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第二章 カフェ・ノードの魔女
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ミーナさんは右手の人差し指をくるくると回す。何事かと思って眺めているとコンロから離れた火が、真っ赤な水玉みたいに浮かんだ。蛍火にもにたコンロからの火は徐々に集まり形となっていく。
ほぃっとミーナさんが右手を振るうと、その形となった火は飛び上がり私の目の前に着地した。小さな丸っこいトカゲ、サンショウウオにも見える火の塊が私を見上げてギャァと鳴いた。口元からはライターくらいの大きさをした炎がボァッと浮かびそして消える。
期待をいい意味で裏切られた私はミーナさんを見る。
ミーナさんはふふふ。と笑みを含んだ。
「これはサラマンダー。火の元素を司る存在ね。でもそれは大きな概念だからコンロの火を形にして模った眷属なのかな。そしてそのままだと危ないからこちらへおいで」
ミーナさんが手招きすると小さなサラマンダーはカウンターから跳躍して白いお皿を飛び越えると、コンロの上で気持ちよさそうにうずくまる。背中には鱗のように炎が流れていた。
「魔法って本当にあるんですね」
ポツリと私が言うと、そうだね。とミーナさんは小さなサラマンダーが隠れてしまうほど大きなフライパンを乗せた。そしてたっぷりのオリーブオイルをそこに注ぐ。
「でもまぁ魔法はこんなものだとも言えるね。それ以上の魔法は今は必要ないしその方がいいわ。光熱費の節約になるけれど、働くにはコンロでカチャカチャ火を付ける方が便利だし、水の眷属を呼び出すよりも水道の蛇口をひねる方が楽。それに心の体力を使うしね」
「それは魔力ってことですか?」
思わず身を乗り出す私の横ではタールーが表情を変えずにサーモンのマリネを口に運んでは頬を緩めている。本当に大好きらしい。
「そやなぁ。運動したら体力を使うやろ?走ったら息があがるみたいに、魔法を使うと心が疲れるねん。精神って言った方がわかりやすいかもしれへんな。目に見える肉体に相反して精神もまた確かにあるやろ?体のごっついスポーツ選手はそれだけたくさん動けたり、びっくりするくらい重たいものを持ち上げられたりするわな?」
ふん!と柚さんは両手を曲げて力コブを作ろうとする。しかし細身では二の腕の膨らみは見えない。へへ。と笑みをこぼして柚さんは続けた。
「魔法も同じで精神がめっちゃごっつい人は、それだけ大きな魔法を使い続けたりできんねん。まぁ漫画でよくある伝説の魔法少女は可憐な姿でも精神がむきむきマッチョの筋肉質やねんからおもろいよな」
なんだからそれは・・・と私は目を細めつつもなんともわかりやすいとも思った。
ジュゥと音がしてミーナさんを見ると鳥もも肉の皮を下にしてフライパンへと押し付けている。私は視線を落とすミーナさんをまっすぐと見た。ちょっとだけこの言葉を口に出すのを恥ずかしいとも感じながら。
「私にも魔法が使えますか?」
答えてもらえるだろうか。そうドギマギしていると、もちろん!とミーナさんはあっさり答えた。
「まずは目に見えなかった存在や、知らなかった事柄に目を向けることから始めましょうか。この京都にもたくさんの、世間では空想上の生き物とされていた存在がいるからね。それにもう隣にケット・シーが見えるじゃない」
そうだなと今まで静かに聞き耳を立てていたタールーが答える。三角の尖った耳はピンと張られた胸と一緒に揺れる。
「それにいくら魔女といえど、おいそれと猫絨毯には乗れぬからな。誇ってよいぞ。柚にはすまんがな」
「ウチは別にええかなぁ。多分くしゃみが止まらんくなる。想像しただけでほらアカン!」
グシュっと柚さんはなんとも湿っぽいくしゃみをすると紙ナプキンでそれを拭う。
「なんともひどい呪いにかけられたものだ。柚の未来に幸あれ」
「うん。おおきに。でも適度な距離感でお互いに暮らそうか」
そうだな。と至極まじめな表情でタールーはうなずいた。会社員として働く猫アレルギーの魔女なんて考えもしなかったなと私は思う。
「それに魔女を育てるのは隠れ魔女を見つけた魔女の責任やからな。気張りやミーナさん。でも・・・あんまり派手にしたらあかんで?」
はいはーい。とテンポよくフライパンを揺すりながら鶏肉に火を通すミーナさんは歌うように答えた。押し付けられていた鶏もも肉の皮はきれいな狐色でパリパリとしている。
「あの・・・隠れ魔女って何ですか?」
それは琴音ちゃんみたいな子やねん。と柚さんが答える。
「まだ魔女としての自覚はないけど魔女になれる素質がある人。隠れ魔女は、たとえば色や音がはっきり聞こえすぎてしまったり、人が聞き流してしまうような言葉でも聞こえてしまう。感じてしまう。感受性が豊かって言えばええんかな?そのせいで生きづらくなってしまった人のことを言うねんな。男性なら隠れ魔法使いって言うねんけどな。どっちにしても今では魔女やら魔法使いは、昔からある言葉でそんな意味はないねん」
隠れ魔女。私はぎゅっと胸の首飾りを握る。魔女という言葉は恐ろしいけどそれはとても素敵な気分に私をさせてくれた。何よりも自分みたいな人が他にもたくさんいるのだと思うと、とても心が安らいだ。
「はいどうぞ。鳥もも肉のソテー。シンプルだけど疲れた時にはやっぱりこれね」
ミーナさんはふたつの白いお皿に香ばしい幸せな香りの料理を盛り付ける。半分に切られた鳥もも肉の断面はしっかりと火が通っていながらとても潤っている。
「私も・・・いいんですか?」
「もちろん。だってお夕飯はまだでしょう?それにお願いがあってねー」
お願いですか?と首をかしげる横で柚さんはうひょう!と歓声を上げてナイフとフォークを巧みに操ると狐色をした鶏皮にナイフを入れる。弾けるような香ばしい音をして細かく切られた鶏肉を口に運んで身悶えしている。
満足そうな瞳でミーナさんは一度見ると私に向き直る。
「学校はアルバイト禁止とかじゃない?しばらくこのお店を手伝ってくれないかなー。お給料はあまり出せないけど・・・」
胸の奥で暖かい蜂蜜にも似た重たくも心地よい感情が浮かんでくるのを私は感じた。そして何度も首を縦に振ってそれに応える。
「お給料は要りません。アルバイトはダメだって言われているし・・・だからせめてお手伝いをさせてください」
ほぃっとミーナさんが右手を振るうと、その形となった火は飛び上がり私の目の前に着地した。小さな丸っこいトカゲ、サンショウウオにも見える火の塊が私を見上げてギャァと鳴いた。口元からはライターくらいの大きさをした炎がボァッと浮かびそして消える。
期待をいい意味で裏切られた私はミーナさんを見る。
ミーナさんはふふふ。と笑みを含んだ。
「これはサラマンダー。火の元素を司る存在ね。でもそれは大きな概念だからコンロの火を形にして模った眷属なのかな。そしてそのままだと危ないからこちらへおいで」
ミーナさんが手招きすると小さなサラマンダーはカウンターから跳躍して白いお皿を飛び越えると、コンロの上で気持ちよさそうにうずくまる。背中には鱗のように炎が流れていた。
「魔法って本当にあるんですね」
ポツリと私が言うと、そうだね。とミーナさんは小さなサラマンダーが隠れてしまうほど大きなフライパンを乗せた。そしてたっぷりのオリーブオイルをそこに注ぐ。
「でもまぁ魔法はこんなものだとも言えるね。それ以上の魔法は今は必要ないしその方がいいわ。光熱費の節約になるけれど、働くにはコンロでカチャカチャ火を付ける方が便利だし、水の眷属を呼び出すよりも水道の蛇口をひねる方が楽。それに心の体力を使うしね」
「それは魔力ってことですか?」
思わず身を乗り出す私の横ではタールーが表情を変えずにサーモンのマリネを口に運んでは頬を緩めている。本当に大好きらしい。
「そやなぁ。運動したら体力を使うやろ?走ったら息があがるみたいに、魔法を使うと心が疲れるねん。精神って言った方がわかりやすいかもしれへんな。目に見える肉体に相反して精神もまた確かにあるやろ?体のごっついスポーツ選手はそれだけたくさん動けたり、びっくりするくらい重たいものを持ち上げられたりするわな?」
ふん!と柚さんは両手を曲げて力コブを作ろうとする。しかし細身では二の腕の膨らみは見えない。へへ。と笑みをこぼして柚さんは続けた。
「魔法も同じで精神がめっちゃごっつい人は、それだけ大きな魔法を使い続けたりできんねん。まぁ漫画でよくある伝説の魔法少女は可憐な姿でも精神がむきむきマッチョの筋肉質やねんからおもろいよな」
なんだからそれは・・・と私は目を細めつつもなんともわかりやすいとも思った。
ジュゥと音がしてミーナさんを見ると鳥もも肉の皮を下にしてフライパンへと押し付けている。私は視線を落とすミーナさんをまっすぐと見た。ちょっとだけこの言葉を口に出すのを恥ずかしいとも感じながら。
「私にも魔法が使えますか?」
答えてもらえるだろうか。そうドギマギしていると、もちろん!とミーナさんはあっさり答えた。
「まずは目に見えなかった存在や、知らなかった事柄に目を向けることから始めましょうか。この京都にもたくさんの、世間では空想上の生き物とされていた存在がいるからね。それにもう隣にケット・シーが見えるじゃない」
そうだなと今まで静かに聞き耳を立てていたタールーが答える。三角の尖った耳はピンと張られた胸と一緒に揺れる。
「それにいくら魔女といえど、おいそれと猫絨毯には乗れぬからな。誇ってよいぞ。柚にはすまんがな」
「ウチは別にええかなぁ。多分くしゃみが止まらんくなる。想像しただけでほらアカン!」
グシュっと柚さんはなんとも湿っぽいくしゃみをすると紙ナプキンでそれを拭う。
「なんともひどい呪いにかけられたものだ。柚の未来に幸あれ」
「うん。おおきに。でも適度な距離感でお互いに暮らそうか」
そうだな。と至極まじめな表情でタールーはうなずいた。会社員として働く猫アレルギーの魔女なんて考えもしなかったなと私は思う。
「それに魔女を育てるのは隠れ魔女を見つけた魔女の責任やからな。気張りやミーナさん。でも・・・あんまり派手にしたらあかんで?」
はいはーい。とテンポよくフライパンを揺すりながら鶏肉に火を通すミーナさんは歌うように答えた。押し付けられていた鶏もも肉の皮はきれいな狐色でパリパリとしている。
「あの・・・隠れ魔女って何ですか?」
それは琴音ちゃんみたいな子やねん。と柚さんが答える。
「まだ魔女としての自覚はないけど魔女になれる素質がある人。隠れ魔女は、たとえば色や音がはっきり聞こえすぎてしまったり、人が聞き流してしまうような言葉でも聞こえてしまう。感じてしまう。感受性が豊かって言えばええんかな?そのせいで生きづらくなってしまった人のことを言うねんな。男性なら隠れ魔法使いって言うねんけどな。どっちにしても今では魔女やら魔法使いは、昔からある言葉でそんな意味はないねん」
隠れ魔女。私はぎゅっと胸の首飾りを握る。魔女という言葉は恐ろしいけどそれはとても素敵な気分に私をさせてくれた。何よりも自分みたいな人が他にもたくさんいるのだと思うと、とても心が安らいだ。
「はいどうぞ。鳥もも肉のソテー。シンプルだけど疲れた時にはやっぱりこれね」
ミーナさんはふたつの白いお皿に香ばしい幸せな香りの料理を盛り付ける。半分に切られた鳥もも肉の断面はしっかりと火が通っていながらとても潤っている。
「私も・・・いいんですか?」
「もちろん。だってお夕飯はまだでしょう?それにお願いがあってねー」
お願いですか?と首をかしげる横で柚さんはうひょう!と歓声を上げてナイフとフォークを巧みに操ると狐色をした鶏皮にナイフを入れる。弾けるような香ばしい音をして細かく切られた鶏肉を口に運んで身悶えしている。
満足そうな瞳でミーナさんは一度見ると私に向き直る。
「学校はアルバイト禁止とかじゃない?しばらくこのお店を手伝ってくれないかなー。お給料はあまり出せないけど・・・」
胸の奥で暖かい蜂蜜にも似た重たくも心地よい感情が浮かんでくるのを私は感じた。そして何度も首を縦に振ってそれに応える。
「お給料は要りません。アルバイトはダメだって言われているし・・・だからせめてお手伝いをさせてください」
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