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第三話
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「クロエよどうなっておる」
ミシェルは別室で看病されることになった。数人のメイドが交代で看病していた。ガブリエラが治療を行なったことで命は救われたが、かなり衰弱している様子だったので、数日間は安静が必要だった。
ガブリエラは見に行きたがっていたが、なぜかクロエに止められていた。彼女がいくと、病状が悪化する可能性があると判断されてしまったのだろう。
日に何度も質問するガブリエラに、少々呆れた顔を見せてクロエは答えた。
「そんなに、一日に何度も聞いても変わりませんよ。よくなっていますし、少しづつ話せるようになっています。ですが、大聖女様は病人にとって刺激が強すぎます。絶対に、部屋に入らないでくださいね」
「ケチじゃのう」
トボトボと自室に戻るガブリエラであったが、彼女はそんなに諦めの良い性格はしていなかった。
◇
ガブリエラがミシェルの寝室に忍び込むのに成功したのは、昼休み、丁度、メイドたちの交代の時間だった
いつもは昼食のために、食堂へ急行する彼女だったが、今日の彼女は違った。昼食は逃げてなくならないが、チャンスは逃すとなくなってしまうものだからだ。
キョロキョロと廊下を偵察後、寝室の扉に耳をそばだてた。特に物音は聞こえない。できるだけ音を立てないようにして、扉を開けた。寝室はカーテンが閉まっており、昼間なのに薄暗い。部屋の奥に寝ている彼女がいる。寝息はあまり聞こえないが、動きがないのを見ると寝ているに違いない。
扉を閉めるときに、ギギギと音がしたが、振り返っても彼女の動きはない。爪先立ちでできるだけ音がしないようにとベッドの脇の椅子に急ぐ。
ゆっくり椅子に座ると彼女の方を見た。彼女はまだ寝ていた。
肩まである金色の髪は色艶を完全に取り戻していた。薄桃色のほおは少しふっくらし始めていたが、首筋はまだ細すぎて、儚げな様子に見えた。
ガブリエラはその美しい髪に手を伸ばして撫でてあげたい衝動が抑えきれず、グググと手を出そうとしたとき、急にお腹がなってしまった。
(しまった)
と思ったときにはもう、ミシェルが目を覚まして少し驚いたような顔をしていた。
「あなたは、誰?」
「わしはガブリエラじゃ」
「ガブリエラ……ちゃん?」
ミシェルが勘違いをしてしまったのも無理はない。ガブリエラの見た目は子供のようだったからだ。しかし、彼女は10代半ばのミシェルより実は年上だった(しかし、年齢のことについては帝国内で極秘とされ、誰も口を出せないという決まりになっている)
「もういいのか体は?」
ミシェルはゆっくりと体を起こすと、ガブリエラの方にきちんとむいた。病衣から伸びている手足は明らかにまだ細く、彼女が長い間、辛い目にあっていたのではないかと思われた。
「はい、元気になりました」
彼女がかすかに笑うと少し空気が緩んだ気がする。
「なんでもわしにいうんじゃぞ。なにしろ、わしは大聖女様じゃからな」
「えっ、大聖女様なんですか。大変失礼いたしました」
彼女は慌ててベッドから立ち上がろうとしたが、すぐにふらついて座り込んでしまった。
「良い良い、そのままで。無理に会いにきたわしが悪かった。また来るからな」
ガブリエラは立ち上がるとすぐに扉のほうを歩いていき、振り向きざま、彼女の方へと手を振った。そして、再び前を向くと……
クロエがそこに仁王立ちしていた。
「大聖女様。このようなことはやめていただきたいと言っていたはずですが……」
「す、すまん、クロエ、これはほんの出来心で……」
彼女の言い訳など聞く耳持たない侍女のクロエは、無言でガブリエラを部屋から引きずり出していった。
◇
「それで、彼女は一体何者なんだい」
「わしにわかるわけなかろう。かといって、サーシャも消えてなくなってしまったし」
「うーん、俄には信じられないが、いなくなったのは間違えないしな。でも、なんで死の谷で消えてしまったんだろう」
ここは、ガブリエラの館の一室。今日は皇帝陛下やってきたので、皆で集まって話し合いをしていた。ガブリエラの話を聞いてもさっぱり状況が把握できなかったため、オーブリー皇帝自らミシェルに会いにきていた。
「どうなんだい。彼女の様子は?」
「彼女はもう大丈夫です。ただ、無理は禁物かと」
オーブリーの質問に侍女のクロエが答える。
「一度話をしたいんだ。もう、だいぶ、時間がなくなっている。彼女がガブリエラの助けになるというのなら、少なくてもその片鱗だけでも見せてもらいたい。でないと、今後、どうするか方針が立てられないので」
「わかりました。ここに連れてきます。くれぐれも無理はさせませんように」
クロエはすっと部屋からいなくなり、やがて、ミシェルを連れてきた。彼女は皇帝オーブリーの名を聞いて、恐れのあまりその場で平伏してしまった。
「そんなにかしこまらなくていいよ。ここ、プライベートの場だから」
オーブリーは優しく声をかけたが、彼女は微動だにしなかった。
「私ごときの存在が、皇帝陛下様でそんな、とんでもございません」
「こっち、こっちミシェルちゃん。わしの隣じゃ」
ガブリエラは椅子に座って足をバタバタさせながら、隣の椅子をすすめたが、皇帝陛下があまりに恐れ多いのか、彼女はうずくまったままだ。
「こいつはそんなに怖くないぞ。皇帝としてはどうだかわからんが、人間としてはなかなかいいやつじゃ」
「皇帝としてはどうかなんて、ひでえやつだなお前。ミシェルさんもそんな態度だとこっちも話しにくいからさ。椅子に座ってもらえないだろうか」
「は、はい」
彼女はガブリエラの隣に座った。
「君はどこの出身なんだい?」
「カラドの方からきました」
「ふむ。じゃあ、どうして、あそこにいたんですか?」
「それは……言えません」
「うーん。それでは、君はどんな力を持っているんだい。なんでもいいから話してみてくれないかな。能力とか魔法とか」
「特別な能力もなければ、魔法も使えません。私は出来損ないなので、あそこにいました。おそらく、陛下のご期待には沿えないと思います。助けて頂いたのに大変申し訳ないと思っています。どうやって恩返ししたらいいのか…… 体が良くなったら、ここから出ていきます。ご迷惑をこれ以上かけるわけにはまいりません」
「何を言っとる。迷惑など全くかかってないわ。のう、オーちゃん」
「あの、ミシェルさん。体の調子が落ち着いたら、ここで働いてみてはどうですか。ガブリエラも君のことを気に入ったみたいだし。もちろん、嫌になったらすぐに出ていってもいいですが。何せ、この大聖女様はワガママで、気まぐれで、おまけに……」
「えーい、うるさい。みなまでいうな」
ガブリエラの一言で皆が爆笑となった。その後、皇帝陛下は一礼をして部屋から退室していった。その姿を見るミーシャの顔は少し悲しそうだった。
◇
数日後から、ミシェルは使用人見習いとして雇われることになった。彼女のメイド服姿を見てご満悦なガブリエラだったが、いちいち彼女の後ろについて回るので、その度に侍女のクロエに引き離されていた。
彼女の働きぶりは驚くほどで、病み上がりの人間には見えない。そこがガブリエラには気に掛かっていた。
「もう少し休ませてやっても良かろうに。クロエのやつめ」
ガブリエラは暇を持て余して、部屋でうろうろしていた。
「それにしても暇じゃな。オーちゃんをからかいに行きたいが、今は忙しそうじゃし」
ミシェルが当てにならないことがわかったので、皇帝陛下は忙しそうに帝国内の調整に回っていた。そのうち、瘴気で困っている地方にガブリエラを連れていって、浄化作業をすることになるだろう。また、忙しいことになりそうだ。
「まあ、しょうがあるまい。今はこのダラダラした時間を有意義に楽しまねば」
その時、コンコンとノックの音がした。
「ふわい」
「ミシェルです。入っても良いですか」
「おうおう、良いぞ。入ってまいれ」
扉を開けるとミシェルがいた。
「皇帝陛下から、ケーキの差し入れがありました。紅茶と一緒に用意しておりますので、食堂の方にいらしてください」
「ほうほう、じゃあ行くか」
◇
テーブルの上には白いお皿に綺麗にカットされたケーキと紅茶が置かれてあった。良い香りが漂ってくる。奥にはホールケーキが置かれてあり、ガブリエラは危うくヨダレを垂らしそうになった。
「こういうことに気が回るのはさすがは皇帝様じゃのう。よいよい」
早速彼女は椅子に座ると、ケーキを貪り始めた。彼女がケーキを食べたり、紅茶を空にするたびに、ミシェルが補充していった。
「そういえばおぬし、全然食べておらんではないか」
彼女が満腹になって初めてミシェルが全然食べずにいることに気がついた。
そこで、ガブリエラはミシェルに椅子に座るように命じた。彼女はかなり遠慮していたが、ガブリエラの勢いに負けてついに椅子に座ってしまった。
ガブリエラは彼女を椅子に座らせると、ケーキを雑に切って盛り付けた。ケーキは大きく切り過ぎて皿からはみ出てしまっている。
「ええっとその」
彼女は座ったまま、ケーキをじっと見て固まっている。
「どうした。遠慮せずにガバッといけ、ガバッと。それともケーキは初めてか」
「いえ、幼い頃に食べた思い出はありますが…… 本当に食べていいんですか」
彼女の真剣な眼差しに、ニコッと笑ってガブリエラは答えた。
「いいから、いいから」
ミシェルはすぐにケーキを無心になって食べ始めた。その様子を見て満足げにうなずくガブリエラ。
大きくカットしたケーキはすぐになくなり、食べ終わった後、彼女は少しぼーっとしていた。
「なんだかとっても幸せです」
「うまいものを食べると幸せになる。これは万物の法則でもある」
ミシェルはガブリエラを急に真剣な顔で見た。
「私、皇帝陛下をガッカリさせてしまいませんでしたか」
「ガッカリも何も、勝手に期待する方が悪いのじゃ」
「でも、そのせいで、ガブリエラ様にも迷惑が」
「わしのことは心配するな。大体人様に迷惑だなんて考えていると何もできんぞ。わしを見習うのじゃ」
「しかし、大聖女様はいながらにして、この国に福音をもたらすお方ですから」
「そんなの関係ないわ。わしがただの人間であっても、わしはわしの好きなことをする。ミシェルちゃんがただの人間であっても、お前はお前であるだけで価値がある。だから、胸を張って生きるが良い。誰かが文句を言ってきたら、わしがとっちめてやるわ」
グシシシとガブリエラが笑った。
その時、ノックの音がした。
「おーい、ガブリエラ。居るか」
オーブリーが扉を開けて入ってきた。
「やあ、ミシェルさん。どうでしたケーキは?」
「とっても美味しかったです」
「そうですか、よかったよかった。ケーキを贈ったのはよかったのですが、まさかこいつがホールケーキ丸ごと独り占めしないかと思ったので、慌ててやってきたんですよ」
「そんなことするわけないじゃろ」
「いや、やりかねないやつだからなお前は。ところで、ミシェルさん。ここの生活は慣れましたか?」
「ええ、でもまだ仕事の方が慣れなくて、大変迷惑かけています」
「いやいや、そんな。みんな褒めていましたよ。すごく働くいい子だって。でも、あまり無理しないでくださいよ。俺も今ちょっと忙しいからあれだけど、少し落ち着いたら、この辺りを案内しますよ」
「こ、皇帝陛下様がですか?」
「いや、変装すれば大丈夫、バレやしませんから」
「ちょっと待て、こやつに心を許してはいかん」
ガブリエラがミシェルの前に出て、両手を広げ立ちはだかった。
「こやつは、前の奥さんをなくしてだいぶ経つから、今が一番危険な状態じゃ。ケモノなのじゃ。二人っきりになったら襲ってくるかもしれん。男はみんな可愛い子を見ると下心丸出しで近寄ってくるからな。気をつけなくてはいかん」
「そんなことをするわけないだろ。俺は紳士なんだからな」
「どうだか」
「何」
二人がいがみ合っているのを見て、困惑したミシェルはこう言った。
「あの、私、お誘いはありがたいのですが…… 全然御恩をお返しできていないのに、大変申し訳なくて」
ミシェルはどうして助けてもらったかの経緯をすでに聞いていた。彼女は帝国を救う鍵と期待されていたのに、まるで役に立たなかったので、心苦しかったのだ。
「いいんですよ、別に。変な占い師に騙されただけですから。でも、あなたが助かってよかった。あのままでは確実に死んでいましたからね」
「そうじゃ、そうじゃ。文句言ってくる奴がいれば、わしがしばき倒してやるわ。たとえ皇帝陛下であってもな」
「はあ、俺はそんなこと一言も言っていないんですけど」
賑やかな二人を横目に、ミシェルは暗い顔をしたままだった。
ミシェルは別室で看病されることになった。数人のメイドが交代で看病していた。ガブリエラが治療を行なったことで命は救われたが、かなり衰弱している様子だったので、数日間は安静が必要だった。
ガブリエラは見に行きたがっていたが、なぜかクロエに止められていた。彼女がいくと、病状が悪化する可能性があると判断されてしまったのだろう。
日に何度も質問するガブリエラに、少々呆れた顔を見せてクロエは答えた。
「そんなに、一日に何度も聞いても変わりませんよ。よくなっていますし、少しづつ話せるようになっています。ですが、大聖女様は病人にとって刺激が強すぎます。絶対に、部屋に入らないでくださいね」
「ケチじゃのう」
トボトボと自室に戻るガブリエラであったが、彼女はそんなに諦めの良い性格はしていなかった。
◇
ガブリエラがミシェルの寝室に忍び込むのに成功したのは、昼休み、丁度、メイドたちの交代の時間だった
いつもは昼食のために、食堂へ急行する彼女だったが、今日の彼女は違った。昼食は逃げてなくならないが、チャンスは逃すとなくなってしまうものだからだ。
キョロキョロと廊下を偵察後、寝室の扉に耳をそばだてた。特に物音は聞こえない。できるだけ音を立てないようにして、扉を開けた。寝室はカーテンが閉まっており、昼間なのに薄暗い。部屋の奥に寝ている彼女がいる。寝息はあまり聞こえないが、動きがないのを見ると寝ているに違いない。
扉を閉めるときに、ギギギと音がしたが、振り返っても彼女の動きはない。爪先立ちでできるだけ音がしないようにとベッドの脇の椅子に急ぐ。
ゆっくり椅子に座ると彼女の方を見た。彼女はまだ寝ていた。
肩まである金色の髪は色艶を完全に取り戻していた。薄桃色のほおは少しふっくらし始めていたが、首筋はまだ細すぎて、儚げな様子に見えた。
ガブリエラはその美しい髪に手を伸ばして撫でてあげたい衝動が抑えきれず、グググと手を出そうとしたとき、急にお腹がなってしまった。
(しまった)
と思ったときにはもう、ミシェルが目を覚まして少し驚いたような顔をしていた。
「あなたは、誰?」
「わしはガブリエラじゃ」
「ガブリエラ……ちゃん?」
ミシェルが勘違いをしてしまったのも無理はない。ガブリエラの見た目は子供のようだったからだ。しかし、彼女は10代半ばのミシェルより実は年上だった(しかし、年齢のことについては帝国内で極秘とされ、誰も口を出せないという決まりになっている)
「もういいのか体は?」
ミシェルはゆっくりと体を起こすと、ガブリエラの方にきちんとむいた。病衣から伸びている手足は明らかにまだ細く、彼女が長い間、辛い目にあっていたのではないかと思われた。
「はい、元気になりました」
彼女がかすかに笑うと少し空気が緩んだ気がする。
「なんでもわしにいうんじゃぞ。なにしろ、わしは大聖女様じゃからな」
「えっ、大聖女様なんですか。大変失礼いたしました」
彼女は慌ててベッドから立ち上がろうとしたが、すぐにふらついて座り込んでしまった。
「良い良い、そのままで。無理に会いにきたわしが悪かった。また来るからな」
ガブリエラは立ち上がるとすぐに扉のほうを歩いていき、振り向きざま、彼女の方へと手を振った。そして、再び前を向くと……
クロエがそこに仁王立ちしていた。
「大聖女様。このようなことはやめていただきたいと言っていたはずですが……」
「す、すまん、クロエ、これはほんの出来心で……」
彼女の言い訳など聞く耳持たない侍女のクロエは、無言でガブリエラを部屋から引きずり出していった。
◇
「それで、彼女は一体何者なんだい」
「わしにわかるわけなかろう。かといって、サーシャも消えてなくなってしまったし」
「うーん、俄には信じられないが、いなくなったのは間違えないしな。でも、なんで死の谷で消えてしまったんだろう」
ここは、ガブリエラの館の一室。今日は皇帝陛下やってきたので、皆で集まって話し合いをしていた。ガブリエラの話を聞いてもさっぱり状況が把握できなかったため、オーブリー皇帝自らミシェルに会いにきていた。
「どうなんだい。彼女の様子は?」
「彼女はもう大丈夫です。ただ、無理は禁物かと」
オーブリーの質問に侍女のクロエが答える。
「一度話をしたいんだ。もう、だいぶ、時間がなくなっている。彼女がガブリエラの助けになるというのなら、少なくてもその片鱗だけでも見せてもらいたい。でないと、今後、どうするか方針が立てられないので」
「わかりました。ここに連れてきます。くれぐれも無理はさせませんように」
クロエはすっと部屋からいなくなり、やがて、ミシェルを連れてきた。彼女は皇帝オーブリーの名を聞いて、恐れのあまりその場で平伏してしまった。
「そんなにかしこまらなくていいよ。ここ、プライベートの場だから」
オーブリーは優しく声をかけたが、彼女は微動だにしなかった。
「私ごときの存在が、皇帝陛下様でそんな、とんでもございません」
「こっち、こっちミシェルちゃん。わしの隣じゃ」
ガブリエラは椅子に座って足をバタバタさせながら、隣の椅子をすすめたが、皇帝陛下があまりに恐れ多いのか、彼女はうずくまったままだ。
「こいつはそんなに怖くないぞ。皇帝としてはどうだかわからんが、人間としてはなかなかいいやつじゃ」
「皇帝としてはどうかなんて、ひでえやつだなお前。ミシェルさんもそんな態度だとこっちも話しにくいからさ。椅子に座ってもらえないだろうか」
「は、はい」
彼女はガブリエラの隣に座った。
「君はどこの出身なんだい?」
「カラドの方からきました」
「ふむ。じゃあ、どうして、あそこにいたんですか?」
「それは……言えません」
「うーん。それでは、君はどんな力を持っているんだい。なんでもいいから話してみてくれないかな。能力とか魔法とか」
「特別な能力もなければ、魔法も使えません。私は出来損ないなので、あそこにいました。おそらく、陛下のご期待には沿えないと思います。助けて頂いたのに大変申し訳ないと思っています。どうやって恩返ししたらいいのか…… 体が良くなったら、ここから出ていきます。ご迷惑をこれ以上かけるわけにはまいりません」
「何を言っとる。迷惑など全くかかってないわ。のう、オーちゃん」
「あの、ミシェルさん。体の調子が落ち着いたら、ここで働いてみてはどうですか。ガブリエラも君のことを気に入ったみたいだし。もちろん、嫌になったらすぐに出ていってもいいですが。何せ、この大聖女様はワガママで、気まぐれで、おまけに……」
「えーい、うるさい。みなまでいうな」
ガブリエラの一言で皆が爆笑となった。その後、皇帝陛下は一礼をして部屋から退室していった。その姿を見るミーシャの顔は少し悲しそうだった。
◇
数日後から、ミシェルは使用人見習いとして雇われることになった。彼女のメイド服姿を見てご満悦なガブリエラだったが、いちいち彼女の後ろについて回るので、その度に侍女のクロエに引き離されていた。
彼女の働きぶりは驚くほどで、病み上がりの人間には見えない。そこがガブリエラには気に掛かっていた。
「もう少し休ませてやっても良かろうに。クロエのやつめ」
ガブリエラは暇を持て余して、部屋でうろうろしていた。
「それにしても暇じゃな。オーちゃんをからかいに行きたいが、今は忙しそうじゃし」
ミシェルが当てにならないことがわかったので、皇帝陛下は忙しそうに帝国内の調整に回っていた。そのうち、瘴気で困っている地方にガブリエラを連れていって、浄化作業をすることになるだろう。また、忙しいことになりそうだ。
「まあ、しょうがあるまい。今はこのダラダラした時間を有意義に楽しまねば」
その時、コンコンとノックの音がした。
「ふわい」
「ミシェルです。入っても良いですか」
「おうおう、良いぞ。入ってまいれ」
扉を開けるとミシェルがいた。
「皇帝陛下から、ケーキの差し入れがありました。紅茶と一緒に用意しておりますので、食堂の方にいらしてください」
「ほうほう、じゃあ行くか」
◇
テーブルの上には白いお皿に綺麗にカットされたケーキと紅茶が置かれてあった。良い香りが漂ってくる。奥にはホールケーキが置かれてあり、ガブリエラは危うくヨダレを垂らしそうになった。
「こういうことに気が回るのはさすがは皇帝様じゃのう。よいよい」
早速彼女は椅子に座ると、ケーキを貪り始めた。彼女がケーキを食べたり、紅茶を空にするたびに、ミシェルが補充していった。
「そういえばおぬし、全然食べておらんではないか」
彼女が満腹になって初めてミシェルが全然食べずにいることに気がついた。
そこで、ガブリエラはミシェルに椅子に座るように命じた。彼女はかなり遠慮していたが、ガブリエラの勢いに負けてついに椅子に座ってしまった。
ガブリエラは彼女を椅子に座らせると、ケーキを雑に切って盛り付けた。ケーキは大きく切り過ぎて皿からはみ出てしまっている。
「ええっとその」
彼女は座ったまま、ケーキをじっと見て固まっている。
「どうした。遠慮せずにガバッといけ、ガバッと。それともケーキは初めてか」
「いえ、幼い頃に食べた思い出はありますが…… 本当に食べていいんですか」
彼女の真剣な眼差しに、ニコッと笑ってガブリエラは答えた。
「いいから、いいから」
ミシェルはすぐにケーキを無心になって食べ始めた。その様子を見て満足げにうなずくガブリエラ。
大きくカットしたケーキはすぐになくなり、食べ終わった後、彼女は少しぼーっとしていた。
「なんだかとっても幸せです」
「うまいものを食べると幸せになる。これは万物の法則でもある」
ミシェルはガブリエラを急に真剣な顔で見た。
「私、皇帝陛下をガッカリさせてしまいませんでしたか」
「ガッカリも何も、勝手に期待する方が悪いのじゃ」
「でも、そのせいで、ガブリエラ様にも迷惑が」
「わしのことは心配するな。大体人様に迷惑だなんて考えていると何もできんぞ。わしを見習うのじゃ」
「しかし、大聖女様はいながらにして、この国に福音をもたらすお方ですから」
「そんなの関係ないわ。わしがただの人間であっても、わしはわしの好きなことをする。ミシェルちゃんがただの人間であっても、お前はお前であるだけで価値がある。だから、胸を張って生きるが良い。誰かが文句を言ってきたら、わしがとっちめてやるわ」
グシシシとガブリエラが笑った。
その時、ノックの音がした。
「おーい、ガブリエラ。居るか」
オーブリーが扉を開けて入ってきた。
「やあ、ミシェルさん。どうでしたケーキは?」
「とっても美味しかったです」
「そうですか、よかったよかった。ケーキを贈ったのはよかったのですが、まさかこいつがホールケーキ丸ごと独り占めしないかと思ったので、慌ててやってきたんですよ」
「そんなことするわけないじゃろ」
「いや、やりかねないやつだからなお前は。ところで、ミシェルさん。ここの生活は慣れましたか?」
「ええ、でもまだ仕事の方が慣れなくて、大変迷惑かけています」
「いやいや、そんな。みんな褒めていましたよ。すごく働くいい子だって。でも、あまり無理しないでくださいよ。俺も今ちょっと忙しいからあれだけど、少し落ち着いたら、この辺りを案内しますよ」
「こ、皇帝陛下様がですか?」
「いや、変装すれば大丈夫、バレやしませんから」
「ちょっと待て、こやつに心を許してはいかん」
ガブリエラがミシェルの前に出て、両手を広げ立ちはだかった。
「こやつは、前の奥さんをなくしてだいぶ経つから、今が一番危険な状態じゃ。ケモノなのじゃ。二人っきりになったら襲ってくるかもしれん。男はみんな可愛い子を見ると下心丸出しで近寄ってくるからな。気をつけなくてはいかん」
「そんなことをするわけないだろ。俺は紳士なんだからな」
「どうだか」
「何」
二人がいがみ合っているのを見て、困惑したミシェルはこう言った。
「あの、私、お誘いはありがたいのですが…… 全然御恩をお返しできていないのに、大変申し訳なくて」
ミシェルはどうして助けてもらったかの経緯をすでに聞いていた。彼女は帝国を救う鍵と期待されていたのに、まるで役に立たなかったので、心苦しかったのだ。
「いいんですよ、別に。変な占い師に騙されただけですから。でも、あなたが助かってよかった。あのままでは確実に死んでいましたからね」
「そうじゃ、そうじゃ。文句言ってくる奴がいれば、わしがしばき倒してやるわ。たとえ皇帝陛下であってもな」
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