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第69話 選べない
しおりを挟む最初の発作が起きてから、2週間が経過した。その後、軽い発作は何度か起きたが、かろうじて男爵は命を繋ぎ止めている。いつ切れてしまうか分からない、細い糸を掴んでいるようだ。
代わりに、エヴェリーナはどんどん憔悴していった。
「エヴェリーナ、きちんと食べていますか?」
「大丈夫よ。でも、あまり食欲がないの……」
元々華奢だった体は、さらにか細くなった。彼女の手首を掴むと、ぞっとするほどに頼りない。
「貴女まで倒れてしまっては……スープなら、食べられそうですか?」
「そうね……」
カトラリーを持ち、スープを口に含む。そうして何口か嚥下すると、顔色が徐々に青ざめてきた。
エヴェリーナはナプキンを口元に添え、苦悶の表情を浮かべて席を立った。
「ごめんなさい……失礼するわ」
エヴェリーナは、今にもぽきり、と音を立てて折れそうな枝のように見えた。
唯一残された家族を失う恐怖に常に曝されているのだから、精神的な負荷は相当なものだろう。
彼女が去った食卓で、残されたスープの皿を見つめながら考えた。
どうすればエヴェリーナの心を救える?
愛しているなら、禁忌を犯してでも彼女を守るべきではないのか?
胸の奥に燻る焦燥は次第に大きくなっていく。答えの出ない、長い夜が続いた。
♢♢♢
季節は間も無く春を迎えようとしている。日を追うごとに空気は温かくなり、柔らかな風が吹くようになった。男爵の顔色が良いように思える日も増えてきた。
帰国が叶うという希望が見えてきた。
数度にわたって医師の診察を受け、4月に入った頃にようやく帰国の許可が降りた。しかし、無理は禁物だ。行きよりも時間をかけ、魔法で痛みを誤魔化し、休息をとりながらイングランドを目指した。
私たちはついに、エイヴェリー領へと帰還した。
屋敷に戻ると、ロナルドが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。ご帰還をお待ち申し上げておりました」
「長らく不在にしていてすまなかったね……例の件は進めてくれただろうか」
「はい、旦那様のご指示通りに」
彼はいつも通り、整然とした顔付きでてきぱきと執務をこなしていた。
荷物を運びに来たヒューゴは、沈痛の面持ちでエヴェリーナを見つめた。
「こんなにお痩せになられて……」
「そうね、採寸した時からだいぶ痩せてしまったから、ドレスをまた手直ししなくちゃいけないわ。メアリーには申し訳ないわね」
彼女の乾いた笑いが、玄関ホールに響く。
「お嬢様、そんなこと……」
屋敷が纏っていた幸福の温度が、緩やかに冷めていく。
終焉に向かおうとしているのだと、誰しもが分かっていた。
それでも、誰も口には出さない。
人々の生活は辻褄を合わせるように続いていくのだから。
♢♢♢
男爵を救う方法は、1つだけある。
エルフの寿命を分け与える、禁忌魔法だ。
それを使えば、弱っている心臓に生命力を与えることができる。彼の命を繋ぐことが出来るだろう。
だが、その魔法を使用すれば求婚の儀は失敗だ。
私は一人で精霊の国に帰ることになる。
男爵を救えば、エヴェリーナの心も救われるはずだ。
これ以上彼女が壊れていく様子を、黙って見ていることはできない。
だが、ようやくここまできたのに彼女を手放したくはない。こんなにも愛しているのに、エヴェリーナを失うなんて耐えられない。
藁にも縋る気持ちで、夜中の寝室にエアリエルを呼び出した。
「エアリエル、禁忌魔法を使用した場合、どうなる?」
その台詞を聞いた瞬間、彼の顔色は変わった。狼狽した様子で首を横に振る。
「アルサリオン様、いけません!禁忌魔法には儀式の失敗だけでなく、代償があるんです!」
エアリエルは本を開いて、黒い文字を指し示した。
『禁忌魔法を使用したエルフには代償が発生する』
求婚の儀の書物には、古代エルフ語で確かにそう書いていた。
「代償とはなんだ?」
「分かりません。記録に残されていないんです。代償については、女王が与えるとしか……」
「……何か、方法はないのか?」
ベッドに腰掛けた私は、膝の上で手を組み、項垂れた。救える手立てがあるのに、何もせずに受け入れるのは正しいことなのか?
「世界の理を曲げてはいけないのです。エルフは自然を愛する種族。命の流れを操作するような魔法を、最も嫌います」
エアリエルの言葉は最もだった。異界からの干渉は最低限にすべきだ。
やはり、禁忌魔法はあまりにもリスクが高すぎる。代償の内容が分からない以上、無闇に使うべきではない。
頭では理解できるが、心の方は上手く歩幅を合わせてはくれないようだ。
男爵が、自分のことを家族の一員だと迎えてくれたのが嬉しかった。
私を信じて、エヴェリーナを託してくれた。
エヴェリーナ以外の何もかもがどうでもよかったのに、いつの間にか随分と絆されていたようだ。
自分でも驚くほどに、純粋に男爵を救いたいという気持ちが芽生えていたのだ。
その日の夜、バルコニーの窓をノックした。部屋の明かりがつき、ガウンを羽織ったエヴェリーナが目を擦りながら出てきた。
「アル……?どうしたの……?」
「少しだけ、話があります」
私は、エヴェリーナに禁忌魔法のことを打ち明けた。
禁忌魔法を使えば、男爵の命は助かること。
だが、使用すれば求婚の儀は失敗すること。
代償があるが、それが何かは分からないこと。
それでも、その選択を選びたいと思っていること。
感情を込めずに端的に、事実だけを切り取って話した。彼女にどちらかを選ばせるような真似はさせたくない。
彼女を愛しているなら、男爵の命を救うべきなのだ。きっと私より、彼の方がエヴェリーナにとって価値がある存在だ。血の繋がりのある、本物の家族なのだから。
星が静かに囁く夜空を見上げ、ふと彼女に目を向けた。
エヴェリーナはこの世の終わりのような表情を浮かべ、震える手で顔を覆って泣き出した。
胸が嫌な音を立てて震えた。
(しまった、選択を間違えた。話さなければよかった……!)
咄嗟に彼女を抱きしめる。細い肩は掴むと壊れてしまいそうで、触れることも躊躇われるほどだった。
しばらく胸の中で彼女は震えていた。そして、小さな声で呟いた。
「選べ、ない……選べないわ……お父様が死ぬのは怖い……でも、アルとも離れたくない……!」
残酷すぎる二択は、彼女の心を傷付けてしまった。それだというのに、「選べない」という選択に内心安堵する自分がいた。
「ごめん……君は選ばなくていい。今後起きることは、全部私のせいにしていいから」
やはり、禁忌魔法は使えない。
彼女を託されたのだから。
私が、エヴェリーナを守らなければ。
2週間後には私たちは結婚する。
何があっても彼女を連れて行くと、約束した。
そう自分を無理やり納得させるより他なかった。
♢♢♢
「旦那様、遺言状の作成が済みました。こちら御目通しを」
「ありがとうロナルド。流石、君は仕事が早い」
ロナルドから遺言状を受け取り、内容を確認した。私の死後の相続や、使用人への退職金も残すことができた。これで誰も路頭に迷うことはない。
窓から見える4月の中庭には花の蕾が綻び、再び春が巡ってきたのだと感じさせる。部屋を出ようとするロナルドは、入口を閉めて背を向けたまま、幼い頃のように「フレデリックお坊ちゃま」と掠れた声で呼んだ。
「ロナルドは随分と年を取りました。最近では耳も遠くなりまして。今でしたら――何を仰っても、聞こえませんとも」
彼の背中を見つめた。着古した黒いスーツは、長年我が家へ仕えて来た忠義と信頼の証だ。
私の記憶の中のロナルドは、どんな時も胸を張り、背筋をぴんと伸ばしているような男だった。二人の兄が亡くなってからは、兄に代わって私を今日まで導き支えてくれた。そんな彼が、項垂れて背を丸めている。
喉元がひくり、と震え、一言だけ弱音を溢した。
「――もう少し、生きていたかったよ……」
言葉にした瞬間、蛇口が壊れたかのように涙が流れ出した。
声を殺して泣く私の視界の端に入ったのは、肩を震わせるロナルドの後ろ姿だった。
死ぬのは恐ろしいことではない。
神の御許へ帰るのだから。
グレイスにようやく会える。
エヴェリーナの側にはアルサリオン君がいてくれるから大丈夫。
私の役目は、もう終わりだ。
だが、もう少しだけ生きたかった。
娘の未来を、見届けたかった。
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