処刑されるはずの悪役令嬢、なぜか敵国の「冷徹皇帝」に拾われる ~「君が必要だ」と言われても、今さら国には戻りません~

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第7話 初めてのデート(視察)

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 その日の朝、私の執務室に現れたジークハルトは、いつになくそわそわとしていた。  普段なら、風を切って入室し、私のデスクの前のソファにドカッと腰掛けて、「休憩だ」と言ってコーヒーを要求するのが常なのに、今日はドアの前で行ったり来たりしている気配がする。

「……ジーク様? そこにいらっしゃるのは分かっていますよ。どうぞお入りください」

 私が声をかけると、観念したようにドアが開き、皇帝陛下が姿を現した。  しかし、その格好を見て、私は目を丸くした。

 いつもの漆黒の軍服ではない。  上質な生地で仕立てられた、濃紺のロングコートに、白いシャツ、そしてシンプルなスラックス。首元にはスカーフを巻いている。  軍服の持つ威圧感が消え、代わりに洗練された「貴公子」といった雰囲気を醸し出していた。前髪も少し下ろしており、そのせいで鋭い目つきが和らぎ、驚くほど若々しく見える。

「あ、あの……ジーク様? そのお召し物は……?」 「……視察だ」

 彼は咳払いを一つして、視線を泳がせた。

「先日、貴様が行った『ランプ最適化』の効果を、現地で確認する必要があると思ってな。帝都の市場や商店街を回って、市民の生の声を聞く。……これは、皇帝としての重要な公務だ」

 公務。なるほど。  でも、それならなぜ、そんなに耳が赤いのだろう。  それに、後ろに控えている宰相のフランツが、親指を立てて満面の笑みで私にウィンクを送ってきているのはなぜだろう。

「ついては、担当技術者である貴様にも同行を命じる。……拒否権はない」 「は、はい。もちろんです。お供させていただきます」

 私が答えると、ジークハルトはホッとしたように息を吐き、それから少し躊躇いがちに付け加えた。

「……目立たぬよう、変装をしていく。貴様も着替えろ。用意はさせてある」

 そう言って彼が指差した先には、メイドのリズが嬉々として抱えている、可愛らしい街着のセットがあった。

 ◇

 一時間後。  私たちは皇城の裏門から、こっそりと街へと繰り出していた。

 私はクリーム色のワンピースに、茶色のボレロを羽織り、髪をハーフアップにまとめている。動きやすくて、とても可愛い。  ジークハルトは先ほどの私服姿に加え、伊達眼鏡をかけていた。

「どうだ。これなら皇帝だとは気づかれまい」

 彼は自信満々に眼鏡の位置を直した。  確かに、眼鏡のおかげで知的な印象が強まり、一見すると裕福な商人の息子か、若き学者といった風情だ。  けれど。

(……隠しきれてないわ、そのオーラ)

 私は心の中でツッコミを入れた。  姿勢が良すぎる。歩き方が優雅すぎる。そして何より、無意識に放たれる「俺が通るから道を空けろ」という覇気が、周囲の人々を自然と避難させているのだ。  まあ、本人が気づかれていないと思っているなら、それでいいか。

「行きましょう、ジーク様。……あ、お忍びですから、お名前はどう呼びましょうか?」 「……好きにしろ。だが、様付けはよせ。目立つ」 「じゃあ、ジークさん……いえ、『ジーク』で」 「……うむ」

 彼はぶっきらぼうに頷いたが、口元が緩んでいるのを私は見逃さなかった。

 帝都アイゼンガルドのメインストリートは、活気に満ち溢れていた。  石畳の両側には煉瓦造りの商店が並び、店先には色とりどりの商品が陳列されている。  蒸気を吹き上げながら走る魔導バス、新聞を配る少年、買い物かごを提げた主婦たちの笑い声。  どこを見ても、平和で豊かな日常があった。

「見てください、ジーク! あの果物屋さんの魔導冷蔵ケース、ちゃんと設定温度が保たれていますよ。野菜もシャキシャキです!」 「ふむ。以前は冷えすぎて凍ったりしていたが、改善されたようだな」 「あっちのベーカリーの窯も、火力が安定しています。パンの焼き色が均一です!」 「ほう。……貴様は本当に、色気より食い気、いや技術なのだな」

 ジークハルトは呆れたように笑いながらも、私の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる。  人混みが多い場所では、さりげなく私の肩を抱き寄せ、通行人とぶつからないようにガードしてくれる。その手つきは、不器用だけれどとても紳士的だった。

 私たちは市場を抜け、中央広場へと向かった。  そこには、私の考案した「アップデート」が施された巨大な街灯が立っていた。  昼間なので点灯はしていないが、その根元にある制御盤は静かな稼働音を立てている。

「……本当に、ロスが消えたな」

 ジークハルトが眼鏡の奥の瞳を細めた。

「以前は、この辺りに立つだけで微弱な魔力漏れによる不快なノイズを感じたものだが、今は空気が澄んでいる」 「はい。それに、見てください。あのベンチ」

 私が指差した先には、街灯の根元に設置されたベンチがあった。  そこには、老夫婦が仲良く座って日向ぼっこをしている。

「以前の街灯は無駄な熱を発していたので、夏場は暑くて近寄れませんでした。でも今は熱が出ないので、こうして憩いの場として機能しています」 「……なるほど。単なる省エネだけでなく、市民生活にも影響を与えているわけか」

 ジークハルトは感心したように頷き、それからふと、近くの屋台に目を留めた。  甘い香ばしい匂いが漂ってくる。クレープの屋台だ。

「……おい、リーゼロッテ。あれを食いたいか?」 「えっ、クレープですか? はい、美味しそうですね」 「待っていろ」

 彼はスタスタと屋台へ向かい、店主に硬貨を渡した。  そして、戻ってきた彼の手には、クリームとフルーツがたっぷりと乗ったクレープが二つ握られていた。

「ほら、貴様の好きなイチゴだ」 「わぁ、ありがとうございます! ……ジークも食べるんですか?」 「毒味だ。……それに、貴様が美味そうに食べるのを見ていたら、少し興味が湧いた」

 私たちはベンチに座り(老夫婦に「おや、仲のいいカップルだねえ」と微笑まれて、二人して顔を赤くしながら)、クレープを頬張った。  甘酸っぱいイチゴと、滑らかな生クリーム。そして、外側はパリパリ、中はモチモチの生地。  絶品だった。

「美味しい……! 帝国のスイーツレベル、高いですね!」 「そうか。……口にクリームがついているぞ」

 ジークハルトが自然な動作で、私の口元についたクリームを指で拭い取った。  そして、その指を自分の口へ。

「!!??」

 私は凍りついた。  え、今、何を?

「……ふむ。悪くない甘さだ」

 彼は平然と感想を述べた。  私が茹でダコのように真っ赤になっていることに気づくと、彼はハッとして、またしても自分の行動の「意味」を後から理解したらしい。

「ち、違う! 今のは、その、ハンカチを出すのが面倒だっただけで、他意は……!」 「も、もう! ジークの馬鹿!」

 私が顔を隠して俯くと、周囲からクスクスという笑い声が聞こえた。  見れば、広場にいた人々が、微笑ましそうに私たちを見ている。   「あらあら、若いっていいわねえ」 「旦那さん、奥さんにメロメロじゃないか」 「美男美女でお似合いだねえ」

 そんな囁き声が聞こえてくる。  誰も、この「デレデレの旦那さん」が、あの恐ろしい「氷の皇帝」だとは気づいていないようだ。  ……いや、本当にそうだろうか?

 その時だった。  広場の向こうから、騒がしい声が聞こえてきた。

「おい、邪魔だ邪魔だ! そこをどけ!」 「痛っ……!」

 人混みを乱暴にかき分けて歩いてくる、柄の悪い男たちの集団がいた。  昼間から酒を飲んでいるのか、足取りがふらついている。  彼らは近くにいた子供を突き飛ばし、そのままこちらへと向かってきた。

「あーん? なんだその甘ったるい顔は。俺たちは今、機嫌が悪いんだよ」

 先頭の男が、ベンチに座るジークハルトに絡んできた。  男はジークハルトの胸倉を掴もうと手を伸ばす。

「いい服着てやがるな。金持ってんだろ? 慰謝料として寄越しな!」

 私は息を呑んだ。  馬鹿な。よりによって、この国で一番怒らせてはいけない相手に喧嘩を売るなんて。  私は止めに入ろうとしたが、ジークハルトが手で制した。

 彼はクレープを持ったまま、ゆっくりと立ち上がった。  眼鏡の奥の瞳が、スゥッ……と細められる。  その瞬間。  周囲の気温が、体感で五度くらい下がった。

「……私のデートを邪魔するとは、いい度胸だ」

 低く、地を這うような声。  男たちの動きがピタリと止まる。  本能が警鐘を鳴らしたのだろう。彼らの顔から、酔いと血の気が引いていく。

「それに、そこで子供が泣いているぞ。……拾って謝れ」

 ジークハルトが一歩踏み出す。  ドォンッ!!  足音と共に、見えない圧力が衝撃波となって男たちを襲った。  男たちは「ひいっ!?」と悲鳴を上げ、腰を抜かしてその場へへたり込んだ。

「あ、あ、あんた……まさか……!?」

 男の一人が、震える指でジークハルトを指差した。  眼鏡越しでも分かる、その圧倒的な魔力の輝き。  そして、風に煽られて見えた腰の剣の紋章――『双頭の氷狼』。

「こ、皇帝陛下だぁぁぁぁッ!!?」

 その叫び声が、広場中に響き渡った。  一瞬の静寂。  そして、爆発的なざわめき。

「えっ、嘘だろ!?」 「あの方が陛下!?」 「じゃあ、隣にいるのは……噂の『光の魔術師様』か!?」

 正体がバレてしまった。  ジークハルトは「ちっ」と舌打ちをして眼鏡を外し、本来の鋭い眼光を露わにした。  そして、へたり込むチンピラたちを見下ろした。

「帝都の治安を乱す愚か者どもよ。……衛兵!」

 影から現れたかのように、私服警備をしていた近衛騎士たちがサッと姿を現し、男たちを取り押さえた。  あっという間の逮捕劇。  ジークハルトは泣いている子供の元へ歩み寄り、膝をついた。

「……怪我はないか」 「う、うん……」 「そうか。……怖がらせてすまなかったな。これでも食って機嫌を直せ」

 彼は自分が食べかけの(まだ一口しか食べていない)クレープを、子供に差し出した。  子供は目を丸くしてそれを受け取り、泣き止んでかぶりついた。

「ありがとう、おにいちゃん!」 「……お兄ちゃん、か。悪くない響きだ」

 ジークハルトが微かに笑う。  その笑顔を見て、凍りついていた広場の人々の緊張が、一気に解けた。

「陛下万歳!」 「子供に優しいなんて、噂と違うぞ!」 「かっこいいー!」

 ワァッと歓声が上がり、拍手が巻き起こる。  人々は遠巻きながらも、好意的な眼差しで私たちを取り囲んだ。  「氷の皇帝」という恐怖のイメージが、「強く、優しく、そして恋人を大切にする一人の人間」へと書き換えられた瞬間だった。

「陛下! 隣の女性が、未来の皇后様ですかー!?」

 誰かが野次を飛ばした。  私は顔から火が出そうになったが、ジークハルトは否定しなかった。  むしろ、私の腰をぐっと引き寄せ、堂々と宣言した。

「そうだ。……文句あるか?」

 キャーッ! と黄色い悲鳴が上がる。  公認されてしまった。  私はもう、恥ずかしさで溶けてしまいそうだったけれど、同時に胸の奥が熱くなるのを感じていた。  この人の隣にいること。  それが、こんなにも誇らしく、幸せなことだなんて。

 ◇

 騒ぎが落ち着いた後、私たちは逃げるように広場を離れ、人通りの少ない運河沿いの道を歩いていた。  日は傾き、空は茜色から紫色へとグラデーションを描いている。  水面に映るガス灯の明かりが、揺らめいて幻想的だ。

「……すまなかったな。騒ぎにしてしまって」

 ジークハルトがバツが悪そうに言った。

「変装の意味がなかった。……やはり、私はこうした『普通の幸せ』には縁遠い人間らしい」 「そんなことありません」

 私は彼の手をぎゅっと握った。

「とっても楽しかったです。クレープも美味しかったし、街の人たちの笑顔も見れたし。……それに、ジークが子供に優しくしているところ、素敵でしたよ」 「……ふん。あれは、泣き声がうるさかっただけだ」

 彼はそっぽを向いたが、握り返す手の力は強かった。

「リーゼロッテ」 「はい」 「私は、貴様に見せたかったのだ。貴様が救ったこの国の姿を」

 彼は足を止め、対岸の街並みを見渡した。  家々の窓には明かりが灯り、家族団欒のシルエットが浮かんでいる。  工場の煙突からは、明日への希望のような蒸気が上がっている。

「貴様がランプを直し、回路を繋ぎ、魔力を循環させたおかげで、これだけの生活が守られている。……貴様は、もっと誇っていい。自分の価値を」 「ジーク……」 「そして、私もその恩恵を受けた一人だ。……貴様がいなければ、私の心はずっと凍りついたままだっただろう」

 彼は私に向き直ると、真剣な瞳で見つめてきた。  夕闇の中で、彼の青い瞳だけが宝石のように輝いている。

「今日、広場で言ったことは訂正しないぞ」 「え?」 「未来の皇后、という言葉だ。……私は本気だ」

 心臓が跳ねる。  それは、実質的なプロポーズだった。

「貴様が必要だ、という利害の一致から始まった契約だが……今は違う。私は、貴様という人間そのものを求めている」 「……私もです」

 私は素直な気持ちを伝えた。

「最初は怖い人だと思っていました。でも、不器用な優しさや、国を想う責任感の強さ、そしてたまに見せる可愛いところを知って……私も、ジークのことが大好きになりました」

 私が言うと、彼は「可愛いところ、は余計だ」と呟きながら、ゆっくりと顔を近づけてきた。  私たちの影が重なる。  唇が触れ合う直前、

 ヒュンッ!

 風を切る音がして、一羽の伝書使い魔(フクロウの姿をした魔導具)が、ジークハルトの肩に舞い降りた。  いい雰囲気だったのに!

「……チッ。なんだ、こんな時に」

 ジークハルトは不機嫌そうに使い魔の足から手紙を取り出した。  しかし、その内容を目にした瞬間、彼の表情から甘さが消え、皇帝の顔に戻った。

「……どうしたんですか?」 「国境警備隊からの報告だ」

 彼は手紙を握り潰した。

「南の国境付近で、不審な魔力反応を感知したそうだ。……規模は小さいが、明らかにこちらを探っている」 「南……ということは、王国から?」 「ああ。どうやら、馬鹿な元婚約者たちが、ようやく貴様の居場所を嗅ぎつけたらしい」

 彼は冷たく笑った。  それは、愛する者を守るために牙を剥く、狼の笑みだった。

「捨てた宝石を今さら拾いに来ようとは、随分と虫のいい話だ。……だが、手遅れだ」

 彼は私の肩を抱き寄せ、強く抱きしめた。

「貴様はもう私のものだ。誰にも渡さない。……たとえ国一つ滅ぼすことになってもな」

 その腕の中で、私は安心感と共に、これから訪れるであろう嵐の予感に身震いした。  祖国からの接触。  それは、私が過去と完全な決別をするための、避けては通れない試練なのだと理解した。

「帰りましょう、ジーク。……私には、あなたがいますから」 「ああ。帰ろう、私たちの城へ」

 私たちは寄り添い、夜の帝都を歩き出した。  背後で瞬く星々が、二人の行く末を見守るように輝いていた。
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