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第16話「誓約裁判の罠」
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アレクサンダー王子率いるバルディア帝国使節団が王都を去ってから、三日が過ぎていた。 王子の宣言通り、国境付近に展開していた帝国軍も撤退を開始し、一触即発だった戦争の危機は回避された。 王都の空は、久しぶりに澄み渡るような青さに包まれている。 だが、その平穏な空の下で、私の心はまだ曇天のままだった。
「……見つかりませんか」
宰相府の執務室。 私は包帯が巻かれた自分の左手を撫でながら、重い問いを口にした。 砕けた魔石の破片で負った傷は浅かったが、そこにはまだ微かな痛みが残っている。
「ああ。……王都中の貴族の屋敷、商会の倉庫、怪しい地下組織のアジトまでシラミ潰しに洗ったが、反応なしだ」
レオンハルト様が、山積みになった捜索報告書を前にして眉間を揉んだ。 目の下の隈は、前回会った時よりも濃くなっている気がする。
「行方不明の魔石は七つ。……セシリアが『種』と呼んだそれが、どこかの土壌で芽吹くのを待っている」 「あるいは、もう芽吹いているのかもしれません」
私は窓の外、王宮の北側にそびえる巨大な石造りの建物を眺めた。 高等法院。 この国の司法の頂点であり、明日、そこで姉セシリアの初公判が開かれることになっている。
「……セシリアは、不気味なほど大人しいそうだな」 「はい。看守の報告では、独房で一日中、壁に向かって祈りを捧げているそうです。……食事も静かに摂り、取り乱すこともなく」
嵐の前の静けさ。 姉がただ黙って裁きを受けるとは思えない。 彼女は「次」があると言った。 「あの人」がいると言った。 その切り札を持ったまま、彼女はこの裁判という舞台に立とうとしている。
「明日の裁判では、王家秘蔵の『真・誓約器(トゥルー・オース)』が使用される。……これはクレイグ殿も太鼓判を押す、偽造不可能な国宝だ。外部からの魔力干渉も遮断する結界機能がついている」
レオンハルト様が言った。 今回の裁判は、姉自身の希望もあり、貴族院だけでなく平民の代表者も傍聴する「公開審問」の形をとる。 そこで彼女は、本物の誓約器を使って尋問を受けることになる。
「偽造品は使えない。外部からの操作もできない。……その状況で、姉はどうやって戦うつもりなのでしょうか」 「普通に考えれば、観念して罪を認めるしかない。……だが」
レオンハルト様は言葉を切り、私をじっと見つめた。
「相手はあのセシリアだ。……そして、その背後には帝国の影がある。……リリア、明日は私も法廷に立つ。検察側の証人としてな」 「心強いです。……私も、監査官として証言台に立ちます」
私は包帯を握りしめた。 明日こそ、決着をつける。 姉の口から、残りの魔石の隠し場所と、黒幕の正体を吐かせるのだ。
◇
翌朝。 高等法院の大法廷は、開廷前から異様な熱気に包まれていた。 高い天井には宗教画が描かれ、重厚な木製のベンチには、着飾った貴族たちと、抽選で選ばれた平民たちがぎっしりと詰めかけている。 彼らの視線の先にあるのは、中央に設置された巨大な水晶球――『真・誓約器』だ。 直径一メートルはあるその水晶は、台座に刻まれたルーン文字の光を受け、神秘的な透明度を保って鎮座している。
「……すごい人ね」
私は検察側の席に座り、傍聴席を見渡した。 ミランダ侯爵令嬢の姿もある。彼女は怯えたように身を縮めているが、その目は興味津々といった様子で法廷内を観察している。 その他にも、かつて姉に取り入っていた貴族たちが、今は「自分は無関係だ」という顔をして座っている。
「開廷します!」
裁判長の厳粛な声と共に、法廷の扉が開かれた。 静寂。 そして、ジャリ、ジャリという鎖の音だけが響く。
現れたのは、囚人服に身を包んだセシリアだった。 手足には魔力封じの枷が嵌められている。 髪は下ろし、化粧っ気のない顔をしているが、その背筋はピンと伸び、まるで王族が回廊を歩くような優雅さで被告人席へと進んだ。 やつれてはいる。 だが、その瞳の光は失われていなかった。 むしろ、以前よりも澄んだ、深い光を宿しているように見えた。
「被告人、セシリア・アルヴェイン。……前へ」
裁判長に促され、セシリアは誓約器の前に立った。 彼女は一瞬だけ私の方を見て、慈愛に満ちた聖女の微笑みを向けた。 ゾクリ、と背筋が凍る。 彼女は、楽しんでいる。
「これより、被告人に対する尋問を開始する。……なお、本法廷における証言は全てこの『真・誓約器』によって真偽が判定される。偽証は即ち、神への冒涜とみなす」
裁判長が告げると、水晶球がボウッと淡い光を放ち始めた。 待機状態。 ここから先、彼女が口にする言葉は全て色で判定される。
「では、検察官。どうぞ」
検察官が進み出て、書類を読み上げた。
「被告人は、三年前よりガレオン商会と共謀し、国庫からの助成金を不正に受給。さらに架空の孤児院名義で資金洗浄を行い、私的に流用した疑いが持たれている。……間違いありませんか?」
最初の質問。 会場中の視線が水晶球に集まる。 セシリアは静かに目を閉じ、そして開いた。
「……はい。間違いありません」
青。 真実。
会場がどよめいた。 「認めたぞ」「やはり本当だったのか」 彼女はあっさりと罪を認めたのだ。 これまでの「私は無実だ」という主張を覆し、全面的に降伏したように見える。
検察官も拍子抜けした顔をしたが、すぐに次の質問へ移った。
「では、三年前の王家宝飾品紛失事件について。……貴女は当時の侍女長マーサに命じ、保管庫から『青い箱』を盗み出させた。これも事実ですか?」
「……はい。事実です」
青。 またしても真実。 傍聴席のざわめきが大きくなる。 「あの涙は嘘だったのか」「妹君になすりつけたのは事実だったんだ」
私は違和感を覚えた。 順調すぎる。 姉がこうも素直に、自分の破滅を受け入れるだろうか? 彼女の視線は、反省しているようには見えない。 むしろ、この状況をコントロールしているような……。
「……最後に伺います。盗み出した宝飾品――『王権の守護石』を砕き、十二個の魔道具に加工させた。……残りの七個は、どこにありますか?」
核心の質問。 私は身を乗り出した。 レオンハルト様も、証言台の近くで鋭い視線を向けている。
セシリアは少しだけ沈黙した。 そして、ゆっくりと口を開いた。
「……それは、申し上げられません」 「なぜですか?」 「わたくしにも、わからないからです。……あれは、風に乗って飛んでいきました。自由を求めて」
水晶球が青く光る。 「わからない」が真実? そんなはずはない。彼女は「種は蒔かれた」と言ったのだ。 自分の意思で誰かに渡したはずだ。 それなのに、なぜ「わからない」が真実になる?
「言葉遊びか……」 レオンハルト様が呟く。 「『風に乗って』という詩的な表現を使うことで、具体的な所在を曖昧にしている。……彼女の主観では、手放したものは『風に消えた』という認識なのかもしれない」
「……被告人。詩的な表現は認められません。具体的に、誰に渡したのかを答えなさい」 裁判長が厳しく追及する。
セシリアは困ったように微笑んだ。
「ですから、わからないのです。……わたくしはただ、救いを求める声に応じて、種をお配りしただけ。名前も顔も存じ上げない、敬虔な信徒の方々に」
青。 信徒。 匿名の誰か。 これでは追跡できない。 彼女は誓約器の「主観判定」という抜け穴を、ここでも最大限に利用している。
「……では、質問を変えましょう」
私が立ち上がった。 検察官に代わり、監査官として質問を行う許可を得る。 私はセシリアの正面に立った。
「貴女は、帝国のアレクサンダー王子と接触しましたか?」 「……ええ。お茶を飲みましたわ」 青。
「彼に、魔石を渡しましたか?」 「いいえ。……彼が『拾った』のです」 青。
拾った? 姉がわざと落として、彼に拾わせたのか。 そうすれば「渡した」ことにはならない。 屁理屈だ。でも、誓約器はそれを真実として通してしまう。
「……セシリア。貴女の目的は何ですか? この国をどうしたいのですか?」
私が問うと、セシリアの表情が変わった。 聖女の仮面が剥がれ、その下から、底知れない虚無が顔を覗かせる。
「リリア。……あなたは、この国が『正常』だと思っているの?」 「……何ですって?」 「王は病に伏し、貴族は腐敗し、民は貧困に喘いでいる。……誰もが嘘をつき、誰もが誰かを踏み台にしている。そんな世界が、正常だと言うの?」
彼女の声が、法廷に朗々と響く。
「わたくしは、ただ『整理』をしたかっただけよ。……嘘を真実に変え、汚れたものを綺麗に見せる。それが、みんなの望みでしょう? 現に、わたくしの嘘で救われた孤児たちもいたわ。わたくしの嘘に夢を見た貴族たちもいたわ」
「それは欺瞞です!」 「いいえ、救済よ」
セシリアが水晶球に手を触れた。 その瞬間、異変が起きた。
ブゥン……。
低周波のような音が響き、水晶球の光が明滅し始めた。 青でも赤でもない、紫色の不気味な光。
「な、何だ!?」 裁判長が立ち上がる。 「誓約器の反応がおかしい! 魔力干渉か!?」
「いいえ。……共鳴ですわ」
セシリアが恍惚とした表情で呟く。
「種は、土の中で眠っているだけではない。……芽吹く時を待っているの。そして今、わたくしの声に応えて……」
彼女は傍聴席の方を向いた。 数百人の聴衆。 その中に、何かがいる。
「……レオンハルト様!」 私が叫ぶと同時に、レオンハルト様が傍聴席へと視線を走らせた。 だが、特定できない。 怪しい人物などいない。普通の貴族、普通の平民たちだ。
しかし、現象は止まらない。 紫色の光が法廷全体を包み込む。 その光を浴びた人々の目が、次第に虚ろになっていく。
「……リリア。見て」 セシリアが私を指差した。
「今から、新しい誓約をしましょう。……この国で一番の罪人は誰か」
彼女は高らかに宣言した。
「わたくしは誓います。……全ての罪は、妹リリア・アルヴェインの嫉妬と狂言による捏造であると!」
カッ!!
水晶球が、強烈な閃光を放った。 その色は――鮮やかな『青』。
「……なっ!?」
私は息を呑んだ。 あり得ない。 彼女は今、明白な嘘をついた。 それなのに、誓約器はそれを「真実」と判定した。 偽造品ではない。クレイグが保証した国宝級の本物だ。 外部からの干渉も遮断されているはずなのに。
「青だ……」 「真実だ……」 「ということは……やはり、リリア様が嘘をついていたのか?」
傍聴席から、ざわめきが広がる。 洗脳されたような虚ろな目の人々が、口々に私の名前を呟き始める。 「嘘つきリリア」「魔女リリア」「聖女様は無実だ」
空気が反転する。 先日の夜会と同じ、いや、それ以上に強固な「集団催眠」の状態。 本物の誓約器が「真実」とお墨付きを与えてしまった以上、誰もその権威に逆らえない。
「違う! これは誤作動だ! 何者かが干渉している!」 レオンハルト様が叫び、剣を抜こうとするが、法廷の衛兵たちが彼を取り囲む。 「宰相補佐殿、乱心か!」 「神聖な法廷で武器を抜くとは!」
衛兵たちの目も、紫色の光に染まっている。 彼らもまた、この「偽りの真実」に取り込まれている。
「……どうして」
私は震える足で踏みとどまった。 本物の誓約器をハッキングする方法なんてあるのか? クレイグは言っていた。『反転の誓約器』は、精神のノイズを打ち消す装置だと。 だが、この規模の干渉は、単なる装置の力ではない。
「……共鳴」
セシリアの言葉が蘇る。 『種は芽吹いている』。
私はハッとして、傍聴席を見回した。 一人ではない。 特定の一人が操作しているのではない。 傍聴席のあちこちに、微かな魔力の輝きが見える。 貴族の胸元、平民のポケット、商人の指輪。
一つではない。 七つ全ての魔石が、この法廷内に持ち込まれている!?
「……そうか」
私は戦慄した。 姉は、残りの魔石を「信頼できる協力者」に渡したのではない。 不特定多数の「欲望を持つ者たち」にばら撒いたのだ。 金に困った貴族、復讐を願う平民、名声を欲する商人。 彼らは魔石の正体を知らぬまま、「幸運のお守り」としてそれを持ち歩き、今日この法廷に集まった。
そして、セシリアの声――特定の周波数の「詠唱」に反応して、七つの魔石が一斉に共鳴を起こした。 その増幅された魔力干渉が、本物の誓約器の結界すらも突き破り、判定を強制的に書き換えたのだ。 これは「魔力による民主主義(デモクラシー)」の悪用だ。 多数の小さな「嘘」が集まって、一つの巨大な「真実」を塗り替える。
「さあ、判決の時間よ」
セシリアが微笑む。
「裁判長。……誓約器の判定に従い、判決をお願いします」
裁判長もまた、虚ろな目で頷いた。 彼は木槌を振り上げる。
「……判定は『真実』である。よって、被告人セシリアの無罪を……」
「待てッ!!」
レオンハルト様が衛兵を薙ぎ払い、証言台へと飛び出した。 彼は水晶球に手をかざし、叫んだ。 「この判定は無効だ! 多重干渉が起きている! 直ちに閉廷しろ!」
だが、遅い。 裁判長の木槌が振り下ろされる。 カーン! 乾いた音が、私の死刑宣告のように響いた。
「……そして、偽証および国家反逆の罪により、リリア・アルヴェインを拘束する!」
「確保しろーッ!」
衛兵たちが一斉に私に向かってくる。 傍聴席からは「魔女を殺せ!」という怒号が飛ぶ。 世界が逆転した。 正義が悪になり、悪が正義になった。
「リリア! 走れ!」
レオンハルト様が私の手を掴み、強引に走り出した。 「え……でも……」 「議論している暇はない! 今は逃げるんだ!」
彼は傍聴席の柵を飛び越え、裏口へと向かう。 カミュ団長も合流し、大剣で追手を牽制する。 「くそっ、どうなってやがる! 全員イカれてんのか!?」
「洗脳だ! 高密度の魔力干渉で、思考が誘導されている!」 レオンハルト様が叫びながら、扉を蹴破る。
私たちは法廷を飛び出し、王宮の廊下を駆けた。 背後からは、怒り狂った群衆と衛兵たちの足音が迫ってくる。 かつて私が追い詰められ、追放されたあの日と同じ。 いいえ、もっと悪い。 今回は、国そのものが敵だ。
「……どこへ逃げるのですか!?」 息を切らせながら私が問う。
「『白薔薇の離宮』だ!」 レオンハルト様が答えた。 「あそこには古い転移門がある。……一旦、王宮を脱出するしかない!」
王宮脱出。 それは、私が「指名手配犯」として追われる身になることを意味する。 監査官の地位も、名誉も、全て失う。
「……でも、逃げたら、姉の思う壺です!」 「死んだら終わりだ! 生きていれば、またひっくり返せる!」
彼の強い言葉に、私は唇を噛んで頷いた。 そうだ。 まだ終わっていない。 魔石が七つ、この法廷にあったということは、逆に言えば「敵の居場所」がわかったということだ。 誰が持っていたか、私は見た。 あの紫色の光を放っていた者たちの顔を、この目に焼き付けた。
「……必ず、戻ってきます」
私は走りながら誓った。 これは敗走ではない。 戦略的撤退だ。 姉が仕掛けた「誓約裁判の罠」。 その罠を食い破り、今度こそ完全に息の根を止めるために。
廊下の角を曲がった瞬間、前方から新たな影が現れた。 フードを被った男たち。 手にはボウガンを持っている。 帝国の工作員か、それとも姉の私兵か。
「……邪魔だ!」
レオンハルト様が詠唱し、氷の礫を放つ。 カミュ団長が突撃し、道を切り開く。 私はその背中を守るように、懐から『真理のプリズム』を取り出した。 もう一度。 あの光で、道を照らす。
「行かせないわよ、リリア」
背後から、拡声魔法に乗った姉の声が響いた。 振り返ると、法廷の入り口にセシリアが立っていた。 枷は外され、衛兵たちにかしずかれている。 彼女は女王のように微笑み、私を見下ろしていた。
「これは『国』の意思よ。……あなたに居場所なんてないの」
絶望的な光景。 だが、私は彼女に向かって叫んだ。
「国が間違っているなら、私が国を正す! ……それが監査官の仕事よ!」
私はプリズムを掲げ、閃光弾のように魔力を炸裂させた。 目くらましの光。 その隙に、私たちは転移門のある離宮へと飛び込んだ。
視界が白く染まる中、私は確信していた。 姉は勝ったつもりでいる。 だが、彼女は最大のミスを犯した。 七つの魔石を一箇所に集めたことだ。 それは、私たちが一網打尽にするチャンスを与えてくれたに等しい。
「……見ていて、お姉様」
転移門の光に包まれながら、私は呟いた。
「次は、法廷じゃない。……戦場で会いましょう」
意識が遠のく。 王都の喧騒が消え、静寂が訪れる。 私たちは闇の中へと消えた。 反撃の狼煙を上げる、その時まで。
「……見つかりませんか」
宰相府の執務室。 私は包帯が巻かれた自分の左手を撫でながら、重い問いを口にした。 砕けた魔石の破片で負った傷は浅かったが、そこにはまだ微かな痛みが残っている。
「ああ。……王都中の貴族の屋敷、商会の倉庫、怪しい地下組織のアジトまでシラミ潰しに洗ったが、反応なしだ」
レオンハルト様が、山積みになった捜索報告書を前にして眉間を揉んだ。 目の下の隈は、前回会った時よりも濃くなっている気がする。
「行方不明の魔石は七つ。……セシリアが『種』と呼んだそれが、どこかの土壌で芽吹くのを待っている」 「あるいは、もう芽吹いているのかもしれません」
私は窓の外、王宮の北側にそびえる巨大な石造りの建物を眺めた。 高等法院。 この国の司法の頂点であり、明日、そこで姉セシリアの初公判が開かれることになっている。
「……セシリアは、不気味なほど大人しいそうだな」 「はい。看守の報告では、独房で一日中、壁に向かって祈りを捧げているそうです。……食事も静かに摂り、取り乱すこともなく」
嵐の前の静けさ。 姉がただ黙って裁きを受けるとは思えない。 彼女は「次」があると言った。 「あの人」がいると言った。 その切り札を持ったまま、彼女はこの裁判という舞台に立とうとしている。
「明日の裁判では、王家秘蔵の『真・誓約器(トゥルー・オース)』が使用される。……これはクレイグ殿も太鼓判を押す、偽造不可能な国宝だ。外部からの魔力干渉も遮断する結界機能がついている」
レオンハルト様が言った。 今回の裁判は、姉自身の希望もあり、貴族院だけでなく平民の代表者も傍聴する「公開審問」の形をとる。 そこで彼女は、本物の誓約器を使って尋問を受けることになる。
「偽造品は使えない。外部からの操作もできない。……その状況で、姉はどうやって戦うつもりなのでしょうか」 「普通に考えれば、観念して罪を認めるしかない。……だが」
レオンハルト様は言葉を切り、私をじっと見つめた。
「相手はあのセシリアだ。……そして、その背後には帝国の影がある。……リリア、明日は私も法廷に立つ。検察側の証人としてな」 「心強いです。……私も、監査官として証言台に立ちます」
私は包帯を握りしめた。 明日こそ、決着をつける。 姉の口から、残りの魔石の隠し場所と、黒幕の正体を吐かせるのだ。
◇
翌朝。 高等法院の大法廷は、開廷前から異様な熱気に包まれていた。 高い天井には宗教画が描かれ、重厚な木製のベンチには、着飾った貴族たちと、抽選で選ばれた平民たちがぎっしりと詰めかけている。 彼らの視線の先にあるのは、中央に設置された巨大な水晶球――『真・誓約器』だ。 直径一メートルはあるその水晶は、台座に刻まれたルーン文字の光を受け、神秘的な透明度を保って鎮座している。
「……すごい人ね」
私は検察側の席に座り、傍聴席を見渡した。 ミランダ侯爵令嬢の姿もある。彼女は怯えたように身を縮めているが、その目は興味津々といった様子で法廷内を観察している。 その他にも、かつて姉に取り入っていた貴族たちが、今は「自分は無関係だ」という顔をして座っている。
「開廷します!」
裁判長の厳粛な声と共に、法廷の扉が開かれた。 静寂。 そして、ジャリ、ジャリという鎖の音だけが響く。
現れたのは、囚人服に身を包んだセシリアだった。 手足には魔力封じの枷が嵌められている。 髪は下ろし、化粧っ気のない顔をしているが、その背筋はピンと伸び、まるで王族が回廊を歩くような優雅さで被告人席へと進んだ。 やつれてはいる。 だが、その瞳の光は失われていなかった。 むしろ、以前よりも澄んだ、深い光を宿しているように見えた。
「被告人、セシリア・アルヴェイン。……前へ」
裁判長に促され、セシリアは誓約器の前に立った。 彼女は一瞬だけ私の方を見て、慈愛に満ちた聖女の微笑みを向けた。 ゾクリ、と背筋が凍る。 彼女は、楽しんでいる。
「これより、被告人に対する尋問を開始する。……なお、本法廷における証言は全てこの『真・誓約器』によって真偽が判定される。偽証は即ち、神への冒涜とみなす」
裁判長が告げると、水晶球がボウッと淡い光を放ち始めた。 待機状態。 ここから先、彼女が口にする言葉は全て色で判定される。
「では、検察官。どうぞ」
検察官が進み出て、書類を読み上げた。
「被告人は、三年前よりガレオン商会と共謀し、国庫からの助成金を不正に受給。さらに架空の孤児院名義で資金洗浄を行い、私的に流用した疑いが持たれている。……間違いありませんか?」
最初の質問。 会場中の視線が水晶球に集まる。 セシリアは静かに目を閉じ、そして開いた。
「……はい。間違いありません」
青。 真実。
会場がどよめいた。 「認めたぞ」「やはり本当だったのか」 彼女はあっさりと罪を認めたのだ。 これまでの「私は無実だ」という主張を覆し、全面的に降伏したように見える。
検察官も拍子抜けした顔をしたが、すぐに次の質問へ移った。
「では、三年前の王家宝飾品紛失事件について。……貴女は当時の侍女長マーサに命じ、保管庫から『青い箱』を盗み出させた。これも事実ですか?」
「……はい。事実です」
青。 またしても真実。 傍聴席のざわめきが大きくなる。 「あの涙は嘘だったのか」「妹君になすりつけたのは事実だったんだ」
私は違和感を覚えた。 順調すぎる。 姉がこうも素直に、自分の破滅を受け入れるだろうか? 彼女の視線は、反省しているようには見えない。 むしろ、この状況をコントロールしているような……。
「……最後に伺います。盗み出した宝飾品――『王権の守護石』を砕き、十二個の魔道具に加工させた。……残りの七個は、どこにありますか?」
核心の質問。 私は身を乗り出した。 レオンハルト様も、証言台の近くで鋭い視線を向けている。
セシリアは少しだけ沈黙した。 そして、ゆっくりと口を開いた。
「……それは、申し上げられません」 「なぜですか?」 「わたくしにも、わからないからです。……あれは、風に乗って飛んでいきました。自由を求めて」
水晶球が青く光る。 「わからない」が真実? そんなはずはない。彼女は「種は蒔かれた」と言ったのだ。 自分の意思で誰かに渡したはずだ。 それなのに、なぜ「わからない」が真実になる?
「言葉遊びか……」 レオンハルト様が呟く。 「『風に乗って』という詩的な表現を使うことで、具体的な所在を曖昧にしている。……彼女の主観では、手放したものは『風に消えた』という認識なのかもしれない」
「……被告人。詩的な表現は認められません。具体的に、誰に渡したのかを答えなさい」 裁判長が厳しく追及する。
セシリアは困ったように微笑んだ。
「ですから、わからないのです。……わたくしはただ、救いを求める声に応じて、種をお配りしただけ。名前も顔も存じ上げない、敬虔な信徒の方々に」
青。 信徒。 匿名の誰か。 これでは追跡できない。 彼女は誓約器の「主観判定」という抜け穴を、ここでも最大限に利用している。
「……では、質問を変えましょう」
私が立ち上がった。 検察官に代わり、監査官として質問を行う許可を得る。 私はセシリアの正面に立った。
「貴女は、帝国のアレクサンダー王子と接触しましたか?」 「……ええ。お茶を飲みましたわ」 青。
「彼に、魔石を渡しましたか?」 「いいえ。……彼が『拾った』のです」 青。
拾った? 姉がわざと落として、彼に拾わせたのか。 そうすれば「渡した」ことにはならない。 屁理屈だ。でも、誓約器はそれを真実として通してしまう。
「……セシリア。貴女の目的は何ですか? この国をどうしたいのですか?」
私が問うと、セシリアの表情が変わった。 聖女の仮面が剥がれ、その下から、底知れない虚無が顔を覗かせる。
「リリア。……あなたは、この国が『正常』だと思っているの?」 「……何ですって?」 「王は病に伏し、貴族は腐敗し、民は貧困に喘いでいる。……誰もが嘘をつき、誰もが誰かを踏み台にしている。そんな世界が、正常だと言うの?」
彼女の声が、法廷に朗々と響く。
「わたくしは、ただ『整理』をしたかっただけよ。……嘘を真実に変え、汚れたものを綺麗に見せる。それが、みんなの望みでしょう? 現に、わたくしの嘘で救われた孤児たちもいたわ。わたくしの嘘に夢を見た貴族たちもいたわ」
「それは欺瞞です!」 「いいえ、救済よ」
セシリアが水晶球に手を触れた。 その瞬間、異変が起きた。
ブゥン……。
低周波のような音が響き、水晶球の光が明滅し始めた。 青でも赤でもない、紫色の不気味な光。
「な、何だ!?」 裁判長が立ち上がる。 「誓約器の反応がおかしい! 魔力干渉か!?」
「いいえ。……共鳴ですわ」
セシリアが恍惚とした表情で呟く。
「種は、土の中で眠っているだけではない。……芽吹く時を待っているの。そして今、わたくしの声に応えて……」
彼女は傍聴席の方を向いた。 数百人の聴衆。 その中に、何かがいる。
「……レオンハルト様!」 私が叫ぶと同時に、レオンハルト様が傍聴席へと視線を走らせた。 だが、特定できない。 怪しい人物などいない。普通の貴族、普通の平民たちだ。
しかし、現象は止まらない。 紫色の光が法廷全体を包み込む。 その光を浴びた人々の目が、次第に虚ろになっていく。
「……リリア。見て」 セシリアが私を指差した。
「今から、新しい誓約をしましょう。……この国で一番の罪人は誰か」
彼女は高らかに宣言した。
「わたくしは誓います。……全ての罪は、妹リリア・アルヴェインの嫉妬と狂言による捏造であると!」
カッ!!
水晶球が、強烈な閃光を放った。 その色は――鮮やかな『青』。
「……なっ!?」
私は息を呑んだ。 あり得ない。 彼女は今、明白な嘘をついた。 それなのに、誓約器はそれを「真実」と判定した。 偽造品ではない。クレイグが保証した国宝級の本物だ。 外部からの干渉も遮断されているはずなのに。
「青だ……」 「真実だ……」 「ということは……やはり、リリア様が嘘をついていたのか?」
傍聴席から、ざわめきが広がる。 洗脳されたような虚ろな目の人々が、口々に私の名前を呟き始める。 「嘘つきリリア」「魔女リリア」「聖女様は無実だ」
空気が反転する。 先日の夜会と同じ、いや、それ以上に強固な「集団催眠」の状態。 本物の誓約器が「真実」とお墨付きを与えてしまった以上、誰もその権威に逆らえない。
「違う! これは誤作動だ! 何者かが干渉している!」 レオンハルト様が叫び、剣を抜こうとするが、法廷の衛兵たちが彼を取り囲む。 「宰相補佐殿、乱心か!」 「神聖な法廷で武器を抜くとは!」
衛兵たちの目も、紫色の光に染まっている。 彼らもまた、この「偽りの真実」に取り込まれている。
「……どうして」
私は震える足で踏みとどまった。 本物の誓約器をハッキングする方法なんてあるのか? クレイグは言っていた。『反転の誓約器』は、精神のノイズを打ち消す装置だと。 だが、この規模の干渉は、単なる装置の力ではない。
「……共鳴」
セシリアの言葉が蘇る。 『種は芽吹いている』。
私はハッとして、傍聴席を見回した。 一人ではない。 特定の一人が操作しているのではない。 傍聴席のあちこちに、微かな魔力の輝きが見える。 貴族の胸元、平民のポケット、商人の指輪。
一つではない。 七つ全ての魔石が、この法廷内に持ち込まれている!?
「……そうか」
私は戦慄した。 姉は、残りの魔石を「信頼できる協力者」に渡したのではない。 不特定多数の「欲望を持つ者たち」にばら撒いたのだ。 金に困った貴族、復讐を願う平民、名声を欲する商人。 彼らは魔石の正体を知らぬまま、「幸運のお守り」としてそれを持ち歩き、今日この法廷に集まった。
そして、セシリアの声――特定の周波数の「詠唱」に反応して、七つの魔石が一斉に共鳴を起こした。 その増幅された魔力干渉が、本物の誓約器の結界すらも突き破り、判定を強制的に書き換えたのだ。 これは「魔力による民主主義(デモクラシー)」の悪用だ。 多数の小さな「嘘」が集まって、一つの巨大な「真実」を塗り替える。
「さあ、判決の時間よ」
セシリアが微笑む。
「裁判長。……誓約器の判定に従い、判決をお願いします」
裁判長もまた、虚ろな目で頷いた。 彼は木槌を振り上げる。
「……判定は『真実』である。よって、被告人セシリアの無罪を……」
「待てッ!!」
レオンハルト様が衛兵を薙ぎ払い、証言台へと飛び出した。 彼は水晶球に手をかざし、叫んだ。 「この判定は無効だ! 多重干渉が起きている! 直ちに閉廷しろ!」
だが、遅い。 裁判長の木槌が振り下ろされる。 カーン! 乾いた音が、私の死刑宣告のように響いた。
「……そして、偽証および国家反逆の罪により、リリア・アルヴェインを拘束する!」
「確保しろーッ!」
衛兵たちが一斉に私に向かってくる。 傍聴席からは「魔女を殺せ!」という怒号が飛ぶ。 世界が逆転した。 正義が悪になり、悪が正義になった。
「リリア! 走れ!」
レオンハルト様が私の手を掴み、強引に走り出した。 「え……でも……」 「議論している暇はない! 今は逃げるんだ!」
彼は傍聴席の柵を飛び越え、裏口へと向かう。 カミュ団長も合流し、大剣で追手を牽制する。 「くそっ、どうなってやがる! 全員イカれてんのか!?」
「洗脳だ! 高密度の魔力干渉で、思考が誘導されている!」 レオンハルト様が叫びながら、扉を蹴破る。
私たちは法廷を飛び出し、王宮の廊下を駆けた。 背後からは、怒り狂った群衆と衛兵たちの足音が迫ってくる。 かつて私が追い詰められ、追放されたあの日と同じ。 いいえ、もっと悪い。 今回は、国そのものが敵だ。
「……どこへ逃げるのですか!?」 息を切らせながら私が問う。
「『白薔薇の離宮』だ!」 レオンハルト様が答えた。 「あそこには古い転移門がある。……一旦、王宮を脱出するしかない!」
王宮脱出。 それは、私が「指名手配犯」として追われる身になることを意味する。 監査官の地位も、名誉も、全て失う。
「……でも、逃げたら、姉の思う壺です!」 「死んだら終わりだ! 生きていれば、またひっくり返せる!」
彼の強い言葉に、私は唇を噛んで頷いた。 そうだ。 まだ終わっていない。 魔石が七つ、この法廷にあったということは、逆に言えば「敵の居場所」がわかったということだ。 誰が持っていたか、私は見た。 あの紫色の光を放っていた者たちの顔を、この目に焼き付けた。
「……必ず、戻ってきます」
私は走りながら誓った。 これは敗走ではない。 戦略的撤退だ。 姉が仕掛けた「誓約裁判の罠」。 その罠を食い破り、今度こそ完全に息の根を止めるために。
廊下の角を曲がった瞬間、前方から新たな影が現れた。 フードを被った男たち。 手にはボウガンを持っている。 帝国の工作員か、それとも姉の私兵か。
「……邪魔だ!」
レオンハルト様が詠唱し、氷の礫を放つ。 カミュ団長が突撃し、道を切り開く。 私はその背中を守るように、懐から『真理のプリズム』を取り出した。 もう一度。 あの光で、道を照らす。
「行かせないわよ、リリア」
背後から、拡声魔法に乗った姉の声が響いた。 振り返ると、法廷の入り口にセシリアが立っていた。 枷は外され、衛兵たちにかしずかれている。 彼女は女王のように微笑み、私を見下ろしていた。
「これは『国』の意思よ。……あなたに居場所なんてないの」
絶望的な光景。 だが、私は彼女に向かって叫んだ。
「国が間違っているなら、私が国を正す! ……それが監査官の仕事よ!」
私はプリズムを掲げ、閃光弾のように魔力を炸裂させた。 目くらましの光。 その隙に、私たちは転移門のある離宮へと飛び込んだ。
視界が白く染まる中、私は確信していた。 姉は勝ったつもりでいる。 だが、彼女は最大のミスを犯した。 七つの魔石を一箇所に集めたことだ。 それは、私たちが一網打尽にするチャンスを与えてくれたに等しい。
「……見ていて、お姉様」
転移門の光に包まれながら、私は呟いた。
「次は、法廷じゃない。……戦場で会いましょう」
意識が遠のく。 王都の喧騒が消え、静寂が訪れる。 私たちは闇の中へと消えた。 反撃の狼煙を上げる、その時まで。
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