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第7話 魔王軍、アリア親衛隊化する
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野外実習を無事に終え、私たちは魔王城へと帰還した。 エンシェント・ドラゴンのポチによる空の旅は快適で、帰り道もあっという間だった。 城の中庭に着陸すると、待機していた魔族の兵士たちが一斉に駆け寄ってくる。
「アリア様! ご無事のご帰還、何よりです!」 「お怪我はありませんか!? 服に埃ひとつ付いていないか確認を!」 「ギル様、ルウ様も、アリア様のお手を煩わせるようなことはなさいませんでしたか!?」
……すごい熱気だ。 以前は遠巻きに様子を伺っていた彼らが、今では私を取り囲み、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に接してくる。 私がポチの背中から降りようとすると、地面に絨毯が敷かれ、屈強なオークの兵士が踏み台として背中を差し出そうとする始末だ。
「い、いいえ、大丈夫です。自分で降りられますから」
私は丁重にお断りして、地面に降り立った。 ふと見ると、兵士たちの装備が以前よりも洗練され、その瞳には異様なほどの『やる気』が満ちていることに気づいた。
「皆さん、なんだか活気に溢れていますね。何か良いことでもあったのですか?」
私が尋ねると、兵士長である狼男(ウェアウルフ)のガルドが、ビシッと敬礼をして答えた。
「はい! アリア様にご提案いただいた『業務改善案』および『福利厚生プログラム』が、本日より試験導入されました! その効果たるや、劇的であります!」
「まあ、もう導入されたのですか? 仕事が早いですね」
私は感心した。 数日前、ゼスト様の執務室で雑談がてらに話した内容だ。 魔王軍は個々の戦闘能力は高いが、組織としての連携や兵站管理が杜撰だった。 「力こそパワー」という脳筋思想が蔓延っており、無駄な残業や非効率な訓練が常態化していたのだ。 そこで私は、王国時代に培った事務処理スキルを活かし、いくつかの提案書を提出していた。
「シフト制の導入による休息時間の確保、栄養バランスを考慮した食事メニュー、そして個人の能力適正に応じた配置転換……。どれも素晴らしい成果を上げています!」
ガルドが尻尾をブンブンと振る。
「特に『有給休暇制度』! これには全兵士が涙しました。我々は今まで、休むことは弱さの証明だと思っておりましたが、アリア様の『適切な休息こそが、最強の筋肉を作るのです』というお言葉に、目から鱗が落ちました!」
「それは良かったです。休まないと良い仕事はできませんからね」
私は微笑んだ。 ブラック企業体質だった魔王軍が、ホワイト化していくのは喜ばしいことだ。 これで皆さんのストレスが減り、無意味な人間界への侵略衝動なども抑えられれば、世界平和にも貢献できるだろう。
「アリア様、これらはすべてアリア様のおかげです! 我々魔王軍一同、アリア様への忠誠を新たにいたしました!」
「え? あ、はい。ありがとうございます?」
忠誠? 私はただの家庭教師であり、軍の指揮系統には入っていないはずなのだが。 まあ、感謝されているなら悪い気はしない。
「さあ、先生。部屋に戻って休もうよ。今日の採取データ、まとめなきゃいけないし」
ルウが私の手を引く。 その横で、ギルがガルドに向かって目配せをした。
(おい、準備はできてるんだろうな?) (はっ! 例の『客』の受け入れ態勢、万全であります!) (よし。先生には気づかれないように処理しろよ)
そんなアイコンタクトが行われていたことなど知らず、私は城内へと足を進めた。
◇
その日の夜。 大食堂は、いつも以上の賑わいを見せていた。 今日の夕食は、私が監修した新メニュー『魔界特産食材を使ったスタミナ定食』だ。 厨房に入り、コカトリスの唐揚げや、マンドラゴラの煮込み料理などの味付けを指導させてもらった。
「うまい! なんだこれは! いつものゴムみたいな肉が、口の中でとろけるぞ!」 「このスープ、飲むだけで魔力が回復していく……!」 「アリア様……なんて慈悲深いお方なんだ……」
兵士たちが涙を流しながら食事をしている。 魔界の料理文化は「焼く」か「生」の二択だったらしく、私の持ち込んだ「煮込む」「蒸す」「揚げる」といった調理法は、彼らにとって食の革命だったようだ。
私は食堂の隅で、ゼスト様と一緒に食事をとっていた。
「アリア、見ろ。部下たちが喜んでいる」
ゼスト様がワイングラスを傾けながら、満足げに目を細める。
「お前が来てから、城の空気が変わった。以前は殺伐としていたが、今は……そう、家族のような温かさがある」
「お役に立てて光栄です。食は士気の基本ですから」
私が答えると、ゼスト様は少し真面目な顔になった。
「だが、アリア。少し部下たちが……お前に心酔しすぎている気がするな」
「そうでしょうか?」
「ああ。先ほども、ヴァルゴから報告書が上がってきた。『アリア親衛隊の設立許可願』とな」
ブフォッ! 私は危うくスープを吹き出しそうになった。
「なんですかそれは!? 却下してください!」
「俺もそう思ったのだが、署名欄を見てみろ」
ゼスト様が差し出した羊皮紙には、城内のほぼ全ての兵士、メイド、さらには幹部クラスの署名までが連なっていた。 筆頭には、あの冷静沈着な参謀ヴァルゴの名前がある。
「ヴァルゴ様まで……どうして……」
「あいつはお前の『魔法理論』と『事務処理能力』に惚れ込んだらしい。『アリア様こそが、魔界の行政を担うべき至宝である』と言っていたぞ」
頭が痛くなってきた。 私はただ、平穏に暮らしたいだけなのに。 なんでこう、周りが勝手に盛り上がってしまうのか。
「まあ、実質的な活動は『アリアの護衛』と『アリアの世話』だそうだ。害はないから許可しておいた」
「許可しちゃったんですか!?」
「安心しろ。お前の負担になるようなことはさせん。……むしろ、これから忙しくなるかもしれないからな」
ゼスト様が意味深なことを言う。
「忙しくなる?」
「ああ。……少し、城の周辺が騒がしくなりそうだからな」
ゼスト様は窓の外、闇に沈む森の方角を一瞥した。 その瞳が一瞬、魔王としての冷酷な光を帯びたのを、私は見逃さなかった。
◇
同時刻。 魔王城から数キロ離れた森の中。 そこは、この世の地獄と化していた。
「ひぃぃぃっ! く、来るな! 来るなぁぁぁ!」
銀狼騎士団の若手騎士が、腰を抜かして這いずり回っている。 彼の目の前には、暗闇に光る無数の赤い目があった。
魔獣の群れだ。 だが、ただ襲ってくるわけではない。 彼らは整然と列をなし、連携を取りながら、騎士たちを「追い立てて」いた。
「こっちだ、人間。そっちは崖だぞ」
木の上から、冷ややかな声が降ってくる。 ルウだ。 彼は足を組み、眼下の惨劇を見下ろしていた。
「ぎゃあああ! 足が! 足がぁ!」
別の場所では、底なし沼に足を取られた騎士が叫んでいる。 その沼は、ギルが土魔法で即席に作ったものだ。
「おいおい、汚い声を出すなよ。夜の森の静寂が台無しだろ?」
ギルが大剣を肩に担ぎ、沼の縁に立つ。
「助けてくれ! 頼む、助けてくれ!」
「助ける? なんで?」
ギルは本気で不思議そうに首を傾げた。
「お前ら、先生を殺そうとしたんだろ? あるいは、無理やり連れ帰って、奴隷のように働かせるつもりだったんだろ?」
「ち、違う! 命令なんだ! 王子の命令で……!」
「命令なら、人を不幸にしてもいいのかよ」
ギルの瞳が、スゥッと細められる。
「俺はさ、先生から教わったんだ。『自分の頭で考えろ』って。お前らは思考停止して、先生を傷つける片棒を担いだ。……その罪は、死んで償うしかないね」
ギルが指を鳴らす。 すると、沼の中から巨大な触手が現れ、騎士をズルズルと引きずり込んでいった。
「さて、次はメインディッシュだ」
ルウが降りてくる。 二人の視線の先には、ボロボロになった本隊――隊長のガレスと、聖女ミナがいた。
彼らは強力な結界魔導具のおかげで、なんとか生き延びていた。 だが、その精神は限界を迎えていた。
「ど、どうなっているのですぅ……! こんなの聞いてませんぅ!」
ミナが半狂乱になって叫ぶ。 ドレスは泥だらけ、自慢の巻き髪も見る影もない。
「聖女様、落ち着いてください! 結界から出るな!」
ガレスが剣を構え、周囲を警戒する。 だが、彼の手は震えていた。 戦う相手が見えない。 いや、見えているのは「森そのもの」が敵意を持って襲いかかってきているという事実だ。
「やあ、聖女お姉さん」
霧の中から、双子が姿を現した。
「ま、魔族の子供……! 貴様らがこれをやっているのか!」
ガレスが吠える。
「正解。……ねえ、聞きたいことがあるんだ」
ルウが一歩前に出る。
「君が、『カマキリ女』だよね?」
「は、はぁ? 誰が虫ですかぁ! 私は聖女ミナですぅ!」
「うん、名前はどうでもいいや。先生を嘘で陥れて、追放させた元凶。……そうだね?」
ルウの問いかけに、ミナは一瞬怯んだが、すぐに居直ったようにふんぞり返った。
「ふん! アリアさんが勝手に出て行ったんですぅ! あんな意地悪な人、いなくなって清々しましたぁ!」
その言葉を聞いた瞬間。 森の空気が、ピキリと凍りついた。
「……へぇ」
ギルが笑った。 ルウも笑った。 だが、その笑顔は、能面のようだった。
「意地悪? 先生が? ……あんなに優しくて、僕たちのために一生懸命で、泣き虫な先生が?」
ルウの周囲に、黒い魔力の球体が無数に出現する。
「お前らの目は節穴か? それとも、脳みそが腐ってるのか?」
ギルの大剣が、紅蓮の炎を纏い始める。
「よくわかった。対話は不可能だ。……害虫駆除を開始する」
◇
その頃、城の作戦指令室では。 参謀長ヴァルゴを中心に、緊急会議(という名のファンミーティング)が開かれていた。
「報告します! 第三防衛ラインにて、侵入者の一部を無力化! 現在はギル様とルウ様が『遊んで』おられます!」
「うむ。監視カメラの映像をモニターに出せ」
ヴァルゴの指示で、空中に映像が投影される。 そこには、双子に一方的に蹂躙される騎士団の姿が映し出されていた。
「ひどいな……。まあ、自業自得だが」
オークの将軍が腕組みをして鼻を鳴らす。
「しかし、あの聖女とかいう女。アリア様のことを侮辱しましたね。許せません」
サキュバスの情報官が、怒りで爪を伸ばしている。
「ああ。我らがアリア様を『意地悪』などと……。彼女の作るスープの温かさを知らない愚か者め」
ヴァルゴが眼鏡を押し上げる。 彼の机の上には、『アリア様名言集』という手書きのノートが置かれていた。
「総員に通達! 今回の件、アリア様には一切知らせるな!」
ヴァルゴが立ち上がり、宣言する。
「アリア様は心優しいお方だ。元同僚たちが無様に処刑される姿など見れば、お心を痛めるに違いない。……『汚れ仕事』は、我々がすべて引き受ける!」
「「「イエッサー!!」」」
司令室に、熱い咆哮が響き渡った。 彼らの目的は一つ。 アリアの平穏な生活を守ること。 そのための障害は、すべて秘密裏に排除する。
「なお、捕獲した騎士たちは鉱山送りにし、死ぬまで労働させる。聖女については……ギル様とルウ様の『教育』が終わった後、改めて処分を決定する」
ヴァルゴの冷徹な判断に、誰も異論を挟まなかった。
「アリア様には、『森で迷子の小動物を保護した』とでも伝えておけ。嘘ではないだろう、人間も動物の一種だ」
こうして、魔王軍による完璧な情報統制と、徹底的な排除行動が確定した。 アリアが寝室で「今日も良い一日だったわ」と日記を書いている間に、彼女の敵対者たちは、組織的に、かつ合法的に(魔界法において)抹殺されようとしていた。
◇
翌朝。 私はいつも通り早起きをして、中庭の散歩に出た。 空気は澄んでいて、昨夜の森の騒がしさなど嘘のように静かだ。
「おはようございます、アリア様!」
すれ違う兵士たちが、昨日以上にキラキラした目で挨拶してくる。 中には、なぜか泥だらけの者や、鎧に焦げ跡がある者もいるが、皆一様に清々しい顔をしている。
「おはようございます。……あら、ガルドさん。怪我ですか?」
私は兵士長のガルドの腕に包帯が巻かれているのに気づいた。
「ハッ! いえ、これは……夜中にちょっと、害虫駆除をしておりまして! 名誉の負傷です!」
「害虫駆除? そんなに大きな虫がいたのですか?」
「ええ、とても……不快で、図々しい害虫でした。ですが、もう二度とアリア様の視界に入ることはありませんので、ご安心ください!」
ガルドが誇らしげに胸を張る。 よくわからないけれど、城の衛生環境を守ってくれたらしい。
「ありがとうございます。無理はしないでくださいね」
私が回復魔法【ヒール】をかけると、ガルドは「うおおお! アリア様の癒やし!」と叫んでその場に崩れ落ち、周囲の兵士たちから羨望の眼差しを向けられていた。 ……魔族の方々のリアクションは、相変わらず大げさだわ。
食堂へ行くと、ギルとルウがすでに席に着いて朝食をとっていた。 二人とも、なんだかスッキリした顔をしている。 まるで、溜まっていた宿題を全部片付けた後のような。
「おはよう、先生!」 「おはようございます、アリア先生」
「おはよう。二人とも、昨日はよく眠れた?」
「うん! ぐっすり眠れたよ。……ちょっと夜更かしして『ゲーム』してたけど」
ギルがパンにかぶりつきながら言う。
「ゲーム?」
「うん、シミュレーションゲームかな。『防衛戦』の練習。結構難易度高かったけど、パーフェクトクリアしたよ」
ルウがコーヒー(ブラックだ。ませている)を飲みながら補足する。
「そう、熱中するのはいいけど、寝不足には気をつけてね」
私は二人の健康を気遣った。 まさかその『ゲーム』が、実弾演習(対人間)だったとは微塵も疑わずに。
その時、食堂の扉が開き、ヴァルゴ様が入ってきた。 彼は私の姿を見つけると、恭しく一礼し、それから一枚の羊皮紙を差し出した。
「アリア様。これをご覧ください」
「これは?」
「嘆願書です。……兵士たちから、『アリア様の特別講義を受けたい』という要望が殺到しておりまして」
見ると、そこには『アリア先生の人生相談室』『アリア先生の魔法制御術・応用編』『アリア先生と行く楽しい農作業』など、多岐にわたる講座の希望が書かれていた。
「ええっ? 私はギル君とルウ君の家庭教師であって、軍の教官ではありませんよ?」
「ですが、彼らの士気に関わります。……どうか、週に一度でも構いませんので、彼らに慈愛の光を与えてやってはいただけないでしょうか」
ヴァルゴ様が、あの鉄仮面のような無表情を崩し、懇願するような目で見つめてくる。 周囲の兵士たちも、息を呑んで私の返事を待っている。
……断れない。 この空気、絶対に断れない。
「はぁ……わかりました。双子の授業に支障がない範囲であれば」
「ありがとうございます!!」
ドッ! と食堂全体が歓喜の声に包まれた。 抱き合って喜ぶ者、ガッツポーズをする者、拝む者。 まるで戦争に勝利したかのような騒ぎだ。
「人気者だね、先生」
ギルが面白そうに笑う。
「まあね。先生の価値に気づかない人間たちが馬鹿なだけだよ。……ねえ、兄さん」
ルウが小声で囁く。
「昨日の『生き残り』……あの聖女。どうする?」
「ああ。地下牢に放り込んであるけど、まだ喚いてるぜ。『私は聖女だぞ』って」
「精神的にまだ元気みたいだね。……じゃあ、第二ラウンドといこうか」
ルウがフォークでソーセージをプチリと刺した。
「先生の特別講義の前に、僕たちが『特別補習』をしてあげないとね」
二人の会話は、周囲の歓声にかき消され、私の耳には届かなかった。
こうして、魔王軍は名実ともに『アリア親衛隊』へと変貌を遂げた。 彼らの忠誠心は、アリアへの愛と、人間への憎悪という二つの燃料で燃え盛っている。 もし今、王国がアリアを取り戻そうと軍を派遣すれば、それは「戦争」ではなく、一方的な「虐殺」になるだろう。
しかし、運命は皮肉なもので。 生き残った聖女ミナの存在が、さらなる波乱を呼ぶことになる。 彼女が持っていた『緊急通信用の魔導具』が、まだ破壊されずに残っていたことを、双子はまだ気づいていなかったのだ。
「アリア様! ご無事のご帰還、何よりです!」 「お怪我はありませんか!? 服に埃ひとつ付いていないか確認を!」 「ギル様、ルウ様も、アリア様のお手を煩わせるようなことはなさいませんでしたか!?」
……すごい熱気だ。 以前は遠巻きに様子を伺っていた彼らが、今では私を取り囲み、まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に接してくる。 私がポチの背中から降りようとすると、地面に絨毯が敷かれ、屈強なオークの兵士が踏み台として背中を差し出そうとする始末だ。
「い、いいえ、大丈夫です。自分で降りられますから」
私は丁重にお断りして、地面に降り立った。 ふと見ると、兵士たちの装備が以前よりも洗練され、その瞳には異様なほどの『やる気』が満ちていることに気づいた。
「皆さん、なんだか活気に溢れていますね。何か良いことでもあったのですか?」
私が尋ねると、兵士長である狼男(ウェアウルフ)のガルドが、ビシッと敬礼をして答えた。
「はい! アリア様にご提案いただいた『業務改善案』および『福利厚生プログラム』が、本日より試験導入されました! その効果たるや、劇的であります!」
「まあ、もう導入されたのですか? 仕事が早いですね」
私は感心した。 数日前、ゼスト様の執務室で雑談がてらに話した内容だ。 魔王軍は個々の戦闘能力は高いが、組織としての連携や兵站管理が杜撰だった。 「力こそパワー」という脳筋思想が蔓延っており、無駄な残業や非効率な訓練が常態化していたのだ。 そこで私は、王国時代に培った事務処理スキルを活かし、いくつかの提案書を提出していた。
「シフト制の導入による休息時間の確保、栄養バランスを考慮した食事メニュー、そして個人の能力適正に応じた配置転換……。どれも素晴らしい成果を上げています!」
ガルドが尻尾をブンブンと振る。
「特に『有給休暇制度』! これには全兵士が涙しました。我々は今まで、休むことは弱さの証明だと思っておりましたが、アリア様の『適切な休息こそが、最強の筋肉を作るのです』というお言葉に、目から鱗が落ちました!」
「それは良かったです。休まないと良い仕事はできませんからね」
私は微笑んだ。 ブラック企業体質だった魔王軍が、ホワイト化していくのは喜ばしいことだ。 これで皆さんのストレスが減り、無意味な人間界への侵略衝動なども抑えられれば、世界平和にも貢献できるだろう。
「アリア様、これらはすべてアリア様のおかげです! 我々魔王軍一同、アリア様への忠誠を新たにいたしました!」
「え? あ、はい。ありがとうございます?」
忠誠? 私はただの家庭教師であり、軍の指揮系統には入っていないはずなのだが。 まあ、感謝されているなら悪い気はしない。
「さあ、先生。部屋に戻って休もうよ。今日の採取データ、まとめなきゃいけないし」
ルウが私の手を引く。 その横で、ギルがガルドに向かって目配せをした。
(おい、準備はできてるんだろうな?) (はっ! 例の『客』の受け入れ態勢、万全であります!) (よし。先生には気づかれないように処理しろよ)
そんなアイコンタクトが行われていたことなど知らず、私は城内へと足を進めた。
◇
その日の夜。 大食堂は、いつも以上の賑わいを見せていた。 今日の夕食は、私が監修した新メニュー『魔界特産食材を使ったスタミナ定食』だ。 厨房に入り、コカトリスの唐揚げや、マンドラゴラの煮込み料理などの味付けを指導させてもらった。
「うまい! なんだこれは! いつものゴムみたいな肉が、口の中でとろけるぞ!」 「このスープ、飲むだけで魔力が回復していく……!」 「アリア様……なんて慈悲深いお方なんだ……」
兵士たちが涙を流しながら食事をしている。 魔界の料理文化は「焼く」か「生」の二択だったらしく、私の持ち込んだ「煮込む」「蒸す」「揚げる」といった調理法は、彼らにとって食の革命だったようだ。
私は食堂の隅で、ゼスト様と一緒に食事をとっていた。
「アリア、見ろ。部下たちが喜んでいる」
ゼスト様がワイングラスを傾けながら、満足げに目を細める。
「お前が来てから、城の空気が変わった。以前は殺伐としていたが、今は……そう、家族のような温かさがある」
「お役に立てて光栄です。食は士気の基本ですから」
私が答えると、ゼスト様は少し真面目な顔になった。
「だが、アリア。少し部下たちが……お前に心酔しすぎている気がするな」
「そうでしょうか?」
「ああ。先ほども、ヴァルゴから報告書が上がってきた。『アリア親衛隊の設立許可願』とな」
ブフォッ! 私は危うくスープを吹き出しそうになった。
「なんですかそれは!? 却下してください!」
「俺もそう思ったのだが、署名欄を見てみろ」
ゼスト様が差し出した羊皮紙には、城内のほぼ全ての兵士、メイド、さらには幹部クラスの署名までが連なっていた。 筆頭には、あの冷静沈着な参謀ヴァルゴの名前がある。
「ヴァルゴ様まで……どうして……」
「あいつはお前の『魔法理論』と『事務処理能力』に惚れ込んだらしい。『アリア様こそが、魔界の行政を担うべき至宝である』と言っていたぞ」
頭が痛くなってきた。 私はただ、平穏に暮らしたいだけなのに。 なんでこう、周りが勝手に盛り上がってしまうのか。
「まあ、実質的な活動は『アリアの護衛』と『アリアの世話』だそうだ。害はないから許可しておいた」
「許可しちゃったんですか!?」
「安心しろ。お前の負担になるようなことはさせん。……むしろ、これから忙しくなるかもしれないからな」
ゼスト様が意味深なことを言う。
「忙しくなる?」
「ああ。……少し、城の周辺が騒がしくなりそうだからな」
ゼスト様は窓の外、闇に沈む森の方角を一瞥した。 その瞳が一瞬、魔王としての冷酷な光を帯びたのを、私は見逃さなかった。
◇
同時刻。 魔王城から数キロ離れた森の中。 そこは、この世の地獄と化していた。
「ひぃぃぃっ! く、来るな! 来るなぁぁぁ!」
銀狼騎士団の若手騎士が、腰を抜かして這いずり回っている。 彼の目の前には、暗闇に光る無数の赤い目があった。
魔獣の群れだ。 だが、ただ襲ってくるわけではない。 彼らは整然と列をなし、連携を取りながら、騎士たちを「追い立てて」いた。
「こっちだ、人間。そっちは崖だぞ」
木の上から、冷ややかな声が降ってくる。 ルウだ。 彼は足を組み、眼下の惨劇を見下ろしていた。
「ぎゃあああ! 足が! 足がぁ!」
別の場所では、底なし沼に足を取られた騎士が叫んでいる。 その沼は、ギルが土魔法で即席に作ったものだ。
「おいおい、汚い声を出すなよ。夜の森の静寂が台無しだろ?」
ギルが大剣を肩に担ぎ、沼の縁に立つ。
「助けてくれ! 頼む、助けてくれ!」
「助ける? なんで?」
ギルは本気で不思議そうに首を傾げた。
「お前ら、先生を殺そうとしたんだろ? あるいは、無理やり連れ帰って、奴隷のように働かせるつもりだったんだろ?」
「ち、違う! 命令なんだ! 王子の命令で……!」
「命令なら、人を不幸にしてもいいのかよ」
ギルの瞳が、スゥッと細められる。
「俺はさ、先生から教わったんだ。『自分の頭で考えろ』って。お前らは思考停止して、先生を傷つける片棒を担いだ。……その罪は、死んで償うしかないね」
ギルが指を鳴らす。 すると、沼の中から巨大な触手が現れ、騎士をズルズルと引きずり込んでいった。
「さて、次はメインディッシュだ」
ルウが降りてくる。 二人の視線の先には、ボロボロになった本隊――隊長のガレスと、聖女ミナがいた。
彼らは強力な結界魔導具のおかげで、なんとか生き延びていた。 だが、その精神は限界を迎えていた。
「ど、どうなっているのですぅ……! こんなの聞いてませんぅ!」
ミナが半狂乱になって叫ぶ。 ドレスは泥だらけ、自慢の巻き髪も見る影もない。
「聖女様、落ち着いてください! 結界から出るな!」
ガレスが剣を構え、周囲を警戒する。 だが、彼の手は震えていた。 戦う相手が見えない。 いや、見えているのは「森そのもの」が敵意を持って襲いかかってきているという事実だ。
「やあ、聖女お姉さん」
霧の中から、双子が姿を現した。
「ま、魔族の子供……! 貴様らがこれをやっているのか!」
ガレスが吠える。
「正解。……ねえ、聞きたいことがあるんだ」
ルウが一歩前に出る。
「君が、『カマキリ女』だよね?」
「は、はぁ? 誰が虫ですかぁ! 私は聖女ミナですぅ!」
「うん、名前はどうでもいいや。先生を嘘で陥れて、追放させた元凶。……そうだね?」
ルウの問いかけに、ミナは一瞬怯んだが、すぐに居直ったようにふんぞり返った。
「ふん! アリアさんが勝手に出て行ったんですぅ! あんな意地悪な人、いなくなって清々しましたぁ!」
その言葉を聞いた瞬間。 森の空気が、ピキリと凍りついた。
「……へぇ」
ギルが笑った。 ルウも笑った。 だが、その笑顔は、能面のようだった。
「意地悪? 先生が? ……あんなに優しくて、僕たちのために一生懸命で、泣き虫な先生が?」
ルウの周囲に、黒い魔力の球体が無数に出現する。
「お前らの目は節穴か? それとも、脳みそが腐ってるのか?」
ギルの大剣が、紅蓮の炎を纏い始める。
「よくわかった。対話は不可能だ。……害虫駆除を開始する」
◇
その頃、城の作戦指令室では。 参謀長ヴァルゴを中心に、緊急会議(という名のファンミーティング)が開かれていた。
「報告します! 第三防衛ラインにて、侵入者の一部を無力化! 現在はギル様とルウ様が『遊んで』おられます!」
「うむ。監視カメラの映像をモニターに出せ」
ヴァルゴの指示で、空中に映像が投影される。 そこには、双子に一方的に蹂躙される騎士団の姿が映し出されていた。
「ひどいな……。まあ、自業自得だが」
オークの将軍が腕組みをして鼻を鳴らす。
「しかし、あの聖女とかいう女。アリア様のことを侮辱しましたね。許せません」
サキュバスの情報官が、怒りで爪を伸ばしている。
「ああ。我らがアリア様を『意地悪』などと……。彼女の作るスープの温かさを知らない愚か者め」
ヴァルゴが眼鏡を押し上げる。 彼の机の上には、『アリア様名言集』という手書きのノートが置かれていた。
「総員に通達! 今回の件、アリア様には一切知らせるな!」
ヴァルゴが立ち上がり、宣言する。
「アリア様は心優しいお方だ。元同僚たちが無様に処刑される姿など見れば、お心を痛めるに違いない。……『汚れ仕事』は、我々がすべて引き受ける!」
「「「イエッサー!!」」」
司令室に、熱い咆哮が響き渡った。 彼らの目的は一つ。 アリアの平穏な生活を守ること。 そのための障害は、すべて秘密裏に排除する。
「なお、捕獲した騎士たちは鉱山送りにし、死ぬまで労働させる。聖女については……ギル様とルウ様の『教育』が終わった後、改めて処分を決定する」
ヴァルゴの冷徹な判断に、誰も異論を挟まなかった。
「アリア様には、『森で迷子の小動物を保護した』とでも伝えておけ。嘘ではないだろう、人間も動物の一種だ」
こうして、魔王軍による完璧な情報統制と、徹底的な排除行動が確定した。 アリアが寝室で「今日も良い一日だったわ」と日記を書いている間に、彼女の敵対者たちは、組織的に、かつ合法的に(魔界法において)抹殺されようとしていた。
◇
翌朝。 私はいつも通り早起きをして、中庭の散歩に出た。 空気は澄んでいて、昨夜の森の騒がしさなど嘘のように静かだ。
「おはようございます、アリア様!」
すれ違う兵士たちが、昨日以上にキラキラした目で挨拶してくる。 中には、なぜか泥だらけの者や、鎧に焦げ跡がある者もいるが、皆一様に清々しい顔をしている。
「おはようございます。……あら、ガルドさん。怪我ですか?」
私は兵士長のガルドの腕に包帯が巻かれているのに気づいた。
「ハッ! いえ、これは……夜中にちょっと、害虫駆除をしておりまして! 名誉の負傷です!」
「害虫駆除? そんなに大きな虫がいたのですか?」
「ええ、とても……不快で、図々しい害虫でした。ですが、もう二度とアリア様の視界に入ることはありませんので、ご安心ください!」
ガルドが誇らしげに胸を張る。 よくわからないけれど、城の衛生環境を守ってくれたらしい。
「ありがとうございます。無理はしないでくださいね」
私が回復魔法【ヒール】をかけると、ガルドは「うおおお! アリア様の癒やし!」と叫んでその場に崩れ落ち、周囲の兵士たちから羨望の眼差しを向けられていた。 ……魔族の方々のリアクションは、相変わらず大げさだわ。
食堂へ行くと、ギルとルウがすでに席に着いて朝食をとっていた。 二人とも、なんだかスッキリした顔をしている。 まるで、溜まっていた宿題を全部片付けた後のような。
「おはよう、先生!」 「おはようございます、アリア先生」
「おはよう。二人とも、昨日はよく眠れた?」
「うん! ぐっすり眠れたよ。……ちょっと夜更かしして『ゲーム』してたけど」
ギルがパンにかぶりつきながら言う。
「ゲーム?」
「うん、シミュレーションゲームかな。『防衛戦』の練習。結構難易度高かったけど、パーフェクトクリアしたよ」
ルウがコーヒー(ブラックだ。ませている)を飲みながら補足する。
「そう、熱中するのはいいけど、寝不足には気をつけてね」
私は二人の健康を気遣った。 まさかその『ゲーム』が、実弾演習(対人間)だったとは微塵も疑わずに。
その時、食堂の扉が開き、ヴァルゴ様が入ってきた。 彼は私の姿を見つけると、恭しく一礼し、それから一枚の羊皮紙を差し出した。
「アリア様。これをご覧ください」
「これは?」
「嘆願書です。……兵士たちから、『アリア様の特別講義を受けたい』という要望が殺到しておりまして」
見ると、そこには『アリア先生の人生相談室』『アリア先生の魔法制御術・応用編』『アリア先生と行く楽しい農作業』など、多岐にわたる講座の希望が書かれていた。
「ええっ? 私はギル君とルウ君の家庭教師であって、軍の教官ではありませんよ?」
「ですが、彼らの士気に関わります。……どうか、週に一度でも構いませんので、彼らに慈愛の光を与えてやってはいただけないでしょうか」
ヴァルゴ様が、あの鉄仮面のような無表情を崩し、懇願するような目で見つめてくる。 周囲の兵士たちも、息を呑んで私の返事を待っている。
……断れない。 この空気、絶対に断れない。
「はぁ……わかりました。双子の授業に支障がない範囲であれば」
「ありがとうございます!!」
ドッ! と食堂全体が歓喜の声に包まれた。 抱き合って喜ぶ者、ガッツポーズをする者、拝む者。 まるで戦争に勝利したかのような騒ぎだ。
「人気者だね、先生」
ギルが面白そうに笑う。
「まあね。先生の価値に気づかない人間たちが馬鹿なだけだよ。……ねえ、兄さん」
ルウが小声で囁く。
「昨日の『生き残り』……あの聖女。どうする?」
「ああ。地下牢に放り込んであるけど、まだ喚いてるぜ。『私は聖女だぞ』って」
「精神的にまだ元気みたいだね。……じゃあ、第二ラウンドといこうか」
ルウがフォークでソーセージをプチリと刺した。
「先生の特別講義の前に、僕たちが『特別補習』をしてあげないとね」
二人の会話は、周囲の歓声にかき消され、私の耳には届かなかった。
こうして、魔王軍は名実ともに『アリア親衛隊』へと変貌を遂げた。 彼らの忠誠心は、アリアへの愛と、人間への憎悪という二つの燃料で燃え盛っている。 もし今、王国がアリアを取り戻そうと軍を派遣すれば、それは「戦争」ではなく、一方的な「虐殺」になるだろう。
しかし、運命は皮肉なもので。 生き残った聖女ミナの存在が、さらなる波乱を呼ぶことになる。 彼女が持っていた『緊急通信用の魔導具』が、まだ破壊されずに残っていたことを、双子はまだ気づいていなかったのだ。
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