平行した感情

伊能こし餡

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第二章 思い出したくないもの

回想⑤

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「ふーん」
  星川が告白されたと言う話を聞いても僕は自分でも不思議なほど冷静だった。星川ほどのビジュアルを持っていれば至極しごくもっともな話だし、皆が恋心こいごころを抱き始めるこの時期に星川がその対象に上がらない方がおかしい。
「ふーんって・・・・・・もうちょっとビックリするかなと思ったけどな」
「だって星川ほど綺麗な顔してたらそりゃ納得するよ。で、相手は?」
「2組の山内って知ってる?」
「山内? 一応名前くらいは知ってるよ」
  あのイケメン野郎か。知ってる知ってる、特に良い印象も悪い印象もない。いて何か覚えてることをあげるとすれば、バスケ部のレギュラーだという噂を聞いたことくらいだ。
「山内、私のこと好きなんだって、あんまり話したことないのにおかしいよね」
  それを言うなら僕と星川もそんなに話したことなかった気がするけど、そこはあえてスルーしよう。
「そう? 別段おかしい話でもないと思うけど」
「でも私、急にそんなこと言われてさ、今まで何も意識したことなかったのに山内のことどう見ていいか分かんないよ」
「その気持ちはまあ、なんとなく分かるけど」
「どう返事していいかも分かんない。断ってギクシャクするのは嫌だし、好きでもない人と付き合うのも嫌」
  いつも皆に見せるような笑顔とはまるで別人のような、感情の存在しないロボットみたいな無表情で星川は続けた。
「人から好かれるのって大変なんだね」
  無表情から今度は一転、物憂ものうげな表情に変わり、星川のほほを何かが流れた。
「浅尾、ごめんね。好かれるのがこんなに変な気持ちになるって私知らなかった。他人から好かれると嬉しいものだと思ってた。例え相手がどんな人でも、好きって言われたら嬉しいと思ってた。喜ぶと思ってた。きっと告白された日はウキウキして、ドキドキして過ごすんだと思ってた。でも、違うんだね。本当は全然嬉しくなんかないし、ドキドキもしない。心にモヤモヤした感情が溜まっていくだけなんだね」
  そこまで一息に言ってしまった星川は「ふぅ」 とため息をついて、それから何度か深呼吸を繰り返した。
  まだ話は続くのかと思い、星川が話し出すのをしばらく待っていたが、さっきので終わりなのかそれとも言いたいことはあるのに考えがまとまらないのか間の悪い沈黙ちんもくが流れるだけだった。
「僕は別に気にしてないよ」
  口から飛び出た言葉をすぐに後悔した。星川をおもんばかって言った一言は、もっと他に言い方があったんじゃないかと思う。まるで、星川の告白自体を気にしていないような言い方をしてしまった。
  一応言っておくが、気にしていないわけではない。
  あの告白がきっかけになって僕から星川に積極的に話しかけるようになったし、いつかはちゃんと責任を持って星川の告白に返事をしようと思っている。
  でも、それだけだ。
  僕は結局、あれから数ヶ月もの時間がありながら星川を、いや、他人を『好き』 だという気持ちが分からなかった。
人気の恋愛映画を見ても、愛をうたう小説を読んでも、最愛の人にささげたであろう歌謡曲を聴いても、同級生の告白の文言もんごんを聞いても僕はちっとも共感できなかった。それどころか、なぜそんなに一人の人間に執着しゅうちゃくするのかと嫌悪感さえ覚えた。
「星川は告白されて嫌だったの?」
「うーん、嫌って言うわけじゃなかったんだけど、なんか、思ってたよりも何も感じなかった、かな」
「そっか」
  なぜ星川がさっき涙を流したのか、その理由が分かった気がする。
  星川が僕に告白してきて数ヶ月、多分星川は僕の心境しんきょうに大きな変化があることを願っていたはずだ。それが、実際に自分が告白されたことでそういったものがないことが分かった。それによってこの数ヶ月の間抱いていた願いは無駄だったという結論に行き着いた。
  少し自意識過剰な気もするが、大体こんなところで合ってるだろう。
「あのさ、その、山内と付き合うの?」
「多分付き合わない、かな。好きでもないのに付き合っても山内に失礼だしね」
「ああ、まあ、そうだね」
「やっぱ断ろ」
  自分自身に言い聞かせるようにそう言った星川の横顔を見て、なにか、物凄い不安が襲いかかってきた。
  もし、もしこのまま星川が僕のことを好きなままで、僕も星川を好きになれなかった時、星川はこの先も告白を断り続けるんじゃないか。僕がハッキリしない限りずっとずーっと断り続けるんじゃないか。
  星川の美しさは二年生に進級してから磨きがかかっている。出逢った頃、まだ多く残っていたおさなさは影を潜め、この時期特有の、子供から大人になる過程かていでのえも言われぬ凄艶せいえんさをかもし出していた。きっとこれほどの美貌びぼうがあればこれからも数ヶ月に一度、いや、もしかしたらそれ以上の頻度で男子から好意を寄せられるであろう。
  ・・・・・・もしかしたら星川はそれらを全て断るんじゃないか。断って、断って断って断って断って・・・・・・。そうして彼女は、ひとりになるんじゃないか。
  僕の、せいで。
  僕がハッキリ答えを出さないから。
  いや、答えはもう出ているはずだ。
  今の僕では星川の気持ちに応えることは出来ない。
  それを僕は、星川との関係が壊れるのが怖くて、ずっと気付かないフリをしていた。
「そろそろ、ハッキリしないとな」
「え? なんて?」
「なんでもないっ」
  そう言って、コンクリート背に背に写して寝転がった。冷たいコンクリートの感触が背中から頭まで駆け上ってくる。
「今日は空気が澄んでるね、星が綺麗だ」
  あれだけ色々考えながらも、まだそういう情緒じょうちょを感じるだけの余裕はあったらしい。我ながら少し可笑おかしくなった。
「本当?」
  星川も僕と同じように寝転がって星を眺め始めた。「本当だ、すごく綺麗に見える」 正直、適当に言っただけでそんなに綺麗な星空とは思わないが一年とちょっと前まで東京にいた星川には、この片田舎かたいなかの星空がとても大きく見えたようだ。
「記念に撮っとこ」
  パシャりと、携帯のカメラのシャッター音が聞こえた。
「何の記念だよ」
「星が綺麗だった記念」
「なにそれ」
「おかしい?」
「おかしくはないけど」
  さあ、星川との関係にも決着をつけよう。この数ヶ月、悶々もんもんとした気持ちで過ごしてきたであろう星川に、しっかり謝ろう。
「星川」
「うん?」
「ごめん、僕は星川のこと好きになれない」
「・・・・・・・・・・・・うん、知ってた」
「ごめん。星川、ごめん」
「そんなに謝んないでよ、私は結構楽しかったよ。浅尾が積極的に話しかけてきてくれたし、まあ、ちょっと、夢見ちゃったのは事実だけど・・・・・・。でも楽しい夢だったから良かったよ」
  まるでこの時のために練習してきた言葉をなぞるように、星川はスラスラと言ってのけた。星川がスラスラ言ってしまった分、余計に僕の心が苦しめられた。
  そんなに、事前に察せてしまうくらいに、僕のこの数ヶ月は無意味なものだったのか・・・・・・。
「何ヶ月も待たせてごめん。でも、これが今出せる僕の答えなんだ」
「分かってる。分かってるよ、浅尾」
  それは僕に言ってるんだろうか、それとも自分に言い聞かせているんだろうか。
「星川、山内と付き合ってみたら?」
「え⁉︎ どうして?」
「僕、まだ人を好きになったことがないんだ。だから星川の気持ちにも応えられなかったわけだけど。でも星川は僕と違って人を好きになったことがあるでしょ? だから、近くで好かれてたらいつか山内の気持ちにも応えられるんじゃないかなって思って」
「うーん・・・・・・」
  パシャりと、またシャッター音が聞こえた。おいおい、僕の話聞いてたよな? そんな星空なんていつでも撮れるだろうに。
  もしここで星川が山内を断ると、この先もずっと他人の好意から避け続けるかもしれない。
  今の僕を動かしてるのはそういう不安ふあんという一つの感情だ。星川の人生を僕のせいで狂わせてしまったらどうしよう・・・・・・。少し大袈裟おおげさかもしれないが、なんとなくそうなる予感がある。
「じゃあ、付き合ってみようかな」
  さっきまで断るつもりとか言っていた割に、星川は案外すんなりと僕の提案を受け入れた。あまりの気持ちの変わりように、提案した僕の方がタジタジになってしまうほどだ。
「う、うん。その方が良いよ。この数ヶ月は無駄になってしまったけど」
「あ! じゃあさ」
  視界のはしで、星川が体を起こし僕の方を見据みすえるのがしっかりと分かった。声のトーンからしてちょっと楽しそう? かな。
「じゃあ美麗って呼んでよ、私も蓮って呼ぶから。私たちが、他の人よりちょっとだけ仲良いあかし。そうしたら浅尾も私も無駄な時間なんて過ごしてないことになるよね? ね?」
「うーん・・・・・・」
  呼び方一つで僕が許されていいんだろうか? しかし、他ならぬ星川自身がそう言うんだから、あまり気にすることもないのか。
「分かった。美麗って呼ぶようにするよ」
  それで僕が許されるのなら。
「うん。よろしく、蓮」
  星川ーー。いや、美麗は慣れない名前呼びで恥ずかしいのか、ほほきながら照れくさそうに「蓮」 と繰り返した。
  僕はというとそこまで恥ずかしくない。今まで『星川』 と呼んでいるのを『美麗』 と急に変えたのだから、多少の違和感はあるが恥ずかしいかと言われるとそうでもない。
  美麗、か。たいあらわすとはよく言ったものだ。
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