「前世のあなたを愛している」と言った最低な夫は、きっと勘違いをしている

針沢ハリー

文字の大きさ
2 / 5
キズあり令嬢の結婚

2.無礼な貴公子

しおりを挟む

 クレアの容姿は平凡だ。年齢もすでに十九歳になってしまった。

 つまり、何のとりえもない、行き遅れの令嬢だ。しかも不気味な傷痕や不吉な噂まで持っている。

 こんな条件が悪い上に、呪われていると噂されるような花嫁など、誰も欲しくはないだろう。

 傷痕を見られたり、何か不幸が起きた時に自分のせいにされて離縁されるくらいならば、一人で生きていく道を探したほうがいいのだろうとクレアは思っていた。

 きっと結婚せずに生きていく方法はある。
 一番望ましいのは、父から金銭の融資を受けて何か事業を始めることだった。
 クレアの行動は全て母を不快にさせてしまうだろうけれど、今さら母の愛などいらない。


 この夜会が終わったら、父には本音を話して、もう夜会には出たくないと言おうとクレアは決心していた。

 父はクレアの傷痕を見ても不吉だとは言わないけれど、周囲からそう思われていることは知っているはずだ。
 だから、あえて結婚させようとはしないだろう。


 そんなことを考えていた時、クレアは周囲の嫌な雰囲気を感じ、長手袋がずれ落ちているのに気づいた。

 慌ててそれを元に戻すものの、傷痕はしっかりと見られてしまった。
 周囲の視線は好意的とは言えないから、それから逃げたければ化粧室に向かうしかない。

 クレアはグラスを渡すために給仕を探しながら歩き出した。

 ところが後ろから急に腕を掴まれて、驚いた拍子にグラスを落としてしまった。

 それが砕け散る音に数人の給仕が駆け付け、そして痛いばかりの視線が体中に突き刺さる。

 クレアは戸惑いながら、自分の腕を掴んでいる男性を見やった。
 今まさに無礼を働いてきているその人は、濃い茶色の髪をした整った顔立ちの貴公子だった。年齢はクレアよりも何歳か上に見える。

 クレアは途方に暮れた。彼は手を放してくれない。
 そして彼は、その手で掴んでいる部分のすぐ上に見えてしまっているクレアの傷痕を、食い入るように見つめている。

 少し離れた所では相変わらず美しく着飾った人々がダンスや歓談をしている。

 そんな中、クレアの周辺には何事が起っているのかと、好奇の視線を向けてくる人々が集まり始めていた。


 クレアは瞬間的に周囲を見回した。誰も助ける気はないようだ。むしろ、助けるべき状況なのかも分からないのかもしれない。

 男性はただクレアの腕を掴んでいるだけで、乱暴を働くような雰囲気はない。
 通りすがりの彼が、よろけた女性を助けたようにも見えるだろう。

 しかし、クレアにとっては彼の行動は不審以外の何ものでもなかったし、この傷痕を晒させたままにしているのは、あまりにもひどい行為だと思う。

 クレアはさすがにこれだけ無礼なことをされているのだから、相手の身分は分からなくても自分から口を開くことにした。
 彼はその時もまだ腕の傷痕を食い入るように見つめていた。

「そろそろ手を放してくださいませんか」

 声の調子は抑えながらもはっきりとそう言うと、彼は我に返ったように顔を上げ、真正面からこちらを見つめてきた。
 その髪色と同じく茶色い瞳は驚きに満ちているように見える。

(いったい何なのかしら)

 クレアは早くこの場から逃げ出したかった。

 傷痕を見られて嫌な顔をされたことは何度もある。でも、ここまであからさまに晒し者にする人はこれまでいなかった。

 彼は、少ししてからその瞳に理性を宿すと、驚くべきことにクレアの名を口にした。

「クレア・ベルガー子爵令嬢でおられるか」

「は、はい。失礼ですが、以前お会いしましたでしょうか」

 クレアは記憶力には自信があった。
 彼とはこれまで一度も会ったことはないと確信していたけれど、クレアは一応そう聞いた。

 しかし、彼は首を横に振った。そして、よく分からないことを言った。

「きちんとお会いするのは初めてだが、あなたをずっと探していた」

「は……?」

 クレアは名家の生まれでもなければ、社交界にすらほとんど出ていない。
 不吉な傷痕を持っていると知られてはいても、特別探されるような心当たりはなかった。

 クレアの戸惑いや周囲の視線にやっと気づいたように辺りを見回した彼から、先ほどまでの我を忘れているような様子が瞬時に消え失せた。

 彼はクレアの手を放して、一歩下がり適切な距離をとる。
 そこにたたずむのは文句のつけどころのない貴公子だった。

「失礼。私はエリオット・カレドアルと申します。少々お時間をいただきたいが、よろしいか」

 その名前を聞いても、クレアの疑問は何一つ解消されなかったけれど、カレドアル家と言えば名門伯爵家だ。
 年齢からして目の前のエリオットと名乗った男性は当主のご子息だろう。

 まったく付き合いのない家だけれど、ご子息とご息女が一人ずついて、ご子息は文官として王宮に勤めているということは社交界の常識として知っている。

 理由は何であれ、用があると言われれば上位の家の人間には逆らえない。
 クレアは首を軽く下げつつ言った。

「この場でなければ、時間はございます」

 エリオットは優雅な仕草でクレアに片手を差し出した。

 そんなことをされたのは初めてで、少し戸惑ってから、その手に手袋越しの手を重ねる。

 そうして、あからさまな興味本位の視線に見送られながら、クレアは彼に連れられて広間を後にしたのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

大好きなあなたが「嫌い」と言うから「私もです」と微笑みました。

桗梛葉 (たなは)
恋愛
私はずっと、貴方のことが好きなのです。 でも貴方は私を嫌っています。 だから、私は命を懸けて今日も嘘を吐くのです。 貴方が心置きなく私を嫌っていられるように。 貴方を「嫌い」なのだと告げるのです。

あなたへの恋心を消し去りました

恋愛
 私には両親に決められた素敵な婚約者がいる。  私は彼のことが大好き。少し顔を見るだけで幸せな気持ちになる。  だけど、彼には私の気持ちが重いみたい。  今、彼には憧れの人がいる。その人は大人びた雰囲気をもつ二つ上の先輩。  彼は心は自由でいたい言っていた。  その女性と話す時、私には見せない楽しそうな笑顔を向ける貴方を見て、胸が張り裂けそうになる。  友人たちは言う。お互いに干渉しない割り切った夫婦のほうが気が楽だって……。  だから私は彼が自由になれるように、魔女にこの激しい気持ちを封印してもらったの。 ※このお話はハッピーエンドではありません。 ※短いお話でサクサクと進めたいと思います。

報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜

矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』 彼はいつだって誠実な婚約者だった。 嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。 『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』 『……分かりました、ロイド様』 私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。 結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。 なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

あなたとの縁を切らせてもらいます

しろねこ。
恋愛
婚約解消の話が婚約者の口から出たから改めて考えた。 彼と私はどうなるべきか。 彼の気持ちは私になく、私も彼に対して思う事は無くなった。お互いに惹かれていないならば、そして納得しているならば、もういいのではないか。 「あなたとの縁を切らせてください」 あくまでも自分のけじめの為にその言葉を伝えた。 新しい道を歩みたくて言った事だけれど、どうもそこから彼の人生が転落し始めたようで……。 さらりと読める長さです、お読み頂けると嬉しいです( ˘ω˘ ) 小説家になろうさん、カクヨムさん、ノベルアップ+さんにも投稿しています。

不実なあなたに感謝を

黒木メイ
恋愛
王太子妃であるベアトリーチェと踊るのは最初のダンスのみ。落ち人のアンナとは望まれるまま何度も踊るのに。王太子であるマルコが誰に好意を寄せているかははたから見れば一目瞭然だ。けれど、マルコが心から愛しているのはベアトリーチェだけだった。そのことに気づいていながらも受け入れられないベアトリーチェ。そんな時、マルコとアンナがとうとう一線を越えたことを知る。――――不実なあなたを恨んだ回数は数知れず。けれど、今では感謝すらしている。愚かなあなたのおかげで『幸せ』を取り戻すことができたのだから。 ※異世界転移をしている登場人物がいますが主人公ではないためタグを外しています。 ※曖昧設定。 ※一旦完結。 ※性描写は匂わせ程度。 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載予定。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

処理中です...