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キズあり令嬢の結婚
2.無礼な貴公子
しおりを挟むクレアの容姿は平凡だ。年齢もすでに十九歳になってしまった。
つまり、何のとりえもない、行き遅れの令嬢だ。しかも不気味な傷痕や不吉な噂まで持っている。
こんな条件が悪い上に、呪われていると噂されるような花嫁など、誰も欲しくはないだろう。
傷痕を見られたり、何か不幸が起きた時に自分のせいにされて離縁されるくらいならば、一人で生きていく道を探したほうがいいのだろうとクレアは思っていた。
きっと結婚せずに生きていく方法はある。
一番望ましいのは、父から金銭の融資を受けて何か事業を始めることだった。
クレアの行動は全て母を不快にさせてしまうだろうけれど、今さら母の愛などいらない。
この夜会が終わったら、父には本音を話して、もう夜会には出たくないと言おうとクレアは決心していた。
父はクレアの傷痕を見ても不吉だとは言わないけれど、周囲からそう思われていることは知っているはずだ。
だから、あえて結婚させようとはしないだろう。
そんなことを考えていた時、クレアは周囲の嫌な雰囲気を感じ、長手袋がずれ落ちているのに気づいた。
慌ててそれを元に戻すものの、傷痕はしっかりと見られてしまった。
周囲の視線は好意的とは言えないから、それから逃げたければ化粧室に向かうしかない。
クレアはグラスを渡すために給仕を探しながら歩き出した。
ところが後ろから急に腕を掴まれて、驚いた拍子にグラスを落としてしまった。
それが砕け散る音に数人の給仕が駆け付け、そして痛いばかりの視線が体中に突き刺さる。
クレアは戸惑いながら、自分の腕を掴んでいる男性を見やった。
今まさに無礼を働いてきているその人は、濃い茶色の髪をした整った顔立ちの貴公子だった。年齢はクレアよりも何歳か上に見える。
クレアは途方に暮れた。彼は手を放してくれない。
そして彼は、その手で掴んでいる部分のすぐ上に見えてしまっているクレアの傷痕を、食い入るように見つめている。
少し離れた所では相変わらず美しく着飾った人々がダンスや歓談をしている。
そんな中、クレアの周辺には何事が起っているのかと、好奇の視線を向けてくる人々が集まり始めていた。
クレアは瞬間的に周囲を見回した。誰も助ける気はないようだ。むしろ、助けるべき状況なのかも分からないのかもしれない。
男性はただクレアの腕を掴んでいるだけで、乱暴を働くような雰囲気はない。
通りすがりの彼が、よろけた女性を助けたようにも見えるだろう。
しかし、クレアにとっては彼の行動は不審以外の何ものでもなかったし、この傷痕を晒させたままにしているのは、あまりにもひどい行為だと思う。
クレアはさすがにこれだけ無礼なことをされているのだから、相手の身分は分からなくても自分から口を開くことにした。
彼はその時もまだ腕の傷痕を食い入るように見つめていた。
「そろそろ手を放してくださいませんか」
声の調子は抑えながらもはっきりとそう言うと、彼は我に返ったように顔を上げ、真正面からこちらを見つめてきた。
その髪色と同じく茶色い瞳は驚きに満ちているように見える。
(いったい何なのかしら)
クレアは早くこの場から逃げ出したかった。
傷痕を見られて嫌な顔をされたことは何度もある。でも、ここまであからさまに晒し者にする人はこれまでいなかった。
彼は、少ししてからその瞳に理性を宿すと、驚くべきことにクレアの名を口にした。
「クレア・ベルガー子爵令嬢でおられるか」
「は、はい。失礼ですが、以前お会いしましたでしょうか」
クレアは記憶力には自信があった。
彼とはこれまで一度も会ったことはないと確信していたけれど、クレアは一応そう聞いた。
しかし、彼は首を横に振った。そして、よく分からないことを言った。
「きちんとお会いするのは初めてだが、あなたをずっと探していた」
「は……?」
クレアは名家の生まれでもなければ、社交界にすらほとんど出ていない。
不吉な傷痕を持っていると知られてはいても、特別探されるような心当たりはなかった。
クレアの戸惑いや周囲の視線にやっと気づいたように辺りを見回した彼から、先ほどまでの我を忘れているような様子が瞬時に消え失せた。
彼はクレアの手を放して、一歩下がり適切な距離をとる。
そこにたたずむのは文句のつけどころのない貴公子だった。
「失礼。私はエリオット・カレドアルと申します。少々お時間をいただきたいが、よろしいか」
その名前を聞いても、クレアの疑問は何一つ解消されなかったけれど、カレドアル家と言えば名門伯爵家だ。
年齢からして目の前のエリオットと名乗った男性は当主のご子息だろう。
まったく付き合いのない家だけれど、ご子息とご息女が一人ずついて、ご子息は文官として王宮に勤めているということは社交界の常識として知っている。
理由は何であれ、用があると言われれば上位の家の人間には逆らえない。
クレアは首を軽く下げつつ言った。
「この場でなければ、時間はございます」
エリオットは優雅な仕草でクレアに片手を差し出した。
そんなことをされたのは初めてで、少し戸惑ってから、その手に手袋越しの手を重ねる。
そうして、あからさまな興味本位の視線に見送られながら、クレアは彼に連れられて広間を後にしたのだった。
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