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アイザック
8話 二人の置いてけぼり
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宿屋を拠点にしてから二週間ほど経った。その間も山賊は驚くほど大人しく、当分面倒な問題は起きなさそうだとルドガーは判断し、冒険者の誘致に努めた。宿泊客が多くなれば忙しくなるだけなのにどうしてだろうと思ったエリックがアダムに聞いた話によれば、仲介料を頂いているとかなんとか。ちゃっかりしてる、とアーサーが野次っていたことを思い出した。
竜の爪の一行は宿泊施設のある本館ではなく、離れにある館に身を置いていた。そこは団体客用の施設ではあったが、本館に負けず劣らず設備が豪華であり、生活するためのものが全て揃っていた。一人ずつ部屋を与えられ、女中や護衛が常時配備され、シーツや食事は毎回用意されているという高待遇だった。それもこれもルドガーの手腕の賜である、と、一行は感謝していた。今朝は珍しい果物が朝食に用意されており、それを好物としていたエリックはいつも以上に上機嫌だった。鼻歌を歌いながらふかふかのベッドに転がり、満腹感も手伝って間もなく睡魔に襲われた。
バタバタと誰かが走り回る音が聞こえる。振動が響いて、浅い眠りに入っていたエリックは目を覚ました。今、この離れには竜の爪一行しかいない。ということは、走り回っていたのは彼らのうち誰かなのだろう。
扉を開けた時、予想通りアーサーとミハエルが自室から出てくるところだった。エリックは声を掛けようとしたが、急いでいるようだったのでそっと物陰に隠れた。やがて奥からアダムが駆け寄ってきたのでどうしたのかと問えば、緊急の依頼が舞い込んできたらしい。
「え、じゃあ俺も行くよ」
「駄目だ。おまえを気にしている余裕がない。現場はこの近くだから、大人しく待っておけ」
「……ちぇー。分かった」
アダムの大きな手がエリックの頭を撫でる。エリックは不服そうに歪めていた顔を綻ばせ、掌に頬ずりした。
「そういえば、アイザックが見当たらないんだ。大規模ではないからアイザックがいなくともなんとかなるが……見掛けたらこのことを伝えてくれ」
「……アイザックが?」
それだけ言付けると、アダムは走って館を出て行ってしまった。警備がいるとは言え一人取り残されたエリックは、部屋に戻って一向に眠気が訪れない中、ベッドの上に寝転がっていた。
****
しんと静まり返った館の中で、玄関の扉が開く音が響いた。エリックは飛び起きて部屋を飛び出し、帰宅したであろうアイザックを迎えた。
アイザックは、こうしてたまにふらっといなくなることがたまにある。それは半日もないことなので、誰も特に気にしてはいなかった。竜の爪のメンバーも、今ですらそう大したことだと思ってはいないだろう。ただエリックにしてみれば、重大なことだった。
「アイザック!」
エリックは、故郷を出るまで同年代の知り合いもおらず、ほとんどを一人で過ごしていた。両親はいたが、他愛無い話が噛み合わず、冗談が通じないこともあった。近所に住む大家族を羨んだり、学校の人気者に憧れを抱いたりしていた。たくさんの年月を生きてきた訳ではないが、一人が寂しいということは身に沁みていた。
それが、今は竜の爪のメンバーに囲まれながら何不自由なく生きている。魔物に襲われた時、彼らに助けて貰わなければエリックは今この場にいなかった。しかし、エリックが一番感謝しているのは、常に誰かが側にいることだった。愛情に飢えた子供のように、いつも誰かと一緒にいたがった。ぽっかりと開いた穴を塞いでもらったのと同時に、代わりのない大事なもので満たされていた。
そんな日々が日常になりつつあった。故郷で味わった孤独というものは、エリックにとって過去のものであり、存在しないものとなっていった。毎日が幸せで、毎日が満ち足りていた。
――だというのに。
「ど……どこ行ってたんだよぉ……」
「雑貨屋」
「は……はぁ……?」
アイザックの部屋の前に立ち塞がり、仁王立ちで帰りを迎える。紙袋を抱えて姿を表したアイザックは眉一つ動かさず答え、エリックのほうが驚いてしまった。アイザックと雑貨屋。似合わない単語だ。呆けているエリックに、紙袋の中から何かを取り出し、それをエリックに放り投げた。
「え?なに?」
「やる」
「え?え?」
渡されたその「なにか」は、小さい綺麗な石で輪っかになっている。「やる」と言われても、それが何なのか分からないエリックは、両端を持って広げてみたり、頭に乗せてみるがしっくりこない。見かねたアイザックがエリックの腕を取り手首に輪っかを通すと、エリックはようやくそれがブレスレットなのだと理解した。
「なにこれ?もらっていいの?」
「ああ」
「わーっ、綺麗!ありがとう!えへへ」
真ん中に、大きな赤い石がはめ込んである。それがやたら綺麗に見えて、無性に気に入ってしまった。エリックはふとアダムのことを思い出した。勝手に貰っちゃっていいのかな、と一瞬不安になったが、聞かれれば答えればいい、くらいに軽く考えていた。そうして一頻り喜んだところで、本来の目的を思い出した。
「……じゃなくて!アイザックがいない間に皆行っちゃったよ!」
「そういえば誰もいないな」
「なんか急な依頼が入ったんだって。俺は足手まといだから来るなって言われちゃった」
アイザックはそれに対して特に何も思わないのか、「そうか」と言ったきり何事もなかったかのように自室へ戻っていってしまった。エリックは慌てて後を追った。
「そうか……じゃなくてぇ!あんたがいない間、俺は暇で暇で暇で暇でしょうがなかったんだぞ!」
「そうか」
大きな音を立てて扉を開き、上着を脱ぎ始めたアイザックの腰に抱きつく。そうだ。そうなのだ。竜の爪のメンバーと会ってから、一人になったことなどなかった。忘れかけていた思いを、寂しいという感情を、思い出してしまった。暴れることをやめたエリックは、黙ってアイザックに寄り添っている。引き剥がされるかと思ったが、アイザックはそのまま動かなかった。
――あたたかい。
触れ合った場所から、熱が生み出されていく。じんわりと広がって、やがて全身を纏うだろう。エリックは心地よさに目を閉じた。
不意にアイザックが身体をくるりと反転させ、手のひらがエリックの後頭部を撫でた。漆黒の毛先を指先が梳き、何度か往復しながらだんだんと降りてくる。耳の裏を撫で、頬を撫で、顎をすくい上げた。
アイザックは眼帯をしているため、片目でしか視認できない。にも関わらず、エリックを射抜いてくるその目は、隻眼では足りないほどの熱量を秘めていた。
竜の爪の一行は宿泊施設のある本館ではなく、離れにある館に身を置いていた。そこは団体客用の施設ではあったが、本館に負けず劣らず設備が豪華であり、生活するためのものが全て揃っていた。一人ずつ部屋を与えられ、女中や護衛が常時配備され、シーツや食事は毎回用意されているという高待遇だった。それもこれもルドガーの手腕の賜である、と、一行は感謝していた。今朝は珍しい果物が朝食に用意されており、それを好物としていたエリックはいつも以上に上機嫌だった。鼻歌を歌いながらふかふかのベッドに転がり、満腹感も手伝って間もなく睡魔に襲われた。
バタバタと誰かが走り回る音が聞こえる。振動が響いて、浅い眠りに入っていたエリックは目を覚ました。今、この離れには竜の爪一行しかいない。ということは、走り回っていたのは彼らのうち誰かなのだろう。
扉を開けた時、予想通りアーサーとミハエルが自室から出てくるところだった。エリックは声を掛けようとしたが、急いでいるようだったのでそっと物陰に隠れた。やがて奥からアダムが駆け寄ってきたのでどうしたのかと問えば、緊急の依頼が舞い込んできたらしい。
「え、じゃあ俺も行くよ」
「駄目だ。おまえを気にしている余裕がない。現場はこの近くだから、大人しく待っておけ」
「……ちぇー。分かった」
アダムの大きな手がエリックの頭を撫でる。エリックは不服そうに歪めていた顔を綻ばせ、掌に頬ずりした。
「そういえば、アイザックが見当たらないんだ。大規模ではないからアイザックがいなくともなんとかなるが……見掛けたらこのことを伝えてくれ」
「……アイザックが?」
それだけ言付けると、アダムは走って館を出て行ってしまった。警備がいるとは言え一人取り残されたエリックは、部屋に戻って一向に眠気が訪れない中、ベッドの上に寝転がっていた。
****
しんと静まり返った館の中で、玄関の扉が開く音が響いた。エリックは飛び起きて部屋を飛び出し、帰宅したであろうアイザックを迎えた。
アイザックは、こうしてたまにふらっといなくなることがたまにある。それは半日もないことなので、誰も特に気にしてはいなかった。竜の爪のメンバーも、今ですらそう大したことだと思ってはいないだろう。ただエリックにしてみれば、重大なことだった。
「アイザック!」
エリックは、故郷を出るまで同年代の知り合いもおらず、ほとんどを一人で過ごしていた。両親はいたが、他愛無い話が噛み合わず、冗談が通じないこともあった。近所に住む大家族を羨んだり、学校の人気者に憧れを抱いたりしていた。たくさんの年月を生きてきた訳ではないが、一人が寂しいということは身に沁みていた。
それが、今は竜の爪のメンバーに囲まれながら何不自由なく生きている。魔物に襲われた時、彼らに助けて貰わなければエリックは今この場にいなかった。しかし、エリックが一番感謝しているのは、常に誰かが側にいることだった。愛情に飢えた子供のように、いつも誰かと一緒にいたがった。ぽっかりと開いた穴を塞いでもらったのと同時に、代わりのない大事なもので満たされていた。
そんな日々が日常になりつつあった。故郷で味わった孤独というものは、エリックにとって過去のものであり、存在しないものとなっていった。毎日が幸せで、毎日が満ち足りていた。
――だというのに。
「ど……どこ行ってたんだよぉ……」
「雑貨屋」
「は……はぁ……?」
アイザックの部屋の前に立ち塞がり、仁王立ちで帰りを迎える。紙袋を抱えて姿を表したアイザックは眉一つ動かさず答え、エリックのほうが驚いてしまった。アイザックと雑貨屋。似合わない単語だ。呆けているエリックに、紙袋の中から何かを取り出し、それをエリックに放り投げた。
「え?なに?」
「やる」
「え?え?」
渡されたその「なにか」は、小さい綺麗な石で輪っかになっている。「やる」と言われても、それが何なのか分からないエリックは、両端を持って広げてみたり、頭に乗せてみるがしっくりこない。見かねたアイザックがエリックの腕を取り手首に輪っかを通すと、エリックはようやくそれがブレスレットなのだと理解した。
「なにこれ?もらっていいの?」
「ああ」
「わーっ、綺麗!ありがとう!えへへ」
真ん中に、大きな赤い石がはめ込んである。それがやたら綺麗に見えて、無性に気に入ってしまった。エリックはふとアダムのことを思い出した。勝手に貰っちゃっていいのかな、と一瞬不安になったが、聞かれれば答えればいい、くらいに軽く考えていた。そうして一頻り喜んだところで、本来の目的を思い出した。
「……じゃなくて!アイザックがいない間に皆行っちゃったよ!」
「そういえば誰もいないな」
「なんか急な依頼が入ったんだって。俺は足手まといだから来るなって言われちゃった」
アイザックはそれに対して特に何も思わないのか、「そうか」と言ったきり何事もなかったかのように自室へ戻っていってしまった。エリックは慌てて後を追った。
「そうか……じゃなくてぇ!あんたがいない間、俺は暇で暇で暇で暇でしょうがなかったんだぞ!」
「そうか」
大きな音を立てて扉を開き、上着を脱ぎ始めたアイザックの腰に抱きつく。そうだ。そうなのだ。竜の爪のメンバーと会ってから、一人になったことなどなかった。忘れかけていた思いを、寂しいという感情を、思い出してしまった。暴れることをやめたエリックは、黙ってアイザックに寄り添っている。引き剥がされるかと思ったが、アイザックはそのまま動かなかった。
――あたたかい。
触れ合った場所から、熱が生み出されていく。じんわりと広がって、やがて全身を纏うだろう。エリックは心地よさに目を閉じた。
不意にアイザックが身体をくるりと反転させ、手のひらがエリックの後頭部を撫でた。漆黒の毛先を指先が梳き、何度か往復しながらだんだんと降りてくる。耳の裏を撫で、頬を撫で、顎をすくい上げた。
アイザックは眼帯をしているため、片目でしか視認できない。にも関わらず、エリックを射抜いてくるその目は、隻眼では足りないほどの熱量を秘めていた。
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