平行した感情

伊能こし餡

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第三章 女の涙

間接キス、意識する?

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  そして迎えた、文化祭当日。
「前配ったプリントの通り、皆さん配置にお願いします。常に連絡が取れるように携帯は肌身はだみ離さず持っていてください」
「はーい」
  仲村さんの声に実行委員の生徒たちが反応する。今年が初参加の一年生はもちろん、二年生の実行委員も緊張した面持ちだ。「解散」 の声と同時に各員配置に散っていった。
  僕もいつもより早足気味に担当となっている校門の受付のところまで歩く。受付と言っても、来場者一人一人に名前を書いてもらうようなことはしなくていい。校内の案内図や舞台のプログラムのプリントなどを、欲しい人に配るだけだ。この仕事は去年も経験しているので、僕はこの担当になった時、ひそかに安堵あんどした。
  校門に張ってあるテントの中の椅子に座って、ふぅ、とため息をつく。
  去年もここでまったく同じため息をついた気もする。人間の行動って変わらないなあ。意図いとせず笑いがこみ上げてきた。
「すみません、学校の案内図が欲しいのですが・・・・・・」
「え? あ、はい、こちらです。どうぞ」
  早速、メガネをかけた細身の男性が話しかけてきた。四〇代くらいだろうか、首元のしわが目に入った。
「ありがとうございます。あの、この案内図通りだと二年一組はあそこの階段を上がってすぐで合ってますか?」
  二年一組は僕のクラスだ。誰かの親だろうか? いや、誰かの親なんだろうな。見た目の年齢的にも僕の親とそう変わらないくらいだし。歳下と分かりきっている僕にも敬語を使うあたり、とても律儀りちぎな人みたいだ。
「そうですね。二年一組は喫茶店をやってるみたいです。是非行ってあげてください」
  そう言って誰かのお父さんであろう人を見送る。自分のクラスなのにどことなく他人事な僕の説明を思い出すだけで笑いそうになる。
  受付の仕事は文化祭が始まってすぐは結構忙しい。さっきみたいな親御おやごさんや、他校の生徒なんかもたまにやって来るので、声をかけられる度に案内図やプログラムを配布する。まあ、忙しいとは言っても楽な仕事なことに変わりはない。
「お兄さんカッコイイね~! どこの出身?」
  ・・・・・・逆ナンされることもしばしばだ。


◇◇


「よー! 浅尾! 頑張ってんじゃん!」
  開始直後のピークも終わってゆっくりしているところに船井が声をかけてきた。
「船井、喫茶店はどうしたんだよ」
「俺は今休憩中ー、お前が書いたシフトだろ?」
「そうだったっけ?」
  そういえば一昨日そんなもの書いたなあ。めちゃくちゃ適当に書いたから誰がどの時間に休憩とかまったく把握してないけど。
「そういえば開店してすぐにお前にお客さん来てたぜ」
「僕に?」
  一体誰だ? 親・・・・・・はこういうイベントには顔を出すタイプじゃない。中学の時の同級生とか? でもそれだったら船井があんな言い方するわけないよな。いやそもそも知り合いが来ていたのならここを通る時に分かるはずだ。
「まあ、お前がいないって分かったらコーヒーだけ頼んでサッサと出て行ったけどな、親戚のおっさんでも来てたんじゃねえの?」
「えぇー? 誰だろう?」
「知らねー。あ、俺三組で焼きそば買うけど浅尾もいるだろ?」
「あー、頼む。お金は後でいい?」
「今日はいいよ、俺のおごりで」
「本当に? じゃあ、お言葉に甘えて」
「おう! じゃあまたな!」
  船井を見送り、パイプ椅子に腰を下ろした。
  僕へのお客さんって本当に誰だろう。そもそも、悲しいことに知り合いは一人として僕の前を通っていない。学校に入る際、必ず僕の前を通るはずなので気付かないということはないはずなのだが・・・・・・。
  まあいい。きっと見落としただけだろう。開始直後のピークの時に僕のところに寄らず素通りしていったのかもしれない、きっとそうだ。


◇◇


「蓮、お疲れー」
  正午を知らせる鐘が鳴り、船井から貰った焼きそばをお昼ご飯にしてすすっていたところ、美麗が冷やかしにやってきた。
「美麗、暇なの?」
「うん、私はもう何もしなくていいから遊びにきたよ」
「二組はお化け屋敷だっけ?」
  暗幕手配するの大変だったなあ。文化祭の定番とは言え、意外と準備が面倒なんだ、あれ。
「うん、私の役は午前で終わり」
「いいなあ、僕はまだ終わりが見えないよ」
  目の前に積まれたプリントの山と手に持った焼きそばを交互に見ながら水を一口飲んだ。
「あと四時間もすれば終わるでしょ、実行委員頑張ってよ」
「それ応援してるの?」
「してると思う?」
「思わない」
「当たりー」
  ですよねー。どうせせっかくの文化祭だってのにここから動けない僕を茶化ちゃかしに来たんだろ。そういえば去年も同じ感じで美麗も田中も遊びに来た記憶がある。
  だがまあ残念なことに文化祭だからってはっちゃける気もないし、なんなら今すぐ隕石いんせきが落ちてきて文化祭が中止になったっていい。
「そういえばこれ蓮に差し入れ」
  そう言って美麗が差し出したのはブラックの缶コーヒーだった。
「僕ブラック飲めないんだけど」
「あれ? そうだっけ? 私は飲めるんだけどなあ」
  そんな苦いだけの代物を誰がこのんで飲むものか。美麗と違ってお子様舌なんだよ、悪いか。
「じゃあせっかくで悪いけどそれは美麗が飲みなよ」
「えー、百三十円は痛い出費だったなあ。あ! じゃあ代わりにこれあげる」
  缶コーヒーを自分のポケットに引っ込めて、代わりにまだあまり減っていない炭酸飲料を取り出した。透明な泡が、揺れた衝撃で音を立てて弾けたのがまだ買ってからあまり時間が経っていないことを知らせた。
「いやー・・・・・・。それは悪いよ。美麗が飲んでたやつでしょ?」
  一応、念のため、美麗の飲みかけであることを確認する。これでもし他の誰かのだったらたまったもんじゃない。それにもし美麗のだったとしても、間接キスになってしまうのがどことなく嫌なのでそれを理由に断ろうという魂胆こんたんだ。
「大丈夫! 私のだから! あ、それとも私と間接キスするの、嫌?」
  くっ。こいつはいつも僕の思考を読んでいるかのように一手先を潰してくる。その才能を活かして棋士きしか何かを目指した方が良いんじゃなかろうか。
「べ、別にそんなんじゃない」
  頭の中を見透かされたかのような美麗の物言いに、反射的に否定してしまった。
「だよねー、今更そんなの気にするような年頃でもないしね」
「・・・・・・そうだね」
  いやいや、気にするような年頃じゃないか? しかも同性ならともかく異性ってそりゃ恋愛意識のない僕でもバリバリに気にするよ。
  やっぱりこいつはどこか他の人間とはズレてる。だがしかし、当の本人が気にしないと言うのだ。僕も気にしないことにしよう。
「あ、こんな時間だ。私一年生の劇見て来るからまたね、蓮」
  言葉につられて腕時計に目を落とすと、午後の部の開始五分前を指していた。
「ああ、後で感想聞かせてね」
「うん! また!」
  飲みかけの炭酸飲料を僕の目の前に置いて、足早に体育館の方へと歩いて行った。
  ・・・・・・業務に戻るが、やけに時間が進むのが遅く感じる。あんな奴でも、いなくなると寂しいもんだな。
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