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心の中で舌を出す
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橘さんから話を聞いた翌日。
昨日の昼、おやつ、夜、そして朝と、段々箸の進みが遅くなっていた。もちろん、食べたくなかったわけではない。いつもどおり美味しかったし、ちゃんと用意してもらったものは完食した。
でも、なんだかお腹というか胸というか、その辺りがグルグルしていっぱいいっぱいだったんだ。食に関しては常に全力で楽しむというのが私のモットーなのに、六割くらいしか楽しめなかった。
全力で楽しめないなら、いっそのこと最初から一回の食事の量を減らしてもらった方がいい。それだと、私のことだ。楽しめはしなくとも、味はしっかり堪能しようとするだろう。自分のことだもの。ちゃんと分かってる。
善は急げとばかりに、朝食後、近くにいた厨房のお兄さんに食事の量のことを頼んだ。その時、お兄さんが妙な奇声を上げて厨房にすっ飛んで行ってしまったけれど、きっと何か作業の途中だったのを思い出したんだろうと気にしなかった。
気にするべきだったんだ。
けれど、これはまずいことになったと気づけたのは、逃げ道を完全に塞がれた時だった。
その瞬間は、食堂の壁にかけられた当番表の前に立っている時に訪れた。
日課にしている皆の当番のお手伝いも、今は皆ほとんど出払っていていない。だから、必然的に当番ができる人も限られてくる。とりあえず、一番大事そうなトイレ掃除からと決め、私の名が書かれた木札をかけ、後ろを振り向いた。
そしたら、いた。鬼、じゃあなくて、怖い笑顔を浮かべた巳鶴さんが。その後ろには薫くんや夏生さん、早々に出かけたはずの綾芽の姿まで。
映画やドラマとかだと、接近中につき注意せよ!みたいなBGMが流れるけど、現実じゃあそんなこと絶対にない。当然、気付いた時には捕獲されている。それがその時だった。
「ちょっと、お話があります」
ごくりと飲みこんだ唾は、それはもう大きく音を立てて食道へと落ちて行った。
巳鶴さん達から次々と向けられるあらゆる誤解を解きまくり、念のためと諸々の検査なんかも受けさせられる羽目に。もちろん、どれも問題なしだった。
そうこうしていると、時間が経つこと数時間。
お昼ご飯も無事食べ終えた私は、神坂さんと散歩兼買い出しに出かけた。
その買い物も無事終わり、後は帰るだけ。
荷物はいつも通り宅配だから、私も神坂さんも手ぶらだ。
「どこか寄り道して、美味しいモノでも食べてくかい?」
「……んーん。だいじょーぶ」
「……そっか」
いつもなら、私の方からおねだりしちゃいそうなお誘いなんだけど。
それにしても、隣から降ってくる神坂さんの心配げな視線の強さといったら。
私の食事に関する申し出は、夏生さん達にとってだけでなく、いや、むしろ食事の準備をしてくれる神坂さん達料理人の皆にとってこそ、晴天の霹靂であったらしい。
この散歩兼買い出しも、いい気分転換になればと連れ出してくれたんだろう。
でも、神坂さんには悪いけれど、やっぱり今日は大人しくお屋敷に帰ろう。こういう時にはよく身体を動かして、食べて、早く寝るに限る。
「ん?」
東のお屋敷の門の傍まで来ると、神坂さんが一瞬足を止めた。
塀の向こう側――庭の方から、女の人の声がする。いつもはしないはずの、けれど、私も知ってる聞き慣れた声。
「この声は……あっ、雅ちゃん! 走ると危ないよ!」
「へーきっ!」
神坂さんの静止も振り切り、駆け寄った門から顔を覗かせる。
やっぱり、そこにいたのは思い浮かんだ通りの人だった。
その人――瑠衣さんも、塀の向こうから私と神坂さんの声が聞こえていたんだろう。こちらにすぐに気づいてくれた。
「雅ちゃん、お帰り!」
「ただいまっ!」
門の左右に立っている門番さん達にも同じように挨拶して、駆け足で瑠衣さんのもとに飛びこんでいく。
瑠衣さんは腰に手を回して抱き着いてきた私の肩を抱き留め、にっこりと笑っている。我ながら結構な勢いだったと思うけど、びくりともしなかった。そういえば、最近、護身術をまた習い始めたって言ってたっけ。そのおかげで体幹も鍛えられてるんだろう。華奢に見えるのに、すごいなぁ。
「出かけてるって聞いて、待ってたの。今から私達と、良い所、行きましょ」
「……“たち”?」
「私と、雅ちゃん。それから」
瑠衣さんがちらりと後ろを振り返る。私もその視線の先を追った。
瑠衣さんの視線の先――縁側には、見覚えのあるおばあさんがちょこんと腰かけていた。私達の視線に気づき、立ち上がってこちらへと歩いてくる。
「こんにちは。また会えて嬉しいわ」
「……あっ!」
瑠衣さんのおばあさん!
四季杯の時にちらっと会った時以来、かな? おうちにお呼ばれしてたけど、なかなか行けなくて。
「良かったね、雅ちゃん。瑠衣さん達が来てくれて」
「んっ」
調子がちょっと戻ってきた私に、遅れてやってきた神坂さんも見るからにホッとしている。
「神坂さん、この子、連れて行ってもいいかしら?」
「えぇっと……ちょっと夏生さんか綾芽さんに」
「あぁ、あの二人の許可なら後でとるわ」
「後でって」
瑠衣さんの言い様に、神坂さんは苦虫を噛んだような顔で笑った。
そういうのをなんていうか、私も知ってる。そして、夏生さんがそれを嫌うってことも。でも、瑠衣さんなら、それすらも分かった上でやりそうだ。というか、現在進行形でやろうとしている。
私がやったら、拳骨か頭ぐりぐりの刑確定の、“事後承諾”を。
けれど、ここで“待った”がかかった。
「瑠衣。あまり困らせては駄目ですよ。きちんと承諾を頂いてからにしないと」
「……はぁーい」
「おぉーっ」
「すごい」
ついつい、感嘆の声が口から漏れ出てしまった。神坂さんもだ。
チロンと瑠衣さんから胡乱気な視線を向けられ、あわあわと口を塞ぐ。
私達、なぁんにも言ってないよ。ね、神坂さん。
「で、二人はどこに?」
「たしか、綾芽さんは外に出ていて、夏生さんなら」
神坂さんが記憶を辿っていると、カラカラと乾いた音を立てて玄関の戸が開いた。
「玄関先でうるせぇぞ」
「あ、丁度良いところに」
「なんだ、またお前か」
「この子、連れてくから」
「……は?」
夏生さんの声がワントーン低くなった。
それ以上言葉を続けなかったのは、瑠衣さんの隣におばあさんがいるからだろう。おばあさんに向かって会釈をして、すぐに私の方へ視線を寄越してきた。
“今すぐこの状況を説明しろ”
そう言いたいのは分かる。でも……駄目だ。
私の手持ちの情報も、夏生さんが満足できる量には到底足りない。
仕方なしに、ぶんぶんと首を横に振る。
すると、夏生さんはしばし考えこみ、はぁっと深い溜息をついた。
「泊まりは許さん。遅くならないうちに返せ。あと、晩飯が食えなくなるくらい食べ物を与えるなよ?」
「……え?」
「なんだ。文句があんなら」
「ないです! もんく、ぜんぜんない!」
嘘! 本当はある!
制限についてじゃない。それについては仕方ないと思ってる。夜にはまた櫻宮様の中の珠に力を込めないといけないし。むしろ、この状況でよく許可してくれたなぁってすら思う。
ただ、言い方! それじゃあ、まるで動物園の檻に書いてある“餌を勝手に与えないでください”みたいじゃんか!
言い方大事。
本当は復唱してほしい。けど、無理だから、私が言っとく。
言い方大事。
「それで? 一応聞くが、どこに連れてこうってんだ? お前の店か?」
「違うわ。まぁ、行くかもしれないけど。もうすぐ上巳の日、つまり、雛祭りでしょ?」
「だから、この子に雛祭り用のお着物と、何か雛飾りをと思って。あの日のお礼をまだできていないし、男所帯に女の子一人でしょう? そういうのに気が回らないんじゃないかって。横から余計なお世話かもしれないけれど」
「いえ。お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが……あの日の礼というには、少々、値が」
確かに、ちょっとお礼にというにはその域を軽く超えている。
二人がどの程度の雛飾りを考えているのか分からないけれど、少なく見積もっても諭吉さんが何枚も飛んでいく。しかも、着物までとなると、さらに追加で。
今まで以上の贈り物に、夏生さんが難色を示すのも無理はない。
「雅ちゃんのおかげで甘味処の売り上げが大幅アップしてるの。永久特別名誉店員であるこの子にはそれくらい、まったく問題ないわ。ね、おばあさま」
「えぇ、もちろん」
夏生さんがまた私の方を見てくる。
しかし、今度は先程のとは打って変わって、疑惑が目一杯宿った眼差しだった。
普通、“永久特別名誉”なんて称号が店から与えられるのは、スタッフにしても客にしても相当貢献した人に限られる。
スタッフとして貢献できるほどの長い時間は外出を許可されていない。それは夏生さんが一番よく知っている。外出許可の権限を持つ許可する側の人間のトップだから。
残されたのは、客として売り上げに貢献する道。すなわち、常連中の常連、見ない日はないと店側に言わしめるほど通い詰めること。
食が細くなった私に、“隠れて何か食べてるんじゃないか疑惑”が夏生さんの中で再燃したのだ。でも、朝にも言った通り、それは絶対にない。
……あぁ、でも、隠してるお菓子箱が二つほど。見つかった時のために、開けてませんよテープ貼っとかなきゃなぁ。
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