もし、僕が、私が、あの日、あの時、あの場所で

伊能こし餡

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私の場合

"彼"が来る前の話

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「後悔?」

  その女性は目をしばたいて私と周りの風景を見比べた。ここはどこだろう、私は死んだはず。女性のそんな思考が私の中までも伝わってくる。まあ、普通だ。

「ええ」

  日本では営業スマイルというのだろうか、本心でのガッカリさを表に出さないように笑顔で、笑声えごえで語りかける。

「あなたの人生で、何か後悔したことはありませんでしたか?」

  私が一言、二言と言葉をつづるごとに女性が不機嫌になっていくのが分かる。
  なんだ? 後悔というより怨念のたぐいなのか?

  いつものように鮮明に思考を読み取れないことから、死んでからも相当自我が強いのだけは分かる。もっとも、こういう人間は何をしでかすか分からないからあまり相手をしたくはないのだが・・・・・・。

「後悔はないか? ですって?」

  女性は私に聞き返すがやはり不機嫌なままだ。一体何がそこまで嫌なのだろう。

「人間は後悔で出来てるのよ」

  全てを悟ったように薄ら笑いを浮かべる女性に、私は存在が始まって初めて鳥肌が立つような感覚を覚えた。それと同時にこの女性の脳にこびりついている化け物のような後悔の念が私に入り込んでくる。

  私は一体なにと対峙しているんだろう?

  少し強く握れば壊れそうな腕の細さ、上から叩けば潰れてしまいそうな華奢きゃしゃな体。私が戦慄するにはあまりに不釣り合いな体躯だ。それでもおののいてしまうのは私が思考を読めるからに違いない。その一点のみが私に緊張を与える。この女性は一体何者なんだ? と、誰も存在しない虚空に向かって叫びたくなるほどのおぞましい後悔の念。

「ねえ、あなたには一体何ができるの?」

  女性は私に向かって問いかけてきた。

  ここはどこ? でも、あなたは誰? でもなく、『あなたには何ができるの?』 と。 この時点でもう既にこの女性が今まで相手をしてきたどの人間とも違う、特別な人間であるということが確定した。

「そうですね、『何が』 というと厳密には何もすることは出来ませんが・・・・・・」

「強いてあげるとすれば、あなたの後悔を晴らす手伝いが出来ますね」

  一瞬。

  ドス黒く女性の心を覆い尽くした後悔が私の喉元へと牙を剥いた。

  ような突き抜ける感覚が私を襲った。おかしい。この女性は、あまりにもおかしい。今までだって我が強い人間は何人もいた。それでも二言ふたこと三言みこと話すうちに私への警戒心を弱め、私はその人間の思考を完全に読み解くことができたのだ。この女性は、それが全く見えない。思考を読み取れたのはここに来て数秒、まだ我が弱いうちのみだ。それ以降は、まったく女性の心の中身が見えない。

「私は」

  私がそうやって戸惑っていると、女性は口を開いた。私の喉元に突きつけられた牙はどうやら引っ込んだようだ。

「私は好きな人と結婚して、子供を産んで、病気で死んだ。寿命までは生きられなかったけど、幸せだった。いや、幸せだと言い聞かせるしかなかった。だって私は・・・・・・私は、一番大事な人に、別れの挨拶も出来なかった。当たり前のように次の日も会えると思って、ろくなことも話さなかった。まさか・・・・・・あの日が人生で最後に話せる日になるなんて、思ってもみなかった。私の、とてもとても大事な人。何気なく会ったあの日を最後に連絡も取れなくなったあの人、私は本当はその人のそばに居たかった。もちろん、結婚した人も大事な人だけど、でも、結婚したからってその人が一番好きだとは限らないでしょう? 私はもう一度あの人に会いたい。きっとあの人もあの後会わなくなって後悔してると思う。だから、あなたが私の手伝いをできると言うなら、私をあの日に連れて行って! お願い・・・・・・もう一度、あの人に会わせて・・・・・・」

  女性は話しながら私の方へとにじみ寄り、最後に言い切る頃には私とほぼゼロ距離になるほどまで近づいていた。最後は泣きながら私に訴えかけてきた。

  その涙はどういう感情だ?

  腹の中の興味をグッと抑える。落ち着け。今はこういう時の決まり文句を言うだけだ。

「もちろん、お手伝いしますとも」

  女性は「ありがとう」 と言って光に包まれて消える・・・・・・はずだった。なのに消えない。おかしい、おかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい!

  一体この女性は何なのだ⁉︎ まったく、最近は興味が尽きないことばかりが起こる! 一体何が彼女をそこまで掻き立てる⁉︎

「ねえ、お手伝いが出来るのならお願いがあるんだけど・・・・・・。さっき言ってた彼、私が死ぬ一ヶ月前に交通事故で亡くなってるの。きっと彼にも後悔があると思うから、出来れば彼の手伝いもしてあげてほしいな」

  交通事故か・・・・・・。交通事故で亡くなった場合はたまに記憶が消えて自我が保てなくなってる場合もある。そうなると、この生と死の狭間で探すのは難しい。自我がない魂はいずれ自然消滅するようになっているから、もしかしたらもう手遅れかもしれない。

  しかし、ここまでくれば答えは一つだ。

「分かりました。探してみましょう」

  さっきの自分語りから、女性の思考が少し読み取れるようになってきた。その『彼』 の容姿や名前などの最低限の情報は手に入った。

「ありがとう。お願いね」

  目尻は下げず、口角だけ上げてそう言い、女性は消えた。『彼』 か・・・・・・。どうせ時間は無限にある、探してみるか。
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