悪役令息レイナルド・リモナの華麗なる退場

遠間千早

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第二部

六十七話 二人の舞姫の物語 後②

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 ダーウード宰相の後方に見える大きな窓の向こうに、確かにグウェンと何故かアルフ殿下が一緒にいて窓枠に姿を隠していた。ウィルとベルの姿は見えない。グウェンは何故か砂色のラムルの軍服を着ていた。
 彼と目が合う。

 ヤバい。
 何かあいつめっちゃキレてる。

 目を見ただけでわかる。確実にキレてる。

 なんなんだ、俺が昨日の夜会いに行けなかったから怒ってるのか。
 それともこんな大勢の前で女装して醜態さらしてるから?

 不自然に立ち止まる訳にはいかず、俺は考えながらも足を止めずに候補者席に戻った。窓に背を向けるとジトッとした視線を背中に感じる。
 冷や汗を掻きながらルシアの隣に戻ると、「お疲れ様でした」と言って彼女は俺に濡れたタオルを渡してくれた。

「ありがとう」

 とお礼を言ってありがたく受け取り、ベタベタだった手を拭く。メルを入れた鞄をルシアから返してもらい、服の上から肩にかけた。中でメルがもぞっと動いて「ぴぃ」と鳴いたので鞄の上からよしよしと優しく撫でた。

 窓の方に視線を向けると、グウェンはまだ据わった目で俺を真っ直ぐに見ていた。

 なんだ、何がそんなにあいつの逆鱗に触れたんだ。

 アシュラフ皇帝には殴られてないし、不敬を働いた割に無難に終わったはずだよな。
 今にも乗り込んで来そうな彼の顔を見て、俺は慌てて声は出さずに口だけ動かした。

ーーちょっと、待って。もうすぐ終わるから。

 ゆっくりそう唇を動かすと、微かに眉を上げたグウェンが腕を組んだ。険悪な顔で彼も口を動かす。

ーー待ちたくない。吹き飛ばしていいか。

 ダメに決まってんだろ!!

 俺は思わず首を横に振って『ダメ! もう少し!』と唇を動かした。ルシアの番が終わるまでは、とにかく耐えてもらわないといけない。
 眉間に皺を寄せた彼が更に何か言おうと口を動かした時、ルシアの名前が呼ばれた。

「じゃあレイナルド様、私行ってきます」

 その声に我に返り、立ち上がったルシアを見上げて頷いた。

「よろしくね。無理だと思ったらすぐ中断して」
「大丈夫ですよ。上手くやります」

 にこっと笑ったルシアがロレンナと同じような籠を持って舞台に出て行った。
 俺のせいで変な空気になっていた広間の中は、可憐な少女が登場したことで少し和らいだ。
 窓の外にいるグウェンにもう一度『待ってろ』と伝えてから俺はルシアに注目した。

 彼女は舞台の真ん中に立ち、籠を下に置くと真っ直ぐアシュラフ皇帝を見つめた。深くお辞儀をして、それからダーウード宰相と観衆の方にも軽く頭を下げる。

「お集まりの皆様に、女神様の祝福がありますように」

 はきはきしたよく通る高い声でそう告げたルシアは、両手を伸ばして前に出し手のひらを上に向けて目を閉じた。

 きらり、とルシアの手のひらの上に白い光が浮かび、それは瞬く間に溢れると噴水のように弧を描いて広間の中に広がっていった。淡く光る清らかな空気が辺りを包む。
 人々はその光に触れると驚いたように小さく歓声をあげた。浄化の光が身体にふれて少しすっとするような、爽快な感覚を呼び起こしているんだろう。ここまで広範囲に浄化魔法をかけられるんだから、ルシアはやっぱりすごい。

 ここまでは、予定通りだ。

 俺は広間の中に薄く広がった浄化の魔法を見渡してからアシュラフ皇帝を見た。
 不快そうな顔でクッションにもたれてルシアを眺めている皇帝は、まだ核心をつく反応は見せていない。

 ちらりと振り返ったルシアが俺を見て、俺は彼女と目を合わせて頷いた。

 顔をアシュラフ皇帝の方に戻したルシアは、今度は下に置いていた籠を持った。先ほどと同じように白い光の粒を自分の周りに浮かび上がらせると、籠の中に入っていた紙吹雪を光と一緒に舞い上がらせ、もう一度広間全体に浄化魔法をかけた。

「光の加護をこめたお守りです。拾ってお持ち帰りください」

 広間の中に紙吹雪と、それに混ざったたくさんの護符がふわふわと飛んで広がっていく。
 後方で見ている人達は落ちてくる護符を拾うと、感嘆の声を漏らしながらそれを眺めていた。
 不意に横の方から、息を飲んだ気配がした。視線を送るとロレンナが強張った顔で玉座の方を見ている。
 俺も前方に視線を戻した。
 アシュラフ皇帝は玉座に座ったまま、自分の周りに結界を張っていた。広間の前方に飛んでいった紙吹雪と護符は、その結界に阻まれて床に落ちていく。

 やはり、そうなるのか。

 俺は立ち上がり、金色の絨毯から下りるとルシアの方に歩いていった。
 ルシアがアシュラフ皇帝を見つめ、緊張を孕んだ硬い声を発した。

「陛下、どうぞ護符をお手に取ってお受け取りください。危険なものではございません」

 ダーウード宰相と周りにいる官吏達は、何か様子がおかしいと感じ取ったのか怪訝な表情をしてルシアと皇帝を見比べている。

 皇帝は無表情でルシアを眺めていた。

 俺は舞台に上がるとルシアの横に歩いていき、一緒にアシュラフ皇帝に対峙した。想定していた展開とはいえ、奴が結界を張るのを見た時は寒気がした。
 黙って俺たちを見ている皇帝に、今度はルシアに代わって俺が口を開いた。

「その護符は人には害はない。だからあんたは触れるはずだ」

 そう言って、真っ直ぐに皇帝を見つめる。

 この護符には、以前教会本部で俺を出迎えたリビエール上級神官が渡してきた護符と同じような術をルシアがかけた。

 つまり、魔に触れると燃える。

「この護符は魔を感知すると燃えるように術がかけてある。これに触れないということは、魔界の術に関わる何かを隠し持っているか……あんた自身が魔に関わりがあるということになる」

 結界を解かない皇帝に向かって俺は静かにそう告げた。

 俺の声が聞こえる距離にいたダーウード宰相と官吏の何人か、それからロレンナが凍りついた。
 きっと今に至るまで、そこまで踏み込んで確かめようとはしなかったんだろう。大臣達は彼の性格が変わっただけだと思いたかったのかもしれないが、ここまで巻き込まれた以上俺は自分の推測が正しいのかどうかを確かめざるを得ない。

 黙って俺の顔を眺めていた皇帝は、不意に口の端を歪めて笑った。しかしその青い目の奥は全く笑っていない。それは昨日の夜首を絞められた時に見たような、闇の中に蠢く何かが潜んでいるような暗い目だった。
 アシュラフ皇帝はゆっくり立ち上がると、自分の周りに結界を展開したまま玉座を降りてくる。

「なるほど。面白いことを考えたな」

 邪悪な笑みを浮かべた皇帝は俺たちに歩み寄って来ると目の前で立ち止まり、そこで不意に結界を解いた。
 ひらひらと頭上に舞い落ちてきた一枚の護符を、彼は見せつけるように伸ばした指の先でそれを挟む。

 ボッ

 黒い炎を上げて

 俺とルシアは息を飲んでそれを見つめた。

 燃えた。本当に。

 護符が皇帝から魔を感知している。見た限り、彼が身につけている衣装や飾りには怪しいものはない。


 ならば、目の前にいるアシュラフ皇帝この人は本当に悪魔に憑かれているということか。


 手の上で燃え上がった護符を見下ろした皇帝が、にやりと大きく口を歪めた。
 
 こいつ、何かしようとしている。

「グウェン!!」

 俺がそう叫ぶのと、アシュラフ皇帝が手のひらを下に向けるのが同時だった。

 バリンと窓ガラスが割れる音が聞こえた気がしたが、ほぼ同時にがくんと床が下がった。隣でふらついたルシアに手を伸ばして支える。

「レイナルド!」

 グウェンの鋭い声が聞こえたような気がした。
 床が下がったのはそんな感覚があっただけで、実際に起こったのは転移だった。


 突然目の前が宮殿の広間ではなく、青空の下に広がる広大なグラウンドのような場所になった。グラウンドというより、闘技場という方がしっくりくるかもしれない。周りを高い石の塀がぐるりと円形に取り囲み、その上には観客席のようなスペースもある。

 やられた。

 俺は周りを見回して、ロレンナにリリアン、ライラとライルがいるのを確認した。候補者は全員揃っている。それからダーウード宰相もいて、側にいた官吏の役人も二人、きょろきょろと首を動かしながら青ざめた顔で立っていた。

 この人数を一度に転移させたのか。
 
 アシュラフ皇帝に本当に悪魔が憑いているのかどうか確かめようとしたのだが、まさか王宮の中から転移させられるとは思わなかった。
 転移する直前にグウェンが窓を割っていたが、間に合わなかったな。しくじった。やっぱりあいつに側にいてもらうべきだった。
 アシュラフ皇帝は愉快そうな顔で俺たちを眺めている。

「予定外のこともあったが、まぁいい。どちらにしろもう典礼にも飽きていた」

 皇帝がそう言って、警戒して少し離れたところにいる俺たちをぐるりと見回した。

「王宮内で鍵が見つからないのであれば、ここに留まる必要もない。煩わしいからお前たちもついでに始末しておこう」

 不穏なことを呟いた皇帝が軽く手を振ると闘技場の中に突然虎に似た四つ足の魔物が出現した。それも一体ではなく、次々に召喚されて、その数がどんどん増えていく。獅子と蝙蝠が混ざったような魔物が俺たちを見て雄叫びのような唸り声を上げた。
 ライラが悲鳴を上げてライルに抱きついた。官吏の二人も後ずさっていく。

「ああ、第四の試験とでもしておくか。ちょうどワジールもいるしな」

 アシュラフ皇帝は面白いことを思いついたという顔でそう言い放ってから、短く高笑いした。

「そうだ。生き残った者を合格としよう。生き残れれば私の妃だな、面白い。見届けろよ、ワジール。お前の最後の仕事だ」

 そう言うと魔に憑かれた皇帝は、残虐な笑みを浮かべて空に浮かび上がった。
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