平行した感情

伊能こし餡

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第三章 女の涙

かきあげた髪

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 「二年一組はどうですか? こちらで手配すべきようなものはありますか?」
「んー、うちは特に何も無いです。去年喫茶店をやった人間も半分くらいいますし、準備も順調じゅんちょうです。廊下側の窓に使う予定の暗幕もこの前借りた分で丁度良かったです」
「なるほど、ありがとうございます。次、二年二組はどうですか?」
  文化祭が半月後に迫った実行委員の定例会。この時期になるとやる気のあるクラスとそうでないクラスの差がハッキリしてくる。うちのクラスはそこまでやる気がある方でもないので、特に準備という準備もなし、実行委員の僕からすると楽なことこの上ない。
  そもそも実行委員を僕に押し付ける時点でうちのクラスのやる気がないのなんて分かりきったことで、何もうれうことなどなかった。
  だが劇なんかに決まっているクラスは大変だ。配役や衣装はともかく、照明や舞台装置の確認までしなきゃいけないし、つくづく劇じゃなくて良かったと思う。
  来年は三年生になって文化祭の出し物からは解放されて参加するだけになる。だから実質じっしつ、今年が最後の文化祭みたいなものだ。
  だからと言って楽しめるわけでもない。そりゃ、何のしがらみもなければ僕だって楽しもうと努力はする。だけどその『しがらみ』 が僕にはあるわけで、当日は受付やらなんやらで文化祭を楽しむ余裕はないだろう。
  全ての実行委員が自クラスの進捗しんちょく状況を報告し終えた。いつも通り仲村さんがちょっとした挨拶をして、今回の定例会は終わりだろう。
「本日の定例会は終了とします。皆さん、文化祭まで残り二週間を切りました。今年は例年にないほどの良いペースで準備が進んでいると先生方から伺いました。これも全生徒、特に各クラスの実行委員である皆さんの力が大きいと私自身、ひしひしと実感しております」
  うん、いつも通り、丁寧過ぎるくらい丁寧な挨拶だ。視聴覚室の一部から「まどかちゃんのおかげだぞー」 などとヤジにも似た声が飛ぶ。国会かここは。
「ありがとうございます。ですが私は何もしていません。皆さんが各クラスを見事にまとめてくれているからこそ、順調に進んでいるものだと思います。このペースを維持し、必ず文化祭を成功させましょう」
「おー!」 とあちこちから声が上がる。文化祭がもうすぐに迫っていることもあってか、実行委員たちの顔はどことなく引き締まって見える。
  仲村さんの「ありがとうございました」 の声が視聴覚室に響くと一人、また一人と席を立って行った。仲村さんもその流れに乗るように視聴覚室を後にしようとしていたので、敷居をまたぐ直前に呼び止めた。
「仲村さん、ちょっといい?」
「どうかされましたか?」
  仲村さんの顔が、何か悪いことでもしただろうか、とでも思っているかの様にゆがむ。
「別に大した話じゃないんだけどさ、時間ある?」
「今日は特に予定もないですし、大丈夫です。場所を移しますか?」
「うん、ここじゃ落ち着いて話も出来ないし、どうせだし駅まで歩きながら話そうか」
「私はいいですけど浅尾先輩、駅は逆方向では・・・・・・?」
「僕も予定なんてないし、今日はゆっくり帰るとするよ」
  「そういうことなら」 と仲村さんが頷き、それぞれ教室に戻ってどちらから言うでもなく玄関で合流した。


◇◇


「この前備品の数を数えに体育館に入った時にちょっと見たよ、仲村さんのところの劇」
「本当ですか? どうでした?」
  学校から駅まで、歩きだと大体十分くらいだろうか。普段こっちの道は歩かないからそこら辺の木々や建物がやたら新鮮に目にうつる。
「正直に言うけど、文化祭で人が死ぬような劇はちょっとね・・・・・・。みんな演技に力入ってたから今更演目は変えれないだろうけどそこは直した方が良いんじゃないかな」
  そう言うと仲村さんは視線を宙に浮かして髪をかきあげた。その何気なにげない仕草に少しだけ、星川美麗を思い出した。なんでこんな時にまであいつのことを・・・・・・。もうこれは一種の呪いだな。
「そうですか? ・・・・・・うーん、私は結構好きなんですが」
  そう言って仲村さんはまた一拍いっぱく置いて話し始めた。
「そもそも、あの台本は都会の方の劇団からお借りしたものですし、大幅な改変かいへんはできないと思います」
「へ、へえー。よくそんなもの借りれたね」
「はい、舞台女優を目指している子がクラスにいて、その子がたまにそこの劇団に手伝いなどでお世話になるらしいんです。まあ、その子のツテでたまたま借りれたようなものですよ」
  舞台女優を目指してる子・・・・・・。この前の一人だけ声量が凄かった子のことかな? 確かに少し覗いただけでも明らかに他の生徒とは違うレベルで演技をしていた。
「それとも、あまりあの内容は好きではなかったですか?」
「それは、まあ・・・・・・」
  僕が覗き見したのはほんの一部で、劇全体の流れなんかはまったく把握はあくしていないも同然だ。だから劇全体の内容が気に入らなかったというわけではない。
  わけではないのだが、今僕が仲村さんに苦言を呈したのはまさに『人が死ぬ』 という内容に対してなわけで・・・・・・。なんて不毛な考えを頭の中で繰り広げていたら、どっちとも言えない微妙な答え方になってしまった。
「私は結構好きですよ、ああやって見てる人も一緒に考えられるテーマって文化祭みたいな色んな層が来る舞台にピッタリだと思いますし」
「まあ、言われてみれば・・・・・・」
  仲村さんの言うことは理にかなっているような気もする。
「それに、あの物語は最後に主人公の女の子は愛する人に『愛してる』 って言って生涯を終えるんですよ、なんだか素敵じゃありませんか?」
「でも仲村さん、人を好きになったことなかったんじゃないっけ?」
  それとこれとは別だろう、と自分に言い聞かせながら少し意地悪な質問をした。しばらく待っても返事がないので仲村さんの方を見ると、ムッとしたような表情で僕の方をにらんでいた。
「確かに、その通りですけど、でも私だって女子ですから、将来は結婚して子供を産んで家庭を持ちたいです」
  しまった。
  触れてはいけない部分だったか。
「なんかごめん」
  でもこの前仲村さんからそのことを言ってきたよな? なんで僕は怒られてるんだ。
「浅尾先輩は何かありますか? 最期に残したい言葉」
「僕? 僕は・・・・・・・・・・・・ない、かな」
  今から考え始めたところで、どうせ死ぬ頃には忘れてる。
「そんなの考えたところでいざ死ぬ頃には忘れてるんじゃないの」
「あら、先輩も確実に天寿てんじゅまっとうできると考えている人ですか?」
  これは劇中でもあったセリフだ。仲村さんめ、僕で遊んでるな。
「今の世の中、よっぽどのことがない限りは全うできると思ってるよ」
「まあ、実際私もそう思います」
  そう言ってクスクスと笑ってみせた。なんだろう、遊ばれてることに少しイラっとする。
「そういえば仲村さんは? 最期に言い残したい言葉とかあるの?」
  もう少しで駅にも着くので、適当な話題を出して終わらせよう。仲村さんは「私ですか?」 と僕に聞き返し、数瞬すうしゅん空を見上げた。
「・・・・・・私も、誰かに『愛してる』 って言って死にたいですね」
  恥ずかしそうに頬をかきながら聞こえるか聞こえないかくらいの小声で答えた。その女子らしい仕草は先の言葉の信憑性を解くのにこの上ない説得力がある。
「じゃ、じゃあ私、もう電車の時間なので今日は失礼しますね、先輩、文化祭までもう少しですし頑張りましょう」
「あ・・・・・・」
  早口で言いたいことだけを言い残して駅のホームへと消えて行ってしまった。
「愛してる、か・・・・・・」
  一人残された駅前でポツンと呟いた。僕がその言葉を言える日は、いつか来るのだろうか。
  不毛ふもうな悩みを抱えながら一歩、また一歩と元来た道を帰り始めた。
  放課後にしか見られない茜色に染まるこの道を、いつか懐かしく感じるんだろうか。普段は歩くことのない駅までのこの道を、いつの日か歩く時にこの時間を思い出すんだろうか。
  夕焼けに肌を染めながら長い髪をかきあげた仲村さんの綺麗な顔は、いつかセピア色に染まるのだろうか。
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