冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。もう遅いですが?

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第1話:首の繋がった死体

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ドガッ、という鈍い音。

それが、私の人生の最後聞いた音だった。

視界がぐるりと回転する。 天地が逆転し、石畳が迫ってくる。 痛みは一瞬だった。熱い鉄のような衝撃が首筋を走り、その直後には感覚がなくなった。

ただ、視界の端に映った光景だけが、網膜に焼き付いている。

断頭台の下に広がる、民衆の興奮した顔、顔、顔。 「悪女が死んだ!」「万歳!」「王太子殿下万歳!」 唾を吐きかける者、石を投げる者、抱き合って喜ぶ者。

そして、高い壇上から私を見下ろしていた、かつての婚約者。 王太子アレクサンダー殿下。

彼は、私の首が胴体から離れたその瞬間、安堵したように息を吐き、隣に寄り添う聖女リリアの肩を抱いた。 その瞳には、かつて私に向けられていた――いいえ、私がそうだと信じたかった慈愛の色など微塵もなく。 あるのはただ、汚いものを処理し終えた清々しさだけだった。

(ああ……やっと、終わるのね)

無実の罪。 聖女リリアをいじめ、毒を盛り、国を売ろうとした売国奴。 身に覚えのない罪状を並べ立てられ、弁明の機会すら与えられず。

私は、国一番の悪女として、その生涯を閉じた。

はずだった。

「……ヴィオレッタ? おい、ヴィオレッタ。起きないか」

体を揺すられる感覚。 遠くから聞こえる、聞き覚えのある声。

(うるさい……。私はもう、眠ったのよ。永遠に)

「今日は素晴らしい天気だぞ。いつまで寝ているんだ、私の愛しい婚約者」

愛しい、婚約者?

背筋が凍った。 その単語の組み合わせは、私の辞書にはもう存在しないはずだ。 あれは処刑台の上で、彼自身の手によって破り捨てられた契約だ。

私は弾かれたように目を開けた。

「ひっ……!」

喉の奥から、短い悲鳴が漏れる。

目の前にあったのは、真っ白な天蓋。 柔らかい羽毛布団の感触。 そして、窓から差し込む、目に痛いほどの朝の光。

そこは、牢獄の冷たい石の床ではなかった。 カビと排泄物の臭いが充満する地下牢でもなかった。 私が幼い頃から過ごしてきた、公爵邸の私の部屋だ。

「お、やっと起きたか。おはよう、ヴィオレッタ」

視線を横に向ける。 そこに、彼がいた。

黄金の髪。夏の空のような青い瞳。 王国の太陽と称される美貌の青年。 王太子アレクサンダー。

彼が、私のベッドの縁に腰掛け、覗き込んでいた。

「あ……あ、あ……」

声が出ない。 言葉よりも先に、体が記憶していた恐怖が爆発する。

首が熱い。 ギロチンの刃が食い込んだ感触が蘇る。 血が噴き出す感覚。空気が漏れる音。

私は慌てて自分の首を両手で覆った。 ある。繋がっている。 温かい皮膚の感触がある。

「どうした? 悪い夢でも見たのか?」

アレクサンダー殿下が、心配そうに眉を寄せて手を伸ばしてくる。 その手が私の頬に触れようとした瞬間。

バチンッ!!

乾いた音が部屋に響いた。 私は無意識のうちに、彼の手を払いのけていた。

「……っ、触らないで!!」

叫び声とともに、私はベッドの反対側へ転がり落ちるようにして距離を取った。 全身が震える。歯の根が合わない。 心臓が早鐘を打っている。

(殺される。また、殺される)

この男は、私を殺した男だ。 どんなに美しい顔をしていても、私にとっては死刑執行人と同じだ。

「ヴィオレッタ……?」

殿下は、払われた自分の手を見つめ、呆然としていた。 しかし、怒る様子はない。 それどころか、その青い瞳が、見る見るうちに涙で潤んでいくではないか。

「……すまなかった」

は?

「怖かっただろう。辛かっただろう。俺の手が、恐ろしいのも無理はない」

彼は立ち上がり、両手を広げて私の方へ歩み寄ってくる。 まるで、迷子の子猫を見つけた飼い主のような顔で。

「俺は、思い出したんだ。全てを」

「……え?」

「あの断頭台の光景を。君の首が落ちた、あの瞬間の絶望を!」

殿下の口から語られた言葉に、私は思考が停止した。 断頭台? 首が落ちた? なぜ、彼がそれを知っているの?

「俺は馬鹿だった。君が処刑された後、聖女リリアの嘘が発覚したんだ。君は無実だった。俺のために、国のために、厳しく振る舞っていただけだったのに……俺は真実を見ようともせず、君を断罪してしまった!」

彼は芝居がかった仕草で天を仰ぎ、慟哭した。

「俺は神に祈った。私の命と引き換えでもいい、どうか時間を戻してくれと! そして目が覚めたら、ここに戻っていたんだ。処刑される一年前の、この朝に!」

なんということでしょう。 神様は、どこまで私に残酷なのでしょうか。

私だけでなく、この男まで記憶を持ったまま時間を巻き戻したというのですか。

「ヴィオレッタ!」

ドガァッ!

考える隙も与えられず、私は力任せに抱きすくめられた。 男性特有の筋肉質な体躯。高い体温。 鼻をつく香水の匂い。

それら全てが、私には「生々しい死の予感」としてしか感じられない。

「や、やめ……離して……ッ!」

「ああ、震えているのか。可哀想に。もう大丈夫だ。俺が守る。二度とあんなことはさせない。俺はこの二度目の人生、全てを捧げて君を愛すると誓う!」

耳元で大声で愛を叫ばれる。 鼓膜が破れそうだ。 彼の吐息が首筋にかかるたびに、ギロチンの刃が擦れるような幻痛が走る。

気持ち悪い。 怖い。 痛い。

「お、えぇっ……!」

私は限界を超えたストレスに、彼の胸の中でえずいてしまった。

「ヴィオレッタ!? 大丈夫か! 医者は、すぐに医者を!」

「ち、が……離、して……」

「そうか、感動しすぎて気分が悪くなったんだな。無理もない。死んだはずの自分が生きていて、愛する婚約者がこうして抱きしめているんだ。嬉しさのあまり心が追いつかないのだろう!」

違う。 全く違う。

この人は、前世(ループ前)と何も変わっていない。 自分の見たいものしか見ない。聞きたい言葉しか聞かない。 私の拒絶反応を「感動の震え」と解釈するそのポジティブさが、今は凶器のように恐ろしい。

「殿下、お願いです……離れてください……息が……」

必死の思いで声を絞り出すと、殿下はようやく腕の力を緩めた。 私は床に崩れ落ち、荒い呼吸を繰り返す。

「ああ、すまない。君があまりに愛おしくて、つい力がこもってしまった」

殿下は悪びれる様子もなく、しゃがみ込んで私の背中をさすろうとする。 私はそれを蛇のように避けた。

「……殿下。現状を整理させてください」

私は震える声で告げた。 まずは、この状況を理解しなければ。そして、彼をここから追い出さなければ。

「うむ。君は混乱しているのだろう。無理もない」

「殿下は……記憶をお持ちなのですね。私が処刑された、あの日までの」

「そうだ! 俺はあの日、君を失って初めて、君がどれほど大切な存在だったか気づいたんだ。君のいない世界など、色のない灰色の世界だった!」

熱っぽく語る殿下。 その瞳は、恋する少年のように輝いている。

しかし、私の心は冷めきっていた。 氷点下の冷たさで、目の前の男を観察していた。

貴方は「色がなかった」と言うけれど。 私の世界は、貴方のせいで真っ赤に染まって終わったのですよ。

「それで? 時間を戻して、どうなさるおつもりですか?」

「決まっているだろう! 君と結婚し、幸せな家庭を築くんだ! 前回の過ちは全て正す。聖女リリアには近づかない。君の悪評も俺が消す。君はただ、俺の隣で笑っていてくれればいい!」

自信満々の笑顔。 まるで、最高のプレゼントを用意した子供のような誇らしげな表情。

彼は本気で思っているのだ。 「やり直せる」と。 「謝れば許される」と。 「ハッピーエンドが待っている」と。

(……馬鹿なの?)

恐怖を通り越して、呆れがこみ上げてきた。

一度殺しておいて? 冤罪で、民衆の目の前で、私の尊厳も命も全て奪っておいて? 時間が戻ったから、はい元通り?

ふざけないで。

私の首には、目には見えないけれど、決して消えない傷跡がある。 私の心は、あの断頭台の上で死んだままだ。

「……殿下」

私は顔を上げ、彼を直視した。 精一杯の虚勢を張って、貴族令嬢としての仮面を被る。

「お帰りください」

「え?」

殿下の笑顔が凍りつく。

「今は……混乱しております。とても、殿下のお相手をする余裕などございません」

「し、しかし……俺たちは、奇跡の再会を果たしたんだぞ? もっとこう、喜びを分かち合うべきでは……」

「お帰りください!!」

私は悲鳴に近い声で叫んだ。 喉が引きつる。

殿下は驚いたように目を見開き、それから困ったように眉を下げた。

「……そうか。すまない。少し急ぎすぎたようだな。君の心の傷は、俺が思っているより深いのかもしれない」

(当たり前でしょう。首を落とされたのよ?)

「わかった。今日は帰ろう。だが、安心してくれ。俺は諦めない。君が俺を許してくれるまで、何度でも愛を伝える。君の傷ついた心は、俺の愛で必ず治してみせるから!」

殿下はそう宣言すると、私の手を取り――私が抵抗する隙もなく――その甲に熱烈な口づけを落とした。

「愛しているよ、ヴィオレッタ。世界で一番」

満足げに微笑むと、彼はマントを翻して部屋を出て行った。 嵐のような男だった。

扉が閉まる音がした瞬間、張り詰めていた糸が切れ、私はその場に突っ伏した。

「……おぇっ」

胃液が逆流する。 手の甲が熱い。彼に口づけられた場所が、焼け焦げたように熱くて、汚らわしい。

「ゴシゴシ、ゴシゴシッ……!」

私は近くにあったタオルで、手の甲が赤くなるまで擦り続けた。 皮膚が擦りむけても、あの男の唾液の感覚が消えない。

「……治す? 許す? 愛している?」

乾いた笑いが漏れる。

「何を言っているの……」

鏡台の前まで這って行き、鏡の中の自分を見る。 顔色は青白く、目の下には隈がある。 美しい公爵令嬢の姿をしているけれど、その瞳には何の光も宿っていない。

まるで、死体のようだ。

「私はもう、壊れているのよ」

彼の愛で治る? 冗談じゃない。 彼の愛こそが、私を壊した凶器なのに。

鏡の中の私は、首筋に手を当てる。 そこには赤い線などない。 けれど、私にははっきりと見える。 首を一周する、断罪の証が。

「……死にたかった」

本音が漏れた。

なぜ、生き返ってしまったのだろう。 あのまま、無(ゼロ)になりたかった。 痛みも、苦しみも、屈辱もない、静寂の世界に行きたかった。

なのに、なぜ。 よりにもよって、私を殺した男からの求愛という、地獄のような責め苦を受けなければならないの?

(逃げなきゃ……)

本能が警鐘を鳴らす。 あの男の近くにいては駄目だ。 あの熱苦しい「太陽」の光は、私のような死に損ないには毒だ。 焼き尽くされて、灰すら残らない。

でも、どこへ? 王太子はこの国の次期最高権力者だ。 彼がその気になれば、地の果てまで追いかけてくるだろう。 「愛」という名の鎖を持って。

「……誰か」

私は膝を抱えて、ガタガタと震えた。

「誰か、私に……静かな死を……」

窓の外では、小鳥がさえずり、陽光が燦々と降り注いでいる。 世界はこんなにも明るくて、騒がしい。

その輝きが、私には残酷なほどの絶望だった。

冤罪で処刑された悪女ですが、死に戻ったらループ前の記憶を持つ王太子殿下が必死に機嫌を取ってきます。

――もう遅いですが?

私の心は、あの日、あの断頭台の上で、完全に死んでしまったのだから。

その時、ふと窓の外、王宮のさらに奥に広がる森の方角に目が止まった。 鬱蒼と茂る木々。その先にあるのは、王族専用の墓地。 誰も近づかない、静寂の聖域。

そして、そこを管理する一族の噂を思い出す。

「葬儀卿(アンダーテイカー)……」

死を司る公爵家。 生きている人間よりも、死体と過ごすことを好むという変わり者たち。 社交界では「死神」と忌み嫌われている存在。

なぜだろう。 今までの私なら、不気味だと眉をひそめていただろうに。

今の私には、その「死神」という響きが、どんな甘い愛の言葉よりも、魅力的な救いに聞こえた。
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