唯一無二〜他には何もいらない〜

中村日南

文字の大きさ
97 / 132
歓びの里 [ランド、七日間の記録]編

日録31 君は特別③

しおりを挟む
 うつむき加減のエンジュの顔が、ゆるりとランドを見上げる。至宝のような美しい瞳には、戸惑うランドが映り込んでいた。

「エンジュ様…お話したのは、今日思いついたばかりの、ただの夢です。未来がどうなるかなんて、まだ誰にも分かりません。第一、そんなことを考える余裕なんて、今の俺には全くありませんよ」

 笑いながらランドは言う。けれど、おそらくランドが意志を曲げないだろうということは、彼の性格から考えると想像に難くない。エンジュは、深い溜め息と共に吐き出した。

「――であれば、旅立つあなたへ私からの“はなむけ”だと思ってください」
「え――?」
「もう明かしてしまいましたから。受け取るしかありませんが」

 名を聞かなかったことには出来ない。口には出さないが、はっきりとランドにはそう聞こえた。

 いつも通りエンジュは、ただ美しく微笑んでいるだけ。なのに、なぜかその姿にはおよそ似つかわしくない、否と言わせぬ無言の圧を、ランドは感じ取った。

 はああっと大袈裟に息を吐いて、ランドはがっくりと肩を落とす。

「――。それは、禁じ手ではありませんか…? エンジュ――」
「ランド」

 やんわりと、エンジュが言葉を遮る。静かな声だ。なのに思わず、ランドの背筋がピンと伸びた。

「あなたは特別だと言ったでしょう? あなたが名を返そうと返すまいとどちらでも構いません。ただ私は、あなたの人生に関わる理由が欲しいだけ」

 自分の存在を、その人生に刻んで欲しい――。

「エンジュ様…」

 エンジュの言葉に、どう答えるのが正しいのかランドには分からなかった。「ありがとう」でも「ごめんなさい」でもない。同時に今この場で「否」とも「応」とも言えず、ランドは唇を固く引き結んだ。

 目を伏せたランドを前に、エンジュは何かを吹っ切るように、ふぅと短い吐息をついた。

「――それにあなたのお力になるなら、こういう理由既成事実でもあった方が色々と都合がよいでしょう」

 『既成事実』の言葉に、ランドがぎょっとした顔になる。エンジュは何食わぬ顔で言葉を続けた。

「特別な相手を助けるのに、理由は必要ありませんし――その気持ちを無下にするなど、いくらあなた頑固者でもなさらないでしょうし?」

 また何か、気になる言葉が聞こえた気がする。ランドの顔が困ったような戸惑うような、どちらともつかず複雑な顔になる。

 いわれもなく、ただ助けてもらうのは性に合わない。

 受け取るばかりの親切なら、申し訳なさが先に立ってしまう。返すことが出来なければ尚更だ。

 頑なだと自覚はあっても、ランドは己の性分を曲げることが出来ない。

 だがそれが好意となれば、少し話は変わってくる。この尊い貴人の心づくしを拒むなど不敬以外のなにものでもない。もちろん、とてもありがたいし感謝しかない。

 ――のだが、上手く言いくるめられたようで、それが少しばかり、ランドにとっては面白くない。

「そんな顔をしないでください。それなりに私の助力は、あなたのお役に立ちますよ…?」
「そんな…あなたには、感謝しかありません…」
「いえいえ。何より私が安心したくてすることです。どうぞお気になさらず――とは言え」

 ちらりと淡い瞳が上向く。にやりと笑ったのをランドは見逃さなかった。
 
「あなたの性格上、気兼ねしてしまいそうですものね」
「それは――もちろん」
「では一つ。先ほど名を返そうと返すまいとどちらでも構わないと言いましたが、どうかご一考ください。私とて欲しいものを前に、ただ指を咥えて見ていられるほど、無欲ではありません」
「お・俺など――」

 ――あなたに相応しくない。エンジュはランドに皆まで言わせなかった。

「ひとまず、親愛でも恋慕でも、私はどちらでも構いませんので」

 言い終えるとエンジュは、期待に満ちた目をランドに向ける。一見、子供のそれのように純真無垢な眼差しに見えて、その目にはうっすらと愉悦を含んでいる。

 憎まれ口など子供のすることだ。
 囁く声が頭の片隅で聞こえたが、この時ばかりは理性より悔しさがわずかにまさった。

「エンジュ様…親愛と恋慕。選択肢は二つではありませんよ。三つ目の――“断る”選択が入っていないこと、誤魔化せるとお思いですか?」
「――ばれましたか」

 悪戯を見つけられた子供のように、エンジュはさも嬉しそうに笑う。全くこたえていないその顔を、ランドは苦々しく見る。

 ちなみに、第三の選択は不敬すぎて、おそらくチャンジあたりが許さないはずだ。

「まあそうつれないことを言わず、考えてみてください。まだ時間もあることでしょうし、あなたの気持ちが変わるよう、私ももう少し気合を入れてあなたを口説くことに致しましょう」

 口には出さないが、見るからにランドの顔が渋い顔になる。

「――お手柔らかに、お願いします」
 
 日没から真っ暗になるまでの時間を『薄明はくめい』と呼ぶ。夏を過ぎれば薄明の時間はどんどん短くなっていく。

 遠くに見える空に、夕映えの名残りが残っているものの、辺りが薄闇に沈み始めたら、あっという間に夜の暗さに取って代わられるだろう。

 空を仰ぐランドの頬を、冷たい風がひやりと撫で上げる。
 
 ランドはターキンに括りつけた荷を下ろし、中から毛皮で仕立てられた頭巾フードのついた防寒着アノガジェを取り出す。行きがけにチャンジから手渡された荷だ。

 ほっそりとしたエンジュの体を、厚い毛皮でふわりと覆うと、顔の真ん中の部分しか見えなくなる。これならかなりの寒さでも凌げそうだ。

「そろそろ戻りましょう。屋敷に着くのは、月がかなり高い位置に昇ってからになりますね…」

 来た道を同じように戻るなら、到着は深夜になるだろう。

「ああ――それなら。帰りは人を呼ぶので、そこまで遅くはなりませんよ。安心してください」
「え?」
「行きは、くまなく里を練り歩く必要があったのです。と言うのも、外の世界にこの里の入り口を探ろうとする者が現れ、しかも年々その人数も増える一方なのです」

 困ったように、エンジュが眉根を下げて苦笑する。

「それに加えて結界への干渉も多く、部分的に脆くなってしまわないか、やはり心配で…。ですので、ここ数年は結界の手入れを兼ねて、年に数度は自ら足を運ぶようにしているのです」

 里そのものはエンジュの結果に守られている。しかし害をなそうと結界に傷をつける者が現れたら、壊されるほどではなくても、小さな綻びくらいは生じるかもしれない。

「…どこかでこの里のことを聞きつけた者がいるのでしょう。いつからか分かりませんが、『飢えもせず絶えず緑豊かな里』『長寿を授ける生き神がいる』などと、まことしやかに囁かれるようになり、今ではこの里は“常世国とこよのくに”とまるで楽土のように呼ばれるようになりました。しかも噂はとどまことを知らず――その里には不老長寿を司る神がいる。その神を弑した者は永遠の命を得られるという話まであるそうですよ…?」

 ゾッとするような話を、エンジュはこともなげに口にする。その話を聞いて、息を呑んだランドの口から、ひゅっと短い音が洩れた。

 長く生きたい。豊かな暮らしをしたい。誰しも持って当たり前の願いとは言え、神を弑して不死を得ようなど、どこまで人は欲深くなれるのだろう。

 これが三千年を経た人の世か。やり切れなくて、握り込んだ拳に力が入る。なだめるように、エンジュの手がそんなランドの拳をぽんぽんと叩く。

「戻りましょうか――さすがに私も今日は少々…疲れました」

 珍しく、エンジュが疲れた声を出す。はっとエンジュを見ると、薄暗い中でもはっきりと分かるほど、毛皮に包まれたその顔色が悪い。

 今日は一日騎乗して、隈なく里に結界を張り直してまわったのだ。ランドには想像もつかない大仕事だが、さぞ疲れただろうということは分かる。

 静かに佇む肢体は、今にも消え入りそうなほど儚い。これ以上、無理をさせては駄目だと、ランドの直感が告げる。

 ランドの心配を表情から読み取って、エンジュの顔に淡い笑みが浮かぶ。

「嫌ですね。私は大丈夫です。これから呪歌を使って人を呼ぶので――」
「“睡大觉スェイダージャオ”(ぐっすり眠る)。――その必要はない」

 凛とした声が、冷たく澄んだ空気を貫いて、黄昏の空に響き渡る。その途端、まるで糸が切れたように、エンジュの体が力なく崩れ落ちた。

 その体が地面に倒れ込む直前に、ランドが素早く抱き止め、腕に抱え直す。

 聞き覚えがある声だと思いながら、ランドは声が聞こえた辺りを振り返ると――その場でじっと動かなかったターキン、その獣の輪郭が不意にじわりと滲んだ。

 まさか…。

 ランドの視線の先で、獣の姿がみるみるうちに形を変えていく。そして獣のいた場所に、非の打ちどころのない肉体美を持つ、惚れ惚れするような美丈夫の姿が現れた。チャンジだ。

「ったく――主を落っことそうもんなら、遠慮なくぶっ殺してやろうと思ってたんだがな――」

 笑い混じりに冗談めかして言うものの、チャンジの目は笑っていない。ランドはひんやりと冷たい汗が背中に伝うのを感じた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 読んでいただき、ありがとうございます。

 次話は5日後、水曜更新予定です。

 次回更新も頑張りますので、
 どうぞよろしくお願いします。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

【長編・完結】私、12歳で死んだ。赤ちゃん還り?水魔法で救済じゃなくて、給水しますよー。

BBやっこ
ファンタジー
死因の毒殺は、意外とは言い切れない。だって貴族の後継者扱いだったから。けど、私はこの家の子ではないかもしれない。そこをつけいられて、親族と名乗る人達に好き勝手されていた。 辺境の地で魔物からの脅威に領地を守りながら、過ごした12年間。その生が終わった筈だったけど…雨。その日に辺境伯が連れて来た赤ん坊。「セリュートとでも名付けておけ」暫定後継者になった瞬間にいた、私は赤ちゃん?? 私が、もう一度自分の人生を歩み始める物語。給水係と呼ばれる水魔法でお悩み解決?

聖女を怒らせたら・・・

朝山みどり
ファンタジー
ある国が聖樹を浄化して貰うために聖女を召喚した。仕事を終わらせれば帰れるならと聖女は浄化の旅に出た。浄化の旅は辛く、聖樹の浄化も大変だったが聖女は頑張った。聖女のそばでは王子も励ました。やがて二人はお互いに心惹かれるようになったが・・・

拾われ子のスイ

蒼居 夜燈
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞 奨励賞】 記憶にあるのは、自分を見下ろす紅い眼の男と、母親の「出ていきなさい」という怒声。 幼いスイは故郷から遠く離れた西大陸の果てに、ドラゴンと共に墜落した。 老夫婦に拾われたスイは墜落から七年後、二人の逝去をきっかけに養祖父と同じハンターとして生きていく為に旅に出る。 ――紅い眼の男は誰なのか、母は自分を本当に捨てたのか。 スイは、故郷を探す事を決める。真実を知る為に。 出会いと別れを繰り返し、命懸けの戦いを繰り返し、喜びと悲しみを繰り返す。 清濁が混在する世界に、スイは何を見て何を思い、何を選ぶのか。 これは、ひとりの少女が世界と己を知りながら成長していく物語。 ※週2回(木・日)更新。 ※誤字脱字報告に関しては感想とは異なる為、修正が済み次第削除致します。ご容赦ください。 ※カクヨム様にて先行公開(登場人物紹介はアルファポリス様でのみ掲載) ※表紙画像、その他キャラクターのイメージ画像はAIイラストアプリで作成したものです。再現不足で色彩の一部が作中描写とは異なります。 ※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』

宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?

処理中です...