30 / 132
2章 異国[羈旅( きりょ)]編
2-10 つまり、油断大敵ってこと
しおりを挟む
支流の横に広さこそないが、ちょうど平らになった場所を見つけたので、今夜はそこで寝泊まりすることになった。その日のねぐらが決まれば、夜を迎えるための仕事は山のようにある。
水を汲み、火を熾し、そしてお茶を沸かして米を炊く。そこに今日釣った魚の処理も加わる。少しずつ光を失いつつある森のそばで、一つ一つ作業を淡々とこなしていく。今宵のおかずはアマゴの塩焼きと山独活だ。
ランドは河原で捕ったアマゴの腹を開きワタとエラ、そして血合をしっかり削ぎ落とし、それらをまとめて森に投げ捨てる。
なぜ川ではなくわざわざ森に捨てるのかというと、川の中に生ごみを沈めても食べてくれる生き物は少なく、分解するにも時間がかかるから。それに森に投げておけば、森の小動物や昆虫が食べてくれる。
夕食用の八寸ほど(約24センチ)のアマゴ三本に枝を打ち込み、しっかり塩を振る。下拵えが済むと火に並べ、最初は強い火で皮をこんがり焼き、全体に焼き目がついたら、今度は少し火から離して弱火でじっくり火を通していく。
ランドがテキパキと手際よく調理をこなしていくのを、なかば感嘆しながらフェイバリットは眺める。ちなみにフェイバリットが採ってきた山独活は、今夜は生のまま丸かじりするので調理の必要はない。
弱火に炙られたアマゴの腹からぽたぽたと水分が落ち始める。その水分がなくなってきた頃がちょうど食べごろだ。魚からしたたる脂が火に落ちると、じゅっという音がして香ばしい匂いが辺りに漂った。
いい香りに刺激されて、口の中いっぱいに唾が溜まるのがわかった。先ほどからお腹はきゅうきゅうと鳴りっぱなし、そろそろ空腹も限界だった。
「できたぞ」
アマゴの塩焼きに炊きたてご飯、そして新鮮な山独活を前にフェイバリットは目を輝かせる。ランドが子供を見るような笑みを浮かべて小さく笑う。
「い、いただきます…っ!」
危うくこぼれ落ちそうになった涎を飲み込みながらフェイバリットは手を合わす。そんなフェイバリットに目を細めながら、ランドも魚の串を手に取る。
どこから齧りつこうかと、フェイバリットが夢中になって目の前の魚に見入っていると、小さく「フェイバリット」と呼ぶ声がした。返事をする代わりに目を向けると。
「…。…。その…今日は…本当にすまな…かったな…」
よく焼けた塩焼きを手に、伏し目がちにランドがたどたどしく呟いた。ほんのりとその頬が赤い。それだけ言うと枝に刺さった魚の丸焼きに背中から豪快に齧りつく。
今まさに魚に齧りつこうと大口を開けたフェイバリットはその体勢のまま、ぎしりと体を強張らせる。
それ。それ今、言っちゃう? この空気どうするの…っ。というか、このままなかったことにしないんだね?!……まあ、ランドの性格的に有耶無耶にできないよね。
良くも悪くもランドはまっすぐで真面目――反面、融通がきかず頑固だ。こうと決めたらテコでも動かない。
フェイバリットの心の中には今まさに暴風雨が吹き荒れていた。だがフェイバリットは表向きには少し顔を赤らめる程度になんとかこらえた。
「う、うん。それね…それはもういいよ…」
本当は全然よくないけどね! 内心、声を大にしてそう言いたいところだったが、そういうわけにもいくまい。フェイバリットはもう一刻も早くこの一件を風化させたかった。つまり早く忘れたい。できればなかった事にしてしまいたいとも思う。
(あ…やばい。顔が赤くなる)
思い出すとまた顔が火照って真っ赤になるのがわかる。なんとかランドからその赤らんだ顔を隠そうと、フェイバリットはなるべく深く俯いて、なんでもない風を装って魚をほおばる。途端に口の中で塩気のきいた魚の身がほろりと崩れる――旨い。
フェイバリットとしては、途中で「水浴びをしてるね」とランドに言ったつもりだった。いや…言ったように思う。んん……もしかしたら言ったつもりだったのかもしれない。
山独活を斜面に見つけて嬉しくなってしまい、摘んでいるうちに汗をかき始め、水浴びをしたくなったところまではっきりと覚えている。昨日は疲れてそれどころではなかったし、とにかく体を洗い流したかったのだ。
本当なら川の深いところで泳ぎたいくらいだったが、遠くに行かないようランドに言われたばかりだった。べたつく体を持て余していた時、その場所に出くわした。
左右を自然林に囲まれ、正面が垂直な岩場になった小さな滝。落差は大人三人分に足りないほどの小さな滝だったが水量はしっかりあり、切り立った岸壁から幾筋もの水の流れが絡まるように流れ落ちていた。
ならもう水浴びをする一択だろう。幸いランドは漁に夢中だ。頭から水をかぶることができると大喜びで、なんの恥じらいもなく素っ裸になったのは――自分だ。
そしてランドはランドで、漁に夢中になってしまい、フェイバリットの声が聞こえなかったか聞き流してしまったかしたらしい。とにかく平謝りされた。まあ、自分も言ったかどうかも怪しい。だからランドは悪くない。うん、悪くない。
だからどちらが悪いというよりもこの場合、喧嘩両成敗といおうか…多分、間が悪かったのだろう、色々と。フェイバリットはそう納得することにした。
『幸運は平手打ちをして過ぎ去る』
(”良いこと”には横やりが入りやすい。だから良いことが起こったり、物事がうまくいっても有頂天になってはいけない)
つまり、浮かれて気を抜くと痛い目に遭うぞと、油断を戒める教え。フェイバリットはそのありがたい教えを身を持って知ることができた。だが彼女にとって、その代償はあまりにも高くついたのだった。
水を汲み、火を熾し、そしてお茶を沸かして米を炊く。そこに今日釣った魚の処理も加わる。少しずつ光を失いつつある森のそばで、一つ一つ作業を淡々とこなしていく。今宵のおかずはアマゴの塩焼きと山独活だ。
ランドは河原で捕ったアマゴの腹を開きワタとエラ、そして血合をしっかり削ぎ落とし、それらをまとめて森に投げ捨てる。
なぜ川ではなくわざわざ森に捨てるのかというと、川の中に生ごみを沈めても食べてくれる生き物は少なく、分解するにも時間がかかるから。それに森に投げておけば、森の小動物や昆虫が食べてくれる。
夕食用の八寸ほど(約24センチ)のアマゴ三本に枝を打ち込み、しっかり塩を振る。下拵えが済むと火に並べ、最初は強い火で皮をこんがり焼き、全体に焼き目がついたら、今度は少し火から離して弱火でじっくり火を通していく。
ランドがテキパキと手際よく調理をこなしていくのを、なかば感嘆しながらフェイバリットは眺める。ちなみにフェイバリットが採ってきた山独活は、今夜は生のまま丸かじりするので調理の必要はない。
弱火に炙られたアマゴの腹からぽたぽたと水分が落ち始める。その水分がなくなってきた頃がちょうど食べごろだ。魚からしたたる脂が火に落ちると、じゅっという音がして香ばしい匂いが辺りに漂った。
いい香りに刺激されて、口の中いっぱいに唾が溜まるのがわかった。先ほどからお腹はきゅうきゅうと鳴りっぱなし、そろそろ空腹も限界だった。
「できたぞ」
アマゴの塩焼きに炊きたてご飯、そして新鮮な山独活を前にフェイバリットは目を輝かせる。ランドが子供を見るような笑みを浮かべて小さく笑う。
「い、いただきます…っ!」
危うくこぼれ落ちそうになった涎を飲み込みながらフェイバリットは手を合わす。そんなフェイバリットに目を細めながら、ランドも魚の串を手に取る。
どこから齧りつこうかと、フェイバリットが夢中になって目の前の魚に見入っていると、小さく「フェイバリット」と呼ぶ声がした。返事をする代わりに目を向けると。
「…。…。その…今日は…本当にすまな…かったな…」
よく焼けた塩焼きを手に、伏し目がちにランドがたどたどしく呟いた。ほんのりとその頬が赤い。それだけ言うと枝に刺さった魚の丸焼きに背中から豪快に齧りつく。
今まさに魚に齧りつこうと大口を開けたフェイバリットはその体勢のまま、ぎしりと体を強張らせる。
それ。それ今、言っちゃう? この空気どうするの…っ。というか、このままなかったことにしないんだね?!……まあ、ランドの性格的に有耶無耶にできないよね。
良くも悪くもランドはまっすぐで真面目――反面、融通がきかず頑固だ。こうと決めたらテコでも動かない。
フェイバリットの心の中には今まさに暴風雨が吹き荒れていた。だがフェイバリットは表向きには少し顔を赤らめる程度になんとかこらえた。
「う、うん。それね…それはもういいよ…」
本当は全然よくないけどね! 内心、声を大にしてそう言いたいところだったが、そういうわけにもいくまい。フェイバリットはもう一刻も早くこの一件を風化させたかった。つまり早く忘れたい。できればなかった事にしてしまいたいとも思う。
(あ…やばい。顔が赤くなる)
思い出すとまた顔が火照って真っ赤になるのがわかる。なんとかランドからその赤らんだ顔を隠そうと、フェイバリットはなるべく深く俯いて、なんでもない風を装って魚をほおばる。途端に口の中で塩気のきいた魚の身がほろりと崩れる――旨い。
フェイバリットとしては、途中で「水浴びをしてるね」とランドに言ったつもりだった。いや…言ったように思う。んん……もしかしたら言ったつもりだったのかもしれない。
山独活を斜面に見つけて嬉しくなってしまい、摘んでいるうちに汗をかき始め、水浴びをしたくなったところまではっきりと覚えている。昨日は疲れてそれどころではなかったし、とにかく体を洗い流したかったのだ。
本当なら川の深いところで泳ぎたいくらいだったが、遠くに行かないようランドに言われたばかりだった。べたつく体を持て余していた時、その場所に出くわした。
左右を自然林に囲まれ、正面が垂直な岩場になった小さな滝。落差は大人三人分に足りないほどの小さな滝だったが水量はしっかりあり、切り立った岸壁から幾筋もの水の流れが絡まるように流れ落ちていた。
ならもう水浴びをする一択だろう。幸いランドは漁に夢中だ。頭から水をかぶることができると大喜びで、なんの恥じらいもなく素っ裸になったのは――自分だ。
そしてランドはランドで、漁に夢中になってしまい、フェイバリットの声が聞こえなかったか聞き流してしまったかしたらしい。とにかく平謝りされた。まあ、自分も言ったかどうかも怪しい。だからランドは悪くない。うん、悪くない。
だからどちらが悪いというよりもこの場合、喧嘩両成敗といおうか…多分、間が悪かったのだろう、色々と。フェイバリットはそう納得することにした。
『幸運は平手打ちをして過ぎ去る』
(”良いこと”には横やりが入りやすい。だから良いことが起こったり、物事がうまくいっても有頂天になってはいけない)
つまり、浮かれて気を抜くと痛い目に遭うぞと、油断を戒める教え。フェイバリットはそのありがたい教えを身を持って知ることができた。だが彼女にとって、その代償はあまりにも高くついたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。
BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。
辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん??
私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?
聖女を怒らせたら・・・
朝山みどり
ファンタジー
ある国が聖樹を浄化して貰うために聖女を召喚した。仕事を終わらせれば帰れるならと聖女は浄化の旅に出た。浄化の旅は辛く、聖樹の浄化も大変だったが聖女は頑張った。聖女のそばでは王子も励ました。やがて二人はお互いに心惹かれるようになったが・・・
拾われ子のスイ
蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】
記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。
幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。
老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。
――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。
スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。
出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。
清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。
これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。
※週2回(木・日)更新。
※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。
※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載)
※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる