように首を振る。
「あなたが何を言っているのか分からないわ。だって私は何も分からないのだもの。何も覚えていないの。」
「お前は黒の巫女で、双子の片割れの姉を殺そうとしたができなかった。その結果、お前は封じられ、お前の男は永遠の時を彷徨い続け、何の罪もない人たちが苦しみ、女たちが訳も分からないまま死んでいっている。」
耳を塞いだ女の手をトウコが引き剥がす。
「お前がうじうじとここで嘆き続け、逃げている間、カインは助けようと苦しみ悶えている。今この瞬間も。」
「それならどうしてカインは今すぐ助けに来てくれないの?」
トウコが女の髪を掴み上げ、「もういい。」と静かに呟いた。
「カインがお前を助けようとしているのと同じように、私の男も今、私を助けようとしている。だが、あいつはもうすぐ死ぬ。私を庇って。」
トウコは分かっていた。
魔力が枯渇しかけているリョウが、それを隠して無理していたことを。
「お前が目覚めないというのなら。」
トウコが女の体を持ち上げる。

「今すぐ死ね。」

**********

荒い息を吐きながら、焦りに顔を歪ませたカインが無数に飛んで来た黒い澱の礫を叩き落す。
しかし、金の巫女の攻撃のほとんどを迎撃できていた先ほどまでとは違い、今では半分以上を討ち漏らすようになっていた。
討ち漏らした残りがリョウに向かう。
魔力同様、残り僅かな魔力石をリョウがばら撒く。
ぐらりとリョウの視界が回った。
脂汗をびっしりとかいた顔を歪ませたリョウの視界に、黒い澱の槍が一直線に向かってくるのが見えた。
横に飛んで避けようとしたリョウの膝から、かくんと力が抜ける。
「やべえ。もう障壁も張れねえ。」
膝をついたリョウが呻くように言った。
「クソ。ぜってえ諦めねえぞ。」
トウコの体をしっかりと抱え直し、震える足で立ち上がろうとしたリョウの眼前に上半身裸の背中が立ちはだかった。
マリーが黒い澱の槍を睨みつけ、怒声とともにバトルハンマーを振りぬく。
黒い破片とともにバトルハンマーの破片が飛び散った。
半分砕かれたバトルハンマーを構えなおしたマリーが、リョウに背中を向けたまま仁王立ちになる。
「マリー、お前もう絶対前に出てくんなって言っただろ。死ぬぞ。」
「うるさいわね。私が死ぬよりアンタが死ぬ方が早いわよ。」
「誰が死ぬか、ボケ。それなら、前に出たついでにもうちょっと踏ん張れ。もうちょっとだ。あと少しでトウコが起きる。」
「あんたのその変態的な勘を信じるわよ。私の魔力じゃ障壁なんてないようなもんだし、バトルハンマーもこの通りよ。」
「おう、信じろ。」

再び黒い澱の槍が襲い掛かり、カインの体を貫通するのがリョウとマリーの視界に入る。
獰猛な笑みを浮かべたマリーがバトルハンマーを握りしめ、リョウが震える手で最後の魔力石を取り出した。
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