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3 懸念材料

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 ピンポーン ピンポーン

「……?」

 インターホンの音に目を覚ました結華は、

(インターホン……? だれ……?)
「……はーい……」

 と、ベッドから起き上がり、時間を確認すれば、午後の四時。結華は服を整え、メイクが崩れていないことを確認し、幸い寝癖がついていない髪を梳かしてから、

「すみません、お待たせしました」

 ドアを開ければ、あのモデル体型で前髪の長い人が立っていた。

「いえ、荷解き終えてからご挨拶に伺おうと思っていたもので、この時間になってしまって」
「そうでしたか。全然大丈夫ですので、お気になさらず」

 また笑顔で対応する結華だが、

(あなたも礼儀正しい人か!)

 心の中でツッコんでいた。

(そんですんごいイイ声ですね!)

 結華の思う通りに、その口から発せられる声は艶と深みがあり、この人の職業は声優か俳優だろうか、と結華は考察する。
唐沢鏡夜からさわきょうやと言います。これから何かとお世話になると思いますので、良ければ、これを」
「ご丁寧にありがとうございます」

 結華が受け取ったそれは、あの二つより二回りほど大きかった。結華はそれを、大判のタオルか何かかな、と思いながら受け取る。

「では、失礼しました」
「いえ、何かあれば遠慮なくお声がけくださいね」

 その人は軽く会釈して、階段を降りていった。

(そういや、誰がどこに住んでんだろ。まあ、詮索はしないけど)

 そう思いながら、結華はドアを閉めようとして、

「あの……」

 所在なさ気な声に、また色々と察し、受け取った箱を棚の上に置いてから、ドアを開け直した。

「はい。なんでしょう?」

 声の主は予想通り、手土産を持った伊織だった。けれど伊織は、とても申し訳無さそうな顔をしている。

「その、見つかったので、お渡ししようかと思ったんですけど……」

 伊織が持っている箱は、先ほどの箱より二回り小さい。少し考えれば、その大きさは、律と朝陽のものとそう変わらないと分かるはずだが、

(こういうことに慣れてない上に、ドンと大きなものを見せられて、居た堪れないって感じかな)
「お気遣いありがとうございます」

 それを受け取るために、結華はなるべく笑顔を心がけながら、伊織へ歩み寄る。

「すみません……あの、その、……こんなもので……」

 さっきより数段申し訳無さそうな顔と声になっている伊織へ、結華はなるべく優しい声を出す。

「こんなものだなんて。お気持ちだけでも充分なのに、さらに気を遣ってくださって用意して頂いたのですから、こちらとしては、とても嬉しいですよ」

 そしたら、瞬いた伊織の目に、涙がたまっていく。

「え?! すみません、何かお気を悪くさせることを言ってしまいましたか……?」
「いえ、あの、すみません」

 伊織は袖で涙を拭くと、照れたように笑って、

「えっと、如月さん、でしたよね。如月さんが良い人で、ここに決まってよかったなぁって思ったら、……すいません、急に」

 笑うのに、また、今度こそ、そこから涙が伝う。

「っ……すみません……ご迷惑を……」

 伊織はまた涙を拭うが、それは止まってくれないようだった。

「迷惑ではありませんから、大丈夫ですよ。……すみません、私、入居者さん達の管理情報を全ては把握していなくてですね。あなたのお部屋はどこでしょう? 良ければそこまでご一緒しますよ」

 伊織が持っていた箱を、その手からゆっくりと取ると、結華はそう言ってみる。
 拒否されたらしょうがない。けれど、疲れのせいなのか、何か別の理由なのか、今の伊織は不安定だ。誰かが一緒に居たほうがいい。そして、ここは安心できる場所だと、自分たちは味方だと、少しでも思ってもらいたい。

「一◯二号室、です……」
「一◯二号室ですね」
(一階の真ん中か)
「じゃあ、ゆっくり行きましょうか。……歩けますか?」
「だい、じょうぶ、です……」
「手すり、掴まってくださいね」

 なんとか歩き出した伊織の歩調に合わせ、結華もゆっくり歩く。そして、ドアの前まで着くと、

「あの、ありがとう、ございました……」

 少しは涙が収まったのか、伊織はぺこりと頭を下げ、部屋に入り、閉めようとしたドアを再び開け、

「あの、えと、四月一日伊織と言います……本当にありがとうございました」

 また頭を下げて、伊織はやっと、ドアを閉めた。

(……これは、要報告案件だな)

 結華は家に戻りながら、伊織の様子を思い返す。彼はまだ、高校生になったばかり。言い換えれば、二週間ほど前まで中学生だった訳で。
 どんな理由で一人暮らしをすることになったのかは分からないが、分からないからこそ、あの繊細そうな少年について、最新の注意を払い、接しないと、彼は心労か何かで倒れてしまいそうだ。
 両親にちゃんと報告して、相談しないとな。
 結華はそう思った。

 ❦

「はあ?! あと二人来る?!」

 両親が帰ってきて早々、ラインで報告はしていたが、そもそも今日入居者が来ることや、入居者が決まっていたことを教えてくれなかったことについて、結華はグチグチ言いながら、夕飯の手伝いをしていた。
 そこで、驚愕の事実を知らされる。

「うん。だから満室になるんだよ。固定収入が得られて一安心」

 母はそう言い、

「内見の時にはどちらも良い人に見えたから、明日も大丈夫だよ」

 と、父ものんきそうに言う。

「いや、まあ……満室になるのは良いけどさ……」

 結華の家のアパートは、一階、二階と三部屋ずつだ。だから満室ということは、六人になるということで。

(満室なんて何年ぶりだろう)

 この不景気の中、部屋をリノベーションしたり、家賃をギリギリまで下げたりと、人が入るよう両親が色々していたのを、結華は知っている。結華だって、子供なりに協力したこともある。
 なので、「ならホント、先に言っといてよ」と言って、けどまあ満室になるならいっか、と結華は一旦、それにぶつくさ言うのをやめることにした。
 が。

「で、今の私の話も聞いてたんだよね?」
「ちゃんと聞いてたよ。今日来た中の三人が同じ学校に通ってて、そのうちの一人の、一番若い子がちょっと心配だって」
「けどま、審査の時とかに聞いてたけどね」
「ならなぜ……!」

 結華はダン! と人参を切り、

「こっちには教えてくれなかった……?!」

 結局、結華の恨み節が再開する。

「いや、どの人もすぐにでも入居したいってなってね。結華に話す前に、文字通りにトントン拍子に決まってね。結華もこういう経験あるからさ、大丈夫かなぁって」

 母ものんきに言うが、

「こっちは心臓飛び出るかと思ったんだからね?! 話したことあるよね?! バスケの先輩とヤンキー! 一年生だってもう有名人なのに……」
「やー、なんか聞いた名前だなーとは思ったけどねぇ。でもさ、結華が関わることなんてあったとしても時々だろうし。一緒に住んでるんじゃなくて、アパートの住人だし。そんなに心配しなくていいんじゃないかな」
「……」

 母にとても当たり前なことを言われ、豚汁用の人参を切り終わった結華は、むくれながら、ほかの野菜を切り始めた。


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