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第7話「御用商会と循環する金」
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「……言ったな、トーマス。貴様、親を売る気か!」
ガレオン商会の応接室に、商会長の怒号が雷鳴のように轟いた。 彼は顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべて息子を睨みつけている。 その形相は、商人の仮面を完全にかなぐり捨てた、欲望と保身にまみれた獣そのものだった。
「お前が何を言おうと、誰が信じる? 精神を病んだ放蕩息子の妄想だ! そうだ、最近働きすぎで頭がおかしくなっていたんだな?」
商会長は唾を飛ばしながら捲し立てる。 典型的な隠蔽工作だ。 都合の悪い証言者は、たとえ肉親であっても「狂人」に仕立て上げて排除する。 トーマスは蒼白な顔で唇を震わせていたが、テーブルの端を掴む指には必死に力が込められていた。
「……狂ってなんかない。父さん、もう終わりにしよう。こんなこと続けていたら、ガレオン商会は本当に終わってしまう」 「終わるのはお前だ! この恩知らずが!」
商会長が手を振り上げ、合図を送る。 部屋の隅に控えていた私兵たちが、威圧的な音を立てて一歩踏み出した。 ジャリ、と革靴が床を擦る音が、密室の緊張感を極限まで高める。 私の護衛騎士が剣の柄に手をかけ、私とトーマスを背に庇うように立った。
「お引き取り願おうか、監査官殿。……いや、ただで帰れると思うなよ。我が商会の機密を盗み出そうとした産業スパイとして、突き出してやる」
商会長の目は本気だった。 王宮から離れたこの場所は、彼の王国だ。 ここで私たちを拘束し、証拠書類を奪い取り、適当な罪をでっち上げて揉み消すつもりなのだ。 力尽くで。
私は静かに息を吐き、商会長を見据えた。 恐怖はない。 あるのは、愚かな権力者への憐憫だけだ。
「……残念です、商会長。貴方は商人として最も大切なものを読み違えている」 「何だと?」 「『損切り』のタイミングです。今ここで罪を認めれば、商会自体は存続できたかもしれない。でも、貴方は王家の監査官に対し、実力行使という最悪の手を選んだ」
私は懐から懐中時計を取り出し、蓋を開けた。 秒針がカチリ、カチリと時を刻む。
「そろそろ、時間ですね」
「何の時間だ? ハッタリはよせ!」
商会長が鼻で笑った、その瞬間だった。
ドォォォン!!
商会の正門の方角から、腹に響くような轟音が響いた。 建物が揺れ、窓ガラスがビリビリと震える。 商会長が「ひっ!?」と声を上げて腰を抜かしかけた。 私兵たちが動揺して顔を見合わせる。
「な、なんだ!? 爆発か!?」 「いいえ。……『到着』の合図です」
私は懐中時計をパチンと閉じた。
「申し上げたはずです。今日は長い一日になると。……私一人で敵地に乗り込むほど、無謀だと思われましたか?」
廊下が騒がしくなる。 「近衛だ!」「近衛騎士団が突入してきたぞ!」という悲鳴のような報告が聞こえてくる。 そして、応接室の扉が蹴破られるようにして開かれた。
「確保ーッ!!」
雪崩れ込んできたのは、銀色の甲冑に身を包んだ近衛騎士たち。 先頭に立っているのは、見紛うことなき「氷の宰相補佐」、レオンハルト・グランツだった。 その後ろには、不敵な笑みを浮かべたカミュ団長の姿もある。
「レ、レオンハルト様……!? な、なぜここに……!」
商会長が裏返った声を上げる。 レオンハルト様は、埃ひとつない完璧な所作で部屋の中央に進み出ると、冷ややかな視線で商会長を射抜いた。
「王家御用達規定、第十四条。『不正の疑いがあり、かつ監査への協力を拒否した場合、宰相府は即時強制執行権を行使できる』。……貴殿が監査官を脅迫しているとの報告を受けた。これより、ガレオン商会の全資産を凍結し、関係者を拘束する」
「そ、そんな馬鹿な! 令状もなしに!」 「令状ならここにある」
レオンハルト様は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、商会長の目の前に突きつけた。 そこには、王妃エレオノーラ陛下の署名だけでなく、国王陛下の玉璽までもが押されていた。 最強のカード。
商会長はその場に崩れ落ちた。 私兵たちは武器を捨て、両手を上げて降伏する。 勝負あった。
レオンハルト様は私の方を向き、微かに口角を上げた。
「……遅くなったか?」 「いいえ。完璧なタイミングでした」
私は微笑み返した。 昨夜の打ち合わせ通りだ。 私が先兵として乗り込み、相手がボロを出して実力行使に出た瞬間、本隊が制圧する。 「契約の抜け道」どころか、契約そのものを粉砕する王道の力技。 これこそが、絶対王政における権力の正しい使い方だ。
◇
ガレオン商会は即座に封鎖され、王宮から派遣された会計官たちによって、徹底的な家宅捜索が始まった。 地下倉庫からは隠されていた二重帳簿の山が発見され、隠し金庫からは王家へ納入されるはずだった高級食材やワインが次々と運び出された。 腐敗のデパートだ。
応接室は、そのまま臨時の取調室となった。 商会長は別室へ連行され、ここには私とレオンハルト様、そしてトーマスが残っている。
トーマスは椅子に座り、震える手で水の入ったグラスを握りしめていた。 父親が連行される際、「お前のせいだ!」と罵られた言葉が、まだ耳に残っているのだろう。
「……飲みなさい、トーマス様。喉が渇いているでしょう」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、それから恐る恐る水を一口飲んだ。 少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。
「……僕は、逮捕されるんですか?」 「ええ。貴方は実行犯ですから、罪は免れません。ですが、司法取引に応じれば、情状酌量は約束します。……レオンハルト様の名にかけて」
私が視線を向けると、壁際で腕を組んでいたレオンハルト様が重々しく頷いた。
「全容解明への貢献度次第だ。場合によっては、商会の再建をお前に任せるという選択肢もあり得る」 「……再建?」 「腐った根を切除した後には、新しい芽が必要だ。お前が『まともな商人』になれるのならな」
トーマスの目に、涙が滲んだ。 捨て駒として扱われた彼に、初めて「未来」が提示されたのだ。
「話します……。全部」
トーマスは深呼吸をして、語り始めた。 それは、あまりにも巧妙で、そして呆れるほど単純な「錬金術」の手口だった。
「始まりは、三年前でした。セシリア様が……『困っている子供たちのために、もっと資金が必要なの』と相談されて」
姉の甘い言葉。 トーマスにとって、それは悪魔の契約ではなく、天使への奉仕のように聞こえたはずだ。 仕組みはこうだ。
まず、ガレオン商会が王宮へ納品する際の価格を、正規の価格よりも2割から3割上乗せして請求する。 『儀礼用生花』『夜会用装飾品』『慈善事業用毛布』。 こうした品目は相場が変動しやすく、多少高くても「品質が良いから」という理由で通りやすい。 その承認印を押すのが、王妃代理としてのセシリア、あるいは彼女の印章を預かった司祭ルドルフだ。
国庫からは、水増しされた金額がガレオン商会へ支払われる。 商会は正規の代金を売上として計上し、上乗せ分を「利益」として確保する。 そして、その「不正な利益」の8割を、『セシリア・アルヴェイン慈善基金』への「寄付」という名目で還流させるのだ。
「寄付……」
私は呆れて溜息をついた。 商会からすれば、寄付を行えば税金の控除が受けられる。 姉からすれば、自分の懐を痛めずに「多額の寄付を集めた実績」ができ、さらにその金は自分の管理下にある基金へ戻ってくる。 国庫の金を一度商会へ逃がし、洗浄(ロンダリング)してから、綺麗な「善意の金」として回収する。 完璧な循環システムだ。
「その『慈善基金』の口座は、誰が管理しているの?」 「名義上は教会の管轄ですが……実質的な引き出し権限を持っているのは、セシリア様だけです。僕たちは毎月、指定された日に送金するだけでした」
「送金額は?」 「……月によって違いますが、平均して金貨300枚ほどです」
金貨300枚。 平民の年収の数十倍。 それが毎月、姉の元へ流れ込んでいた。
「使途は知っているか?」 レオンハルト様が鋭く問う。
トーマスは首を横に振った。 「詳しくは知りません。ただ……一度だけ、セシリア様が漏らしていたことがあります。『あの方への手土産には、もっと輝きが必要なの』と」
「あの方?」 「わかりません。でも、セシリア様が言う『あの方』は、王太子殿下のことではないような口ぶりでした。もっと……恐ろしい、絶対的な誰かのような……」
私は眉をひそめた。 姉にとって、王太子以上の権力者など存在するだろうか? 国王陛下? いや、陛下は病床に伏せりがちで、実権は宰相府にある。 他国の要人? あるいは、闇社会の顔役?
「それに……」 トーマスが言い淀む。
「まだ何かあるの?」 「はい。……送金とは別に、『現物』で渡していたものがあります」 「現物?」
トーマスは懐から、小さな手帳を取り出した。 それは、彼個人がつけていたメモ帳だ。
「これです。……『青い硝子の欠片』」
私の心臓が、早鐘を打った。 青い硝子。 三年前、紛失したとされる王家の宝飾品。 姉はそれを「月の雫のような青い宝石」と言った。 そして私が印章庫の記録から推測したのは、それが『印章の核』となる魔石であること。
「硝子の欠片を、商会が扱っていたの?」 「いいえ。セシリア様から『これを細工してほしい』と預かったんです。……砕かれた宝石のような欠片でした。それを、指輪やブローチの台座に埋め込んで、カモフラージュしてほしいと」
「……数は?」 「全部で十二個。毎月一つずつ、加工して納品しました。最後のひとつを渡したのは……先月です」
砕かれた宝石。 カモフラージュされた魔石。 それが意味するものは一つしかない。 姉は、盗み出した(あるいは横流しさせた)王家の宝飾品を砕き、小さなパーツに分けて、何らかの目的のために「再利用」している。
「その加工品は、どこへ?」 「わかりません。ただ、納品先はいつもの慈善基金の事務所ではなく……『白薔薇の離宮』の裏口でした」
白薔薇の離宮。 王宮の敷地内にある、使われていない古い離宮だ。 現在は倉庫として放置されているはずの場所。
「……繋がったな」
レオンハルト様が低く呟いた。
「金と、砕かれた魔石。……姉上が何を作ろうとしているのか、見当がついた」
「何ですか?」 「『誓約器(オース・キー)』の偽造だ」
誓約器。 裁判や重要な契約において、嘘をつけないように強制する魔道具。 その核には、純度の高い魔石が必要とされる。 もし、それを個人的に所有し、自由に操作できるとしたら? 嘘を「真実」として固定することも、無実の人間を「有罪」にすることも、意のままになる。
姉は、ただ贅沢をするために金を欲していたのではない。 この国を支配する「ルールそのもの」を書き換える力を手に入れようとしていたのだ。
◇
商会での聴取を終えた私たちは、押収した膨大な証拠書類と共に王宮へ戻った。 時刻は既に夕刻。 雨は上がり、雲の切れ間から赤い夕陽が差し込んでいた。 濡れた石畳が、血のような色に染まっている。
馬車の中で、レオンハルト様は珍しく饒舌だった。
「ガレオン商会の摘発は、明日の朝刊で発表する。セシリア派の貴族たちは蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう」 「ええ。自分たちも甘い汁を吸っていたわけですから、戦々恐々でしょうね」 「だが、これで終わりではない。むしろ、これからが危険だ」
レオンハルト様は窓の外を見つめながら言った。
「追い詰められた獣は、噛みつくか、逃げるか、あるいは……」 「あるいは?」 「道連れにするか、だ」
道連れ。 姉が、自らの破滅と引き換えに、何かを破壊しようとする可能性。 その「何か」とは、おそらく私だ。 あるいは、王家そのものか。
「覚悟はできています」 私は膝の上で拳を握った。
「姉が何を企んでいようと、私は私の仕事をするだけです。……循環していた金の流れは止めました。次は、その金で作られた『毒』を解毒しなければなりません」
「……強いな、君は」 レオンハルト様がふと、私の方を見た。 その瞳には、かつての氷のような冷たさはなく、静かな湖面のような穏やかさがあった。
「追放された令嬢が、これほど強かに戻ってくるとは……正直、予想していなかった」 「生きるために必死だっただけです。……それに、一人では無理でした」
私は真っ直ぐに彼を見返した。
「貴方が信じてくれたから。……道を、作ってくれたから」
レオンハルト様は一瞬、虚を突かれたような顔をした。 それから、照れ隠しのように咳払いをして、視線を逸らした。
「……私は、合理的な判断をしたまでだ。優秀な監査官を失うのは、国の損失だからな」
耳が赤い。 氷の宰相補佐にも、体温があるのだと知った。 胸の奥がくすぐったくなる。 この人のためにも、絶対に負けられない。
◇
翌朝。 王宮は朝から大騒ぎになっていた。 『ガレオン商会、強制捜査』『巨額の不正経理発覚』『疑惑の寄付金』。 新聞の一面を飾る見出しが、貴族たちの朝食を不味くさせたに違いない。
私は意気揚々と会計院に出勤した。 廊下ですれ違う人々の視線が変わっている。 侮蔑や嘲笑ではない。 恐怖と、畏敬。 「本物の監査官だ」「本気で潰しに来ている」という認識が広まっている。
執務室に入ると、机の上にはいつもの嫌がらせ――枯れた花や濡れた書類――はなかった。 代わりに、一通の豪奢な封筒が置かれていた。 差出人の名は、セシリア・アルヴェイン。
中には、一枚のカードが入っていた。 美しいカリグラフィーで書かれた、短いメッセージ。
『今夜、私の部屋にいらっしゃい。……昔のように、お茶でも飲みながら話しましょう。全てをお話しします』
呼び出しだ。 罠かもしれない。 いや、間違いなく罠だ。 だが、これは「招待状」ではない。「挑戦状」だ。 商会という手足を捥がれた姉が、ついに直接対決を望んできた。
「……望むところよ」
私はカードを指で弾いた。 全てを話す? いいえ、話させるのよ。 貴方の口から、その綺麗な嘘の仮面を剥がして。
私は鞄に、トーマスの証言書と、金の循環ルートを示した図解図を詰め込んだ。 これらは、姉を断罪するための剣と盾だ。
「レオンハルト様、カミュ様。……行ってきます」
心の中で二人の協力者に感謝を告げ、私は部屋を出た。 目指すは、王宮の奥深く。 聖女が住まう、白亜の塔。 そこにあるのは、真実か、それとも更なる深淵か。
私の足音だけが、静かな廊下に響いていた。 カツ、カツ、カツ。 それは、破滅へのカウントダウンのように、正確に時を刻んでいた。
ガレオン商会の応接室に、商会長の怒号が雷鳴のように轟いた。 彼は顔を真っ赤にし、額に青筋を浮かべて息子を睨みつけている。 その形相は、商人の仮面を完全にかなぐり捨てた、欲望と保身にまみれた獣そのものだった。
「お前が何を言おうと、誰が信じる? 精神を病んだ放蕩息子の妄想だ! そうだ、最近働きすぎで頭がおかしくなっていたんだな?」
商会長は唾を飛ばしながら捲し立てる。 典型的な隠蔽工作だ。 都合の悪い証言者は、たとえ肉親であっても「狂人」に仕立て上げて排除する。 トーマスは蒼白な顔で唇を震わせていたが、テーブルの端を掴む指には必死に力が込められていた。
「……狂ってなんかない。父さん、もう終わりにしよう。こんなこと続けていたら、ガレオン商会は本当に終わってしまう」 「終わるのはお前だ! この恩知らずが!」
商会長が手を振り上げ、合図を送る。 部屋の隅に控えていた私兵たちが、威圧的な音を立てて一歩踏み出した。 ジャリ、と革靴が床を擦る音が、密室の緊張感を極限まで高める。 私の護衛騎士が剣の柄に手をかけ、私とトーマスを背に庇うように立った。
「お引き取り願おうか、監査官殿。……いや、ただで帰れると思うなよ。我が商会の機密を盗み出そうとした産業スパイとして、突き出してやる」
商会長の目は本気だった。 王宮から離れたこの場所は、彼の王国だ。 ここで私たちを拘束し、証拠書類を奪い取り、適当な罪をでっち上げて揉み消すつもりなのだ。 力尽くで。
私は静かに息を吐き、商会長を見据えた。 恐怖はない。 あるのは、愚かな権力者への憐憫だけだ。
「……残念です、商会長。貴方は商人として最も大切なものを読み違えている」 「何だと?」 「『損切り』のタイミングです。今ここで罪を認めれば、商会自体は存続できたかもしれない。でも、貴方は王家の監査官に対し、実力行使という最悪の手を選んだ」
私は懐から懐中時計を取り出し、蓋を開けた。 秒針がカチリ、カチリと時を刻む。
「そろそろ、時間ですね」
「何の時間だ? ハッタリはよせ!」
商会長が鼻で笑った、その瞬間だった。
ドォォォン!!
商会の正門の方角から、腹に響くような轟音が響いた。 建物が揺れ、窓ガラスがビリビリと震える。 商会長が「ひっ!?」と声を上げて腰を抜かしかけた。 私兵たちが動揺して顔を見合わせる。
「な、なんだ!? 爆発か!?」 「いいえ。……『到着』の合図です」
私は懐中時計をパチンと閉じた。
「申し上げたはずです。今日は長い一日になると。……私一人で敵地に乗り込むほど、無謀だと思われましたか?」
廊下が騒がしくなる。 「近衛だ!」「近衛騎士団が突入してきたぞ!」という悲鳴のような報告が聞こえてくる。 そして、応接室の扉が蹴破られるようにして開かれた。
「確保ーッ!!」
雪崩れ込んできたのは、銀色の甲冑に身を包んだ近衛騎士たち。 先頭に立っているのは、見紛うことなき「氷の宰相補佐」、レオンハルト・グランツだった。 その後ろには、不敵な笑みを浮かべたカミュ団長の姿もある。
「レ、レオンハルト様……!? な、なぜここに……!」
商会長が裏返った声を上げる。 レオンハルト様は、埃ひとつない完璧な所作で部屋の中央に進み出ると、冷ややかな視線で商会長を射抜いた。
「王家御用達規定、第十四条。『不正の疑いがあり、かつ監査への協力を拒否した場合、宰相府は即時強制執行権を行使できる』。……貴殿が監査官を脅迫しているとの報告を受けた。これより、ガレオン商会の全資産を凍結し、関係者を拘束する」
「そ、そんな馬鹿な! 令状もなしに!」 「令状ならここにある」
レオンハルト様は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、商会長の目の前に突きつけた。 そこには、王妃エレオノーラ陛下の署名だけでなく、国王陛下の玉璽までもが押されていた。 最強のカード。
商会長はその場に崩れ落ちた。 私兵たちは武器を捨て、両手を上げて降伏する。 勝負あった。
レオンハルト様は私の方を向き、微かに口角を上げた。
「……遅くなったか?」 「いいえ。完璧なタイミングでした」
私は微笑み返した。 昨夜の打ち合わせ通りだ。 私が先兵として乗り込み、相手がボロを出して実力行使に出た瞬間、本隊が制圧する。 「契約の抜け道」どころか、契約そのものを粉砕する王道の力技。 これこそが、絶対王政における権力の正しい使い方だ。
◇
ガレオン商会は即座に封鎖され、王宮から派遣された会計官たちによって、徹底的な家宅捜索が始まった。 地下倉庫からは隠されていた二重帳簿の山が発見され、隠し金庫からは王家へ納入されるはずだった高級食材やワインが次々と運び出された。 腐敗のデパートだ。
応接室は、そのまま臨時の取調室となった。 商会長は別室へ連行され、ここには私とレオンハルト様、そしてトーマスが残っている。
トーマスは椅子に座り、震える手で水の入ったグラスを握りしめていた。 父親が連行される際、「お前のせいだ!」と罵られた言葉が、まだ耳に残っているのだろう。
「……飲みなさい、トーマス様。喉が渇いているでしょう」
私が声をかけると、彼はビクリと肩を震わせ、それから恐る恐る水を一口飲んだ。 少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。
「……僕は、逮捕されるんですか?」 「ええ。貴方は実行犯ですから、罪は免れません。ですが、司法取引に応じれば、情状酌量は約束します。……レオンハルト様の名にかけて」
私が視線を向けると、壁際で腕を組んでいたレオンハルト様が重々しく頷いた。
「全容解明への貢献度次第だ。場合によっては、商会の再建をお前に任せるという選択肢もあり得る」 「……再建?」 「腐った根を切除した後には、新しい芽が必要だ。お前が『まともな商人』になれるのならな」
トーマスの目に、涙が滲んだ。 捨て駒として扱われた彼に、初めて「未来」が提示されたのだ。
「話します……。全部」
トーマスは深呼吸をして、語り始めた。 それは、あまりにも巧妙で、そして呆れるほど単純な「錬金術」の手口だった。
「始まりは、三年前でした。セシリア様が……『困っている子供たちのために、もっと資金が必要なの』と相談されて」
姉の甘い言葉。 トーマスにとって、それは悪魔の契約ではなく、天使への奉仕のように聞こえたはずだ。 仕組みはこうだ。
まず、ガレオン商会が王宮へ納品する際の価格を、正規の価格よりも2割から3割上乗せして請求する。 『儀礼用生花』『夜会用装飾品』『慈善事業用毛布』。 こうした品目は相場が変動しやすく、多少高くても「品質が良いから」という理由で通りやすい。 その承認印を押すのが、王妃代理としてのセシリア、あるいは彼女の印章を預かった司祭ルドルフだ。
国庫からは、水増しされた金額がガレオン商会へ支払われる。 商会は正規の代金を売上として計上し、上乗せ分を「利益」として確保する。 そして、その「不正な利益」の8割を、『セシリア・アルヴェイン慈善基金』への「寄付」という名目で還流させるのだ。
「寄付……」
私は呆れて溜息をついた。 商会からすれば、寄付を行えば税金の控除が受けられる。 姉からすれば、自分の懐を痛めずに「多額の寄付を集めた実績」ができ、さらにその金は自分の管理下にある基金へ戻ってくる。 国庫の金を一度商会へ逃がし、洗浄(ロンダリング)してから、綺麗な「善意の金」として回収する。 完璧な循環システムだ。
「その『慈善基金』の口座は、誰が管理しているの?」 「名義上は教会の管轄ですが……実質的な引き出し権限を持っているのは、セシリア様だけです。僕たちは毎月、指定された日に送金するだけでした」
「送金額は?」 「……月によって違いますが、平均して金貨300枚ほどです」
金貨300枚。 平民の年収の数十倍。 それが毎月、姉の元へ流れ込んでいた。
「使途は知っているか?」 レオンハルト様が鋭く問う。
トーマスは首を横に振った。 「詳しくは知りません。ただ……一度だけ、セシリア様が漏らしていたことがあります。『あの方への手土産には、もっと輝きが必要なの』と」
「あの方?」 「わかりません。でも、セシリア様が言う『あの方』は、王太子殿下のことではないような口ぶりでした。もっと……恐ろしい、絶対的な誰かのような……」
私は眉をひそめた。 姉にとって、王太子以上の権力者など存在するだろうか? 国王陛下? いや、陛下は病床に伏せりがちで、実権は宰相府にある。 他国の要人? あるいは、闇社会の顔役?
「それに……」 トーマスが言い淀む。
「まだ何かあるの?」 「はい。……送金とは別に、『現物』で渡していたものがあります」 「現物?」
トーマスは懐から、小さな手帳を取り出した。 それは、彼個人がつけていたメモ帳だ。
「これです。……『青い硝子の欠片』」
私の心臓が、早鐘を打った。 青い硝子。 三年前、紛失したとされる王家の宝飾品。 姉はそれを「月の雫のような青い宝石」と言った。 そして私が印章庫の記録から推測したのは、それが『印章の核』となる魔石であること。
「硝子の欠片を、商会が扱っていたの?」 「いいえ。セシリア様から『これを細工してほしい』と預かったんです。……砕かれた宝石のような欠片でした。それを、指輪やブローチの台座に埋め込んで、カモフラージュしてほしいと」
「……数は?」 「全部で十二個。毎月一つずつ、加工して納品しました。最後のひとつを渡したのは……先月です」
砕かれた宝石。 カモフラージュされた魔石。 それが意味するものは一つしかない。 姉は、盗み出した(あるいは横流しさせた)王家の宝飾品を砕き、小さなパーツに分けて、何らかの目的のために「再利用」している。
「その加工品は、どこへ?」 「わかりません。ただ、納品先はいつもの慈善基金の事務所ではなく……『白薔薇の離宮』の裏口でした」
白薔薇の離宮。 王宮の敷地内にある、使われていない古い離宮だ。 現在は倉庫として放置されているはずの場所。
「……繋がったな」
レオンハルト様が低く呟いた。
「金と、砕かれた魔石。……姉上が何を作ろうとしているのか、見当がついた」
「何ですか?」 「『誓約器(オース・キー)』の偽造だ」
誓約器。 裁判や重要な契約において、嘘をつけないように強制する魔道具。 その核には、純度の高い魔石が必要とされる。 もし、それを個人的に所有し、自由に操作できるとしたら? 嘘を「真実」として固定することも、無実の人間を「有罪」にすることも、意のままになる。
姉は、ただ贅沢をするために金を欲していたのではない。 この国を支配する「ルールそのもの」を書き換える力を手に入れようとしていたのだ。
◇
商会での聴取を終えた私たちは、押収した膨大な証拠書類と共に王宮へ戻った。 時刻は既に夕刻。 雨は上がり、雲の切れ間から赤い夕陽が差し込んでいた。 濡れた石畳が、血のような色に染まっている。
馬車の中で、レオンハルト様は珍しく饒舌だった。
「ガレオン商会の摘発は、明日の朝刊で発表する。セシリア派の貴族たちは蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう」 「ええ。自分たちも甘い汁を吸っていたわけですから、戦々恐々でしょうね」 「だが、これで終わりではない。むしろ、これからが危険だ」
レオンハルト様は窓の外を見つめながら言った。
「追い詰められた獣は、噛みつくか、逃げるか、あるいは……」 「あるいは?」 「道連れにするか、だ」
道連れ。 姉が、自らの破滅と引き換えに、何かを破壊しようとする可能性。 その「何か」とは、おそらく私だ。 あるいは、王家そのものか。
「覚悟はできています」 私は膝の上で拳を握った。
「姉が何を企んでいようと、私は私の仕事をするだけです。……循環していた金の流れは止めました。次は、その金で作られた『毒』を解毒しなければなりません」
「……強いな、君は」 レオンハルト様がふと、私の方を見た。 その瞳には、かつての氷のような冷たさはなく、静かな湖面のような穏やかさがあった。
「追放された令嬢が、これほど強かに戻ってくるとは……正直、予想していなかった」 「生きるために必死だっただけです。……それに、一人では無理でした」
私は真っ直ぐに彼を見返した。
「貴方が信じてくれたから。……道を、作ってくれたから」
レオンハルト様は一瞬、虚を突かれたような顔をした。 それから、照れ隠しのように咳払いをして、視線を逸らした。
「……私は、合理的な判断をしたまでだ。優秀な監査官を失うのは、国の損失だからな」
耳が赤い。 氷の宰相補佐にも、体温があるのだと知った。 胸の奥がくすぐったくなる。 この人のためにも、絶対に負けられない。
◇
翌朝。 王宮は朝から大騒ぎになっていた。 『ガレオン商会、強制捜査』『巨額の不正経理発覚』『疑惑の寄付金』。 新聞の一面を飾る見出しが、貴族たちの朝食を不味くさせたに違いない。
私は意気揚々と会計院に出勤した。 廊下ですれ違う人々の視線が変わっている。 侮蔑や嘲笑ではない。 恐怖と、畏敬。 「本物の監査官だ」「本気で潰しに来ている」という認識が広まっている。
執務室に入ると、机の上にはいつもの嫌がらせ――枯れた花や濡れた書類――はなかった。 代わりに、一通の豪奢な封筒が置かれていた。 差出人の名は、セシリア・アルヴェイン。
中には、一枚のカードが入っていた。 美しいカリグラフィーで書かれた、短いメッセージ。
『今夜、私の部屋にいらっしゃい。……昔のように、お茶でも飲みながら話しましょう。全てをお話しします』
呼び出しだ。 罠かもしれない。 いや、間違いなく罠だ。 だが、これは「招待状」ではない。「挑戦状」だ。 商会という手足を捥がれた姉が、ついに直接対決を望んできた。
「……望むところよ」
私はカードを指で弾いた。 全てを話す? いいえ、話させるのよ。 貴方の口から、その綺麗な嘘の仮面を剥がして。
私は鞄に、トーマスの証言書と、金の循環ルートを示した図解図を詰め込んだ。 これらは、姉を断罪するための剣と盾だ。
「レオンハルト様、カミュ様。……行ってきます」
心の中で二人の協力者に感謝を告げ、私は部屋を出た。 目指すは、王宮の奥深く。 聖女が住まう、白亜の塔。 そこにあるのは、真実か、それとも更なる深淵か。
私の足音だけが、静かな廊下に響いていた。 カツ、カツ、カツ。 それは、破滅へのカウントダウンのように、正確に時を刻んでいた。
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地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。
しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。
突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。
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