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第十四章―桜の下でさようなら
ろ
しおりを挟む厳太夫達が学び舎へ向かう途中で、頭上から誰かが目の前――少し離れた位置に降ってきた。月明かりがあるおかげで、それが誰かはすぐ知れる。
「よぉ、お前達」
「彦四郎先輩っ!」
「沢向こうで火の手が……」
半蔵達は見知った存在に、駆け寄って行こうとする。
――しかし。
「厳太夫先輩?」
厳太夫がすっと腕を広げ、皆を差し止めた。その表情は酷く険しい。そればかりか、懐にもう片方の手を伸ばし、じりじりと後退しだす。明らかに彦四郎を警戒していた。
その様子を見た彦四郎は、すうっと目を細め、にやりと笑う。
真っ先に異変に気付いた厳太夫にも、確信があるわけではない。ただ、彦四郎という男は常に最前線で戦いたがることを嫌というほど知っている。潜んで行わなければならないような特殊な状況下にない以上、彦四郎達の代では彼のいる場が常に最前線となるのだ。
だからこそ、厳太夫の勘は、皆を止めろと彼に警鐘を鳴らした。
「先輩、あの火の手が見えませんか? おそらく、賊はそちらです。何故、まだこんな所にいらっしゃるんです?」
「何故って、俺が伊織から与えられた役目は、学び舎に向かうお前達をここで引き留める事だからな」
「先輩、なに言って……」
半蔵達は彦四郎の言っていることが理解できなかったようだが、勘助や庄八郎はすぐに後輩達を背後に追いやった。そして、それぞれの得物に手をかける。
すると、彦四郎は懐からゆっくりと取り出した苦無を厳太夫目がけて打ち込んだ。だが、その苦無は厳太夫の苦無によってはじかれた。その苦無の先が、すぐ傍の地面に突き刺さる。
そうであって欲しくないという厳太夫の願望を前にして、因幡の問いの答えは行動でもって証明された。
「俺達の代、全員の総意。これで理解できただろ?」
そこでようやく半蔵達にも事の重大さが理解できたようだった。目を大きく見開き、みるみるうちに顔を蒼褪めさせていく。
苦無をもう一本取り出した彦四郎が持前の跳躍力を活かし、厳太夫の間合いに踏みこむ。そこからは苦無の打ち合いを含めての体術技の連続であった。一手捌けたと思わせてくれる暇など、微塵も与えられない。
「……っ」
「振りが甘いぞ。俺はそんな風に教えたか?」
見事に腹にいれられた蹴りの一撃で、厳太夫はたたらを踏んだ。手を止めて見下ろしてくる彦四郎を、口から垂れた唾を片手の甲で拭いながら仰ぎ見る。
彦四郎は厳太夫から視線を外し、隙を窺っている勘助達の方へと視線をちらりと向けた。
彦四郎の運動神経についていくのは、厳太夫でもやっと。勘助や庄八郎では難しい。半蔵達はもっての外。だが、こんなところで全滅するのだけは避けなければいけない。
厳太夫は鈍く続く痛みを意識の外に無理矢理追いだし、再び彦四郎と苦無で競り合い始めた。
「お前達、先に行け!」
「……分かった」
力強い厳太夫の言葉に、勘助達は言いたいことをぐっと飲みこみ、大人しく従った。
ただ、それを無条件に許す彦四郎ではない。競り合いながらも、絶妙な力加減で厳太夫に足払いをかける素振りを見せた。しかし、厳太夫も伊達に長年鍛錬相手を務めていない。すぐに気づき、後方へ飛び退った。
けれど、彦四郎の狙いは別にあった。
「他は行かせてやるが、お前は駄目だぞ。半蔵」
「半蔵っ!」
少し離れた位置まで蹴り飛ばされた半蔵が、呻き声をあげながら身体を起こす。
「俺はお前ともやりたいと思ってたんだ」
「……っ! 早く行ってくださいっ!」
彦四郎に目をつけられてしまえば、逃れることができないのは自分達とてよく知っている事実。半蔵の叫びが届いた勘助達は苦悶の表情を浮かべながらも、すぐに踵を返した。
それから皆の姿が完全に見えなくなるまで、彦四郎は自分からは何もしなかった。ただ、自分に向かってくる厳太夫や半蔵の攻め手をなんなく捌いて行くだけ。それもいつもと変わらず、むしろいつも以上に楽しそうでさえある。
「さて、二対一だ。数ではお前達の方が上。どこからでもいいぞ?」
勘助達の姿が完全に見えなくなり、彦四郎の纏う雰囲気ががらりと変わったのが二人には分かった。
彼は今や飢えた肉食獣だ。自分達もそうであることには変わりないが、それには成獣と幼獣ほどの差がある。目がぎらつき、決して邪魔が入らないこの状況において、自分達との命のやり取りを心から愉しもうとしている。
「先輩、何故ですか? 何故、裏切りを?」
「さぁ、なっ」
厳太夫の問いをはぐらかすように間合いを詰めた彦四郎は、再び攻め手に回り始めた。
何とか応戦する厳太夫の身体には、すでに大量の痣や切り傷ができている。さらに、避け損なって同じ箇所に蹴りを入れられたばかりか、勢いがよほどついていたのか、半蔵の元まで吹っ飛ばされた。
飛んできた身体に半蔵が上手く対処できず、一緒に崩れ落ちる二人。
慌てて半蔵が抱き起こすと、厳太夫が呻き声をあげる。そして同時に、半蔵は何か生温かい液体が手にぬめりつくような感触を覚えた。そっと手をあげ、見てみると、真っ赤な血であった。彼のものではない。その血は、厳太夫が彦四郎から受けた腕の傷から流れ出していた。
「先輩っ!」
半蔵は慌てて傷口を押え、巻いていた頭巾を外し、傷口の上できつく結んだ。厳太夫に荒い息で大丈夫だと言われるが、半蔵にはとてもそうは思えない。もし、本当に大丈夫にしろ、確実に医術に優れた者の手当てがいる傷だ。
腰に手をあて、応急処置の様子を眺めていた彦四郎が口を開いた。
「どうした? 防戦一方になるなど、お前らしくもない。本気にならないと俺は倒せないぞ?」
「……っ」
認めたくはないが、厳太夫はすでに本気で相手をしていた。半蔵はまだ動けるが、自分は満身創痍。対して、彦四郎の傷は、あって小動物にひっかかれた程度の僅かな掠り傷。そんなもの、傷のうちにいれるのも烏滸がましいほどである。
悔し気に唇を噛む厳太夫を見下ろした彦四郎は、途端に侮蔑に満ちた表情を浮かべた。
「……つまらんな。お前、いつからそんなにつまらん奴になったんだ?」
「待ってください! どこへっ!?」
踵を返した彦四郎の背に向かって、半蔵が叫んだ。
とはいえ、彼がどこに行くかなど、分かりきっている。
何故なら、その方角にあるのは、ただ一つ。
――学び舎だけ。
足を止めた彦四郎は振り返り、獰猛な目つきのままでにやりと笑った。
「……決まってるだろう? 足止めの価値なしと伊織に報告して、俺も雛達の方へ回してもらう」
「「……っ!」」
二人は息を詰め、一瞬、目の前が暗くなるような感覚に見舞われた。それが絶望、そして怒りの情だと理解するよりも早く、二人は立ち上がった。
彦四郎は再び歩き出さないものの、すでに背を向けている。
「待て!」
「行かせない。俺達が、あんたを行かせない!」
血を吐く思いで告げられた言葉に、二人の覚悟が固まったことを彦四郎は悟った。二人に背を向けたまま、口角を仄かにあげる。
「……そうか」
彦四郎は、滲み出てきそうになった涙を振り払おうとするかのように、勢いよく二人の方を振り返った。
二人の目つきは先程までとは明らかに違っていた。そして動きも。
上手くお互いの動きを補い合い、彦四郎の攻撃を捌いて行く。今度は半蔵も積極的に攻め手に転じ始めた。半蔵が足払いをかけ、彦四郎が避けた先で厳太夫が待ち構えるなど、見事な連携技の数々。彦四郎も目的を忘れ、残り僅かな時間を本当に心の底から愉しんだ。
やがて、その時は訪れた。
厳太夫がようやくできた彦四郎の隙をついて背後に回り、羽交い絞めになって彦四郎の身体を固定した。そのままその好機を逃さないよう半蔵が間合いに飛び込み、持っていた苦無で心の臓がある左胸を突き刺した。
それから一拍、二拍、三拍を数えた頃。
懐に丸ごと入る形で飛び込んだため、半蔵は密着していた身体を僅かに離し、そろそろと彦四郎の顔を仰ぎ見る。
そして、その目を見張った。
月明かりで影になっているが、彦四郎が確かに笑っている。それも、今まで見たことがないくらい純粋なソレだった。
「後は頼んだ」
彦四郎は小さく呟き、半蔵の方に倒れこんだ。半蔵は呆然として、先程の厳太夫の時以上に受け止めきれず、そのまま尻餅をついた。
受け止めきれなかったのは、身体だけではない。
「……厳太夫先輩。今、彦四郎先輩、何て……」
がくりと膝から崩れ落ちる厳太夫に、半蔵はぼそりと問いかけた。
二人の耳にしっかりと届いたはずの言葉が、俄かには信じられなかった。
半蔵の視線はまだ、彦四郎を仰ぎ見た時に彼の背後に見えていた星空へと向けられている。そして、ゆっくりと下ろされた視線は、今度は両手で自分が握ったままの苦無に向けられた。
雨は降っていないというのに、ぼたぼたと自分にかかる液体が何なのかは分かる。血だ。彦四郎の、心臓から流れる、真っ赤な血。
半蔵は彦四郎の身体からそっと苦無を抜いた。そこから血がまるで堰を切った川の水のように溢れ出てくる。
それから、彦四郎の身体を自分の前に仰向けでそっと横たえた。
厳太夫も彦四郎の身体を挟んだ向かい側ににじり寄ってきた。そのまま膝立ちで、半蔵同様、呆然として彦四郎を見下ろす。
彦四郎はすでに事切れており、その瞳が開くことは二度とない。
「……空耳だ。だって、そうだろ? そんな、頼んだなんて……裏切ったのなら、そんなこと言うはず……こんな、こんなことってっ」
「ねぇ、先輩。起きてください。ちょっと冗談きつかったですけど、いつもみたいに稽古をつけてくれてたんでしょう? そうですよね? もう十分ですから、起きてください。俺、まだいっぱい、貴方から学びたいこと、あって……」
それぞれ言葉が勝手に口から出ていく。
半蔵が彦四郎の身体を必死に揺するが、まだ温かい身体は反応を見せることを拒んだ。
だが、分かっている。心の臓がある左胸を突いたのは他ならぬ半蔵自身。起きないことくらい、誰よりも分かっている。
それでも、そうせずにはいられなかった。
「先輩……先輩っ」
しばらくすると、彦四郎の身体に縋り、咽び泣く二人の姿がそこにあった。
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