平行した感情

伊能こし餡

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第二章 思い出したくないもの

回想②

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  運命的うんめいてき出逢であいがあったわけじゃない。何か特別な出来事できごとがあったわけじゃない。
  中学に入ってすぐ、最初に星川美麗を見た時はこんな美人がこの世にいるのか、と思ったのを覚えている。まだどこかあどけなさを残したその甘美かんびな姿に、おそらく誰もがそう思ったことだろう。
「星川美麗の出身は東京らしい」 「中学に上がると同時にこっちに引っ越してきたらしい」
  すぐにそんな噂が流れた。実際僕も何度かクラスメイトとして喋ったことがあったので言葉のイントネーションや、たまに見せる貴族きぞくのような上品な素振そぶりから、その噂は確かなものであることが分かった。
  そう、僕と星川美麗はただのクラスメイトだった。席は離れていたし委員会も別だし、積極的せっきょくてきにお互いが話しかけるわけでもないし。星川美麗と距離が近いと思ったことは一度もない。
  関係が変わってしまったのは中一の冬。年が明けてすぐのことだった。


◇◇


「ねえねえ浅尾、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「なに? 何か面白いことでもあった?」
「うん、そんなとこー、だから放課後ほうかご教室に残っててほしいんだ」
「今じゃダメ?」
「いやー、それがダメなんだよー」
「なんだろう、楽しみにしとくね」
「うん!」
  星川は良いやつだ。最初東京出身って聞いたからそのことを鼻にかけるようないけ好かない奴だったらどうしようと思ってた。だが、意外と言ったらなんだがそんなことはない。決して田舎をバカにするわけでもなく、誰とでも絶妙な距離感をたもちつつ学校という空間において上位のカーストにつけた。そんな星川の誘いを断る理由はない。
  正直なところ少しうらやましかった。僕だって決してスクールカーストが低いわけじゃない。休み時間の話し相手もいるし教師からの評価もまあまあ高いはずだ。
  僕のカーストは、努力の結果だ。口下手くちべたでコミュニケーションを取るのが苦手だし、頭もそんなに良くない。容姿に気を配ったり課題を真面目に消化しょうかしたり、テストで平均以上の点を取ることで中位ちゅういのカーストに落ち着いた。
  だけど星川は見たところ特に何の努力もせずに今の地位を手にしている。誰とでも屈託くったくのない笑顔で話し、相手を頭ごなしに否定することもない。それらを何事もなく、さも当然のようにこなす星川を、僕は半ば尊敬の眼差まなざしで眺めていた。
「寒いね、外、雪降ってるよ」
「本当だ、綺麗だね」
  今シーズン初の雪が降る日、僕と星川は教室の窓から白くいろどられた世界に目をうばわれていた。
  いや、奪われていたのは僕だけだとどこかで気付いていたような気もする。九州では珍しい雪景色に奪われた僕の視界の隅で、星川が僕の方を見ているのを確かに感じていた。僕は気付いていることに気付かないようにしていた。
「浅尾、話したいことなんだけど」
  外に移ってしまった僕の視線を自分の方に戻すためか、はたまたこれから話すことを思って緊張しているのか、星川の強い口調くちょうが僕の耳に突き刺さる。
「そういえばそうだったね」
「うん」
「どんなこと?」
「私のこと・・・・・・かな」
「星川の?」
「うん」
「秘密とか?」
「まあ、そんな感じ」
「なんだろう、全然見当けんとうつかないや」
  ここでもそうだ。本当は気付いているのに、気付いていないフリをした。なんてズルい男なんだろうと自分で思う。僕にとっての初めては星川になるようだ。僕の予想が外れなければ、テレビや小説なんかでよく見る、恒例こうれいのあのが今から始まる。
「ねえ浅尾、私と浅尾ってそんなに喋る方じゃないよね」
「あー、うん、そうかも」
「二人でこうやって話すのって初めてじゃない?」
「多分初めてだね」
「私ね、浅尾って不思議だなって思う」
「僕が? どうして?」
「言っても笑わない?」
「笑わないよ、ていうか、そこまで言われるとむしろ気になるんだけど」
「確かに、そりゃそうだよね」
  さっきまで緊張がうかがえた外の景色にも劣らない星川の美しい顔は、少し本題とズレた話をはさんだことで緊張が解けたのか、何か喉につっかかっていた違和感のようなものがなくなっていた。
「浅尾ってさ、何考えてるのか読めないんだよね」
「? 人が考えてることなんて分からないでしょ」
「詳しくは分かんないよ、でも雰囲気とか仕草で相手がどういう気分か分かる時ない?」
  なるほど、言われてみると確かに思い当たるふしはある。その最たる例がまさに今だろう。僕は星川から特に何を言われたわけでもないが、星川が僕のことをどう思っているのかが分かってしまった。
  そしてこの会話の裏で、その感情に対する答えを必死に模索もさくしている。
「僕には分かんないや、星川はそれだけ人のことを見てるんだよ」
「そうかな? そういう風に思ったことはないけど」
「じゃあ今日から思えばいいさ、他の人より周りが見れてるって」
「それ私が周りを見下みくだしてるみたいにならない?」
「表に出さなければ大丈夫でしょ」
「じゃあこれ言うのは浅尾だけにしとく」
「僕にはいいんだ?」
「うん、いいよ」
「なんで?」
「なんででも」
  そう言って照れたように笑った星川の顔は、外の銀世界ぎんせかいよりも、美しかった。
  そう、『美しい』。常に誰かに笑顔を向けながら、誰のものにもならない星川にこの上なく相応ふさわしい言葉だと思う。
  冬の日照時間にっしょうじかんの短さがこれほど憎く思えたことはない。できることならこのまま本題には入らずダラダラと無駄な時間を過ごしていたい。あの星川と仲良くなれた、僕にはそれだけで十分過ぎるほど今が有意義ゆういぎな時間になっている。
「浅尾」
  星川が僕を呼んだその声、そのトーン、その眼差しが、この時間の終わりが近いことを示していた。ああ、嫌だ。できればこのまま星川とは友達でいたい。
  僕を真っ直ぐに見つめる目を見つめ返せずに、ついつい目線を逸らした。
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