152 / 280
第八章 落星の裂け目
第152話 精霊を喰らう者
しおりを挟む
カズエルとセリスが王都へ旅立ってから、一月ほどが過ぎた。
保守派エルフたちの集団失踪は森に静かな波紋を広げたものの、俺たちの日常は驚くほど穏やかだった。俺は賢者として、エルドレアやミラネと協力し、失われた伝承の編纂作業に没頭していた。それは、この森の本当の歴史と向き合う、静かで、しかし重要な仕事だった。
「カイン、こっちの巻物、解読できたわよ」
「カイン様、こちらの石板の写しが完了しました」
エルンとミラネが、それぞれの作業の成果を俺のもとへ運んでくる。書庫での地道な作業はまるで巨大なジグソーパズルを組み立てていくようだった。
「ありがとう、二人とも。……しかし、古い記録になればなるほど欠損が激しいな」
俺はひときわ古く、損傷の激しい羊皮紙の巻物を慎重に広げた。記されているのは現代ではほとんど使われない古代エルフ語。俺がその巻物に触れた瞬間、腕にはめられた『賢者の印』が淡く輝き、俺の意識に直接、言葉の意味が流れ込んできた。
「……これは……」
俺は印が読み解いた文章を思わず声に出して読み上げていた。
「世界がまだ若き時代、星々を覆う黒き霧が現れ、精霊たちを喰らい尽くさんとした。……霧の名は『エクリプス』。精霊を喰らう異形……」
書庫の空気が、シンと静まり返る。
「エクリプス……?」
エルンが息を呑んだ。
俺は構わず続きを読む。
「光と契約せし賢者がそれを封じたが、いずれは封印を解き、倒さねばならぬだろう。その時まで、賢者の系譜に連なる者は、この封印を監視し続けよ……」
「精霊を喰らう……異形ですって?」
ミラネの声が、かすかに震えていた。
『これは伝承ではない。事実だ』
俺の脳裏にカイランの重い声が響いた。
『エクリプス……世界の理そのものに敵対する古の災厄だ。光の賢者アウレリウスが自らの命と引き換えに封じたと記録されている』
命と引き換えにようやく封印するのがやっとだったというのか。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「その封印の監視は誰が担当していたんだ?」
俺の問いにミラネが険しい表情で書庫の管理記録をめくり、ある名前を指差して顔を青ざめさせた。
「……封印の監視は長老会の中でも森の防衛を司る者が担う、とあります。その役職に最後に就いていたのは……ヴィンドール、です」
その瞬間、すべてのピースが繋がった気がした。
「まさか……彼らは、その封印をどうにかしようと……?」
エルンが最悪の可能性を口にする。
俺の胸が再び嫌なざわつきに満たされる。
その時だった。
「カイン!」
ルナが書庫に駆け込んできた。その手には一枚の古い星図が握られている。
「大変だよ! 星の動きが、すごく変なの! 特に北東の空が……黒いシミみたいなので、どんどん隠されていってる!」
北東。俺は森の古地図を広げ、ルナが指差す星図の方向と重ね合わせる。そこは「落星の裂け目」と呼ばれる広大な不毛地帯だった。
エルンの表情がこわばる。
「『落星の裂け目』……。あそこは大昔に天から星が墜ち、大地がその衝撃で砕け散った場所だと伝わっています。その影響で理が歪み、精霊は狂い、草木は育たず、重力さえも不安定な土地だと。だから森の誰もが呪われた地として近づかない……」
「精霊を喰らう化け物を封印するには、うってつけの場所というわけか」
俺は指で、その場所を強く押さえたまま言葉を失った。
(冗談じゃない……。古の災厄? なんでそんなものの後始末が俺に回ってくるんだ。これ、ぜったい誰かに仕組まれてるだろ?)
心の中で渦巻くのは途方もない重圧と、逃げ出したいという本音だった。だが、俺が黙り込んでいると、エルンが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「カイン……?」
その声に俺はハッと我に返る。
仲間たちが俺の言葉を待っている。俺が賢者として決断することを。
俺は一度、固く目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
「……行くしか、ないだろうな」
絞り出した声は自分でも驚くほどか細かった。だが、言葉は続いた。
「ヴィンドールが責務を放棄した今、この役目を引き継げるのは……賢者の印を持つ、俺だと思う。正直、逃げ出したい気分だけど、このまま放っておくわけにはいかないだろう」
俺は立ち上がり、仲間たち一人一人の顔を見回した。
「……準備を頼む。俺たちで『落星の裂け目』へ向かってみよう」
平穏な日々は唐突に終わりを告げた。
俺の心に迷いが消えたわけではない。だが、賢者として、仲間と共にこの森を守る。そのために俺はここにいるのだから。
保守派エルフたちの集団失踪は森に静かな波紋を広げたものの、俺たちの日常は驚くほど穏やかだった。俺は賢者として、エルドレアやミラネと協力し、失われた伝承の編纂作業に没頭していた。それは、この森の本当の歴史と向き合う、静かで、しかし重要な仕事だった。
「カイン、こっちの巻物、解読できたわよ」
「カイン様、こちらの石板の写しが完了しました」
エルンとミラネが、それぞれの作業の成果を俺のもとへ運んでくる。書庫での地道な作業はまるで巨大なジグソーパズルを組み立てていくようだった。
「ありがとう、二人とも。……しかし、古い記録になればなるほど欠損が激しいな」
俺はひときわ古く、損傷の激しい羊皮紙の巻物を慎重に広げた。記されているのは現代ではほとんど使われない古代エルフ語。俺がその巻物に触れた瞬間、腕にはめられた『賢者の印』が淡く輝き、俺の意識に直接、言葉の意味が流れ込んできた。
「……これは……」
俺は印が読み解いた文章を思わず声に出して読み上げていた。
「世界がまだ若き時代、星々を覆う黒き霧が現れ、精霊たちを喰らい尽くさんとした。……霧の名は『エクリプス』。精霊を喰らう異形……」
書庫の空気が、シンと静まり返る。
「エクリプス……?」
エルンが息を呑んだ。
俺は構わず続きを読む。
「光と契約せし賢者がそれを封じたが、いずれは封印を解き、倒さねばならぬだろう。その時まで、賢者の系譜に連なる者は、この封印を監視し続けよ……」
「精霊を喰らう……異形ですって?」
ミラネの声が、かすかに震えていた。
『これは伝承ではない。事実だ』
俺の脳裏にカイランの重い声が響いた。
『エクリプス……世界の理そのものに敵対する古の災厄だ。光の賢者アウレリウスが自らの命と引き換えに封じたと記録されている』
命と引き換えにようやく封印するのがやっとだったというのか。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「その封印の監視は誰が担当していたんだ?」
俺の問いにミラネが険しい表情で書庫の管理記録をめくり、ある名前を指差して顔を青ざめさせた。
「……封印の監視は長老会の中でも森の防衛を司る者が担う、とあります。その役職に最後に就いていたのは……ヴィンドール、です」
その瞬間、すべてのピースが繋がった気がした。
「まさか……彼らは、その封印をどうにかしようと……?」
エルンが最悪の可能性を口にする。
俺の胸が再び嫌なざわつきに満たされる。
その時だった。
「カイン!」
ルナが書庫に駆け込んできた。その手には一枚の古い星図が握られている。
「大変だよ! 星の動きが、すごく変なの! 特に北東の空が……黒いシミみたいなので、どんどん隠されていってる!」
北東。俺は森の古地図を広げ、ルナが指差す星図の方向と重ね合わせる。そこは「落星の裂け目」と呼ばれる広大な不毛地帯だった。
エルンの表情がこわばる。
「『落星の裂け目』……。あそこは大昔に天から星が墜ち、大地がその衝撃で砕け散った場所だと伝わっています。その影響で理が歪み、精霊は狂い、草木は育たず、重力さえも不安定な土地だと。だから森の誰もが呪われた地として近づかない……」
「精霊を喰らう化け物を封印するには、うってつけの場所というわけか」
俺は指で、その場所を強く押さえたまま言葉を失った。
(冗談じゃない……。古の災厄? なんでそんなものの後始末が俺に回ってくるんだ。これ、ぜったい誰かに仕組まれてるだろ?)
心の中で渦巻くのは途方もない重圧と、逃げ出したいという本音だった。だが、俺が黙り込んでいると、エルンが心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「カイン……?」
その声に俺はハッと我に返る。
仲間たちが俺の言葉を待っている。俺が賢者として決断することを。
俺は一度、固く目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
「……行くしか、ないだろうな」
絞り出した声は自分でも驚くほどか細かった。だが、言葉は続いた。
「ヴィンドールが責務を放棄した今、この役目を引き継げるのは……賢者の印を持つ、俺だと思う。正直、逃げ出したい気分だけど、このまま放っておくわけにはいかないだろう」
俺は立ち上がり、仲間たち一人一人の顔を見回した。
「……準備を頼む。俺たちで『落星の裂け目』へ向かってみよう」
平穏な日々は唐突に終わりを告げた。
俺の心に迷いが消えたわけではない。だが、賢者として、仲間と共にこの森を守る。そのために俺はここにいるのだから。
0
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
鬼の兵法伝承者、異世界に転世せしむる
書仙凡人
ファンタジー
俺の名は桜木小次郎。
鬼一法眼を祖とする鬼一兵法の令和の伝承者。
だがある時、なぜか突然死してしまったのだ。
その時、自称神様の変なペンギンが現れて、ファンタジー世界の転生を持ちかけられた。
俺はヤケになって転生受け入れたら、とんでもない素性の奴にログインする事になったのである。
ログイン先は滅亡した国の王子で、従者に毒盛られて殺されたばかり。
なにこれ? クーリングオフねぇのかよ!
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
英雄の孫は今日も最強
まーびん
ファンタジー
前世では社会人だったが、死んで異世界に転生し、貧乏貴族ターセル男爵家の3男となった主人公ロイ。
前世のギスギスした家庭と違い、家族の皆から愛され、ロイはすくすくと3歳まで育った。
中でも、毎日一緒に遊んでくれるじいじは爺馬鹿全開で、ロイもそんなじいじが大好き。
元将軍で「英雄」と呼ばれる最強のじいじの血を引いたロイは、じいじ達に見守られながら、今日も楽しく最強な日々を過ごす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる