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第九章―織田木瓜と三つ葉葵
は
しおりを挟む男は思い通りにならなかった不満を鼻息に乗せて散らした。
そして、伊織へぎろりと威圧的な視線を寄越してくる。
「その方、名はなんと申す」
「申し訳ございません。忍びは仕える主君以外に名を明かさぬのが決まりゆえ」
「この儂が尋ねておるのにか?」
「例外はございません」
たとえ控えている小姓に持たせている刀で首を落とすと脅されようとも名は言えぬ、と、伊織は続けた。
もし、伊織自身が武士の身かあるいは武家に仕える者であれば、ここで手打ちにされることもあっただろう。
しかし、朝廷と持ちつ持たれつの関係性を保っている男にとって、貧窮している朝廷に何の利も絡めずに仕え続けている八咫烏を相手取り、多かれ少なかれ貴重かつ重要な情報源を失わせることになるのは、朝廷からの心象を悪くし、旧幕府側についていた諸侯の盛り返しの理由を与えることにも繋がりかねない。
ようやっとここまで来たのに、それでは元の木阿弥である。
それに、伊織の方も忍びなればこそ、このまま報告だけ済ませ、手ぶらで里に帰るだけのつもりはさらさらなかった。
ついと顔を上げ、男の顔を見やる。
「名を告げられぬ代わりといってはなんですが、この城を使ってさらに見事な景色をご覧になるための術がございます。それでご容赦いただけないでしょうか」
「ほぅ。……言うてみぃ」
あれほど自慢げに語っていた城のことゆえに、多少興味が引かれたのか、男は眉を顰めたままではあるが先を促してくる。また、心なしか身を乗り出してきたようにも見えた。
「まず、周辺の家屋敷の火や明かりは全て消させた上で行うことをお忘れなきようお願いいたします」
「それで? 勿体ぶらず、早く先を申せ」
「この城の天主閣および惣見寺にたくさんの提灯を吊るしてくださいませ。また、お馬廻り衆を新道に配置し、入り江にも舟を浮かべさせ、それぞれに松明を灯させるのです。さすれば、湖畔に映る提灯や松明の火の幻想的な美しさをご覧になることができるでしょう。今でさえこのように絢爛なお城なのです。夜の闇に煌々と浮かび上がる城影は大層素晴らしいものになるでしょう」
「なんと! それは良い! 実に良い案じゃ!」
男は持っていた扇子で自分の膝を小気味よい音を立てて打った。
頭の内で想像したのか、途端にそわそわと落ち着きがなくなり、隣に控える少年へ顔を向ける。
「乱、早速次の晴れた日の晩に」
「それはなりませぬ」
「……何故じゃ」
「殿がご覧になりたいとおっしゃられておるのだぞ? 自ら言い出したというのに、納得できるわけを申せ」
男は険しい目つきで伊織を睨みつける。それを見た少年も同じように伊織に対して睨みをきかせてきた。
「最初以外はいつ行われてもよいかと思われますが、やはり最初は迎え火か送り火として盂蘭盆の時期か、あるいは主上や異国の宣教師達を招いた際の特別な場で披露なされた方がよいでしょう。特に、異国の宣教師達は自国に帰り、後世へ残すためにこの国の事も書物に記していると聞きます。天下を目前とされる御方の粋な計らいを国内外に知らしめるのにいかがかと」
「……ふむ。確かに、それもよい案じゃ」
「殿。それでは、私がこの話を記録に残しておきますゆえ、その時が来ましたらお命じくださいませ」
「よし。ならば、乱。お前がその時と思うたら進言せよ。その時を楽しみにしようぞ」
「承知しました」
少年は男から任された役を喜び、口端を上げて返事をした。
一方、男は扇子を開き、随分と楽しげな顔を浮かべ、扇ぎ始める。
その随分と寛いだ様子に、伊織は目を伏せ、僅かに頭を下げた。
「ご満足いただけたようでなによりでございます」
「お主は何故このような案を思いつけた?」
「我ら忍びは夜の闇の中に生きる者でございますれば、月明りや岸辺の小屋から漏れる灯りが湖畔に映るのを日頃から目にしておりますゆえ」
「そうか。よいよい! どうせ、先程の毒の件も盛られておると勘付いておったのだろう? ふんっ! その度胸といい、頭の回転の速さ、朝廷への忠義心。忍び云々関わらず気に入ったわ! またなんぞ面白い案を思いつけば持って参れ!」
「もし、そのようなことがありましたら、その時は」
伊織は一歩分ほど後ろに下がり、深々と頭を下げた。
「乱、こやつが来た時はすぐに通せ。よいな?」
「承知しました」
少年も背を曲げず、そのまま軽く会釈するように身体を前に倒した。そして、身体を起こしつつ、伊織の方へと視線を飛ばしてくる。本当に信用していい者なのか見極めんとしているのか、その眼光は鋭い。
対して、伊織はその視線を正面からしかと受け止めた。
こうして今後、男は八咫烏と接点を持とうとする際、伊織を特定して呼び出すようになるだろう。名を告げることはしなかったので、前回同様の者とでもなんとでも言って。
たとえ、すぐにそうはならずとも、同じように伊織が出向くようになれば、物事を合理的に進めるのを好む男のこと。いずれそうなるに違いない。
本来、八咫烏内で雛と同様秘匿されるべきである翁の存在は皇家以外に公にしてはならないのだ。それにも関わらず、今後も翁が男から呼び出されるようなことがあっては困ると、伊織はこうなることを目指し、初めから話を組み立てていた。
また、名だけでなく人物像に至るまで、決して後世に遺されずに一生を終えるのが忍びの大事。どうしても接点を持たなければならないのであれば、その数は少ない方がいい。
もちろん、これまでも男同様、情報を得た者が現れた際、存在を遺されないようにするため、それ相応の対応はさせてもらってきた。たとえば、紛失、謎の出火、病死等々。今回とて、書物や文でもって八咫烏の情報を遺そうものならば、後世まで引き継がせないための手立てをいくらでも講じるつもりである。
それに、すぐに通せという気に入った者だけに与えられるだろう言質を取ったとはいえ、どこまで本気の話かは分からない。
このご時世、腹に一物二物あるのはお互い様。
男も伊織も互いに笑みを見せあった。
「帰って伝えよ。しかと養生いたせとな」
「ありがたいお言葉、翁に代わりお礼申し上げます。ご伝言、確かに承りましてございます」
伊織は最後にもう一度礼をして、その場を辞去することと相成った。
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