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2章 異国[羈旅( きりょ)]編
2-1 喪失感
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黒い影は闇を鋭く切り裂いて、空中に投げ出されたイレインの身体の下に滑り込んだ。大きな翼がイレインの身体を支える。
(――――鳥?!)
次の瞬間、真上から力の奔流に叩きつけられた。二つの影はあっという間に激しい流れに呑み込まれ、もつれあうようにして闇の中へと落ちて行った。
そして、どのくらい時が経った頃か。草地に二つの身体が投げ出されている。一つは少女――もう一つは青年である。少女の手がぴくんと動いた。
日差しに照らされて、その瞼がゆっくりと開く。さらりと風が髪をひと撫でして通り過ぎた。何度かまばたきを繰り返した後、少女は半身を起こした。
身体にはどこにも怪我も痛みすらない。それどころかどこも濡れていなかった。イレインが落ちたのは滝のようだったが、水の中に落ちたわけではなかったようだ。ひと通り、自分の体を確認した後、辺りを見回した。
当然だが、ここは元いた場所ではない。森も、あの神を祀った岩場もない。ヘイルの里のみんなも――リヴィエラの姿も、気配すらない。
嘘のようだが…本当に別の世界に来てしまった。その事実を上手く飲み込めず、イレインはどこか他人事のように思った。心の中には、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったかのように喪失感が占めていた。
「う………ん」
小さな呻き声を耳に拾って、イレインははっと我に返る。周辺を見回すと、小高い茂みの中に倒れ込む人影を見つける。茂みを搔き分けると、そこによく見知った人物が横たわっていた。
「――ランド…!」
イレインはその体にそっと手をかけて優しく揺さぶった。
「ランド――ランド」
何度か声をかけられて、青年の身体がぴくっと反応する。閉ざされた瞳がうっすらと開き、明るい茶色の瞳が現れた。その眼差しがイレインを見上げた後、まるで夢から醒めたようにぼんやりと辺りを見回した。
目覚めたランドを見て、イレインの全身からホッと力が抜けた。同時にイレインは先ほどまでの虚ろな気持ちが嘘のように、感情が取り戻されるのを感じた。
火吹竹で息を吹き込んだかのように、熱い空気の塊がぐうっと体の内側から膨らんでくる。怒りだ。
「なんでっ!!―――ランドがここにいるの?!」
そう思った時には身の内で、怒りが爆ぜた。洞穴の闇の中に飛び込んできたのは、大鷲に変幻したランドだった。
「…どうして。どうして追いかけてきたの?! もう戻れないんだよ?」
通った道は力の滝だった。あの道を逆にたどることは不可能だ。それはもう元いた場所に戻れないということだ。そう決定づけられたイレインはともかく。
「なんで、ランドまで……っ」
故郷をなくし、大切な人と離れ、平穏な日常を失う――こんなのは自分だけでたくさんだ。そう思ったとたん、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
一度堰を切った涙は簡単に止まらなかった。ランドの前で泣くつもりなどなかったのに。
ぽっかりと空いた心の穴を埋めるように、イレインの脳裡にリヴィエラの姿が、我が家が――さらに昨日飲んだお茶の香り、ほのぼのと明ける窓からの朝の眺め、里に続く小径、学びの庭で何度となく通った滝津瀬のそばの泉など、とりとめもなくさまざまなものが次々に浮かんでは消えていく。
どれもイレインにとって大切なものだった。同じものをランドに捨てさせてしまった。いや親兄弟のいるランドの方が失ったものは多いかもしれない。
申し訳なさが先に立つのに、心のどこかでここにランドがいることにホッとしている自分もいる。
驚きや悲しみ、そして罪悪感、そこに一抹の安堵とさまざまな感情がないまぜになって襲いかかり、イレインはどうすればいいのか分からなかった。
「う、うう――――う―――…」
もはや声を押し殺すことも出来ず、失ったものを想ってイレインは声を詰まらせながら泣いた。
(――――鳥?!)
次の瞬間、真上から力の奔流に叩きつけられた。二つの影はあっという間に激しい流れに呑み込まれ、もつれあうようにして闇の中へと落ちて行った。
そして、どのくらい時が経った頃か。草地に二つの身体が投げ出されている。一つは少女――もう一つは青年である。少女の手がぴくんと動いた。
日差しに照らされて、その瞼がゆっくりと開く。さらりと風が髪をひと撫でして通り過ぎた。何度かまばたきを繰り返した後、少女は半身を起こした。
身体にはどこにも怪我も痛みすらない。それどころかどこも濡れていなかった。イレインが落ちたのは滝のようだったが、水の中に落ちたわけではなかったようだ。ひと通り、自分の体を確認した後、辺りを見回した。
当然だが、ここは元いた場所ではない。森も、あの神を祀った岩場もない。ヘイルの里のみんなも――リヴィエラの姿も、気配すらない。
嘘のようだが…本当に別の世界に来てしまった。その事実を上手く飲み込めず、イレインはどこか他人事のように思った。心の中には、ぽっかりと大きな穴が空いてしまったかのように喪失感が占めていた。
「う………ん」
小さな呻き声を耳に拾って、イレインははっと我に返る。周辺を見回すと、小高い茂みの中に倒れ込む人影を見つける。茂みを搔き分けると、そこによく見知った人物が横たわっていた。
「――ランド…!」
イレインはその体にそっと手をかけて優しく揺さぶった。
「ランド――ランド」
何度か声をかけられて、青年の身体がぴくっと反応する。閉ざされた瞳がうっすらと開き、明るい茶色の瞳が現れた。その眼差しがイレインを見上げた後、まるで夢から醒めたようにぼんやりと辺りを見回した。
目覚めたランドを見て、イレインの全身からホッと力が抜けた。同時にイレインは先ほどまでの虚ろな気持ちが嘘のように、感情が取り戻されるのを感じた。
火吹竹で息を吹き込んだかのように、熱い空気の塊がぐうっと体の内側から膨らんでくる。怒りだ。
「なんでっ!!―――ランドがここにいるの?!」
そう思った時には身の内で、怒りが爆ぜた。洞穴の闇の中に飛び込んできたのは、大鷲に変幻したランドだった。
「…どうして。どうして追いかけてきたの?! もう戻れないんだよ?」
通った道は力の滝だった。あの道を逆にたどることは不可能だ。それはもう元いた場所に戻れないということだ。そう決定づけられたイレインはともかく。
「なんで、ランドまで……っ」
故郷をなくし、大切な人と離れ、平穏な日常を失う――こんなのは自分だけでたくさんだ。そう思ったとたん、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
一度堰を切った涙は簡単に止まらなかった。ランドの前で泣くつもりなどなかったのに。
ぽっかりと空いた心の穴を埋めるように、イレインの脳裡にリヴィエラの姿が、我が家が――さらに昨日飲んだお茶の香り、ほのぼのと明ける窓からの朝の眺め、里に続く小径、学びの庭で何度となく通った滝津瀬のそばの泉など、とりとめもなくさまざまなものが次々に浮かんでは消えていく。
どれもイレインにとって大切なものだった。同じものをランドに捨てさせてしまった。いや親兄弟のいるランドの方が失ったものは多いかもしれない。
申し訳なさが先に立つのに、心のどこかでここにランドがいることにホッとしている自分もいる。
驚きや悲しみ、そして罪悪感、そこに一抹の安堵とさまざまな感情がないまぜになって襲いかかり、イレインはどうすればいいのか分からなかった。
「う、うう――――う―――…」
もはや声を押し殺すことも出来ず、失ったものを想ってイレインは声を詰まらせながら泣いた。
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