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11 保健室で

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(くそ……足首をひねるとは……)

 結華は保健室の養護教諭に手当されながら、心の中で悔しがっていた。

「はい。終わり」
「ありがとうございます……」
「一人でここまで来たんだよね? 一人で戻れる? 辛いなら松葉杖出そうか?」
「いえ……大丈夫です……」

 結華は体育の授業でダンスの練習をしている時、足首をひねってしまった。

「これ、どのくらいで治りますかね?」
「人によるけど、二、三日から一週間くらいかな」
(ダンス……なんとかギリギリ間に合うかな……)

 そんなことを考えていたら、保健室の扉が叩かれる。

「どうぞ」
「すみません……」

 入ってきたのは、伊織だった。

「あ」「あ、え?」

 結華のほうは、四月一日さんだ。と思ったくらいだが、伊織からすれば、どうして大家の娘がここにいるのか、訳が分からないらしい。

「今日はどうしたの、四月一日くん。また具合悪くなった?」
「あ、は、い……少し、休ませてもらいたくて……」

 伊織は少し青白い顔でそう言いながらも、結華のことが気になるんだろう、結華のほうへ顔をチラチラと向ける。

「なに? 二人はお知り合い?」
「あ、はい」

 結華はこともなげに答える。別に隠すことでもないと思ったから。
 それを聞いた伊織は、びっくりしたけど安心した、という奇妙な表情になる。

「あの、如月さんは、どうして」
「ダンスの練習でね、足首ひねっちゃって」

 結華はひねった、その左足を少し上げ、こっちの足だと示す。

「足、大丈夫なんですか?」
「長くても一週間くらいだってさ。みんなで気合入れた振り付けだから、少しムズくて。練習してる時に気を抜いちゃって、これですよ」

 結華は軽い口調で説明して、

「あ、ごめん。具合悪いんだよね? 立ち話させちゃってごめん」
「いえ、それは……如月さん……如月先輩?」
「私二年」
「えっと、如月先輩は、もう行っちゃいますか……?」
(はい?)

 首を傾げそうになった結華だったが、頭を回転させ、

「まだ足痛いから、もう少し休もうかなって。先生、いいですか?」
「全然いいよ。四月一日くんは、またベッド使う?」
「……あの、今日は座って様子見ます」
「そお?」

 伊織は、緊張した面持ちで結華の近くに来ると、

「……あの……」
「隣、座る?」

 結華のその問いかけに、伊織はホッとした顔になり、

「いいですか……?」
「うん。どうぞ」
「失礼します……」

 緊張の顔で、結華の左隣に座る伊織。
 それを見ていた養護教諭は何も言わず、道具を片付け、

「ゆっくりしてってね」

 と声をかけた。
 数分、そのまま静かな保健室だったが、

「あ、ちょっと出てくるね。そのまま楽にしてていから」

 養護教諭はそう言うと、保健室から出ていってしまい、結華と伊織が残される。

(さて、どうするかな。話しかけるか、そのままそっとしとくか)

 結華が考えていると、

「……あの……」

 伊織のほうから声をかけてきた。

「ん? なに?」
「おんなじ高校に通ってたんですね……知らなかったです……」
「そうだね。私もびっくりしたよ。あの有名な四月一日さんがうちに越してくるなんてねぇ」
「え、僕、有名ですか……?」
「え? 分かってない? 可愛い系男子の一年として有名だよ?」

 結華がそう言うと、伊織の顔が見る間に赤くなる。

「そ、そんなんじゃ、ないです。僕、普通です。……普通の、高校生です」
「そっか。普通か。じゃ、これから見かけることがあったら、普通の後輩として接するね」

 結華が笑顔を向けながら言うと、伊織は薄い茶色の目を丸くして、次には照れたように少し俯き、ふわふわな髪の先をいじって、

「よ、よろしくお願いします……」
「こちらこそ」

 結華は、なるべく警戒されないように明るく言った。けど、気になることがある。

「具合、悪いんだよね? このままで大丈夫?」

 今日はどうしたの、と言われていた。またベッド、とも言われていた。

(保健室に頻繁に来てて、その度にベッドを使ってた、んだと思うんだけど)

 そうしなくていいのだろうか。結華は、もしこのまま倒れたら、と少し不安になる。
 来た時より顔色は良くなっているように見えるけれど、それも素人判断だ。油断出来ない。

「はい。なんか、先輩を見たら、少し良くなりました」
(笑顔でそんなこと言わないでね? 天に召されてしまうよ、私が)
「そう? 驚いたのが良い効果を発揮したのかな」
「……いえ、その、そうじゃ……ない、と……」

 話している伊織の頭が揺れ始める。正確に言うと、船を漕ぎ始めた。

(そういえば、薄いけど、クマがある)

 寢れていないのだろうか。だからベッドで休んでいたのだろうか。

「四月一日さん。……んや、四月一日くん? まあいいか。眠いなら、ベッド行ったほうが良いよ?」
「そう……なん、です……けど……」

 かくんかくんと頭を揺らしながら、伊織は半分寝ぼけているのだろう。妙なことを口にした。

「そしたら……先輩……行っちゃう……」

 そして寝ぼけたまま、伊織は結華のジャージの袖を掴む。

(んー……一人暮らしで寂しいのかな……)
「じゃ、ベッドまで一緒に行こうか」
「……はい……」

 結華はふらふらと立った伊織を転ばせないように、ゆっくり移動する。

(足痛ぇ……けど今はそんなこと言ってる場合じゃない……)
「ほら、ベッド着いたよ。寝よ?」
「……一緒が……良いです……」

 伊織はそう言うと、掴んでいた袖を引っ張って、結華の左腕を抱きしめて寝てしまった。

(わあ……こんな展開ある……?)

 そう思いながらも、結華はそっと、自分の腕を抜こうとした。が。

(待ってうそ力が強い……! まだ一年の、しかもその細腕なのに……! 抜けない……!)

 結華は数分格闘したが、これは無理だと根負けして、側にあった椅子を引き寄せ、そこに座った。

「四月一日くーん。起きてくれないかなー」

 言ってみる。けれど起きる気配はない。それどころか、

「……う、うう……!」

 うなされ始めた。

「やだ……違う……! 僕お母さんじゃない……! やめて……!!」

(ね、寝言が鮮明! 聞かなかったことにしよう。聞かれたくないだろうし)

 しかしそのままうなされる伊織を、どうにか出来ないかと思ってしまう。苦しんでいる人を放置するのは嫌だ。
 結華は一瞬迷ったが、伊織の頭に手を乗せて、

「だ、大丈夫だよー……安心してねー……」

 小声で呼びかけながら、その頭を撫でる。

「……えっと……安心して大丈夫だよ。……怖いことなんてないから……何かあっても守るから……」

 そうして撫でていると、その効果かただ時間が経ったからなのか、少しずつ、伊織が落ち着いていく。

「おか……さん……おいてかないで……」

 幼い頃の夢を見ているのか、最近そういうことがあったのか。どちらにしても、胸が痛くなる言葉だ。

「……置いてかないよ。ずっといるよ。だから安心してね……」

 声をかけ続け、頭を撫で続け、どれくらい経ったか、伊織の寝息は安定したものになった。

(……これ、夜もずっとこんな感じだったなら……)

 一大事だ。精神科に通うべきではなかろうか。

(なんか、次、会った時……それとなく聞いてみようかな……)

 そして、落ち着いた伊織にホッとしたのか、ずっと腕を固定されているという結構疲れる体勢だったためか、気が抜けた結華のまぶたも落ちていく。

(ウッソだろ……寝てしまうのか……? ここで……? この状態で……?)

 けれど結華の上半身はベッドに落ちていき、ああ、こりゃ駄目だ、と結華は早々に諦め、

(まあ、戻らなかったら、美紀とか香菜とか……誰か来るでしょ……)

 と、意識を手放した。


「だからお前さ……」

 保健室の外で、窓側の壁に寄りかかり、湊は呆れた声で呟く。その足元で「クルルゥ」と、ディアラが鳴いた。


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