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第百十二話 もっと素直になっていればよかった

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「そ、それじゃあ…、あれはただの私の勘違いだったの?」

「いや。あの状況なら、誰だって勘違いするよな。
だから、その誤解を解こうとしたんだがその直後にあの事件が起きて…、婚約破棄をすることになって…、結局そのまま…、」

そうだったんだ。
確かにあの時のリエルはとてもじゃないが人と話せる状態じゃなかった。
片目を失ったショックでリエルは暫く部屋に引きこもり、他人を拒絶していた。
…アルバートにもそうだった。
一方的に婚約破棄だけを告げて、彼の話を聞こうともしなかった。



「やっぱり…、俺の事は許せないか?」

アルバートはそう言って、リエルを見上げた。
不安そうな眼差し…。
ふとリエルは彼の手が僅かに震えていることに気が付いた。
今にも血が滲みそうな位に唇を噛み締めている。
怯えている。怖がっている。

どうして、気づいてやれなかったんだろう。
彼は不器用でとんでもなく、天邪鬼で…、でも、凄く優しい人だったのに…。
私は、自分に精一杯でそれが見えてなかった。
自分の事ばかり考えていた。

「リエル…。」

懇願するような声にリエルはスッと彼の手に触れ、もう片手は彼の頬に手を伸ばした。

「アルバート…。顔を上げて?」

リエルはアルバートと目線を合わせた。
アルバートはリエルを見つめた。
リエルは彼の真剣な想いに応えたいと思った。

「もう、謝らないで。自分を責めないで。
私こそ…、ごめんなさい。
ずっとあなたのその思いに気がつかなくて…、私、ちっとも気がつかなかったの。
あなたがそうやって苦しんでいる事に。
私だけが苦しんでいるのかと思ってた。…変に意地を張ってあなたに迷惑がられないように嫌なことは全部我慢してしまったの。
だから、言いたいことも言えなかった。
それが結果としてあなたを苦しめていたなんて…。
ごめんなさい…。」

リエルは彼の言葉を受け入れた。
例え、この先どれだけ傷ついても後悔はしない。
そう思えたのだ。
そして、リエルも心に溜めていた思いを口にした。

「リエル。謝るな。お前は悪くない。
お前は何も悪くないんだ。
全て、俺の仕出かした事だ。」

「…もっと、素直になれていれば良かった…。
私も…、あなたの事が…、好きだったのに…。」

「え…、」

アルバートは目を見開いた。

「わ、悪い。聞き間違えか?
い、今…、お前…、俺を好きだって言ったのか?」

「聞き間違いじゃないよ。私は、あなたが好き。」

アルバートは数秒固まった。
ぴくりともせず、言葉を発さないアルバートにリエルは不安そうに首を傾げた。
もしかして、聞こえなかったかな?

「す、好きって…、お、俺をか!?」

「う、うん。そうだよ。そう言っているじゃない。」

「う、嘘だろ!?
だって、俺、お前を散々傷つけたんだぞ!?
俺、お前に嫌われるような事しかしてないのに…!」

「…確かに私は傷ついたよ。あなたの態度や言葉に。でも、それは…、あなたが好きだったから。
何とも思っていない人だったら、こんなに傷ついたりはしないもの。」

「リエル…。」

「ずっと、ずっとあなたが好きだったの…。
私、無理矢理その気持ちに蓋をして気づかないようにしていた。
アルバートはお姉さまが好きだと思っていたから…、だから、叶わぬ恋に身を焦がすくらいなら忘れようと思ったの。でも…、できなかった。」

リエルの話にアルバートは耳を傾ける。

「私は…、婚約解消をした日以来、誰とも結婚をしないと決めていたの。
それは、事故で失った片目の醜い傷だけが原因じゃない。…私、私は…、アルバート以外の男性に嫁ぎたくなどなかったの…!
あなたの妻になれないなら一生独身で過ごそうと思ったの。」

リエルはそう言って、ギュッと胸の前で両手を握り締めた。
話している内に色々な想いがこみ上げてしまい、気付けば涙を流していた。

「だから…、!?」

不意にリエルは腕を引かれ、そのまま彼に抱き締められた。強く、強く…、それはまるで縋りつくかのようなしがみつくかのような…。
決して離さないとでもいわんばかりの力強い抱擁…。

「あ、アルバート?」

リエルは突然のことに涙が止まり、戸惑った声を上げた。
アルバートは無言でリエルの背に腕を回したまま、肩口に顔を埋めた。
リエルは彼の身体が震えていることに気が付いた。
そして、自分の肩口が濡れている事にも…。
リエルは彼が泣いているのかと思ったがそれを聞くよりも先に震える声で彼が言った。

「…リエル。好きだ。愛している。お前を愛しているんだ…。」

リエルはかああ、と頬を赤くした。
嬉しい。どうしよう。嬉しすぎて…、どうにかなってしまいそうだ。

「分かっているんだ…。
俺にはお前を愛する資格も傍にいる権利もないんだって事は。俺はお前を泣かせて傷つけるしかできない。だから、俺じゃなくてもお前には他にもふさわしい男がいるんだって。
そいつの方がお前を幸せにできるって分かっているのに…、なのに…、俺は…、」

ギュッとリエルを抱き締める腕に力がこもった。

「頭では分かっているのに…、どうしても受け入れられなかった。お前を誰にも渡したくない。
どうせ結ばれないのなら、誰とも結ばれてほしくなんかなかった。」

リエルはそっとアルバートに背を回し、抱き締め返した。

「アルバート…。私もそう思ってたの。
他の男の人なんて考えられなかった。
結婚するのが貴族の義務だって分かっていたけど…、どうしても嫌だった。
だからね…、私はルイの補佐をする道を選んだんだよ。
勿論、ルイの支えになりたいという思いもあったけど、それ以上に…、あなた以外の人と結婚などしたくなかったの。」

「リエル…。」

アルバートはそっとリエルの肩口から顔を上げ、向き直った。
彼の目には涙が浮かんでいた。
そのまま、頬を涙が伝った。
その涙がとても綺麗だとリエルは見惚れた。
そっと手を伸ばし、彼の涙を拭った。
アルバートはリエルのその手をそっと握り締めた。
そっと触れるかのような優しい手…。

「今までずっと…、抑えていた。
でも、もう無理だ。そんな言葉を聞いたら…、もうお前を離せない。」

「…いいよ。アルバート。…離さないで。」

「っ…、お前って女は…、何でそんなに…、お人好しなんだよ…。馬鹿だよ…。お前は…、」

どうしてだろう。馬鹿だと言われているのにちっとも嫌じゃない。
それどころか…、どうして、こんなにも温かい気持ちになれるのだろう。止まった涙がまた溢れ出てくる。

リエルはアルバートの胸にそっと寄り添った。
そんなリエルをアルバートは一瞬、戸惑うように身体を揺らすがやがて、そっと優しく抱き寄せてくれた。その手つきが壊れ物を扱うかのように丁寧で優しくて…、泣きながらリエルは幸せそうに微笑んだ。
リエルはその腕に心地よさを覚えた。

―温かい…。凄く落ち着く…。

「…知らなかった。涙って、嬉しくても出るんだね。」

「リエル。」

アルバートはリエルに目を細めた。

「…濡れている。拭いてやるから、こちらへ顔を向けろ。」

「うん…。ありがとう…。」

そう言って、アルバートはハンカチでリエルの涙を拭ってくれた。

「…あ。」

リエルはアルバートが取り出したハンカチに目を留めた。

「そのハンカチ…。」

「ッ!?あ、いや…。これは…!」

慌ててアルバートはハンカチを仕舞ったがリエルはそのハンカチに見覚えがあった。
だって、それは見間違えじゃなければ自分が手ずから刺繍をしたハンカチの筈だ。
青地のハンカチに白薔薇の刺繍の…。
間違いない。何度も練習して出来上がったあのハンカチだった。

「それ…、私が刺繍したハンカチでしょう?
どうして、それをあなたが持っているの?」

アルバートは目を泳がせたが観念したように白状した。

「…リヒターがくれたんだ。」

「リヒターが?」

そういえば、ハンカチを捨てるように言った時、リヒターが自分に頂けませんかと申し出たのだ。
どうせ、捨てるつもりだったからそのハンカチをリヒターにあげたのを思い出した。

「これ…、元々、お前が俺にくれるつもりで刺繍してくれたんだってな。リヒターが言ってた。」

「え!?」

リエルは狼狽えた。リヒターが?ってことは…、

「も、もしかして…、全部知っているの?私が…、その…、」

「俺が薔薇騎士の叙任式に来ていたこと、その祝いとしてこのハンカチを贈ろうとしてくれたこと…、全部後で知った。」

―リヒター!秘密だって言ったのに!

リエルは今すぐリヒターに抗議したくなった。

「…知らなかったんだ。お前があの式典に参加していることに。お前はどこにも見当たらなかったし、あんな状態だったから来てないんだと思っていた。」

「そんな事ない!あなたが薔薇騎士になったって聞いた時は私とても嬉しかったの!
だから…、あの日…、」

リエルは当時の事を振り返り、彼に話した。
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