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最終話 呪詛と祝福。破壊と創世。
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轟音が響き続け、大地が揺れている。
視界の端で空にも届く土の巨人が瓦解していった。私はシュバルツと共に遠くに見えるタカハシへと向かい続ける。
転生者たちの力を持ってしても黒の女神の力は強大だ。きっと白の女神がいなくなったからだろう。盤面が崩れ、力は均衡を失い呪いの力だけが増長し続けている。
飛ばされた土の巨人の剣が山城へと降り注ぐ。屋根に立つフレイヤが巨大な盾を掲げると、大気を震わせる波動が巨人の剣を砕き霧散した。
種族を問わず子供たちは獣や妖、精霊に守られて、いつしかタカハシと対峙する白騎士や異形の兵が手を取り合って戦っている。
初めから互いの軋轢なんてなかったように共通の敵へ立ち向かい、心をひとつにしていた。
「旦那・・・。これはもう許せねぇ」
シュバルツは立ち留まり、大剣を振るう影の主を見ていた。両手を握りはを食いしばって、怒りを抑える表情が歪み、毛が逆立っている。
もはやみんなに恨まれている。呪われていると言ってもいい。
タカハシは自分で自分を呪うだけでは飽き足らず、世界にすらも呪われた。
闇の女神として。本心を語らず、そして私の気持ちを語らせないままに。
ただ私だけが信じている。短くともむせ返りそうなほどの濃度で共に、歩んだのだから。
戦わないわけにはいかない。言われるがままに鉄の水球へと篝火を注ぐと、人虎たちは前線へと運び鉄球を放った。
私たちが白銀城へ攻め込んでいる間にも、過剰とも思えるほど鉄球や装備の類はドワーフにより作られ、エルフによって祝福が与えられた甲冑や剣が、等しくみんなに行き渡っている。
思えばタカハシが指示していた。武器と防具を作り続けるようにと。
まるでこうなることがわかっていたかのように。
あぁ。そうだ。
何て・・・愚かで不器用な・・・面倒くさい男だろう。
タカハシは最後まで鎧を着なかった。不死だからだろうと思っていたけど違う。
いつも通りの簡素な服装のまま剣だけを携えて、自らを守る手立ては一切持たなかった。
打ち倒されることを望んでいるように。
それが答えだった。
「シュバルツ。私は行くよ。子供たちをよろしくね」
「でも魔女さま! ひとりじゃ・・・あっしも行きます」
「だめ。シュバルツはもう傷だらけなんだから。それに私は約束したから」
私は体を薄い皮膜で包む。温かな温度はタカハシと繋いだ右手の温度を残したままだ。
食い下がろうとするシュバルツを残して、私は杖先を地面に当てて飛ぶ。シュバルツが叫び続けているがもう私の耳には届かない。
ちゃんとお別れを言えなかったな。と視線を前に向ける。
暗い空へと跳ね、身を翻して方向を変える。タカハシと出会う前は、逃げるだけしかできなかった力。そんな事象をタカハシが変えてしまった。
事象が世界の理であるならば私は改変する。世界からも逸脱をする。
私を、私が呪った世界にとらえ続けていたのは私自身だ。
地表に抑え続ける重さすらも失って、私は飛ぶ。本当の魔女のように。
原初の転生者が語る童話と同じ姿で、ローブを翻し、揺れることすら止めた三角帽子を押さえることなく飛ぶ。
私は影の濃くなる場所を目がけて向かって進み。途中に崩れた土塊の上でスタンリーがロゼの肩を抱いていた。うなだれて髪は泥で汚れている。
「リリィ!? もうダメだ。タカハシは変わってしまった・・・」
すれ違う瞬間、ロゼの声が響く。私は飛びながら反転し大丈夫!と声をかける。
「後は私がなんとかするから。ありがとう! みんなのおかげで気が付けたよ! 待っててね!」
リリィ?と四肢の力を失いスタンリーへ寄りかかるロゼの表情が虚脱する。スタンリーは私とロゼの間で視線を動かした後、力強くうなずく。
「黒魔女リリィは世界を壊すんだろう!? 頼む! 闇に染まる世界を・・・壊してくれ!」
「もちろんそのつもり! 壊すから! 絶対に!」
返答を持たずに広がる影の平原を超え、遠目にタカハシだった存在が見える。黒く染められて胸から影をこぼし続けている。地表に落ちた影は形すら取ることなく広がり続けていた。
伸びる影の端で私は地面に降り立ち、放たれた皮膜が影を吹き飛ばした。弾けてチリとなっていく。
目の前に豊かだった森はない。ただただ黒い平原が広がるばかりだ。黒く澱んだ影の湖面を歩く。呪いが力の根源なのだろう。黒の女神の呪いそのものだから。私は杖を振るう。
タカハシに向かって一歩一歩と歩み出す。呪いを体現する影が立ち昇り、私を呑もうと津波となって襲い掛かる。
しかし恐ろしくはない。
「天地神明の神火!」
杖から浮かび上がった七つの篝火が、回転しながら速度を増す。そして留める力を解放すると正面で視界を覆うほどの火柱が天へと昇った。
空を覆う黒い影には穴が開き、蒼天が垣間見える。ちりぢりとなった影は雨のように降り注ぎ、私の黒い三角帽子とローブを濡らした。
濡らしながら想いの断片が体に染み込み、心が伝わってくる。影はタカハシの一部であるのだろう。私は影を払わずに受け止める。
脳裏にタカハシの姿が浮かんだ。灰色の街と夜を染める街灯の中で、背中を丸めて歩いていた。心の中にあるのは深い諦観である。いくら努力しても報われず、才能の差で打ちひしがれる自分に絶望していた。
変えられない現実の中で前に進むしかなかった。努力を言い訳にして生きて、生き続けていいのかと悩んでいる。ひとつだけ、誰にも認められることなく死ぬことを恐れていた。生きた意味を残せないことをひどく恐れている。
生きていいのに・・・生きているだけで恵まれているんだけどな。
私は息を大きく吸って顎先を、高々とタカハシに向ける。伝えなければいけない言葉はこの後に及んでも、まだ増え続ける。
「私はタカハシが生きていて嬉しいよ。どんなに呪われようとも。嬉しい。そうやって自分を呪いながら生きてきたタカハシだから、私は信じられているの」
こうも素直に自分の本心が出てくるとはと呆れた。でも、もっと話したい。
タカハシの話を聞いていたい。私が呪った現世とは違う平和な世の話を。
影が震えた。震えて波立ち、闇で染まった空が剥がれ落ちて、私の頭上から降り注ぐ。
「|高天原(たかまがはら)の嵐風!」
杖を空に向けて、火が開けた穴に気圧を生む。激しい気圧差で風は回転し、空を黒から青へと塗り潰していく。崩れた地表すらも嵐が影ごと舞い上げた。
影の断片が私の頬へ触れる。世界へ訪れたタカハシが浮かんだ。期待は心に染まっていた。ここでなら変われると、違う自分になれるのではないかと。
意固地にも女神に祝福を拒絶して、代わりに呪いをその身に受けて。
失望する私にタカハシは胸を張る。世界のあらましをまだ理解できず、広がる世界へ希望と期待を抱いて。思い描いた新しい自分へとなるために。
新しく生まれ変わった自分として、いつか自分のままで現世に戻ることを前提とした希望に、身を委ねていた。私もまたタカハシの希望を奪った。
失望させたのは変わりない。現世で彼を殺し、勝手に生まれ変わらせる。命を弄んだのだから仕方がない。
タカハシは憧れていたのだろう。人虎の肉体にも憧れ、自分にはない才覚に身を委ねる転生者たちを知り、心のどこかで憧れている自分に気がついた。それでも拒絶し続けた。自分と比べて、呪った。
選定と狩猟祭。黒の女神に語られて呪いの力で転生者を圧倒しながら、拒絶した才覚に身を委ねる愉悦を知った。そして恐れた。力を振るう自分に。
小指を奪われる瞬間を見た。これで妾以外と約束ができないと。
だから・・・ひとりで世界を壊そうとしたのだ。一緒に壊そうと願いながら、約束を違えた。
ひどい男だな。と私は降り注ぐ呪いの中で笑う。でも私もひどいなとちょっとだけ謝る。世界を変えられるなんて最初は信じていなかった。
自分の孤独から逃げるために、現世のタカハシを殺すことになったのだ。命を奪われることに慣れて、命を奪うことに抵抗がなくなっていた。
もしタカハシがフィドヘルで生きることを望まなくても、現世に転生し返せば良いと思っていた。命を軽んじていたのだ。
私もしょせんは罪人だ。命を弄んだ女神と大差ないと自嘲し首を横に振る。
「たかが口約束だとしてもね。一緒に世界を壊そうと言ってくれたのが嬉しかった。戻ってきてくれたのも、私はタカハシにひどいいことをしたよ? 殺したんだ。ひとりが耐えられなくて。でも許してくれた。私のために泣いてくれた。怒ってくれて、嬉しかったんだよ。ずっと一緒に生きたいと思えるほどに、支えてほしいと縋り付くくらいに。嬉しかった。でもそれだけじゃダメだったんだね」
四方を包む影が揺れて、端から崩れた。間違いなく私の言葉はタカハシに届いている。届かせなければならない。
もっと早く言えばよかったな。
些細な後悔を私の魔法と呪いで影ごと吹き飛ばす。漆黒の平原はまだまだタカハシと私の間を隔てているから。
「天岩戸の奇岩!」
突き立てた杖から振動が伝わり、大地が震えて割れる。黒の湖面となった影は瓦解し付き上がる尖った岩が、影を裂いていく。裂きながら影が舞い上がる。
草木の枯れた荒い地表がタカハシへと続く。海を割って歩くように、私は漆黒の水面の中央を歩む。両脇でどよめく影は私を包もうとはもうしない。
道が中央に開けている。タカハシに向かって開かれていた。
私の力で砕かれ降り注ぐ影が、タカハシを映し出し続けている。
狩猟祭を知り、そして転生者たちを打ち倒す獣妖会議でタカハシは高揚していた。他人に、人ではなくても認められることで自分を認めることができた。
受け入れられる間にも沸き立つ心を抑え込んで悩んでいた。神を殺すためには犠牲が必要であることを思い付いてしまったから。思考の片隅では認めたくなくても、末路の息吹を感じていた。
そして転生者たちの望んだかつての理想郷を知り、心を決めたのだ。
自分の悲劇など取るに足らず、世界は自分の経験した過去よりずっと悲惨であり、無残であることに。救いようのない悲劇で満ちていることを。私もまた同じだったことを理解した。
だから救おうと決めたのだ。ぬるま湯にも似た悲劇しかない自分であるから。
自死にも似た悲壮な決意で決めたのだ。
女神を打ち倒すことを。犠牲になるのはもう自分ひとりでいいと。それが自分が生きた意味だと心に決めた。
そのためには受肉が条件である。白の女神が祝福を受けた転生者となり、白の女神を打ち倒したとしても、黒の女神がいる。
そして黒の女神の呪詛は私にも注がれている。私が受肉してしまったら・・・私の望む理想郷は得られないから。
自身が受肉し・・・打ち倒されなければならないと。
脳裏に浮かぶタカハシの記憶が焦点を失いながら流れていく。
葛藤の証であるのだろう。悩んで揺らぎ、白の女神の受肉を見て覚悟を決めたのだ。
景色が途切れて、またたくと白銀城が映し出される。白の女神との激しい戦闘の中で、タカハシは黒の女神と言葉を交わし続けていた。
「白の女神を打ち倒せないとしても、打ち倒せたとしても今度は僕に受肉するのだろう?」
タカハシに黒の女神が答える。ずっと前に聞いた暗く澱んだ、引きつった笑いと一緒に。
「そうさね。それが女神の盤上で創られたルールだ。法則であるからなぁ」
「リリィには受肉しないでくれ。代わりに僕の体を明け渡す」
「世界を支配するのか?」
「ちがう。いくら女神でも受肉したとすれば概念ではなく肉体を持つ。黒の女神でも殺し切れるだろう。人は女神の盤上から解放される。僕は黒の女神を殺す。そしてようやくフィドヘルは女神の盤上から外れることができる。言わずとも伝わるだろう?」
「それでお主はどうなる? 世界からも呪われることを望むのか? 自分を呪っただけでは飽き足らず? 全員から恨まれる。お主の愛するリリィからも呪われる。呪詛を吐かれるだろうなぁ」
「かまわない。むしろ世界から恨まれて、そして呪われた僕を打ち果たさないと変わらない。世界はひとつにならないだろう。恨まれ憎まれ呪われるほど・・・受肉した僕が打ち倒されることで、リリィの理想郷に近付くはずなんだ」
「ではまだ足りぬな。お主は信じられている。まだ信じる者たちがいる。リリィだってそうだ。まだ足りない」
「足りるさ。代わりに思いも感覚は残しておいてくれ。大丈夫。世界を黒に染めようとする女神のルールには従う。従うが、結末は・・・僕の死だ。女神が死ぬ時に受肉した僕も死ぬだろう? 黒の女神の力も失われるのだから、不死ではいられない」
「お主が望むのなら構わんよ。力を貸そう。想いは同じだ。妾もまた同じだ。それに最初に語っただろう? 妾はとうに飽いておると。しかし・・・名を失ったとしてもいいのか? お主の名は女神の盤上から消えた瞬間になくなる。フィドヘルからは永遠に、最初に言わなかったことを怒るか?」
「怒らないよ。神にとっては瑣末なことだろう? それに構わない。わずかばかりの幸福と思い出があるから。それだけでいい」
まぶたの裏に浮かんだ景色が闇へと染まる。女神の受肉の瞬間に、私と繋いだ手を離しながら、タカハシは祈っていた。
名は残らぬだろうし恨まれるだろう。でもたとえ恨みだとしても、呪詛だとしても私の心に残りたいと。
わずかな間でも、影の一片でも、いつか消え去り、たとえ世界を敵に回しても。
一瞬でも残っていて欲しいと。それが僕の生きた証であるからと。
ありがとう。という言葉が浮かんだ。恨めるはずなんてない。それほど私を、私たちを想ってくれて。
信じておいてよかったと思う。これほどの戦いだったのに、全員が生きている。傷付いても生きている。
立ち上がれるくらいに傷付いて、前へ前へと向いている。
だからタカハシは原初の転生者たちの墓標で、あれほど怒ったのだ。いや悲しかったのだ。悲しくとも心を決めた。それまではきっと、自分の名前と共に忌まわしい記憶だったとしても、世界に残り続けるだろうと希望を抱いていたはずなのだから。
そして裏切られた。私たちにとって都合のよい希望なんて、呪いと大差がない。裏切るために存在する。だからこそ立ち上がる。何度でも。
神に頼まず、自分の力で掴み取るべき事象であるのだ。
それにしても闇より深いタカハシの影にこれほどの思いが流れ込むなんて、黒の女神すら想像していなかったのだろう。
事象を改変し、縛られない私だから知ることができたのだろう。同じ呪われた身である私だから、知ることができた。
世界を呪った私だから与えられた、皮肉にも似た女神の力で。
まったく。タカハシも神々ですらも、私をみくびっている。
もう私は弱くはない。
世界でたったひとりの呪われた、かつて呪われていた存在として生きろというのか。救ってくれようとしている心だけは伝わる。
一方的に私の言い分なんて聞かずに。ただの慈愛の心で。呪詛か祝福かも曖昧な祈りで・・・救おうとしている。
私を守るために。私だけを守るためになんて・・・女心がわからないやつめ!
でもだからこその・・・タカハシだ。
「タカハシの価値観だけで勝手に決めるな! 一緒に壊そうって言ったでしょう? でもね、ありがとう。おかげでみんなはもう一緒だよ。世界はひとつの色で染められた。かつてあった私の眺める世界はすっかりと壊れてしまった。それぞれの物語を彩る色彩で、綺麗に私の目に映っている。共に生きようと手を取り合っている。ありがとう。タカハシが私の世界を愛してくれて報われている。救われたよ。心から。救われた。今度は私が・・・タカハシを救ってあげるね」
タカハシが闇に包まれたまま立ち尽くしている。きっと私を見ているのだろう。
体から流れ落ちる影は、湖面の中央に注がれ続けている。世界の力をひとつにした攻撃だったのだから無傷とはいかなかっただろう。
流れる血が影となって、体が崩壊しようとしている。
影が鼓動と同じく脈動し、タカハシが私を待っているのだと言葉はなくとも伝わった。言葉にはできないだろう。記憶の上澄みからは見えない奥底で、願っている。
本当に女心のわからないタカハシめ! 自然に笑みが浮かび、私は杖を振り上げる。
「海神楽の波濤!」
両手を空に向け、私は空に浮かぶ雲と大地から水を奪う。もしタカハシに肉体がまだあるなら、タカハシからも水を集められるはずだ。
空に浮かんだ水球が膨れ上がる。私は両手を握り、水球を手のひらくらいの大きさまで収束させる。そして水球を影の中央へ投げた。弾けた水球が炸裂しが影を洗い流していく。
洗い流された場所から、緑を失った木々の姿が露わになった。
きっとどんなに説明しても、許されないのだろう。
世界の敵になることを望んだのだから、タカハシを世界の敵として互いに手を取り合い生きることを全員が知ったのだから。
それほど人や獣も妖すらも甘くはない。
私もそんなタカハシをこのままでは許せない。だから救おう。
私の選択を知ったらタカハシはどう思うだろう?
・・・怒るだろうな。
せめてもの、ささやかな仕返しだ。私をこんなに苦しめて、そして満たしてくれたから。
まったく。私のどこに惚れたんだか。
身を屈めて大地へ触れる。伝わる振動が大地から空を覆うほどの大地を浮かび上がらせ、高く宙に浮かばせた。
風で土の形をまとめ、月が眼前に浮かんでいるかのように丸く固めて、倒れる木々や埋まる湖から水を奪い中へと集める。
圧縮し、世界の理から外れるほどの力で押し留めた。
全体を皮膜で包み硬く小さく形を留めていく。最後に火を注いだ。
人に文明を与えてしまった小さな篝火。手のひらよりもずっと小さく留める。
事象を無視して押し止められた力は、きっとすべてを破壊する。詳しくなんてわからない。でも・・・事象を無視しているのに脈動する光球から伝わる。
世界を焼き尽くし、照らす太陽みたいな力だ。
今度こそ一緒に・・・壊してしまうのだ。
「天照の開闢」
もっとたくさんいろいろ話したかったな。そう思うと少し笑えた。そして私はタカハシに向かって速度を増して飛ぶ。
かつて夢見た魔女のように空を駆け、タカハシの目の前にふわりと浮かぶ。
黒く染められたタカハシは身動きひとつしない。力を使い果たしたのか、諦めてしまったのかわからない。
ただもう私のやることは決まっている。垂れたタカハシの右手にはアメノムラクモが握られていた。
私が付けた名前の剣。形は違うけれど、私たちの頭上にはいつだって、呪いと同じ叢雲が青空を遮っていた。
遮り、雲の重さで押しつぶし、立ち上がることも許されなかった。でも立ち上がろうとすることだけは許された。
タカハシに抱きつくとカタカタと体が揺れた。右手のアメノムラクモをそっと握り、私の首筋へ当てる。
途方もなく事象を消し去るほどの力を込めた、脈動する小さな、開闢をもたらす光玉の浮かぶ杖先を、タカハシの首へと当てる。
硬い筋肉質の体が柔らかい。繋がりを打ちない崩壊寸前だ。こんなにも傷付いて、傷付けている。ぬるりとした感触が暖かい。影と混ざった血が私を濡らす。
私は剣を肩に置き、頬で支える。首に当てられた剣だけが冷たい。
空いた左手でタカハシの頬に手を添えて影を払った。
子供のように、泣き出しそうな瞳でタカハシは口を震わせている。
「リリィは近くに来たらダメだろう。僕に触れていてはダメだ。離れた安全な場所で魔法を使わないと。僕を殺さないと。最後に僕をリリィが倒されなければいけない」
「・・・馬鹿め。タカハシの価値観で私と世界を測らないでくれる? もうみんな手を取り合って生きていける。タカハシだけが傷付かなくていいんだよ」
「ならリリィもみんなといなきゃダメだ。子供たちと一緒に遊んであげないといけない」
あのねぇ。と私は右手に漂う小石ほどになった天空を照らす光をタカハシへ見せる。影が削げ落ち、顔が見えた。子供みたいに泣き出しそうな瞳に笑みを向ける。
「聞こえていたでしょう? 心の上澄みを流し続けた影を通じて。二度とは言わないよ?」
「聞こえていたよ。僕も救おうとしているのか? 僕は救えるだけでいいのに。リリィがこの世界で、今度こそ世界を愛して、愛されながら生きてほしいんだ! そのために僕は・・・こんなに・・・」
「あらそれは残念。そして甘い! タカハシを二度も殺してしまうのは忍びないから、今度は一緒に死んであげるの。ひとりでなんか死なせはしない」
「ダメだ。リリィはみんなのところに戻るんだ! 死ぬのは僕だけでいい!」
「約束したでしょう? 一緒に世界を壊そうって。大嫌いな世界を・・・一緒に壊そうって! 女の子との約束を破るなんて・・・私が許すわけないじゃない」
タカハシは目を丸めて、表情から力を抜いた。諦めたのではない、心を決めたのだ。触れ合う影から伝わってくる。
「女の子って歳でもないだろう? でも女の子はいくつになっても女の子だと聞いたことがある」
「・・・まったく面倒くさくて空気の読めない男だなぁ」
知っているだろう? とタカハシが目尻を和らげ、知っているよと私は笑みで返す。ゆっくりと何度も心の中で形にした言葉を形作る。
「もう・・・私をひとりにしないでよ。どこにも行かないで」
たった一言だけ、ずっと言いたかった言葉だ。伝えたかった。
現世で彼を殺し、フィドヘルに招いた私にはいう資格がないと思っていた。
でもこんな終わりなら悪くはない。
「ねぇタカハシ。思えば私たちの力は破壊ばかりだったね。本来、転生者たちの用いたギフトは大地を育み、緑で染める。命を生み出して支え続ける。光で世界を照らす祝福の力であるはずだよね。でも私たちは戦いばかりに使っていた。呪詛と祝福に違いなんてあるのかな?」
「きっと・・・同じだな。祝福とは善意を持って他者へと与える言葉や力、そして呪詛とは悪意だ。それでも善意も悪意も容易くこうも入れ替わる。呪いと呪いの違いと似ているな。言葉の違いに踊らされただけで、結局のところ変わらない。変わらなかった。力のとらえ方、あり方だけが違うだけなんだ。やっぱり・・・間違っていたのかな。もっといい方法があったのではないだろうか。そうとばかり考えてしまう。僕は器用に生きられないらしい」
「知っている。それに間違っていないよ。呪詛も祝福も、こうも容易く入れ替わるのなら、世界は変わる。変えられるし、変えられた。これからはずっといい時代。いい時代にしてくれる。でも・・・破壊につながる力はもういらないね」
「あぁ。僕たちの力はもういらない。世界は祝福の色で染められるべきだ。もう染められている。リリィが笑っているから。泣いてもいるけども」
「うん。タカハシも一緒だね。私と一緒だよ。だからひとりで行かないで。一緒に逝こう。私は十分に生き切った。満足だよ。タカハシは、もっと長生きできたはずなのにごめんね」
「僕も満足だよ。自分に満足できた。求めていたのは賞賛でも納得でもない。僕も孤独だったんだ。孤独であろうとした。でも、リリィと一緒だ。十分だよ。ありがとう」
「そっか。なら安心して一緒に逝けるね」
「もうどこにもひとりで行かない。それにフィドヘルで死んだら現世で生まれ変わるんだろう? また出会えるかな」
不死だとしても女神の呪詛が失われてしまったら、蘇りようもない。きっと次の世で産まれる。
転生するのではなく、新しい自分で新しい世界に産まれ変わるのだ。
「出会うよ。絶対にまた出会う。きっと平和な世の中なんだろうね。次の世で結ばれることを願って果てる。こんな最期になってしまったけど。いいね。悪くない」
「あぁ。悪くはない。今度はどこにも行かないよ」
「私と約束できなくても、心に刻んで。小指で結ばれなくても、心で結ばれてよ」
わかった。とタカハシは両手で私を包み込む。そして私は力を抜いた。垂らした手のひらから光がもれる。不思議と痛みも熱さも感じなかった。
「タカハシの努力は・・・報われた?」
「報われたかどうかはもうどうでもいい。救われたよ。それでいい」
そっか・・・と私は必死の満面な笑みで応えた。笑みになっているかはわからない。でも必死に。再び与えられた私の命と、私が奪い与えたタカハシの命への答えとなるよう笑おうとした。
冷え切ったタカハシの温度と、流れ出る血の暖かさが心地よい。
光に包まれる。
呪詛と祝福・・・そして私たちを破壊し、新たな世界を創生する力。
今まで出会った全員から名を忘れられても、いつしか思い出が薄れていっても・・・タカハシと一緒ならきっと悪くはない。
次の世界では一緒になれるかな。
薄れて行く意識の中で、私はもうひとりじゃないと、今度こそはっきりと笑えた。
タカハシも・・・笑っていた。
轟音が響き続け、大地が揺れている。
視界の端で空にも届く土の巨人が瓦解していった。私はシュバルツと共に遠くに見えるタカハシへと向かい続ける。
転生者たちの力を持ってしても黒の女神の力は強大だ。きっと白の女神がいなくなったからだろう。盤面が崩れ、力は均衡を失い呪いの力だけが増長し続けている。
飛ばされた土の巨人の剣が山城へと降り注ぐ。屋根に立つフレイヤが巨大な盾を掲げると、大気を震わせる波動が巨人の剣を砕き霧散した。
種族を問わず子供たちは獣や妖、精霊に守られて、いつしかタカハシと対峙する白騎士や異形の兵が手を取り合って戦っている。
初めから互いの軋轢なんてなかったように共通の敵へ立ち向かい、心をひとつにしていた。
「旦那・・・。これはもう許せねぇ」
シュバルツは立ち留まり、大剣を振るう影の主を見ていた。両手を握りはを食いしばって、怒りを抑える表情が歪み、毛が逆立っている。
もはやみんなに恨まれている。呪われていると言ってもいい。
タカハシは自分で自分を呪うだけでは飽き足らず、世界にすらも呪われた。
闇の女神として。本心を語らず、そして私の気持ちを語らせないままに。
ただ私だけが信じている。短くともむせ返りそうなほどの濃度で共に、歩んだのだから。
戦わないわけにはいかない。言われるがままに鉄の水球へと篝火を注ぐと、人虎たちは前線へと運び鉄球を放った。
私たちが白銀城へ攻め込んでいる間にも、過剰とも思えるほど鉄球や装備の類はドワーフにより作られ、エルフによって祝福が与えられた甲冑や剣が、等しくみんなに行き渡っている。
思えばタカハシが指示していた。武器と防具を作り続けるようにと。
まるでこうなることがわかっていたかのように。
あぁ。そうだ。
何て・・・愚かで不器用な・・・面倒くさい男だろう。
タカハシは最後まで鎧を着なかった。不死だからだろうと思っていたけど違う。
いつも通りの簡素な服装のまま剣だけを携えて、自らを守る手立ては一切持たなかった。
打ち倒されることを望んでいるように。
それが答えだった。
「シュバルツ。私は行くよ。子供たちをよろしくね」
「でも魔女さま! ひとりじゃ・・・あっしも行きます」
「だめ。シュバルツはもう傷だらけなんだから。それに私は約束したから」
私は体を薄い皮膜で包む。温かな温度はタカハシと繋いだ右手の温度を残したままだ。
食い下がろうとするシュバルツを残して、私は杖先を地面に当てて飛ぶ。シュバルツが叫び続けているがもう私の耳には届かない。
ちゃんとお別れを言えなかったな。と視線を前に向ける。
暗い空へと跳ね、身を翻して方向を変える。タカハシと出会う前は、逃げるだけしかできなかった力。そんな事象をタカハシが変えてしまった。
事象が世界の理であるならば私は改変する。世界からも逸脱をする。
私を、私が呪った世界にとらえ続けていたのは私自身だ。
地表に抑え続ける重さすらも失って、私は飛ぶ。本当の魔女のように。
原初の転生者が語る童話と同じ姿で、ローブを翻し、揺れることすら止めた三角帽子を押さえることなく飛ぶ。
私は影の濃くなる場所を目がけて向かって進み。途中に崩れた土塊の上でスタンリーがロゼの肩を抱いていた。うなだれて髪は泥で汚れている。
「リリィ!? もうダメだ。タカハシは変わってしまった・・・」
すれ違う瞬間、ロゼの声が響く。私は飛びながら反転し大丈夫!と声をかける。
「後は私がなんとかするから。ありがとう! みんなのおかげで気が付けたよ! 待っててね!」
リリィ?と四肢の力を失いスタンリーへ寄りかかるロゼの表情が虚脱する。スタンリーは私とロゼの間で視線を動かした後、力強くうなずく。
「黒魔女リリィは世界を壊すんだろう!? 頼む! 闇に染まる世界を・・・壊してくれ!」
「もちろんそのつもり! 壊すから! 絶対に!」
返答を持たずに広がる影の平原を超え、遠目にタカハシだった存在が見える。黒く染められて胸から影をこぼし続けている。地表に落ちた影は形すら取ることなく広がり続けていた。
伸びる影の端で私は地面に降り立ち、放たれた皮膜が影を吹き飛ばした。弾けてチリとなっていく。
目の前に豊かだった森はない。ただただ黒い平原が広がるばかりだ。黒く澱んだ影の湖面を歩く。呪いが力の根源なのだろう。黒の女神の呪いそのものだから。私は杖を振るう。
タカハシに向かって一歩一歩と歩み出す。呪いを体現する影が立ち昇り、私を呑もうと津波となって襲い掛かる。
しかし恐ろしくはない。
「天地神明の神火!」
杖から浮かび上がった七つの篝火が、回転しながら速度を増す。そして留める力を解放すると正面で視界を覆うほどの火柱が天へと昇った。
空を覆う黒い影には穴が開き、蒼天が垣間見える。ちりぢりとなった影は雨のように降り注ぎ、私の黒い三角帽子とローブを濡らした。
濡らしながら想いの断片が体に染み込み、心が伝わってくる。影はタカハシの一部であるのだろう。私は影を払わずに受け止める。
脳裏にタカハシの姿が浮かんだ。灰色の街と夜を染める街灯の中で、背中を丸めて歩いていた。心の中にあるのは深い諦観である。いくら努力しても報われず、才能の差で打ちひしがれる自分に絶望していた。
変えられない現実の中で前に進むしかなかった。努力を言い訳にして生きて、生き続けていいのかと悩んでいる。ひとつだけ、誰にも認められることなく死ぬことを恐れていた。生きた意味を残せないことをひどく恐れている。
生きていいのに・・・生きているだけで恵まれているんだけどな。
私は息を大きく吸って顎先を、高々とタカハシに向ける。伝えなければいけない言葉はこの後に及んでも、まだ増え続ける。
「私はタカハシが生きていて嬉しいよ。どんなに呪われようとも。嬉しい。そうやって自分を呪いながら生きてきたタカハシだから、私は信じられているの」
こうも素直に自分の本心が出てくるとはと呆れた。でも、もっと話したい。
タカハシの話を聞いていたい。私が呪った現世とは違う平和な世の話を。
影が震えた。震えて波立ち、闇で染まった空が剥がれ落ちて、私の頭上から降り注ぐ。
「|高天原(たかまがはら)の嵐風!」
杖を空に向けて、火が開けた穴に気圧を生む。激しい気圧差で風は回転し、空を黒から青へと塗り潰していく。崩れた地表すらも嵐が影ごと舞い上げた。
影の断片が私の頬へ触れる。世界へ訪れたタカハシが浮かんだ。期待は心に染まっていた。ここでなら変われると、違う自分になれるのではないかと。
意固地にも女神に祝福を拒絶して、代わりに呪いをその身に受けて。
失望する私にタカハシは胸を張る。世界のあらましをまだ理解できず、広がる世界へ希望と期待を抱いて。思い描いた新しい自分へとなるために。
新しく生まれ変わった自分として、いつか自分のままで現世に戻ることを前提とした希望に、身を委ねていた。私もまたタカハシの希望を奪った。
失望させたのは変わりない。現世で彼を殺し、勝手に生まれ変わらせる。命を弄んだのだから仕方がない。
タカハシは憧れていたのだろう。人虎の肉体にも憧れ、自分にはない才覚に身を委ねる転生者たちを知り、心のどこかで憧れている自分に気がついた。それでも拒絶し続けた。自分と比べて、呪った。
選定と狩猟祭。黒の女神に語られて呪いの力で転生者を圧倒しながら、拒絶した才覚に身を委ねる愉悦を知った。そして恐れた。力を振るう自分に。
小指を奪われる瞬間を見た。これで妾以外と約束ができないと。
だから・・・ひとりで世界を壊そうとしたのだ。一緒に壊そうと願いながら、約束を違えた。
ひどい男だな。と私は降り注ぐ呪いの中で笑う。でも私もひどいなとちょっとだけ謝る。世界を変えられるなんて最初は信じていなかった。
自分の孤独から逃げるために、現世のタカハシを殺すことになったのだ。命を奪われることに慣れて、命を奪うことに抵抗がなくなっていた。
もしタカハシがフィドヘルで生きることを望まなくても、現世に転生し返せば良いと思っていた。命を軽んじていたのだ。
私もしょせんは罪人だ。命を弄んだ女神と大差ないと自嘲し首を横に振る。
「たかが口約束だとしてもね。一緒に世界を壊そうと言ってくれたのが嬉しかった。戻ってきてくれたのも、私はタカハシにひどいいことをしたよ? 殺したんだ。ひとりが耐えられなくて。でも許してくれた。私のために泣いてくれた。怒ってくれて、嬉しかったんだよ。ずっと一緒に生きたいと思えるほどに、支えてほしいと縋り付くくらいに。嬉しかった。でもそれだけじゃダメだったんだね」
四方を包む影が揺れて、端から崩れた。間違いなく私の言葉はタカハシに届いている。届かせなければならない。
もっと早く言えばよかったな。
些細な後悔を私の魔法と呪いで影ごと吹き飛ばす。漆黒の平原はまだまだタカハシと私の間を隔てているから。
「天岩戸の奇岩!」
突き立てた杖から振動が伝わり、大地が震えて割れる。黒の湖面となった影は瓦解し付き上がる尖った岩が、影を裂いていく。裂きながら影が舞い上がる。
草木の枯れた荒い地表がタカハシへと続く。海を割って歩くように、私は漆黒の水面の中央を歩む。両脇でどよめく影は私を包もうとはもうしない。
道が中央に開けている。タカハシに向かって開かれていた。
私の力で砕かれ降り注ぐ影が、タカハシを映し出し続けている。
狩猟祭を知り、そして転生者たちを打ち倒す獣妖会議でタカハシは高揚していた。他人に、人ではなくても認められることで自分を認めることができた。
受け入れられる間にも沸き立つ心を抑え込んで悩んでいた。神を殺すためには犠牲が必要であることを思い付いてしまったから。思考の片隅では認めたくなくても、末路の息吹を感じていた。
そして転生者たちの望んだかつての理想郷を知り、心を決めたのだ。
自分の悲劇など取るに足らず、世界は自分の経験した過去よりずっと悲惨であり、無残であることに。救いようのない悲劇で満ちていることを。私もまた同じだったことを理解した。
だから救おうと決めたのだ。ぬるま湯にも似た悲劇しかない自分であるから。
自死にも似た悲壮な決意で決めたのだ。
女神を打ち倒すことを。犠牲になるのはもう自分ひとりでいいと。それが自分が生きた意味だと心に決めた。
そのためには受肉が条件である。白の女神が祝福を受けた転生者となり、白の女神を打ち倒したとしても、黒の女神がいる。
そして黒の女神の呪詛は私にも注がれている。私が受肉してしまったら・・・私の望む理想郷は得られないから。
自身が受肉し・・・打ち倒されなければならないと。
脳裏に浮かぶタカハシの記憶が焦点を失いながら流れていく。
葛藤の証であるのだろう。悩んで揺らぎ、白の女神の受肉を見て覚悟を決めたのだ。
景色が途切れて、またたくと白銀城が映し出される。白の女神との激しい戦闘の中で、タカハシは黒の女神と言葉を交わし続けていた。
「白の女神を打ち倒せないとしても、打ち倒せたとしても今度は僕に受肉するのだろう?」
タカハシに黒の女神が答える。ずっと前に聞いた暗く澱んだ、引きつった笑いと一緒に。
「そうさね。それが女神の盤上で創られたルールだ。法則であるからなぁ」
「リリィには受肉しないでくれ。代わりに僕の体を明け渡す」
「世界を支配するのか?」
「ちがう。いくら女神でも受肉したとすれば概念ではなく肉体を持つ。黒の女神でも殺し切れるだろう。人は女神の盤上から解放される。僕は黒の女神を殺す。そしてようやくフィドヘルは女神の盤上から外れることができる。言わずとも伝わるだろう?」
「それでお主はどうなる? 世界からも呪われることを望むのか? 自分を呪っただけでは飽き足らず? 全員から恨まれる。お主の愛するリリィからも呪われる。呪詛を吐かれるだろうなぁ」
「かまわない。むしろ世界から恨まれて、そして呪われた僕を打ち果たさないと変わらない。世界はひとつにならないだろう。恨まれ憎まれ呪われるほど・・・受肉した僕が打ち倒されることで、リリィの理想郷に近付くはずなんだ」
「ではまだ足りぬな。お主は信じられている。まだ信じる者たちがいる。リリィだってそうだ。まだ足りない」
「足りるさ。代わりに思いも感覚は残しておいてくれ。大丈夫。世界を黒に染めようとする女神のルールには従う。従うが、結末は・・・僕の死だ。女神が死ぬ時に受肉した僕も死ぬだろう? 黒の女神の力も失われるのだから、不死ではいられない」
「お主が望むのなら構わんよ。力を貸そう。想いは同じだ。妾もまた同じだ。それに最初に語っただろう? 妾はとうに飽いておると。しかし・・・名を失ったとしてもいいのか? お主の名は女神の盤上から消えた瞬間になくなる。フィドヘルからは永遠に、最初に言わなかったことを怒るか?」
「怒らないよ。神にとっては瑣末なことだろう? それに構わない。わずかばかりの幸福と思い出があるから。それだけでいい」
まぶたの裏に浮かんだ景色が闇へと染まる。女神の受肉の瞬間に、私と繋いだ手を離しながら、タカハシは祈っていた。
名は残らぬだろうし恨まれるだろう。でもたとえ恨みだとしても、呪詛だとしても私の心に残りたいと。
わずかな間でも、影の一片でも、いつか消え去り、たとえ世界を敵に回しても。
一瞬でも残っていて欲しいと。それが僕の生きた証であるからと。
ありがとう。という言葉が浮かんだ。恨めるはずなんてない。それほど私を、私たちを想ってくれて。
信じておいてよかったと思う。これほどの戦いだったのに、全員が生きている。傷付いても生きている。
立ち上がれるくらいに傷付いて、前へ前へと向いている。
だからタカハシは原初の転生者たちの墓標で、あれほど怒ったのだ。いや悲しかったのだ。悲しくとも心を決めた。それまではきっと、自分の名前と共に忌まわしい記憶だったとしても、世界に残り続けるだろうと希望を抱いていたはずなのだから。
そして裏切られた。私たちにとって都合のよい希望なんて、呪いと大差がない。裏切るために存在する。だからこそ立ち上がる。何度でも。
神に頼まず、自分の力で掴み取るべき事象であるのだ。
それにしても闇より深いタカハシの影にこれほどの思いが流れ込むなんて、黒の女神すら想像していなかったのだろう。
事象を改変し、縛られない私だから知ることができたのだろう。同じ呪われた身である私だから、知ることができた。
世界を呪った私だから与えられた、皮肉にも似た女神の力で。
まったく。タカハシも神々ですらも、私をみくびっている。
もう私は弱くはない。
世界でたったひとりの呪われた、かつて呪われていた存在として生きろというのか。救ってくれようとしている心だけは伝わる。
一方的に私の言い分なんて聞かずに。ただの慈愛の心で。呪詛か祝福かも曖昧な祈りで・・・救おうとしている。
私を守るために。私だけを守るためになんて・・・女心がわからないやつめ!
でもだからこその・・・タカハシだ。
「タカハシの価値観だけで勝手に決めるな! 一緒に壊そうって言ったでしょう? でもね、ありがとう。おかげでみんなはもう一緒だよ。世界はひとつの色で染められた。かつてあった私の眺める世界はすっかりと壊れてしまった。それぞれの物語を彩る色彩で、綺麗に私の目に映っている。共に生きようと手を取り合っている。ありがとう。タカハシが私の世界を愛してくれて報われている。救われたよ。心から。救われた。今度は私が・・・タカハシを救ってあげるね」
タカハシが闇に包まれたまま立ち尽くしている。きっと私を見ているのだろう。
体から流れ落ちる影は、湖面の中央に注がれ続けている。世界の力をひとつにした攻撃だったのだから無傷とはいかなかっただろう。
流れる血が影となって、体が崩壊しようとしている。
影が鼓動と同じく脈動し、タカハシが私を待っているのだと言葉はなくとも伝わった。言葉にはできないだろう。記憶の上澄みからは見えない奥底で、願っている。
本当に女心のわからないタカハシめ! 自然に笑みが浮かび、私は杖を振り上げる。
「海神楽の波濤!」
両手を空に向け、私は空に浮かぶ雲と大地から水を奪う。もしタカハシに肉体がまだあるなら、タカハシからも水を集められるはずだ。
空に浮かんだ水球が膨れ上がる。私は両手を握り、水球を手のひらくらいの大きさまで収束させる。そして水球を影の中央へ投げた。弾けた水球が炸裂しが影を洗い流していく。
洗い流された場所から、緑を失った木々の姿が露わになった。
きっとどんなに説明しても、許されないのだろう。
世界の敵になることを望んだのだから、タカハシを世界の敵として互いに手を取り合い生きることを全員が知ったのだから。
それほど人や獣も妖すらも甘くはない。
私もそんなタカハシをこのままでは許せない。だから救おう。
私の選択を知ったらタカハシはどう思うだろう?
・・・怒るだろうな。
せめてもの、ささやかな仕返しだ。私をこんなに苦しめて、そして満たしてくれたから。
まったく。私のどこに惚れたんだか。
身を屈めて大地へ触れる。伝わる振動が大地から空を覆うほどの大地を浮かび上がらせ、高く宙に浮かばせた。
風で土の形をまとめ、月が眼前に浮かんでいるかのように丸く固めて、倒れる木々や埋まる湖から水を奪い中へと集める。
圧縮し、世界の理から外れるほどの力で押し留めた。
全体を皮膜で包み硬く小さく形を留めていく。最後に火を注いだ。
人に文明を与えてしまった小さな篝火。手のひらよりもずっと小さく留める。
事象を無視して押し止められた力は、きっとすべてを破壊する。詳しくなんてわからない。でも・・・事象を無視しているのに脈動する光球から伝わる。
世界を焼き尽くし、照らす太陽みたいな力だ。
今度こそ一緒に・・・壊してしまうのだ。
「天照の開闢」
もっとたくさんいろいろ話したかったな。そう思うと少し笑えた。そして私はタカハシに向かって速度を増して飛ぶ。
かつて夢見た魔女のように空を駆け、タカハシの目の前にふわりと浮かぶ。
黒く染められたタカハシは身動きひとつしない。力を使い果たしたのか、諦めてしまったのかわからない。
ただもう私のやることは決まっている。垂れたタカハシの右手にはアメノムラクモが握られていた。
私が付けた名前の剣。形は違うけれど、私たちの頭上にはいつだって、呪いと同じ叢雲が青空を遮っていた。
遮り、雲の重さで押しつぶし、立ち上がることも許されなかった。でも立ち上がろうとすることだけは許された。
タカハシに抱きつくとカタカタと体が揺れた。右手のアメノムラクモをそっと握り、私の首筋へ当てる。
途方もなく事象を消し去るほどの力を込めた、脈動する小さな、開闢をもたらす光玉の浮かぶ杖先を、タカハシの首へと当てる。
硬い筋肉質の体が柔らかい。繋がりを打ちない崩壊寸前だ。こんなにも傷付いて、傷付けている。ぬるりとした感触が暖かい。影と混ざった血が私を濡らす。
私は剣を肩に置き、頬で支える。首に当てられた剣だけが冷たい。
空いた左手でタカハシの頬に手を添えて影を払った。
子供のように、泣き出しそうな瞳でタカハシは口を震わせている。
「リリィは近くに来たらダメだろう。僕に触れていてはダメだ。離れた安全な場所で魔法を使わないと。僕を殺さないと。最後に僕をリリィが倒されなければいけない」
「・・・馬鹿め。タカハシの価値観で私と世界を測らないでくれる? もうみんな手を取り合って生きていける。タカハシだけが傷付かなくていいんだよ」
「ならリリィもみんなといなきゃダメだ。子供たちと一緒に遊んであげないといけない」
あのねぇ。と私は右手に漂う小石ほどになった天空を照らす光をタカハシへ見せる。影が削げ落ち、顔が見えた。子供みたいに泣き出しそうな瞳に笑みを向ける。
「聞こえていたでしょう? 心の上澄みを流し続けた影を通じて。二度とは言わないよ?」
「聞こえていたよ。僕も救おうとしているのか? 僕は救えるだけでいいのに。リリィがこの世界で、今度こそ世界を愛して、愛されながら生きてほしいんだ! そのために僕は・・・こんなに・・・」
「あらそれは残念。そして甘い! タカハシを二度も殺してしまうのは忍びないから、今度は一緒に死んであげるの。ひとりでなんか死なせはしない」
「ダメだ。リリィはみんなのところに戻るんだ! 死ぬのは僕だけでいい!」
「約束したでしょう? 一緒に世界を壊そうって。大嫌いな世界を・・・一緒に壊そうって! 女の子との約束を破るなんて・・・私が許すわけないじゃない」
タカハシは目を丸めて、表情から力を抜いた。諦めたのではない、心を決めたのだ。触れ合う影から伝わってくる。
「女の子って歳でもないだろう? でも女の子はいくつになっても女の子だと聞いたことがある」
「・・・まったく面倒くさくて空気の読めない男だなぁ」
知っているだろう? とタカハシが目尻を和らげ、知っているよと私は笑みで返す。ゆっくりと何度も心の中で形にした言葉を形作る。
「もう・・・私をひとりにしないでよ。どこにも行かないで」
たった一言だけ、ずっと言いたかった言葉だ。伝えたかった。
現世で彼を殺し、フィドヘルに招いた私にはいう資格がないと思っていた。
でもこんな終わりなら悪くはない。
「ねぇタカハシ。思えば私たちの力は破壊ばかりだったね。本来、転生者たちの用いたギフトは大地を育み、緑で染める。命を生み出して支え続ける。光で世界を照らす祝福の力であるはずだよね。でも私たちは戦いばかりに使っていた。呪詛と祝福に違いなんてあるのかな?」
「きっと・・・同じだな。祝福とは善意を持って他者へと与える言葉や力、そして呪詛とは悪意だ。それでも善意も悪意も容易くこうも入れ替わる。呪いと呪いの違いと似ているな。言葉の違いに踊らされただけで、結局のところ変わらない。変わらなかった。力のとらえ方、あり方だけが違うだけなんだ。やっぱり・・・間違っていたのかな。もっといい方法があったのではないだろうか。そうとばかり考えてしまう。僕は器用に生きられないらしい」
「知っている。それに間違っていないよ。呪詛も祝福も、こうも容易く入れ替わるのなら、世界は変わる。変えられるし、変えられた。これからはずっといい時代。いい時代にしてくれる。でも・・・破壊につながる力はもういらないね」
「あぁ。僕たちの力はもういらない。世界は祝福の色で染められるべきだ。もう染められている。リリィが笑っているから。泣いてもいるけども」
「うん。タカハシも一緒だね。私と一緒だよ。だからひとりで行かないで。一緒に逝こう。私は十分に生き切った。満足だよ。タカハシは、もっと長生きできたはずなのにごめんね」
「僕も満足だよ。自分に満足できた。求めていたのは賞賛でも納得でもない。僕も孤独だったんだ。孤独であろうとした。でも、リリィと一緒だ。十分だよ。ありがとう」
「そっか。なら安心して一緒に逝けるね」
「もうどこにもひとりで行かない。それにフィドヘルで死んだら現世で生まれ変わるんだろう? また出会えるかな」
不死だとしても女神の呪詛が失われてしまったら、蘇りようもない。きっと次の世で産まれる。
転生するのではなく、新しい自分で新しい世界に産まれ変わるのだ。
「出会うよ。絶対にまた出会う。きっと平和な世の中なんだろうね。次の世で結ばれることを願って果てる。こんな最期になってしまったけど。いいね。悪くない」
「あぁ。悪くはない。今度はどこにも行かないよ」
「私と約束できなくても、心に刻んで。小指で結ばれなくても、心で結ばれてよ」
わかった。とタカハシは両手で私を包み込む。そして私は力を抜いた。垂らした手のひらから光がもれる。不思議と痛みも熱さも感じなかった。
「タカハシの努力は・・・報われた?」
「報われたかどうかはもうどうでもいい。救われたよ。それでいい」
そっか・・・と私は必死の満面な笑みで応えた。笑みになっているかはわからない。でも必死に。再び与えられた私の命と、私が奪い与えたタカハシの命への答えとなるよう笑おうとした。
冷え切ったタカハシの温度と、流れ出る血の暖かさが心地よい。
光に包まれる。
呪詛と祝福・・・そして私たちを破壊し、新たな世界を創生する力。
今まで出会った全員から名を忘れられても、いつしか思い出が薄れていっても・・・タカハシと一緒ならきっと悪くはない。
次の世界では一緒になれるかな。
薄れて行く意識の中で、私はもうひとりじゃないと、今度こそはっきりと笑えた。
タカハシも・・・笑っていた。
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