悪役令嬢の追放先は借金まみれ子爵家 〜冷徹な彼が“もう一口”と言うまで〜

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第5話 屋台は小さな革命

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ゴトン、ゴトン、ゴトン……。

重低音のリズムが、領地の空気を震わせていた。 それは、復活した製粉所の水車が回る音だ。 トビアス親方とバルガス、そして領民たちの不眠不休の作業によって、折れた主軸は見事に交換され、川の流れを力強く受け止めていた。

「……いい音ね」

私は製粉所の入り口に立ち、その音を聴いていた。 石臼が回転し、麦が挽かれるゴリゴリという音。 そして、排出口からサラサラと流れ落ちてくる、雪のように白い粉。 これこそが、この領地の『血』であり、冬を越すための命綱だ。

「ああ。これで今年の冬は、粉に困ることはねぇ」

隣で腕組みをしているバルガスが、満足げに頷いた。 彼の顔には煤と油がついているが、その瞳は晴れやかだ。 修理を終えたトビアス親方は、「仕事は終わった。あとは勝手にしな」と言い捨てて、大量の『職人飯(おにぎり)』を報酬として受け取り、山へと帰っていった。 あの偏屈な背中が、今は頼もしく思える。

しかし。 問題がすべて解決したわけではない。 むしろ、ここからが本当の戦いだ。

「セシリア様」

カノンが駆け寄ってきた。 その手には、一枚の紙切れが握られている。 先日、銀翼商会のミシェルが落としていった、新しい借金の督促状だ。

「……レオン様が、お呼びです」

私は小さく頷き、水車小屋を後にした。 心地よい水車の音から離れるにつれて、現実の重みが再び肩にのしかかってくる。

        * * *

屋敷の執務室は、相変わらず冷え切っていた。 暖炉には申し訳程度の薪しかくべられておらず、レオン子爵は外套を着込んだまま、机に向かっていた。

「……水車は直ったそうだな」

彼が顔を上げずに言った。 その声には、安堵よりも疲労の色が濃い。

「はい。トビアス親方の腕は確かでした。これで領民への食料供給は安定します」

「だが、金はない」

レオン子爵は、机の上に広げられた帳簿を指先で叩いた。

「ミシェルの奴が置いていった条件を見たか? 『修理費の肩代わり』を断ったペナルティとして、来月の利息支払いを前倒ししろと言ってきている。……現金が必要だ。今すぐに」

麦があっても、利息は払えない。 物々交換が主体のこの辺境では、現金(キャッシュ)が圧倒的に不足しているのだ。 このままでは、領地ごと商会に差し押さえられてしまう。

「レオン様。私に考えがあります」

私は一歩前に進み出た。

「なんだ? また誰かの胃袋を掴みに行くのか?」

「ええ、その通りですわ。ただし今度は、特定個人の胃袋ではありません。……不特定多数の、お金を持った方々の胃袋です」

「……は?」

「屋台を出します」

私が宣言すると、レオン子爵は目を丸くし、次いで顔をしかめた。

「屋台だと? 路上で、煮炊きしたものを売る、あのアレか?」

「はい」

「馬鹿を言うな! 仮にも子爵家の人間が、商人の真似事など……いや、商人ですらない。路上の物売りなど、乞食同然だぞ!」

彼の反応は予想通りだった。 貴族にとって、『商売』は卑しいもの。 ましてや、店舗も構えずに路上で客引きをする屋台など、プライドが許さないのだろう。

「その『乞食同然』の行いが、今一番現金を生むのです」

私は彼を真っ直ぐに見据えて反論した。

「この領地には、唯一の利点があります。それは『街道』です。北の国境へ続く街道には、多くの商隊や旅人が通ります。彼らは現金を持っています。そして、この寒空の下、温かい食事に飢えています」

「だが……」

「プライドで腹は膨れません。それに、レオン様」

私は机に両手をつき、身を乗り出した。

「私は悪役令嬢です。社交界での評判など、これ以上落ちようがありませんわ。泥にまみれるのは私一人で十分。あなたは屋敷で、帳簿の計算でもしていてください」

「…………」

レオン子爵は言葉を詰まらせた。 私の瞳にある覚悟の色に、気圧されたのかもしれない。 やがて彼は、深いため息をついて背もたれに寄りかかった。

「……勝手にしろ。ただし、家の紋章は使うなよ」

「もちろんです。私の名前だけで勝負しますわ」

許可は取った。 私は踵を返し、足早に部屋を出た。

        * * *

作戦会議は、厨房で行われた。 メンバーは私とカノン、そして無理やり呼び出したバルガスの三人だ。

「屋台だぁ? お嬢ちゃん、本気かよ」

バルガスが呆れたように言った。

「本気よ。場所は街道沿いの広場。ターゲットは旅人と商隊。……バルガス、商品は何がいいと思う?」

「へっ、俺たちに用意できるもんと言ったら、麦と……あとは、狩りで獲れた肉くらいだな」

「肉?」

「ああ。冬になる前に、猪や鹿が里に降りてくる。それを仕留めるんだが、これがまた臭くてな……。血抜きが甘いと、煮ても焼いても獣臭さが抜けねぇ。旅人は嫌がって買わねぇよ」

なるほど。 処理技術の未熟さが、食材の価値を下げているわけね。 でも、私には『鮮度印』と『火守』、そして料理の知識がある。 臭みは、消すのではない。 スパイスとハーブで『香り』に変えるのだ。

「その肉、使いましょう。……カノン、例の『湿った塩』と、乾燥させたハーブを全部持ってきて」

私は指示を飛ばした。 今回のメニューは決まった。 シンプルにして最強の路上(ストリート)フード。 『ジビエの串焼き』だ。

        * * *

翌日。 街道沿いの広場に、簡素な屋台が組み上がった。 屋台と言っても、古材を組み合わせた台に、風よけの布を張っただけの粗末なものだ。 だが、その前には特別な仕掛けが用意されていた。

炭火のコンロだ。 屋敷の暖炉から持ってきた炭を使い、私が『火守』の魔力で最適な温度に調整している。

「さあ、開店準備よ」

私は腕まくりをした。 今日の私の格好は、ドレスの裾を短く縛り上げ、頭には手拭いを巻いた、完全に『看板娘』スタイルだ。 これにはカノンも驚いていたが、動きやすさを最優先した。

手元には、バルガスたちが狩ってきた猪の肉がある。 赤黒く、脂が乗っているが、確かに鼻を近づけると野生特有の鉄臭さが感じられる。 これを、一口大に切り分ける。

そして、ここからが魔法の時間だ。 私は小皿に、特製の『ハーブ塩』を用意した。 貴重な塩に、砕いた乾燥タイム、ローズマリー、そして松の葉を混ぜ込んだものだ。 さらに、隠し味として、バルガスが持っていた安い蒸留酒を霧吹きで肉に吹きかける。 アルコールで臭みを飛ばし、同時に肉を柔らかくする。

ジュウゥッ……。

最初の串を、網の上に乗せた。 肉から落ちた脂が炭に当たり、白い煙が上がる。 その瞬間、強烈な香りが周囲に拡散した。

脂の焦げる甘い匂い。 ハーブの清涼感あふれる香り。 それらが冬の冷たい風に乗って、街道の方へと流れていく。

「……おい、なんだこの匂いは」

早速、反応があった。 街道を行く商隊の馬車が、一台、また一台と足を止める。 御者台の男たちが、鼻をヒクヒクさせながらこちらを見ている。

「いらっしゃいませ! アウレリア名物、特製シシ肉の串焼きはいかがですか!」

私は声を張り上げた。 貴族の淑やかさなど、かなぐり捨てる。 今は一人の商人として、客を呼び込む。

「……シシ肉? 硬くて臭いだろう?」

一人の商人が疑り深そうに近づいてきた。 恰幅の良い、舌の肥えていそうな男だ。

「まあ、騙されたと思って一本どうぞ。今なら焼き立てです」

私は一番脂の乗った串を差し出した。 炭火で狐色に焼け、表面で脂がパチパチと弾けている。

商人は小銭を放り投げ、串を受け取った。 そして、恐る恐る口に運ぶ。

ガブリ。

「…………ッ!」

商人の目が、カッと見開かれた。

噛んだ瞬間、カリッとした表面が弾け、中から熱々の肉汁が溢れ出す。 臭み? 微塵もない。 あるのは、濃厚な肉の旨味と、それを引き立てるハーブの爽やかな香りだけ。 そして、絶妙な塩加減。 少ない塩をハーブで補うことで、逆に肉の甘みが引き立っている。

「……う、美味い!」

商人は叫んだ。

「なんだこれは! 俺が知っているシシ肉じゃない! まるで上等な牛肉……いや、それ以上の野性味とコクだ!」

「ありがとうございます。もう一本、いかがですか?」

「くれ! いや、五本だ! 仲間にも食わせてやる!」

その声を皮切りに、人の波が押し寄せた。

「俺にもくれ!」 「いい匂いにつられて来ちまった!」 「酒はないのか! この味なら酒が進むぞ!」

屋台の前は、あっという間に行列ができた。 カノンが必死に注文を取り、バルガスが裏で肉を切り、私がひたすら焼く。

「火加減、最強!」

私は心の中で叫びながら、手を動かし続ける。 『火守』の魔力をフル回転させ、すべての串を完璧な焼き加減(ミディアム・レア)に仕上げる。 外はカリッと、中はジューシー。 このコントラストこそが、串焼きの命だ。

チャリン、チャリン。

空き缶の中に、硬貨が投げ込まれる音が響く。 銅貨、銀貨。 それは、この領地が久しぶりに手にした『外貨』だった。

「すげぇ……」

バルガスが肉を切りながら呟く。

「あの臭い肉が、飛ぶように売れていく……。お嬢ちゃん、あんた魔法使いか?」

「魔法使いよ。料理という魔法を使う魔女ね」

私は汗を拭いながら笑った。 楽しい。 社交界での虚々実々の腹の探り合いよりも、こうして自分の技術で直接客を喜ばせ、対価を得る方が、何百倍も充実している。

行列が途切れることなく続き、用意した肉が半分ほどになった頃。 人垣の後ろに、見慣れた顔があるのに気づいた。

レオン子爵だ。 彼はフードを目深に被り、遠巻きに屋台の様子を窺っていた。 その表情は複雑そうだった。 自分の領地で、自分の婚約者(元だが)が、平民に混じって肉を焼いている。 本来なら止めるべき光景。 しかし、客たちの笑顔と、積み上がる硬貨の山が、彼を黙らせていた。

私は彼と目が合った。 手を振ることはしない。 ただ、ニッコリと微笑んで、焼き上がった串を一本、カノンに渡した。

「カノン、あそこのお客様に一本、サービスしてあげて」

「え? あ、はい!」

カノンが走り、レオン子爵に串を渡す。 彼は驚いた顔で串を受け取り、しばらく見つめていたが、やがて意を決したように齧り付いた。

遠くからでもわかった。 彼が目を見開き、そして深く息を吐いたのが。 「美味い」という口の動きが見えた。 彼は少しだけ寂しそうな、でもどこか吹っ切れたような顔で、串を完食し、無言で立ち去っていった。

これでいい。 彼には彼なりの『領主としての戦い』があるはずだ。 私は私の戦場で、結果を出すだけ。

        * * *

夕暮れ時。 用意した肉は、すべて完売した。 売り上げは、予想を遥かに超えていた。 銀貨にして三十枚。 これなら、来月の利息の足しにはなるし、何より次の仕入れができる。

「やった……やったぞ!」

バルガスが空のコンテナを叩いて喜ぶ。 カノンも疲れた顔だが、その目はキラキラと輝いている。

「セシリア様、すごいです! みんな、笑顔で帰っていきました!」

「ええ、上出来ね。……でも、油断は禁物よ」

私は硬貨の入った缶をしっかりと抱え込んだ。 この成功は、必ず『敵』を引き寄せる。

その予感は、すぐに的中した。

「おやおや、景気が良さそうですねぇ」

ぬるりとした声。 人混みが引いた広場に、銀翼商会のミシェルが現れた。 今日は一人ではない。 後ろに、柄の悪そうな男たちを数人引き連れている。

「……何か用かしら、ミシェルさん」

私は警戒心を露わにして問うた。

「いやあ、感服しましたよ。まさか本当に、あの廃棄物同然の肉を金に変えるとは。……ですが、困りますねぇ」

ミシェルは大げさに肩をすくめた。

「ここで勝手に商売をされては。ここは王国の公道だ。商売をするには、商業ギルドの許可証が必要ですよ?」

「……許可証?」

「ええ。そして、この地域の商業ギルドの管理者は、私だ。貴女がたに許可を出した覚えはありませんが?」

出た。 典型的な嫌がらせだ。 手続き論で足を引っ張る、官僚的な手口。

「ここはグランシェ子爵領よ。領主の許可があれば十分なはずだわ」

「いえいえ、街道は王国の管轄です。それに、食品衛生の観点からも問題がある。……もし、食中毒でも出たらどうするんです?」

ミシェルは眼鏡の奥で冷たく笑った。

「即刻、撤去してください。さもなくば、衛兵を呼んで強制執行することになりますよ」

バルガスが怒って掴みかかろうとするが、私はそれを手で制した。 ここで暴力を振るえば、それこそ相手の思う壺だ。

「……わかりました。今日のところは、店じまいです」

私は冷静に答えた。

「あら、素直ですね」

「ええ。売り切れましたから」

私は空になったコンテナを見せて挑発した。

「許可証については、正式に申請させていただきます。衛生管理についても、完璧な書類を添えてね」

「フフッ、楽しみにしていますよ。……審査には『時間』がかかりますがね」

ミシェルは嫌味たっぷりに言い残し、部下を連れて去っていった。 去り際、彼が連れていた部下の一人が、屋台の柱に何かを塗りつけていったのを、私は見逃さなかった。 おそらく、獣除けの薬か、あるいは逆に獣を呼び寄せるフェロモンか。 陰湿な手口だ。

「ちくしょう、あいつら……!」

バルガスが地面を蹴る。

「大丈夫よ、バルガス。これは宣戦布告。彼らが動いたということは、私たちが脅威になったという証拠よ」

私は屋台を片付けながら、頭の中で次の手を考えていた。 商業ギルドの壁。 それを突破するには、ただ美味しいだけでは足りない。 『権威』が必要だ。 誰も文句を言えないような、圧倒的な後ろ盾が。

屋台の後片付けを終え、屋敷への帰り道。 私はふと、背筋に冷たい視線を感じて立ち止まった。 ミシェルではない。 もっと粘着質で、底冷えするような視線。

「……誰?」

振り返るが、誰もいない。 ただ、闇の中に溶け込むような影が、一瞬だけ揺れた気がした。

「セシリア様?」

カノンが心配そうに私を見る。

「……ううん、気のせいよ。行きましょう」

私は歩き出したが、心臓の鼓動は早くなっていた。 あの視線は、ミシェルのような金目当ての視線とは違う。 もっと危険な、犯罪者の匂いがした。

『塩密売組織』。 この領地の闇に潜む、もう一つの勢力。 私の始めた『屋台』という小さな灯火が、闇の中に潜む怪物たちを呼び覚ましてしまったのかもしれない。

空を見上げると、月が厚い雲に隠れようとしていた。 私の手の中にある硬貨の重みだけが、確かな現実としてそこにあった。

この屋台は、小さな革命。 でも、革命には必ず血が流れる。 私はショールをきつく巻き直し、夜道を急いだ。
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