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第二部
九十二話 智恵と歴史の天窓 中
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さすがに良く知ったロレンナとイリアに着替えを手伝ってもらうのは気が引けたし、グウェンの許可も出なかったので、ウィルがイリアから着付けを教えてもらい俺に朝と同じような白い巫女の道衣のような衣装を着せてくれた。
ーーママまたおきがえなのー? もう寝るの?
一緒に寝室に入ってきたベルは背中にメルを乗せながら俺の周りを回っている。
メルはまたベルの立髪にじゃれついて、時々羽の色を金色や銀色に変えて隠れて遊んでいた。
「まだ寝ないよ。ちょっとこれから外で煩くするかもしれないから、ベルはウィルとおばあちゃん達と一緒に果樹園の方で遊んでてな。ご飯持って行ってみんなで食べてていいよ。もう夜になるから星が綺麗だし、水路にも少しだけ近づいて覗いてごらん。すごく綺麗だから」
ウィルに羽織を着せてもらいながらベルに返事をして、俺は扉の側に立って俺を眺めているグウェンを横目で見た。
すごい見てくる。
ウィル達がいる手前、俺をひん剥いて確認することは出来ないから、着替えの合間に俺の身体に傷がないかじっと観察してるんだろう。後でやらせてやるって言っといて状況が立て込んでしまったから仕方がない。俺の女装を見てまた不機嫌になりつつあるグウェンの空気を察して、俺はリビングに戻ったらまた彼の膝の上だなと確信した。
リビングでは待っていたイリアにぼさぼさになったいた髪をある程度整えてもらった。付け毛は外れそうなところを直してもらい髪は今度は結ばずにおく。
闘技場であの悪魔を殴りつけたとき、俺の髪が解けたのを見てあいつは確かに動揺していたように見えた。その方が隙を突くにはいいかもしれない、と俺がそう提案した。
ちなみに、その間俺はやはり不機嫌そうな顔をしたグウェンの膝の上だった。皆の生暖かい視線にはもう慣れた。
俺の女装も完成し、ライルが取り掛かっていた解呪の媒体作りも無事に終わった。日が落ちてダーウード宰相が鈴園に戻ってきたところで、とうとう悪魔を召喚する時が訪れた。
夜が訪れた鈴園は、相変わらず星空が圧倒的なまでに美しい。
しん、と静まり返った広場の真ん中には、俺と俺から少し離れた後方に立つグウェンだけがいるように見える。他のみんなは周りに建つ鈴宮の陰に隠れて様子をうかがっていた。
「それでは、鐘を鳴らしてもいいでしょうか」
鐘のそばに一人だけ立っていたマスルールが、俺の顔を見た。
彼の目に俺を案じる色が浮かんでいる。実際に奴を呼び出す段階になって、やはり危険だと思い始めたのか躊躇うような表情をするから俺ははっきりと頷いた。
「やりましょう。あの悪魔が扉の鍵を見つける前に、片をつけるべきです」
静かな口調で俺がそう言うと、マスルールは硬い表情のまま口元を引き締めて頷いた。
「私は正殿の方に突破されないよう、一の宮の陰にいます」
「お願いします」
ベルとウィルとパパ達は、楽しそうにわいわいしながら夜のピクニックに行った。ベルパパとおばあちゃんはだんだんウィルには慣れてきたらしく、そこまで距離を取らずにみんなで仲良く果樹園の方へ歩いて行った。
メルは一緒に行くのかと思いきや、俺から離れようとしなかったため、羽織の内側に即席のポケットをイリアが縫い付けてくれ、その中に収まっている。
準備は整った。
後はこの世界の女神に執着されているらしい俺の運を信じるだけだ。
「それでは、鳴らします」
マスルールが深く息を吸い込んでから鐘を鳴らした。
夜にも関わらず、鐘の澄んだ音が鈴園全体に響き渡る。光の束が降り注ぐようなその音で、夜空の星が震えて落ちてくるのではないかと思った。
とんでもなく緊張しているのに、張り詰めた空気の中で夜空の星を映す俺の目はその光景を綺麗だと思う。
鐘の音が終わった。
地面に描かれた魔法陣が輝きを放ち、次の瞬間俺の前にアシュラフ皇帝の後ろ姿が現れた。
すぐに後ろを振り向いた皇帝が、数歩離れたところに立っている俺を見つける。
月と星の明かり以外に俺たちを照らしているものはなく、薄暗い中でも俺の姿を見たアシュラフ皇帝の顔が驚きに目を見開くのがわかった。
ルシアが結界を張ったのか、悪魔の周りに淡く光る円形の膜ができる。その結界にも気づいていないのか、彼は視線を逸らさずにじっと俺を見つめていた。
俺は悪魔の方に一歩ずつ足を進め、黙ったままその青白い顔を見返す。
射抜くような鋭い眼で俺を見つめる悪魔が、ふと口元を歪めた。
「やはり生きていたか。待ちわびたぞ」
相変わらず邪悪な笑みを浮かべた皇帝の顔とは裏腹に、その声には切実さが篭っているような気がした。
待ちわびた?
少し妙なニュアンスを感じて俺は内心首を傾げる。
俺が歩み寄る様をじっと見守っているアシュタルトが、どことなく俺を責めるような目をして囁く。
「約束を果たせ」
約束……?
先ほどからよく分からないことを呟き続ける皇帝に、心の中で疑問符を浮かべながら黙ったまま歩み寄る。手が届く距離まで近づいたら、向こうから手を伸ばしてきて左腕を強く引かれた。
その勢いに思わずたたらを踏み、結界を跨いで奴の足元に転ぶ。地面に膝をついたら後ろから殺気が飛んできたが、まだ大人しくしてろ、と念じた気持ちが伝わったのかグウェンは手を出してこない。
悪魔も彼には気づいているはずだが、真っ直ぐに俺を見つめていてグウェンの方には一瞥もくれなかった。
また左腕を掴まれたまま、膝をついて見上げた皇帝の瞳は月明かりでも分かるほど血のように赤かった。
そのやけに熱の篭った目を視界に入れながら、俺はその顔に手を伸ばす。
何故か素直にかがんできた皇帝の両目を右の手のひらで覆った。指先に奴のひんやりとした顔の温度を感じる。
されるがままになっている悪魔の様子を訝しく思いながらも、俺は次の瞬間、左手を勢い良く振り払い、素早く袂から短剣を抜いてそれを奴の腿に突き刺した。
「……っ」
俺の右手を強く弾いたアシュタルトが、血の色をした両目で俺の顔を見る。
どこか茫然としたような、夢から覚めたような暗い眼をして俺を見下ろした悪魔がふっと薄く笑った。
口を開いて奴が何か言いかけた時、その身体がぐらりと揺れた。
上手くいきすぎて動揺するくらいの困惑を感じていた俺の目の前で、足に短剣が刺さったままのアシュラフ皇帝の身体が地面に倒れる。
「レイナルド!」
すかさず後ろからグウェンが飛んできて、膝立ちになっている俺の腰を掬い、横抱きに抱き上げて皇帝から跳び離れた。条件反射でグウェンの首に腕を回した俺は、険しい顔をしている彼に「大丈夫」と囁きながらしっかり頷く。
急に俺の身体が動いて驚いたメルが小さく鳴いたので、悪魔と対峙している間じっとしていてくれたのを褒めるようによしよし撫でた。
完全に気を失っているように見える悪魔をしばらく眺めてから、鈴宮の陰に隠れているマスルールとルシアに合図して手招きする。
「怪我はないか」
眉を寄せたグウェンの硬く強張った声が耳元で聞こえて、それにまた「うん」と返してから俺は内心で首を傾げていた。
なんか、なんだったんだ? あいつのあの反応。
腑に落ちない何かを感じながら目を閉じて眠っているようなアシュラフ皇帝を見下ろしていると、マスルールとルシアが駆け寄ってきた。他のみんなもそろそろと近付いてくる。
「上手くいったみたいです。あっけないほどに」
俺の言葉を聞いて頷いたマスルールが、アシュラフ皇帝の側に膝をついてその身体を確かめる。
「なんか、私の結界必要なかったみたいですね」
ルシアが残っていた結界を消した。
「陛下は眠っているようです。やはり退魔の剣は少なからず効果があったのでしょう」
そう言ったマスルールは、短剣を抜かないまま皇帝の身体を慎重に仰向けにして俺を見上げた。
悪魔の動きを封じるという第一段階については、上手くいきすぎるほど上手くやれてしまった。
俺はまだ緊張感のある空気の中、グウェンに抱えられた身体を捻りルシアを振り返る。
「目覚める前に、浄化魔法をかけよう」
ーーママまたおきがえなのー? もう寝るの?
一緒に寝室に入ってきたベルは背中にメルを乗せながら俺の周りを回っている。
メルはまたベルの立髪にじゃれついて、時々羽の色を金色や銀色に変えて隠れて遊んでいた。
「まだ寝ないよ。ちょっとこれから外で煩くするかもしれないから、ベルはウィルとおばあちゃん達と一緒に果樹園の方で遊んでてな。ご飯持って行ってみんなで食べてていいよ。もう夜になるから星が綺麗だし、水路にも少しだけ近づいて覗いてごらん。すごく綺麗だから」
ウィルに羽織を着せてもらいながらベルに返事をして、俺は扉の側に立って俺を眺めているグウェンを横目で見た。
すごい見てくる。
ウィル達がいる手前、俺をひん剥いて確認することは出来ないから、着替えの合間に俺の身体に傷がないかじっと観察してるんだろう。後でやらせてやるって言っといて状況が立て込んでしまったから仕方がない。俺の女装を見てまた不機嫌になりつつあるグウェンの空気を察して、俺はリビングに戻ったらまた彼の膝の上だなと確信した。
リビングでは待っていたイリアにぼさぼさになったいた髪をある程度整えてもらった。付け毛は外れそうなところを直してもらい髪は今度は結ばずにおく。
闘技場であの悪魔を殴りつけたとき、俺の髪が解けたのを見てあいつは確かに動揺していたように見えた。その方が隙を突くにはいいかもしれない、と俺がそう提案した。
ちなみに、その間俺はやはり不機嫌そうな顔をしたグウェンの膝の上だった。皆の生暖かい視線にはもう慣れた。
俺の女装も完成し、ライルが取り掛かっていた解呪の媒体作りも無事に終わった。日が落ちてダーウード宰相が鈴園に戻ってきたところで、とうとう悪魔を召喚する時が訪れた。
夜が訪れた鈴園は、相変わらず星空が圧倒的なまでに美しい。
しん、と静まり返った広場の真ん中には、俺と俺から少し離れた後方に立つグウェンだけがいるように見える。他のみんなは周りに建つ鈴宮の陰に隠れて様子をうかがっていた。
「それでは、鐘を鳴らしてもいいでしょうか」
鐘のそばに一人だけ立っていたマスルールが、俺の顔を見た。
彼の目に俺を案じる色が浮かんでいる。実際に奴を呼び出す段階になって、やはり危険だと思い始めたのか躊躇うような表情をするから俺ははっきりと頷いた。
「やりましょう。あの悪魔が扉の鍵を見つける前に、片をつけるべきです」
静かな口調で俺がそう言うと、マスルールは硬い表情のまま口元を引き締めて頷いた。
「私は正殿の方に突破されないよう、一の宮の陰にいます」
「お願いします」
ベルとウィルとパパ達は、楽しそうにわいわいしながら夜のピクニックに行った。ベルパパとおばあちゃんはだんだんウィルには慣れてきたらしく、そこまで距離を取らずにみんなで仲良く果樹園の方へ歩いて行った。
メルは一緒に行くのかと思いきや、俺から離れようとしなかったため、羽織の内側に即席のポケットをイリアが縫い付けてくれ、その中に収まっている。
準備は整った。
後はこの世界の女神に執着されているらしい俺の運を信じるだけだ。
「それでは、鳴らします」
マスルールが深く息を吸い込んでから鐘を鳴らした。
夜にも関わらず、鐘の澄んだ音が鈴園全体に響き渡る。光の束が降り注ぐようなその音で、夜空の星が震えて落ちてくるのではないかと思った。
とんでもなく緊張しているのに、張り詰めた空気の中で夜空の星を映す俺の目はその光景を綺麗だと思う。
鐘の音が終わった。
地面に描かれた魔法陣が輝きを放ち、次の瞬間俺の前にアシュラフ皇帝の後ろ姿が現れた。
すぐに後ろを振り向いた皇帝が、数歩離れたところに立っている俺を見つける。
月と星の明かり以外に俺たちを照らしているものはなく、薄暗い中でも俺の姿を見たアシュラフ皇帝の顔が驚きに目を見開くのがわかった。
ルシアが結界を張ったのか、悪魔の周りに淡く光る円形の膜ができる。その結界にも気づいていないのか、彼は視線を逸らさずにじっと俺を見つめていた。
俺は悪魔の方に一歩ずつ足を進め、黙ったままその青白い顔を見返す。
射抜くような鋭い眼で俺を見つめる悪魔が、ふと口元を歪めた。
「やはり生きていたか。待ちわびたぞ」
相変わらず邪悪な笑みを浮かべた皇帝の顔とは裏腹に、その声には切実さが篭っているような気がした。
待ちわびた?
少し妙なニュアンスを感じて俺は内心首を傾げる。
俺が歩み寄る様をじっと見守っているアシュタルトが、どことなく俺を責めるような目をして囁く。
「約束を果たせ」
約束……?
先ほどからよく分からないことを呟き続ける皇帝に、心の中で疑問符を浮かべながら黙ったまま歩み寄る。手が届く距離まで近づいたら、向こうから手を伸ばしてきて左腕を強く引かれた。
その勢いに思わずたたらを踏み、結界を跨いで奴の足元に転ぶ。地面に膝をついたら後ろから殺気が飛んできたが、まだ大人しくしてろ、と念じた気持ちが伝わったのかグウェンは手を出してこない。
悪魔も彼には気づいているはずだが、真っ直ぐに俺を見つめていてグウェンの方には一瞥もくれなかった。
また左腕を掴まれたまま、膝をついて見上げた皇帝の瞳は月明かりでも分かるほど血のように赤かった。
そのやけに熱の篭った目を視界に入れながら、俺はその顔に手を伸ばす。
何故か素直にかがんできた皇帝の両目を右の手のひらで覆った。指先に奴のひんやりとした顔の温度を感じる。
されるがままになっている悪魔の様子を訝しく思いながらも、俺は次の瞬間、左手を勢い良く振り払い、素早く袂から短剣を抜いてそれを奴の腿に突き刺した。
「……っ」
俺の右手を強く弾いたアシュタルトが、血の色をした両目で俺の顔を見る。
どこか茫然としたような、夢から覚めたような暗い眼をして俺を見下ろした悪魔がふっと薄く笑った。
口を開いて奴が何か言いかけた時、その身体がぐらりと揺れた。
上手くいきすぎて動揺するくらいの困惑を感じていた俺の目の前で、足に短剣が刺さったままのアシュラフ皇帝の身体が地面に倒れる。
「レイナルド!」
すかさず後ろからグウェンが飛んできて、膝立ちになっている俺の腰を掬い、横抱きに抱き上げて皇帝から跳び離れた。条件反射でグウェンの首に腕を回した俺は、険しい顔をしている彼に「大丈夫」と囁きながらしっかり頷く。
急に俺の身体が動いて驚いたメルが小さく鳴いたので、悪魔と対峙している間じっとしていてくれたのを褒めるようによしよし撫でた。
完全に気を失っているように見える悪魔をしばらく眺めてから、鈴宮の陰に隠れているマスルールとルシアに合図して手招きする。
「怪我はないか」
眉を寄せたグウェンの硬く強張った声が耳元で聞こえて、それにまた「うん」と返してから俺は内心で首を傾げていた。
なんか、なんだったんだ? あいつのあの反応。
腑に落ちない何かを感じながら目を閉じて眠っているようなアシュラフ皇帝を見下ろしていると、マスルールとルシアが駆け寄ってきた。他のみんなもそろそろと近付いてくる。
「上手くいったみたいです。あっけないほどに」
俺の言葉を聞いて頷いたマスルールが、アシュラフ皇帝の側に膝をついてその身体を確かめる。
「なんか、私の結界必要なかったみたいですね」
ルシアが残っていた結界を消した。
「陛下は眠っているようです。やはり退魔の剣は少なからず効果があったのでしょう」
そう言ったマスルールは、短剣を抜かないまま皇帝の身体を慎重に仰向けにして俺を見上げた。
悪魔の動きを封じるという第一段階については、上手くいきすぎるほど上手くやれてしまった。
俺はまだ緊張感のある空気の中、グウェンに抱えられた身体を捻りルシアを振り返る。
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