追放された悪役令嬢、魔界で家庭教師になる。「人間は怖い」と教えたら、魔王の息子たちが「先生を泣かす人間は滅ぼす」と過保護な最強軍団になった件

六角

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第5話 王国の黄昏(一方その頃)

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 アリア・ローズベリーが、魔王城で新しいドレスに袖を通し、温かな涙を流していた頃。  彼女を追放した人間の国、ルーンバルド王国では、静かなる崩壊が始まっていた。

 王城、第一王子執務室。  かつては静謐な空気が流れていたその部屋は、今や戦場のような喧騒と殺気に包まれていた。

「ええい、クソッ! なんだこの書類の山は! 何度決裁すれば終わるんだ!」

 第一王子カイルが、マホガニーの執務机を拳で叩きつけた。  彼の目の前には、天井に届かんばかりに積み上げられた羊皮紙の塔が、三つも四つもそびえ立っている。

 予算申請書、国境警備の報告書、魔導具のメンテナンス依頼、貴族間の係争調停……。  次から次へと運び込まれるそれらの書類は、一向に減る気配がない。  むしろ、カイルが一つ処理する間に、三つ増えているような有様だ。

「おい、補佐官! これはどうなっている! 以前はこんなに多くなかったはずだぞ!」

 カイルが充血した目で怒鳴り散らす。  呼びつけられた年配の補佐官は、青ざめた顔で震えながら答えた。

「で、殿下……。以前は、アリア様が……」

「……あ?」

「アリア様が、殿下の決裁が必要なものとそうでないものを事前に仕分けし、さらに重要案件については要約と推奨される判断案を付箋で貼ってくださっていましたので……」

 補佐官の言葉に、カイルの顔が引きつった。

「なんだと? では、あの女が勝手に私の仕事をしていたというのか? 越権行為ではないか!」

「い、いえ! 最終的な決裁は殿下がなされておりました! アリア様はあくまで、殿下のご負担を減らすために下準備を完璧にこなされていただけで……!」

「言い訳をするな!」

 バサァッ!  カイルが腕を振り回し、書類の塔をなぎ倒した。  床に散らばる羊皮紙。インク壺が倒れ、絨毯に黒い染みが広がる。

「あの女……アリアがいなくなってから、何もかもがおかしい! この私が、あんな陰気な女の助けがないと無能だと言いたいのか!」

 カイルはギリギリと歯ぎしりをした。  アリアを追放して一週間。  せいせいするはずだった。  自分の隣には、愛らしくて守ってあげたくなる聖女ミナがいる。  彼女との甘い生活が待っているはずだった。

 だが、現実はどうだ。  アリアがいなくなった翌日から、城内の行政機能は麻痺し始めた。  今までアリアが「趣味のようなもの」として片付けていた業務が、実は王国の心臓部を担う激務だったことが露呈したのだ。

「カイル様ぁ……お疲れですかぁ?」

 部屋の扉が開き、甘ったるい声が響いた。  フリルたっぷりのピンクのドレスを着た少女、ミナだ。  手にはティーカップを載せたトレイを持っている。

「ミナか。……ああ、疲れたよ。無能な部下たちのおかげでな」

 カイルは表情を緩め、ミナを手招きした。

「差し入れを持ってきましたぁ。ミナ特製の、愛のハーブティーですぅ」

「おお、気が利くな! やはり私を癒やしてくれるのはお前だけだ」

 カイルはカップを受け取り、一口飲んだ。

「ぶッ……!!」

 熱い液体を、盛大に吹き出した。

「な、なんだこれは!? 渋い! それに青臭い!」

「ええっ? そんなはずないですぅ。アリアさんがいつも淹れてた葉っぱと同じものを使いましたよぉ?」

 ミナが小首をかしげる。   「お湯の温度、蒸らし時間、茶葉の量……。アリア様はそれらを完璧に計算し、殿下の体調に合わせてブレンドを変えておりました」

 部屋の隅で控えていた侍女長が、冷ややかな声で告げた。   「なんだと? たかがお茶一杯に、そんな手間をかけていたというのか?」

「はい。それが『次期王妃としての嗜み』であると、アリア様は常々仰っておりました」

 侍女長の言葉に、カイルは苛立ちを募らせた。  どこへ行ってもアリア、アリア。  死んだ女の亡霊に付きまとわれているようだ。

「……ふん! たかがお茶淹れが上手いくらいで、偉そうにするな! ミナにはもっと素晴らしい力がある! 『聖女』としての奇跡の力がな!」

 カイルはミナの肩を抱き寄せ、周囲を威圧した。  そうだ、ミナは聖女だ。  その祈りは傷を癒やし、土地を豊かにし、国を守る。  アリアのような計算高い女とは格が違う。

 その時だった。  ドォォォォン……!  地響きとともに、城全体が激しく揺れた。

「な、なんだ! 地震か!?」

 カイルがミナを庇うように立ち上がる。  直後、執務室の扉が乱暴に開かれ、宮廷魔導師団長が飛び込んできた。  白髪の老魔導師の顔は、幽霊を見たかのように真っ青だ。

「へ、陛下! あ、いや殿下! 大変でございます!」

「騒々しいぞ! 何事だ!」

「け、結界が……! 王都を守護する『大聖壁』に、亀裂が入りました!」

「な……ッ!?」

 カイルが絶句する。  『大聖壁』。  それは建国以来、王都を魔物の侵入から守り続けてきた絶対防衛ラインだ。  それが破れるなど、あってはならないことだ。

「どういうことだ! 『大聖壁』は聖女の祈りによって維持されているのではないのか!? ミナ、お前、祈りをサボったのか?」

「い、いいえ! ミナは毎日お祈りしてますぅ! 神様にお願いしてますぅ!」

 ミナが涙目で首を振る。

「殿下……申し上げにくいことですが……」

 魔導師団長が、脂汗を拭いながら重い口を開いた。

「実は……『大聖壁』を維持していたのは、聖女様の祈り……ではなく、アリア様の魔力供給だったのです」

 時が、止まった。

「……は?」

「アリア様は、ご自身の膨大な魔力を、城の地下にある魔導中枢に直結させ、二十四時間体制で結界を維持しておられました。我々魔導師団も補助はしておりましたが、全体の九割以上はアリア様の魔力によるもので……」

「嘘を……つくな……」

 カイルの声が震える。

「あんな……魔力しかない女に、そんなことができるわけがない! あれは『解析』しか能がない無能だろう!?」

「アリア様の『解析』スキルこそが要だったのです! 結界の綻びを瞬時に見抜き、最小限の魔力で最適に修復する。あの神業的な魔力操作があったからこそ、この巨大な結界は維持されていたのです!」

 魔導師団長が悲痛な叫びを上げる。

「アリア様がいなくなり、魔力供給が途絶えた今、結界は急速に崩壊しています! このままでは、あと三日で王都は魔物の群れに飲み込まれます!」

 三日。  それは、死の宣告に等しかった。

 カイルはドサリと椅子に座り込んだ。  信じられない。  信じたくない。  自分が「無能」「冷酷」「可愛げがない」と罵って追い出した女が、実は国の生命線そのものだったなんて。

「……じゃあ、アリアさんが、意地悪をして結界を消したってことですかぁ?」

 静まり返った部屋に、ミナの無邪気な声が響いた。

「え?」

「だってぇ、アリアさんが出て行くまでは大丈夫だったんでしょぉ? だったら、アリアさんが何か呪いをかけたんですよぉ。私たちを困らせるために」

 ミナの言葉に、カイルの目がカッと見開かれた。  そうだ。  そうに違いない。  自分が間違っていたわけではない。  アリアが悪いのだ。  アリアが、自分の立場を誇示するために、卑怯な真似をしたのだ。

 この期に及んで、カイルの思考回路は「自己保身」と「責任転嫁」へと全力疾走を始めた。

「……貴様らの言う通りだ。あの女は魔女だ。国を守る結界を人質に取り、我々を脅そうとしているのだ!」

 カイルが立ち上がる。  その顔には、狂気じみた決意が宿っていた。

「許さん……! 王族であるこの私をコケにするなど、万死に値する!」

「殿下! では、アリア様を呼び戻し、謝罪を……」

「馬鹿者! なぜ私が頭を下げねばならん! 罪人を捕縛し、強制的に結界を修復させるのだ!」

 カイルは机の上のベルを乱暴に鳴らした。  すぐに、鎧に身を包んだ近衛騎士団長が入室してくる。

「騎士団長! 精鋭部隊『銀狼騎士団』を編成しろ! 行き先は北の『死の森』だ!」

「はッ! ……し、しかし殿下。あそこはSランク魔獣の巣窟。騎士団といえども、生還率は……」

「アリアごときが生きていける場所だ! 我々が行けないはずがないだろう!」

 カイルの怒号が飛ぶ。

「アリアを見つけ出し、ふんじばって連れてこい! もし抵抗するようなら、手足を斬り落としてでも構わん! 魔力タンクとして生きていればそれでいい!」

「……ぎょ、御意」

 騎士団長は一瞬躊躇したが、主君の命令には逆らえず、敬礼をして退出した。

「ミナ、お前も行け」

「えぇっ!? 私もですかぁ? 怖いのは嫌ですぅ」

「お前の『聖女』の力で、アリアの呪いを中和するんだ。それに……アリアが捕まる無様な姿、見たいだろう?」

 カイルが歪んだ笑みを向けると、ミナもまた、にんまりと口角を上げた。

「はいぃ♡ アリアさんが泥だらけで泣いて謝るところ、ぜひ見たいですぅ。私が『許してあげてください』ってお願いしてあげますね」

          ◇

 こうして、王国の精鋭部隊二十名と、聖女ミナを含む追跡隊が編成された。  彼らは最高級の装備と魔導具で身を固め、意気揚々と王都を出発した。

 彼らは知らない。  自分たちが向かっている場所が、単なる魔獣の森ではないことを。  そこには今や、最強最悪の過保護軍団が待ち構えていることを。

          ◇

 一方、王都の下町。  酒場の隅で、フードを目深に被った男たちが密談をしていた。

「……おい、聞いたか? 銀狼騎士団が動いたらしいぞ」 「ああ。行き先は北の森だとか」 「まさか、あのアリア様を連れ戻しに行くのか?」

 男の一人が、ジョッキをドンと置いた。  彼は冒険者ギルドのマスターだった。

「ふん、今さら遅いんだよ。……アリア様がいなくなってから、依頼の報酬支払いが滞ってる。役所の連中、計算もろくにできねぇらしい」 「魔導具屋の親父も泣いてたぜ。アリア様が開発した魔石回路の図面、誰も読めなくて修理ができないってよ」 「俺の姪っ子が通ってる孤児院もだ。アリア様からの匿名寄付が止まって、明日のパンにも困ってるらしい」

 酒場の中に、重苦しい空気が漂う。  貴族たちは気づいていなかったが、民衆は気づき始めていた。  この国を裏で支えていたのが、あの「悪役令嬢」と呼ばれた女性だったことに。

「……国が滅ぶかもしれねぇな」

 誰かがボソリと呟いた。  誰もそれを否定しなかった。

「ざまぁみろ、だ」

 ギルドマスターが吐き捨てるように言った。

「有能な人間を追い出して、無能が居座る組織なんざ、遅かれ早かれ終わる。……俺たちは逃げる準備をしといた方がいいかもな」

 王国の黄昏。  太陽は西に傾き、長い夜が訪れようとしていた。  だが、彼らが恐れている「夜」は、魔獣の侵攻などではない。  もっと恐ろしい、憤怒に燃える「魔王の子供たち」という名の災害だった。

          ◇

 その夜。  死の森の上空。  二つの月が怪しく輝く下で、小さな影が二つ、浮遊していた。

「……来たね、兄さん」

 銀髪の少年、ルウが、はるか南の空を見つめて呟く。  その目は、千里眼の魔法で王都から出てくる騎士団の隊列を捉えていた。

「ああ。意外と早かったな」

 赤髪の少年、ギルが、大剣を肩に担いで獰猛に笑う。  夜風が彼の髪を揺らすが、その熱気は冷めることがない。

「人数は二十二名。武装はミスリル級。後衛に聖女と呼ばれる高魔力反応あり」

「へっ、上等だ。……先生へのプレゼントが、向こうから歩いてきてくれるなんてな」

 ギルが舌なめずりをする。

「どうする? ここで迎撃する?」

「いや。森の奥……『魔王城の絶対防衛圏』まで引き込もう。あそこなら、誰にも邪魔されずにたっぷりと『おもてなし』ができる」

 ルウが冷徹な策士の顔で提案する。

「先生には内緒だぞ。先生は優しいから、また『逃してあげなさい』とか言うかもしれない」

「わかってるよ。……先生が気づいた時には、もう何も残っていないようにするさ」

 二人は顔を見合わせ、邪悪に、しかし純粋に笑った。

「「先生を泣かせた罪、魂で償ってもらおうか」」

 双子の殺意が、夜の闇に溶けていく。  王国最強の騎士団と、魔界最強の双子皇子。  その接触まで、あと数時間。

 運命の歯車は、残酷な結末へと向かって、加速度的に回転を始めていた。

          ◇

 翌朝。  私はいつも通り、清々しい目覚めを迎えた。  新しい紫紺のドレスに着替え、鏡の前でくるりと回ってみる。

「うん、今日も頑張ろう」

 窓を開けると、小鳥(というには少々獰猛な見た目の魔界鳥だが)がさえずっている。  今日も平和だ。  生徒たちも良い子にしているし、魔王様も優しいし、職場環境は最高。

 ……なんだか、今日は胸騒ぎがするけれど。  きっと、良いことが起こる前触れね。

 私は呑気にそんなことを考えながら、朝食のパンケーキを焼くためにキッチンへと向かった。  まさか、数時間後に元婚約者からの「死の使者」が訪れ、それを愛弟子たちが「死体」に変えようとしているとは、夢にも思わずに。
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