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第九章―織田木瓜と三つ葉葵
に
しおりを挟む男の前を辞去した伊織は、再び小姓の少年に先導され、天主の入り口まで戻ってきた。誰かとすれ違うたびに怪訝そうな顔を向けられたが、伊織はただ目線を下げるだけに留め、少年も取次ぎは行わなかった。
外は朝方から降り続いていた雨が止んでおり、雲もだいぶ薄くなって空が白みを帯びてきている。
「では、これにて」
「……一つ。よろしいでしょうか?」
少年が声を潜め、軽く会釈をして踵を返そうとしていた伊織をその場に留める。
伊織は足を止め、少年へと向き直った。
「まだ何かございましたか?」
「今回の件、殿が将来徳川殿と戦をする切っ掛けとなり得ると思われますか?」
「……貴方様はどのように思われますか?」
「問いを問いで返すのはおやめください」
少年は少しムッとした表情を浮かべ、伊織の顔を睨みつけてくる。
「これは申し訳ございません。ですが、私は陰陽師や占者ではございませんので、残念ながら先の事までは分かり兼ねます」
「そう、ですか」
「……貴方は大層あの御方に心酔しておられるご様子」
「それはもう! 誰かが天下を治めるのであれば、殿をおいて他にはございません!」
「確かに、あの御方は他に類を見ないほど革新的な御方でございますね。ただ」
「ただ? ただ何だと申されるのです!」
「なまじ頭がよく、実行力もあるばかりに、最終的にご自分がお決めになられたことに絶対の自信があり、そのせいで他との衝突を免れない。いずれ大事が起きないよう、よくよくご注意を」
「もちろん。それは十分承知しております」
「……あの御方のこの世での幸福は、先頃亡くなられた最愛の女性と貴方のような忠義に溢れた小姓が傍にいらっしゃったことでしょうね」
そう言うと、伊織は天主の傍に植えてあった木の上を振り仰ぐ。
それを待っていたかのように、雑兵姿の男が三人――源太に兵庫、そして庄八郎がその木の枝から飛び下りてきた。
「なんだ。お前達も来ていたのか」
「あー、まぁ、ちょっと色々あってな」
「……行こう」
「あぁ」
元々隠密に同行していた庄八郎が、無言で伊織の刀をそっと差しだしてくる。その刀は伊織が城に入る前に預けていたものである。伊織はそれを受け取り、腰に差し直す。
そうしていると、直垂姿も相まって、今の伊織の姿はまるで本物の若武者のようにも見えてくる。吾妻ほどの変装術ではないとはいえ、日頃の剣術の稽古がそう見せている一因でもあろう。
「では、今度こそ。これにて」
伊織は最後にもう一度少年に正対し、会釈をする。そして、その間に少し先を行き、こちらに半身を向けている源太と兵庫の元へ歩み寄った。最後まで残っていた庄八郎が少年に向かって一礼し、その背を追い駆けていく。
少年は四人が見えなくなるのを待って、三人が降ってわいた木を根本から上へと振り仰いでみる。
――今まで誰にも気づかれずに潜んでいたとは。しかも、あのように身軽に飛び下りて。
飛び降りること自体はできぬわけではないが、同じ高さから下りてどこも痛めないでいられるかと言われると、少年には少々憂いが残る。
やはり、忍び相手に気を緩めてはならぬ、と、少年は伊織との問答を思い返しつつ、再び男の傍に侍るために天主の中へと戻っていった。
一方、安土城を出て彦根道を通り、ひとまず京を目指す伊織達は、途中の茶店に寄ることにした。
「俺があそこに行くってよく分かったな」
「お前、そいつに昨日の昼に声かけただろ? それを聞いていた奴がいてな? 自分も行くとごねたんだ」
「すみません。俺、そんなに頼りなかったですか?」
源太の言葉に、庄八郎はすっかり気落ちしてしまったようだ。出された湯呑や団子には一口も手をつけていない。
すると、黙っていた兵庫がふるふると首を横に振って見せた。
「そうじゃない」
「そうそう。こいつの言う通り、頼りないわけじゃないぞ? そもそも、もしそうだったら誰もお前に同行しろなんて言わねぇしな」
「あぁ。その通りだ」
「で、仕方ねぇから、俺らで代わりに行ってくるって宥めて来たんだよ」
「……まったく。あいつときたら。自分は自分で好き勝手動くっていうのに」
伊織は嘆息し、自分の団子を串から齧り取った。そして、その団子がなくなった串の先を、とんとんとんと別の方向を向けて宙で振る。
それを見て、兵庫と源太が僅かに視線をそちらへやる。
「……そろそろか?」
「……」
「え?」
「おい、さっさと食って飲んでしまえ」
「え? は、はいっ」
伊織に急かされ、庄八郎は慌てて団子と茶にようやく口をつけた。
「雀か鳩か。ざっと見たところ、三羽ってところだろうな」
「おう」
「え?」
雀や鳩。それらはただ単に本物の雀と鳩を指すこともある。が、この場合使われているのは八咫烏内での符牒であろう。雀がどこかに仕える忍び、鳩が伊賀など主を持たぬ独立した忍びをあらわしている。
伊織の言葉を符牒抜きでの言葉にするならば、どこかに仕える忍びか、そうでない忍びが三人いるぞということだ。
一人気づくのが遅れた庄八郎も、先程伊織が棒の先を向けていた方を、景色見物をしている振りをしてそれとなく見やった。確かに、武家の者と見受けられる男が自分達以外にも数人、近くの店先で茶をすすっている。
伊織達は店の者を呼び出し、団子と茶の勘定を済ませて店を出た。
「馳走になりました」
「ありがとうございました! またどうぞ、ご贔屓に!」
愛想のよい店主に見送られ、四人は再び街道を京へ向かって歩きだした。
途中、街道の傍に雑木林があり、今までゆったりと歩いていた四人は街道からそれ、一斉にそちらへと駆ける。もちろん、先程の店で四人が目星をつけていた三人も、しっかりと後をつけてきていた。
「おっと。そこまでだ」
「……っ!」
「動くな。少しでも動けば、この首落とすぞ」
「……」
木陰から飛び出した源太と兵庫がそれぞれ一人ずつ組み伏せ、もう一人は庄八郎が背後から刀を首元に這わせた。
最後に、動けなくなった彼らの前に、伊織が木陰から姿を見せる。
「どこから来たかは知らないが、そちらの頭に伝えろ。相手取る者をきちんと選らべ、とな。お前達、放してやれ」
「「承知」」
「……退くぞ」
悔し気に顔を歪ませた男達は踵を返し、雑木林を抜けていった。
刀を鞘に納め、男達のことを追いかけたさげにこちらを見てくる庄八郎に、伊織は左右に首を振る。
「まだ任務の途中だろうが。里へ帰り、翁へ報告するまでが任務だぞ?」
「それに、無駄追いして今度はこっちが窮地に立たされちゃ、お話にならねぇだろ?」
「……すみません。おっしゃる通りです」
庄八郎はぐぅの音も出ないほど正論で窘められ、肩を落とした。
最近、誰からとは言わないが、正論のせの字もないほど、圧倒的な年功序列の関係のみで押し切られるせいで、こんな正論がかえって身に染みる。
兵庫はそんな庄八郎の肩をぽんぽんっと手で叩いて慰めた。
庄八郎がこの代の先輩達に言われて同行し、して良かったなと思える、実に久しぶりの瞬間であった。
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