追放された悪役令嬢、魔界で家庭教師になる。「人間は怖い」と教えたら、魔王の息子たちが「先生を泣かす人間は滅ぼす」と過保護な最強軍団になった件

六角

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第4話 魔王様の不器用な優しさ

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 魔王城での生活にも慣れ、双子の皇子たちの教育も軌道に乗り始めた頃。  私には一つ、切実な悩みがあった。

 それは、着る服がないことだ。

 私が持っているのは、王国を追放された時に着ていた夜会用のドレス一着のみ。  しかも、それは『死の森』でのサバイバル生活と、レッド・グリズリーとの戦闘、そして双子たちとの初対面での組み手によって、見るも無残なボロ布と化していた。

 裾は破れ、泥汚れは落ちきらず、あちこちを糸で縫い合わせている状態。  一応、洗濯魔法で清潔には保っているものの、みすぼらしさは否めない。

「アリア様……その、新しいお召し物を用意させていただきたいのですが」

 朝の身支度を手伝ってくれるメイド長(蛇の獣人で、とても世話焼きだ)が、申し訳なさそうに言ってくる。

「お気遣いありがとう、サーラ。でも、私は人間の規格でしょう? 魔族の方々の服ではサイズが合わないし、仕立て直すのも手間でしょうから」

 魔族の女性は、人間よりも遥かに背が高かったり、腕が四本あったり、あるいは翼が生えていたりと、体格が特殊だ。  人間の服を流用できるような環境ではない。

「それに、私は家庭教師として雇われた身。贅沢を言う立場ではありません。これくらい、動ければ問題ありませんよ」

 私は破れた袖口を隠すように腕を組み、微笑んで見せた。  そう、これは我慢ではない。合理的な判断だ。  ただでさえ「人間」というだけで警戒される立場なのだから、余計なコストをかけさせて反感を買うのは得策ではない。

 王国にいた頃もそうだった。  「婚約者の王子よりも目立ってはいけない」と、ドレスは常に地味な色を選び、宝石も最小限に抑えていた。  自分の価値を着飾ることよりも、実務能力で貢献することこそが、私の存在意義だと信じていたから。

 だから、ボロボロの服を着ていても、心までは惨めにならない。  ……そう、言い聞かせていた。

          ◇

 その日の午後。  双子への魔法理論の講義を終え、次の実技授業の準備をしていると、部屋の扉がノックされた。

「入りたまえ」

 重厚な声。  扉を開けて入ってきたのは、魔王ゼスト様だった。  相変わらず、その身に纏う覇気だけで空気が震えるような存在感だ。

「魔王様? わざわざこちらまで、何か御用でしょうか?」

 私は慌てて椅子から立ち上がり、姿勢を正した。  何か授業の内容に不備があったのだろうか。  あるいは、昨日の夕食でルウ君が「人間界の貴族制度における非効率性」について熱弁していたのが、政治的にまずかったとか?

 ゼスト様は部屋の中央まで歩み寄ると、じっと私を見つめた。  その真紅の瞳が、頭のてっぺんからつま先まで、ゆっくりと移動する。

 品定め?  いいえ、これは『解析』に近い。  私の表面だけでなく、その奥にある本質を見極めようとする視線だ。

「……やはり、見ていられんな」

 ゼスト様が低く呟いた。

「は、はい? 何がでしょう?」

「その服だ。アリア、お前はいつまでその布切れを纏っているつもりだ?」

 布切れ。  確かにその通りだけれど、改めて指摘されると恥ずかしさが込み上げてくる。

「申し訳ありません。見苦しいとは存じますが、代わりの服がなく……。業務には支障をきたさないよう努めておりますが」

「そういう問題ではない」

 ゼスト様は僅かに眉を顰め、不機嫌そうに腕を組んだ。

「お前は俺の子供たちの師であり、この城の客人だ。そのお前がそのような格好をしていることは、城主である俺の恥に関わる」

「あ……」

 なるほど。  私の配慮不足だった。  雇用主の品位を保つのも、被雇用者の務め。  私がみすぼらしい格好をしていると、「魔王軍は家庭教師にまともな服も与えられないほど財政難なのか」と勘繰られてしまうかもしれない。

「配慮が足りず、申し訳ありません。すぐに布を調達し、自分で何か縫います」

「ならん。お前の時間は子供たちのために使え。服など、俺が用意させる」

 ゼスト様はパチンと指を鳴らした。  その瞬間、虚空から数名の魔族が現れた。  彼らは手にメジャーや見本帳、そして見たこともない道具を持っていた。

「専属の仕立て屋だ。今すぐ採寸し、最高級のものを仕立てろ。……金に糸目はつけん」

「はっ! 仰せのままに!」

 仕立て屋たちが一斉に私を取り囲む。

「失礼いたします、アリア様! 腕を広げて!」 「ウエスト、細い! 栄養足りてますか!?」 「肌の色が白いから、深みのある色が映えますねぇ!」

 あっという間にメジャーが飛び交い、私の身体データが計測されていく。  プロフェッショナルな手際の良さに、私はされるがままになるしかなかった。

「魔王様、生地はどうされますか? 先日、北の山で狩った『エンシェント・ドラゴン』の皮が手に入りましたが」

 仕立て屋の一人が、虹色に輝く鱗のようなものを見せる。

「待ってください! それは服の素材じゃありません! 鎧です!」

 私は思わず叫んだ。  ドラゴンの皮なんて着たら、物理防御力はカンストするかもしれないが、重くて動けないし、何より威圧感が凄すぎて生徒が怯えてしまう。

「ふむ……では、南の沼地に住む『カース・スパイダー』の糸で織った絹はどうだ? 触れた者の魔力を吸い取る性質があるが、光沢は美しいぞ」

 ゼスト様が真顔で提案してくる。

「呪われてますよね!? 魔力吸い取られたら授業できません!」

「ならば、『ファントム・ミスト』の霧を織り込んだ布は? 物理攻撃をすり抜ける効果がある」

「透けます! 絶対透けますよねそれ!」

 ……どうやら、魔界の「最高級」の基準は、人間界とは大きく異なるらしい。  機能性(主に戦闘用)や希少性が重視されすぎていて、日常着としての快適性が無視されている。

「普通で! 普通の、肌触りの良い、動きやすい布でお願いします!」

 私が懇願すると、ゼスト様は少し残念そうに肩をすくめた。

「無欲な奴だ。……おい、倉庫から『天蚕(セレスティアル・シルク)』を出してこい。あれなら文句はあるまい」

 仕立て屋たちが「おお……!」とどよめいた。  天蚕。  聞いたことがある。  伝説上の聖獣が吐き出す糸で織られた、神の衣とも称される幻の布地。  人間界では、王族の戴冠式でさえ使われないほどの国宝級アイテムだ。

「そ、そんな貴重なものを……私ごときが……」

「構わん。倉庫で埃を被っているよりはマシだ」

 ゼスト様は事もなげに言うと、私の前に広げられた見本帳を指差した。

「色は……そうだな。お前の瞳と同じ、深い紫紺(ロイヤル・バイオレット)がいい」

 選ばれたのは、夜空のように深く、けれど光の加減で星のように煌めく美しい色だった。  地味すぎず、派手すぎず、私の好みにあまりにも合致していたことに、私は言葉を失った。

          ◇

 魔界の職人の技術は凄まじかった。  採寸からわずか数時間後には、仮縫いどころか完成品が届けられたのだ。  おそらく、時間加速の魔法を使ったのだろう。

「さあ、着てみてくれ」

 ゼスト様に促され、私は衝立の向こうで着替えを行った。

 袖を通した瞬間、驚いた。  軽い。  まるで空気を纏っているかのように軽く、肌触りは滑らかで、一切のストレスがない。  『天蚕』の特性なのだろうか、布自体が私の体温や魔力に合わせて微調整を行い、完璧なフィット感を生み出している。

 デザインも秀逸だった。  無駄な装飾を排したAラインのドレス。  襟元は詰まっていて知的さを演出しつつ、背中は少しだけ開いていて女性らしさも覗かせる。  動きやすさを考慮してスカートの丈は足首が見える程度に抑えられ、スリットからはレースが覗く。

 鏡を見る。  そこに映っているのは、ボロボロの「追放令嬢」ではなく、凛とした「魔王城の家庭教師」だった。

「……素敵です」

 自然と声が出た。  こんなに綺麗な服を着たのは、いつぶりだろう。  婚約中も、いつもカイル殿下を引き立てるための引き算のコーディネートばかりしていたから、自分が主役になれる服なんて持っていなかった。

 私は深呼吸をして、衝立の外へと出た。

「いかが……でしょうか?」

 恐る恐る尋ねる。  ゼスト様は、ソファに座って紅茶を飲んでいたが、私を見るなり動きを止めた。  カップを持つ手が空中で静止する。

 沈黙。  長い、長い沈黙。

(え、似合わない? やっぱり素材が良すぎて、私が着ると服に着られている感じがする?)

 不安になって、俯きかけた時。

「……ああ。思った通りだ」

 ゼスト様が立ち上がり、私の元へと歩み寄ってきた。  その表情は、いつもの威厳あるものではなく、どこか眩しいものを見るような、柔らかいものだった。

「宝石は原石のままでも美しいが、磨き上げ、相応しい台座に乗せてこそ、真の輝きを放つ」

 彼はそっと私の手を取り、指先に口付けを落とした。  王族の作法。  けれど、カイル殿下からされた時のような形式的な冷たさはなく、そこには明確な敬意と、熱が込められていた。

「アリア。お前は、自分が思っている以上に美しい。……もっと、自分を大切にしろ」

 その言葉が、胸の奥底にある硬い殻を、コンコンとノックした。

「……っ」

 視界が滲む。  なぜだろう。  怒鳴られたわけでも、いじめられたわけでもないのに。  ただ、綺麗な服をもらって、褒められただけなのに。

 カイル殿下の言葉が蘇る。  『お前は可愛げがない』  『地味で陰気な女だ』  『私の隣に立つ資格はない』

 ずっと、そうだと思っていた。  私は可愛くない。  私は愛される価値がない。  だから、役に立つことでしか、自分の居場所を作れないのだと。

 でも、この人は。  魔王という、人間界では恐怖の象徴とされるこの人は。  私のことを「美しい」と言ってくれた。  何の条件も、対価もなく。

「……ありがとうございます……ゼスト様……」

 堪えきれず、一雫の涙が頬を伝った。  慌てて拭おうとするが、次から次へと溢れてくる。  泣かないと決めていたのに。  『死の森』でも、断罪の場でも泣かなかったのに。  こんな、優しさに触れただけで決壊してしまうなんて。

「……すまん。泣かせるつもりはなかったのだが」

 ゼスト様が困ったように眉を下げ、大きな手で私の涙を拭ってくれた。  その指先は温かく、私はその温もりに縋るように、嗚咽を漏らして泣いた。  張り詰めていた糸が、ようやく解けた瞬間だった。

          ◇

 ――その光景を。  執務室の扉の隙間から、二つの影が見ていた。

 ギルとルウだ。  彼らは「先生が魔王親父に呼び出された」と聞いて、心配になって様子を見に来ていたのだ。

 そして目撃した。  新しいドレスを着たアリアが、ボロボロ泣いている姿を。  そして魔王が、困った顔で彼女に触れている姿を。

 バタンッ!  二人は音を立てずに扉を閉め、廊下を走った。  全力疾走で、自分たちの部屋まで。

「はぁ、はぁ……! 見たかよ、ルウ!」

 部屋に着くなり、ギルが叫んだ。  その顔は怒りで真っ赤に染まっている。

「うん。……先生、泣いてた」

 ルウの声は氷点下のように冷たい。  部屋の温度が急激に下がり、窓ガラスに霜が張る。

「あの強くて気丈な先生が! 俺たちの前でも一度も弱音を吐かなかった先生が! あんなに泣くなんて……よっぽどのことがあったんだ!」

 ギルは壁を殴りつけた。  ドゴォン! と壁に亀裂が入る。

「親父は何をしたんだ!? いや、親父じゃない。親父は先生を慰めているように見えた。……ということは」

 ルウが高速で思考を回転させる。    アリアが泣いていた理由。  新しいドレスを着ていたこと。  そして、ゼストの「自分を大切にしろ」という言葉(盗み聞きしていた)。

 そこから導き出される結論は――

「……トラウマだ」

 ルウが呟いた。

「え?」

「先生は、新しいドレスを着たことで、過去の記憶をフラッシュバックしたんだ。人間界での、辛い記憶を」

 ルウの推測は、ある意味で当たっていたが、決定的に方向性が間違っていた。  アリアは「嬉し涙」を流していたのだが、彼らには「悲しい過去を思い出して泣いている」ようにしか見えなかったのだ。

「王国で、あんな酷い婚約破棄をされた時の服……。それを思い出したんだ。先生にとって、ドレスを着ることは『着飾る喜び』じゃなくて、『値踏みされ、否定される恐怖』の象徴なんだよ」

「な……なんだって……!?」

 ギルが息を呑む。  想像力がたくましすぎる兄弟である。

「それなのに先生は、俺たちのために無理して笑って……『ありがとうございます』なんて……! 健気すぎるだろ畜生!」

「許せない」

 ルウの瞳に、どす黒い光が宿る。

「先生に『ドレス=恐怖』という呪いをかけた元凶。……あの王子と聖女」

「ああ。ぶっ殺す。いや、殺すだけじゃ生温い」

 ギルが拳を握りしめ、ギリギリと歯ぎしりをする。

「先生があんなに泣くほどの心の傷……。それを癒やすには、元凶を消し去るだけじゃ足りねぇ。先生が受けた屈辱の千倍、いや一万倍の絶望を与えてやらなきゃ気が済まねぇ!」

 二人の魔力が共鳴し、部屋中の家具がガタガタと震え出した。

「兄さん。僕、いいこと思いついた」

「なんだ?」

「先生の誕生日に、プレゼントを贈ろう」

 ルウが邪悪な、けれど子供らしい無邪気さを孕んだ笑みを浮かべる。

「最高のプレゼント。……『王国』っていう名前の、おもちゃ箱をね」

「へっ、いいねぇ! 中身をぶちまけて、先生の足元に敷き詰めてやろうぜ!」

 こうして。  アリアが魔王様の優しさに触れて涙を流している間に。  その涙がガソリンとなり、双子の「王国滅亡計画」の炎は、誰にも止められないほど燃え上がってしまったのだった。

          ◇

 翌日。  私は新しい紫紺のドレスを着て、教室へと向かった。

 廊下ですれ違う兵士たちが、一瞬目を見開き、それから顔を赤らめて敬礼してくる。  メイドたちからは「きゃー! アリア様素敵ー!」と黄色い歓声が飛んでくる。  慣れない反応に少し照れくさいけれど、背筋が伸びる思いだ。

「おはようございます、ギル君、ルウ君」

 教室に入ると、二人はすでに席に着いていた。  とても良い子にしている。  ……良い子にしすぎている。

「おはよう、先生! その服、すっげー似合ってるぜ!」

 ギルが満面の笑みで親指を立てる。  いつもの生意気さはどこへやら、妙に機嫌がいい。

「おはようございます、アリア先生。……とても綺麗です。先生の知性が引き立っています」

 ルウも、本から顔を上げて微笑んだ。  その笑顔は天使のように愛らしいが、目の奥が笑っていない気がするのは気のせいだろうか。

「ありがとう。二人とも、今日は随分と張り切っているわね?」

「そりゃあね! 先生のためなら、俺たち何でもするからさ!」

「そうだよ。先生はただ笑っていてくれればいい。……面倒なことは、僕たちが全部片付けるから」

 ルウが意味深な言葉を口にする。

「片付ける? 掃除当番のことかしら?」

「ふふ、まあそんなところだよ。……『大掃除』の計画を立ててるんだ」

 ルウはクスクスと笑い、手元のノートに何かを書き込んだ。  チラリと見えたそのノートには、王国の地図らしきものと、不穏な×印がいくつも描かれていたような気がしたが……見間違いだろうか。

 私は首を傾げつつ、教壇に立った。  新しい服、新しい気持ち。  今日も頑張ろう。  この可愛い生徒たちが、立派な大人になるために。

 ――その時、遠く離れた王国の王城で、原因不明の悪寒に襲われたカイル王子が「ひっ!」と悲鳴を上げて椅子から転げ落ちたことを、私はまだ知る由もなかった。
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