【完結】身分を隠して恋文相談屋をしていたら、子犬系騎士様が毎日通ってくるんですが?

エス

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この世界になかったから

(今日は久しぶりに静かな一日になりそうだわ。本来、こういう空間にしたかったのよね……)

 便箋の在庫を確認していた手が、ふと止まる。
 窓から差し込む朝の光が、いつもより少し穏やかに感じるのは……たぶん、何かと賑やかな客が、今日は現れないからだ。

 紙棚の整理を終え、カウンターに戻って椅子に腰を下ろす。手帳を広げて、新商品の構想を書きかけたところで── 

「す、すみません……っ!」

 控えめながら慌ただしい声とともに、ドアの鈴が鳴った。 

 顔を上げると、小柄な青年が店の中に立っていた。年のころは十七、八だろうか。きっちりと留めた上着の裾を気にしながら、どこか落ち着きなく視線を泳がせている。

「いらっしゃいませ。どうぞ、ごゆっくりご覧になってくださいね」

「は、はい……っ」

 ぺこぺこと頭を下げながら、青年はおずおずと棚の前に近づく。緊張しているのか、視線が紙とペンのあいだを何度も行き来していた。

「……あの、すみません」

「はい」 

「書く練習ができる紙、って……ありますか? あの、できれば、安くて……」

「ございますよ。用途に合わせて、何種類かご用意しています」

 私は立ち上がり、棚から練習用の紙束を取り出す。にじみにくく、でもインクの乗りが軽めなもの。重ねて書いても破れにくいもの。何種類かを青年の前の棚に置いた。

「よろしければ、お手に取ってみてくださいね。筆記の練習であれば、こちらなどが……」

「……あ……ありがとうございます……」

 彼の手が紙に触れたとき、少しだけほっとしたように表情が緩んだ。

「よかった……。実は僕、役所で見習いをしていて、書類を書く練習中なんですけど……」

 彼は苦笑いしながら、手のひらで首の後ろをさする。

「いざ清書しようとすると緊張しちゃって、間違えてばかりなんです。何度も書き直して、紙を何枚もダメにして……。だから下書きや練習用に使える紙やインクがほしいなって」

「そうなんですね。お仕事、大変なんですね」

「はい……あ、いえ、僕が慣れてないだけなんですけどね。ほんとは、字ももっと丁寧に書きたいんですけど……」

 真剣なまなざしだった。

「その気持ち、よくわかります。インクも……例えば、これなら安価だし、にじみも少ないです。練習のためなら、惜しまず使ってくださいね」

 青年は、ふっと目を丸くして、それから小さく笑った。

「……ありがとうございます。こんなふうに言ってもらえたの、初めてで……」

 まるで救われたような顔をして、彼は小さな束の紙と、インクの瓶を一つ、大事そうに手に取った。

「じゃあ、これをください。……すぐまた来るかもしれませんけど」

「そのときは、また歓迎しますね」

 ペコペコと頭を下げながら、彼は店を後にした。   
 その小さな背中を見送ったあと、わたしはカウンターの椅子に腰を下ろし、彼の言葉を思い返す。

(書き直すたびに、紙がダメになる……か)

 前から、ぼんやりと思っていたことがある。この世界には、紙に書いた文字を消すという発想がない。もし文字を消せるなら、あの青年も、何枚も紙を無駄にしなくて済むのに。

 私の頭に浮かぶのは、前世では当たり前のように使っていた、あの道具。

「……鉛筆。あと、消しゴムも……」

 私は手帳を開き直し、ペン先で静かに文字を走らせた。

「ちょっと……作ってみようかしら」

 そうつぶやいて、ふっと息を吐く。

(とはいえ、さすがに今日は無理よね)

 材料もないし、やるとなれば本格的に時間がかかる。明日は一日、しっかり時間をとって試作に集中しよう。

 私はカウンターの引き出しから便箋を一枚取り出すと、さらさらとペンを走らせた。
 『明日はお休みをいただきます。ことのは堂』
 書き終えた紙を掲示用の板にペタッと貼って、満足気に大きく頷く。

 ……ちょっと、楽しみかもしれない。

(さて。ちょっとひと休みして、お茶でも飲んだら、さっそく鉛筆の作り方を考えよう)

 そう思ってポットに手を伸ばした、そのとき。
 カラン、と扉の鈴が鳴った。

「いらっしゃいませ」

 顔を上げると、剣を携えた若い騎士が二人、肩を並べて店内に入ってきた。

「すご……本当に色々ある」

「おい、声がでかい」

 片方の騎士が目を丸くしながらあたりを見渡し、もう片方がやや小声でたしなめる。

「でもほら、こう……ちゃんとしてる感じ? なんか落ち着いてて、おしゃれっていうか」

「おまえ、便箋買うのに緊張してんのかよ」

「うるさいな、初めてなんだよ、こういうとこ」

 二人してきょろきょろと棚を眺めながら、少しだけ落ち着かなげに店内を歩く様子は、どこか微笑ましい。

 二人はしばらく店内を見てまわったあと、便箋の棚の前で足を止めた。

「……うわ、めっちゃある」

「な、なんだこれ……色も紙の質感も全部違うじゃん。選べる気がしない……」

「だよな? どれが『ちゃんとしてる』んだ……?」

「俺に聞くなよ、俺もわからん!」

 思わず顔を見合わせてうなるように言い合うその様子に、私は思わず小さく吹き出してしまった。

「ふふ……よろしければ、用途を教えていただけますか? お手伝いしますよ」

 声をかけると、二人は一斉にこちらを振り向き、少し照れくさそうに笑った。

「す、すみません。ちょっと見ただけで圧倒されまして……」

「俺、母に手紙を出そうと思ってるんです。しばらく顔出せてないから……」

 遠慮がちにそう言ったのは、少し色の浅い髪をした若い騎士だった。

「お、俺は……こいつの付き添いです。こいつが一人で行きにくいって言うから……」

 隣の青年が、急に視線をそらして言い訳のように付け加える。

「そうなんですね」

 小さく微笑んでから、私はひとつ問いかけた。

「お母様は、どんな雰囲気の方なんですか?」

「えっ……あ、ええと……」

 青年は一瞬戸惑ったように目を瞬かせ、それから少し照れたように笑った。

「優しくて、でもちょっと口うるさくて。昔から手紙とかすごく丁寧に書く人で……。前に僕が短い返事だけ書いたら、『紙が泣いてる』って叱られたことがあって」

「うふふ、素敵なお母様ですね。それなら、こちらはいかがでしょう」

 私は棚の奥から一束の便箋を取り出す。淡いクリーム色の紙に、小さな葡萄の房と葉が、蔓のように紙の端を彩っている。

「少しだけ上質な紙ですが、可愛らしい葡萄のモチーフで、やわらかい印象になりますよ。きっと、お母様にも気に入っていただけると思います」

「……これ、いいですね。……はい、これにします!」

 やり取りを見守っていたもう一人の青年が、少し気恥ずかしそうに口を開いた。

「……あの、やっぱり俺も。選んでもらってもいいですか? 彼女の誕生日に、小さな贈り物をするんですけど……手紙も添えようかな」

 その言葉に、私は思わず笑みを深くした。

「もちろんです。彼女さんは、どんな方なんですか?」

「えっと……元気で、明るくて、でも甘いものが苦手で、ピンクより水色が好きな子で……」

 言いながらどんどん早口になる様子に、つい頬が緩んでしまう。

「では、少し爽やかな色合いの便箋を探してみましょうか。可愛らしさもありつつ、甘すぎないものを──」

 私は棚の中から、水色を基調にした、繊細な花模様の便箋を取り出した。

「……それ、彼女にぴったりです」

 青年はそう言って、そっと便箋に手を伸ばした。水色を基調にしたその便箋は、控えめな花模様が縁にあしらわれていて、優しげで涼やかな印象を与える。

「彼女の笑った顔が浮かびます」

 そんなふうに言ってくれる彼の表情は、とても嬉しそうだった。

 二人はそれぞれ選んだ便箋を大事そうに紙袋へしまい、そろって頭を下げた。

「今日はありがとうございました!」

「また来ます!」

 扉の鈴が鳴り、店内に静けさが戻る。

 私はふぅっと息をついて、カウンターの椅子に腰を下ろした。

(文房具のデザインを考えるのも、もちろん好き。けれど、こうして──お客様が求めているものを、じっくり話を聞いて、一緒に選んであげる時間も……私はやっぱり、好きだ) 

 紙の手触り、色の違い、模様の意味。誰かの想いにぴたりと寄り添える一枚を見つけてもらえたときの、あの小さな笑顔。それは、どんな高価な品を貰うよりも、ずっと嬉しいものだ。

 それにしても、立て続けに新しいお客様がやって来るのは珍しかったわね。

(……今日は、静かな日になるはずだったんだけど……でもまあ、悪くないかも) 
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