202 / 280
第十一章 混沌の使徒
第202話 凶報
しおりを挟む
封印書庫の最奥部は張り詰めた静寂に支配されていた。
部屋の中央では、カズエルとエルンが宙に浮かべた黒い石板に刻まれた理式の解読に没頭している。その後方を俺は扉を背にして守り、万が一の襲撃に備えていた。
ルナは俺がいるこの部屋と、レオナルドとセリスが守る封印書庫の入り口との間、長い回廊を連絡役として軽快に行き来していた。罠が解除された回廊は彼女の独壇場だった。
「――変わりない?」
「うん、静かだよ。レオナルドとセリスも、ちゃんと門番してる」
時折、様子を見にくるルナからの短い報告だけが、この静寂の中での唯一の動きだった。
カズエルとエルンの解析は困難を極めていた。
「くそっ……! 掴んだと思ったら、すぐに形を変える。まるで生きているみたいだ……!」
カズエルの指先から放たれる光の糸が術式の一部を切り取ろうとするが、その度に術式全体が蠢き、解析対象の構造を変化させてしまう。
「これではイタチごっこだ。解読するそばから、ロジックが書き換えられていく」
カズエルの額には、びっしりと汗が浮かんでいる。彼の集中力は確実に削られていた。
その様子をエルンは固唾をのんで見守っていた。そして、彼女は精霊魔法の使い手としての観点から、ある可能性に気づく。
「カズエル、試してもいいですか」
エルンはカズエルの隣に進み出ると、静かに杖を構えた。
「精霊魔法の結界のように、光の魔力でこの術式の一部を一時的に『固定』するのです。流れを完全に止めて、その一瞬だけ構造を読み解きます」
それは、理式魔術の専門家からすれば、あまりに乱暴な発想だった。だが、行き詰まっていたカズエルにとって、その提案は一条の光に見えた。
「……面白い。やってみる価値はあるな。それを頼む」
エルンは深くうなずくと、詠唱を始める。彼女の清浄な光の魔力が、投影された理式の一部をまるで氷漬けにするかのように包み込み、その動きをほんの数秒だけ完全に停止させた。
「今です、カズエル!」
「ああ!」
カズエルはその一瞬を逃さず、停止した部分の論理構造を超高速で解析していく。
「……わかったぞ。こいつのエネルギー源の一部は……宿主の『後悔』だ。過去の後悔を糧にして、魂を内側から食い破っていく理式……なんて悪辣なんだ」
ついに呪いの本質の一端が明らかになった。それは解呪への、あまりに小さいが、しかし確実な一歩だった。
***
その頃、封印書庫の入り口。
レオナルドとセリスは巨大な扉を背に、互いに背中を預けるようにして回廊の闇を警戒していた。
「……静かすぎるな」
レオナルドが低い声でつぶやく。
「ええ。ですが、この静けさこそが、この場所の異常性の証。気を緩めるわけにはいきません」
セリスがそう答えた、まさにその瞬間だった。
ヒュン、と澄んだ風を切る音がして、一羽の小鳥が滑り込むように飛来した。それは風の精霊に導かれた、緊急の精霊通信だった。
小鳥はまっすぐにセリスの腕へと舞い降りる。
「……王都から?」
セリスは小鳥の足に結ばれた小さな羊皮紙を怪訝な表情で解いた。そして、そこに記された文字を読み、血相を変えた。
「どうした」
レオナルドの問いに彼女は震える声で答えた。
「王都に……王都に大型の飛行魔獣が出現。連日、甚大な被害が出ている、と……」
彼女は手にした羊皮紙をレオナルドに見せる。そこには走り書きのような、しかし切迫した文字で、こう記されていた。
『――至急、帰還されたし』
「……このタイミングでか」
レオナルドは奥歯を噛みしめた。これがただの偶然でないことは火を見るより明らかだった。
「カイン殿に知らせなければ」
セリスが回廊の奥を見つめた、その時。
「セリスー! どうしたのー?」
ちょうど、ルナが巡回から戻ってきたところだった。
セリスはルナの元へ駆け寄る。
「ルナ! 急いでカイン殿の元へ! 王都が、王都が危険です!」
事の重大さを瞬時に悟ったルナは、一言も返さず、その小さな体を翻した。彼女はこれまでにないほどの速度で、長い回廊を風のように駆け抜けていく。
***
一方、最奥部ではカズエルとエルンの解析が一つの光明を見出していた。
「よし、この調子で、次も……!」
カズエルが次の解析へと移ろうとした、その時だった。
「カイン! 大変!」
息を切らし、今にも泣き出しそうな顔でルナが部屋に飛び込んできた。
「王都が! 王都が大変なの!」
ルナから渡された羊皮紙を読み、俺の顔色も変わる。解呪への糸口を掴んだ、まさにこのタイミングでの王都からの凶報。これが、ただの偶然であるはずがなかった。
俺たちは、敵の次なる一手の中にいることを悟らざるを得なかった。
部屋の中央では、カズエルとエルンが宙に浮かべた黒い石板に刻まれた理式の解読に没頭している。その後方を俺は扉を背にして守り、万が一の襲撃に備えていた。
ルナは俺がいるこの部屋と、レオナルドとセリスが守る封印書庫の入り口との間、長い回廊を連絡役として軽快に行き来していた。罠が解除された回廊は彼女の独壇場だった。
「――変わりない?」
「うん、静かだよ。レオナルドとセリスも、ちゃんと門番してる」
時折、様子を見にくるルナからの短い報告だけが、この静寂の中での唯一の動きだった。
カズエルとエルンの解析は困難を極めていた。
「くそっ……! 掴んだと思ったら、すぐに形を変える。まるで生きているみたいだ……!」
カズエルの指先から放たれる光の糸が術式の一部を切り取ろうとするが、その度に術式全体が蠢き、解析対象の構造を変化させてしまう。
「これではイタチごっこだ。解読するそばから、ロジックが書き換えられていく」
カズエルの額には、びっしりと汗が浮かんでいる。彼の集中力は確実に削られていた。
その様子をエルンは固唾をのんで見守っていた。そして、彼女は精霊魔法の使い手としての観点から、ある可能性に気づく。
「カズエル、試してもいいですか」
エルンはカズエルの隣に進み出ると、静かに杖を構えた。
「精霊魔法の結界のように、光の魔力でこの術式の一部を一時的に『固定』するのです。流れを完全に止めて、その一瞬だけ構造を読み解きます」
それは、理式魔術の専門家からすれば、あまりに乱暴な発想だった。だが、行き詰まっていたカズエルにとって、その提案は一条の光に見えた。
「……面白い。やってみる価値はあるな。それを頼む」
エルンは深くうなずくと、詠唱を始める。彼女の清浄な光の魔力が、投影された理式の一部をまるで氷漬けにするかのように包み込み、その動きをほんの数秒だけ完全に停止させた。
「今です、カズエル!」
「ああ!」
カズエルはその一瞬を逃さず、停止した部分の論理構造を超高速で解析していく。
「……わかったぞ。こいつのエネルギー源の一部は……宿主の『後悔』だ。過去の後悔を糧にして、魂を内側から食い破っていく理式……なんて悪辣なんだ」
ついに呪いの本質の一端が明らかになった。それは解呪への、あまりに小さいが、しかし確実な一歩だった。
***
その頃、封印書庫の入り口。
レオナルドとセリスは巨大な扉を背に、互いに背中を預けるようにして回廊の闇を警戒していた。
「……静かすぎるな」
レオナルドが低い声でつぶやく。
「ええ。ですが、この静けさこそが、この場所の異常性の証。気を緩めるわけにはいきません」
セリスがそう答えた、まさにその瞬間だった。
ヒュン、と澄んだ風を切る音がして、一羽の小鳥が滑り込むように飛来した。それは風の精霊に導かれた、緊急の精霊通信だった。
小鳥はまっすぐにセリスの腕へと舞い降りる。
「……王都から?」
セリスは小鳥の足に結ばれた小さな羊皮紙を怪訝な表情で解いた。そして、そこに記された文字を読み、血相を変えた。
「どうした」
レオナルドの問いに彼女は震える声で答えた。
「王都に……王都に大型の飛行魔獣が出現。連日、甚大な被害が出ている、と……」
彼女は手にした羊皮紙をレオナルドに見せる。そこには走り書きのような、しかし切迫した文字で、こう記されていた。
『――至急、帰還されたし』
「……このタイミングでか」
レオナルドは奥歯を噛みしめた。これがただの偶然でないことは火を見るより明らかだった。
「カイン殿に知らせなければ」
セリスが回廊の奥を見つめた、その時。
「セリスー! どうしたのー?」
ちょうど、ルナが巡回から戻ってきたところだった。
セリスはルナの元へ駆け寄る。
「ルナ! 急いでカイン殿の元へ! 王都が、王都が危険です!」
事の重大さを瞬時に悟ったルナは、一言も返さず、その小さな体を翻した。彼女はこれまでにないほどの速度で、長い回廊を風のように駆け抜けていく。
***
一方、最奥部ではカズエルとエルンの解析が一つの光明を見出していた。
「よし、この調子で、次も……!」
カズエルが次の解析へと移ろうとした、その時だった。
「カイン! 大変!」
息を切らし、今にも泣き出しそうな顔でルナが部屋に飛び込んできた。
「王都が! 王都が大変なの!」
ルナから渡された羊皮紙を読み、俺の顔色も変わる。解呪への糸口を掴んだ、まさにこのタイミングでの王都からの凶報。これが、ただの偶然であるはずがなかった。
俺たちは、敵の次なる一手の中にいることを悟らざるを得なかった。
0
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
鬼の兵法伝承者、異世界に転世せしむる
書仙凡人
ファンタジー
俺の名は桜木小次郎。
鬼一法眼を祖とする鬼一兵法の令和の伝承者。
だがある時、なぜか突然死してしまったのだ。
その時、自称神様の変なペンギンが現れて、ファンタジー世界の転生を持ちかけられた。
俺はヤケになって転生受け入れたら、とんでもない素性の奴にログインする事になったのである。
ログイン先は滅亡した国の王子で、従者に毒盛られて殺されたばかり。
なにこれ? クーリングオフねぇのかよ!
英雄の孫は今日も最強
まーびん
ファンタジー
前世では社会人だったが、死んで異世界に転生し、貧乏貴族ターセル男爵家の3男となった主人公ロイ。
前世のギスギスした家庭と違い、家族の皆から愛され、ロイはすくすくと3歳まで育った。
中でも、毎日一緒に遊んでくれるじいじは爺馬鹿全開で、ロイもそんなじいじが大好き。
元将軍で「英雄」と呼ばれる最強のじいじの血を引いたロイは、じいじ達に見守られながら、今日も楽しく最強な日々を過ごす。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる