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第66話 陽の当たる町へ
しおりを挟む2月に入り、私たちは南仏へ向かうべくドーヴァーの港へ到着した。私の移動魔法は、イングランド内でしか使えない。
精霊の国とイングランドは深く交わっている。
それは、いわば盟約の残滓だ。国交が途絶えている今も、一度でも深く関わった土地をアマンは見放さない。
この島から一歩足を踏み出せば、奇跡のような力は行使できない。魔力は赤子のように弱まるのだ。
カレー行きの蒸気船に乗り込むと、低く長い汽笛が灰色の空に響き渡り、黒い煤が空へと昇った。
自分の力が及ばない世界に踏み出す不安を写し取ったように、鉛色の海は渦を巻いている。
甲板で真っ白な断崖がゆっくりと遠ざかっていくのを見送り、エヴェリーナの手をそっと引いた。
「エヴェリーナ、外は冷えますから中に入りましょう」
「ええ、そうね」
一等客室の椅子に座っていても、2月の海は荒れ模様で揺れは大きい。エヴェリーナは気分の悪さを我慢して青ざめていた。
今すぐにでも彼女を船から降ろしてやりたい歯痒さを堪え、吐き気を和らげる魔法をかけた。ほんの気休め程度にしかならない。
「和らげることくらいしかできないんですが」
「十分よ。ありがとう、アル」
イングランドの島を離れるにつれ、精霊の国との繋がりが希薄になるのを感じた。明らかに、魔力が弱まっている。淡い発光はそのまま無力感に繋がり、手を固く握りしめた。
2時間の船旅の末、フランスのカレーに到着した。次はカレー・ヴィル駅からパリに向かう鉄道に乗車する。夕方に到着し、その日はパリで一泊を過ごした。
翌日、パリから男爵の友人がいるマルセイユへと向かった。エヴェリーナは、「こんなに大移動するのは初めてだわ」と溢した。
昨日の疲れが残ったままなのだろう。彼女にも男爵にも、共に来たメアリーにも、疲労の色がにじみ出ていた。
「お父様、気管支の具合はいかがなの?悪くなったりしていないかしら」
「大丈夫だよ、医師からもこの冬は暖かい場所で過ごせと言われたし、日差しを浴びればきっと良くなるさ」
エヴェリーナは不安げに瞳を揺らしている。彼女の不安を取り除いてやりたいが、今私にできることは無いに等しい。
心もとなさを感じながらマルセイユにつくと、寒さの中に温かい日差しが差し込んだ。コッツウォルズの凍てつく寒さとは確かに違う。
振り向くと、彼女もまた日差しに目を細め、鼻をすん、と鳴らした。
「お魚と、オリーブの香りね」
そう言って無邪気に笑うエヴェリーナが微笑ましかった。
駅を出ると、男爵の友人であるハミルトン家の使用人が出迎えてくれた。私たちは馬車に乗り込み、窓からマルセイユの街を眺めながら屋敷へと向かった。
♢♢♢
旧市街を通り抜け、小川や水路を超える。馬車で20分ほど揺られていると、小高い丘の上にあるハミルトン邸に到着した。
白い漆喰の壁に、テラコッタ色をした瓦屋根の地中海風の建物だ。入口へと続く道にはオリーブの木が植えられていた。
「フレデリック、遠路はるばるよく来てくれたね」
「久しぶり、ノア。しばらくお世話になるよ」
ノア・ハミルトンという男は、男爵のイートン時代の友人らしい。朗らかな声と彼の眼鏡の奥に潜む優しさからは、男爵と同じ温かさを感じられた。
「娘と婚約者を紹介するよ。エヴェリーナとアルサリオン君だ」
「お久しぶりです。といっても、本当に小さいころに会ったきりだから覚えていないだろうけど。改めまして、ノア・ハミルトンです。こちらは妻のクラリスだ」
彼の妻は微笑んで、フランス語訛りの英語で挨拶をした。
「エヴェリーナ・エイヴェリーです。どうぞよろしく」
「アルサリオン・フォン・アヴァロンです。お世話になります」
これから二週間、フランスという、エルフの力が及ばぬ土地で過ごすことになる。
マルセイユの日差しはあたたかかった。しかし、そこに春を感じることはまだ出来ない。これは冬の中に僅かに差し込む希望なのだ。
早くイングランドに帰りたい。
魔法の使用が限定的だと、何かあった時に彼女を守りきれないかもしれない。
男爵の気がすめば、早めに帰ることを勧めてみよう。場所が変われど、悪夢はどこにだってついてくるのだから。
♢♢♢
夜、暖炉の前でノアと昔話に花が咲いた。10年ぶりに会った旧友は、「互いに年を取ったな」と穏やかに笑っていた。
「ノア、無理なお願いを聞いてくれて本当にありがとう」
「無理なものか。約束したじゃないか、学生時代に受けた恩はいつか必ず返すって。それより、体調は大丈夫なのかい?」
「ああ……夜は少しよくないんだ。でも、マルセイユは温かいし、冬でも光が眩いね。良い所だ」
服の上から胸をさする。旅の疲れもあって、体は少し気怠さを携えていた。
近頃、夜は横になるのが酷く億劫だ。
上半身を起こすと、少し楽になる。
薬ももはや気休めにしかならなかった。
「アルルにも行くんだろう?無理はするなよ。この時期、ミストラルが厳しいぞ」
「分かっているさ。娘と一緒にアーモンドの花を見たいんだ。グレイスと見たあの景色を、あの子にも見せてやりたい」
ノアは心配そうに私を気遣ってくれる。昔から心配性で、少し気が弱いところがある彼だったが、性格が全然違う私とノアとグレンはイートン時代によくつるむ友人だった。
本来、私は爵位を継ぐべき人間ではなかった。二人の兄がいて、私の存在はスペアのスペア。将来は、聖職者か外交官を目指す予定だったのだ。
過度な期待をかけられることもなく、自由な青少年時代を過ごしたが、二番目の兄は軍人となり、インド大反乱にて殉職した。一番目の兄は流行り病で無くなった。
突如転がり込んできた爵位と、責任。
流されるままに生きた私がたった一つ誇れるものがあるとすれば、グレイスとの愛を娘という形でこの世界に残せたことだ。
春はもう手を伸ばせば届く場所まで来ている。アルルに行けば、グレイスと見たあの花が私を待ってくれている。
彼女のことを思い出すと、胸の痛みが僅かに強くなってまた咳き込んだ。
なぜこんなにも行きたいと願ってしまうのだろう。
どうしてか、これが最後の機会なのだと思ってしまったんだ。
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