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第21話 それを恋と人は呼ぶ
しおりを挟むお茶会当日。エイヴェリー領の隣の領地であるフィッツジェラルド領は馬車で2時間の距離だ。
村を抜け、丘で羊たちが群れをなしているのを見送る。ブルーベルの花が絨毯のように広がっている道を抜ければ、隣領の入り口が見えてきた。
「シャーロットお嬢様にお会いするのも久しぶりでございますね」
「ええ、この十年で私の友人リストはほとんどまっさらになってしまったから。シャーロットは唯一の親友よ」
社交界は困窮した貴族に冷たい。昨日まで仲の良かった友人が、あっという間に手のひらを返したのを何度も見た。フィッツジェラルド男爵も表向きは距離を取っていたが、お父様とは密かにやり取りを交わし、援助してくれたことも知っている。
我が家よりもやや中央よりにあるこの領地のライムストーンは、少しだけ灰褐色だ。しかし我が家よりも数段と立派なお屋敷で、使用人も大勢いる。庭には手入れされた薔薇が咲き誇り、花のアーチの下にいたのは、私の友人。
「シャーロット!」
声を掛けた瞬間に、彼女は花のような笑顔をほころばせ、私に駆け寄ってきた。
「ああ、エヴェリーナ、本当に久しぶりね!会いたかったわ」
「私もよ、話したいことがたくさんあるの」
互いを抱きしめ合うと、彼女のストロベリーブロンドの髪からは薔薇の香りがした。シャーロットは穏やかで、慎ましい令嬢だ。対する私は――まあ少しだけ――お転婆である自覚はある。
薔薇のアーチをくぐり抜け、中庭のガゼポに案内される。私たちは会えなかった月日を埋めるように、お茶とお菓子で語り合った。
「それで、どうやって婚約に至ったの?」
「デビュタントでお会いしたの。叔母の紹介でダンスを踊って……」
照れ臭そうにはにかみながら婚約者のことを話すシャーロットは、同性の私から見ても本当に可愛かった。私はそれで?と続きをねだる。
「……彼と目が合った時に、私はこう思ったの。ああ、私は彼と結婚するのだわ――って。初めて互いを見た時から、私たちの世界はとても輝いて見えたわ」
目を伏せて懐かしむように話すシャーロットの仕草はどこか大人びていた。知らない間に遠くに行ってしまったようで、少し私を寂しくさせた。
「それを運命と人は呼ぶのね。彼はどんな方なの?」
「彼は……オリバーは、優しくて、とても包容力がある人なの。静かに流れる、小川のような人」
「貴女にぴったりな人だわ。……彼のことが、好きなのね」
そう言うと、シャーロットの頬は薔薇色に色づき、私が友人として共に過ごした年月では見たことがないような表情を浮かべていた。
「結婚式には呼んでくれる?」
「もちろんよ!私には親友と呼べる人は貴女しかいないんだから」
忘れないうちにお祝いのハンカチも手渡した。思った通り彼女は喜んでくれて、大切に使うと言ってくれた。
「さあ、次は貴女の番よ。私が知らないうちにロンドンで有名人になったようね?」
「言わないで、それはもう私の中では消してしまいたい歴史なのよ」
コナーとの婚約無効からエルフの貴公子に求婚された話はかいつまんで彼女にだけは話していた。あのロンドンでの婚約式には彼女を呼んでおらず、ことの顛末は手紙での報告になってしまっていたのだ。
「エルフの貴公子はどんな方なの?美しい方なんでしょう?」
「まあ、そうね。かなり美しい顔立ちをしているわ。でも、常識外れなのよ!エルフの常識はイングランドの非常識なの」
彼との間に起こった出来事を話すと、シャーロットは手を口元に添えてくすくすと笑いだした。
「貴女、とっても楽しそうな日常を送っているじゃない」
「そんなことないわ、毎日大変よ。こんな日々が続いたら、その内に私の心臓は仕事を放り出して逃げてしまうわ」
たくさんお喋りをして喉が渇いた。紅茶を飲んで気分を落ち着かせると、ふと数日前に浮かんだ疑問を彼女に聞いてみたくなった。
「あのね、これは私の友人の話なんだけど」
前置きをすると、彼女は姿勢を正して聞いてくれる。
「その子は今結婚を申し込まれているの。でも、本当にその人のことが好きかどうかは分からなくて、困っているの。この気持ちが恋なのかどうかって、どうしたら分かるの?貴女はどうして婚約者の彼のことが好きだと分かったの?」
シャーロットは紅茶を一口飲み、「そうねえ」と微笑んだ。
「人として"好き"なのか、恋愛としての”好き”なのかが分からないってことよね。……私の場合は、恋と結婚は違うものだと分かっていたし、自ら好きになった人とは結婚できないと思っていたわ。もちろん胸がときめくような恋に憧れたこともあったけど、貴族の結婚ってそういうものではないでしょう?」
その考えは実に貴族令嬢らしいものだった。貴族において恋愛結婚はかなり珍しい。結婚とは家同士の繋がりを重要視するからだ。シャーロットは「でも」と言ってティーカップをソーサーに静かに置いた。
「恋をした相手は、輝いて見えるの。少し触れただけで、心臓が飛び出るほど胸の高鳴りを感じるわ。特別なのよ。舞踏会のたくさんの人がいる場所でも、私は彼のことを必ず見つけられる」
私はシャーロットの言葉を心で反芻してアルのことを想った。輝いて見えて、触れるだけで胸が高鳴って、たくさんの人の中から彼のことを見つけられる――。
え?ちょっと待って?全部当てはまるんじゃないの?
紅茶を持つ手がぷるぷると震えている。シャーロットはそんな私を見て、優しく微笑んだ。
「その友人にお伝えして。もし今私が言ったことが当てはまったなら、それはきっと――恋なのよ」
耳たぶに熱が集まっているのがよく分かる。いつもシャーロットのお家で頂く専属パティシエのケーキを、今日はそれ以上食べ進めることができなかった。
お茶会もお開きとなり、私たちはもう一度抱きしめ合った。
「次に会えるのは結婚式かしら」
「エヴェリーナの婚約式かもしれないわ。またロンドンのランガムホテルかしら?」
「冗談言わないで、二度とごめんよ」
私たちは笑い合い、しばしの別れを惜しんだ。次に彼女に会うときは、フィッツジェラルド嬢ではなく、ファインズ夫人と呼ぶことになるのだろう。
玄関に向かうと、何やら使用人がたくさんいて騒々しい。メアリーの姿も見当たらないし、どうしたのかしら?人だかりの方へ向かうと、玄関にいたのは――彼、アルサリオンだった。
「アル!?どうしてここにいるの!?」
「お迎えにきました」
「えっヒューゴは?馬車がない!メアリーはどこ!?」
「先に帰っていただきましたよ。エヴェリーナは私と帰りますとお伝えしたので大丈夫です」
この男、また非常識なことを!「何が大丈夫なのよ」と思っていると、シャーロットが私にひそひそと耳打ちをする。
「この方が例のエルフの貴公子ね」
「ごめんねシャーロット、エルフの常識はイングランドの非常識なの」
アルはシャーロットに向かって丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、アルサリオン・フォン・アヴァロンと申します。いつも妻がお世話になっています」
「妻じゃないわ!婚約も(仮)よ!」
「お初にお目にかかりますわ。シャーロット・フィッツジェラルドと申します。お噂はかねがね聞いておりますわ」
なぜか私の婚約者(仮)と唯一無二の親友が挨拶をして談笑しているわ。どうしてこうなったの?シャーロットの温かい目線に耐え切れず、私とアルは挨拶もそこそこに、移動魔法で屋敷に帰ってきた。
「もう、どうして迎えにきたの?」
「魔法で帰る方が速いでしょう?」
「それはそうだけど……」
横目でちらりと盗み見たアルは、平然とした顔で笑っていた。
彼から見ても、私は輝いて見えるのだろうか。結婚を申し込むくらいなら、私は特別なのだろうか――。
「ねえ、私って貴方から見たらどんな風に見えるの?」
何気なく聞いてみた一言は、彼の感情の深さを理解するには充分だった。
「……貴女がいない世界は灰色です。貴女だけが私の世界に色彩をもたらしてくれる。私には、エヴェリーナが暗闇を照らす光に見えます」
「それは……凄く大げさな表現だわ」
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「毛虫!?」
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