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38.二人暮らし
どう扱うのが正解だったのだろう
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結葉が離婚届を役所の窓口に提出するのを見届けた偉央は、早々にその場を立ち去った。
今更「さよなら」を言うのも「今までありがとう」を言うのも変だと思ったし、何より愛しい結葉が、想に付き添われてどうこうしている姿を見たくなかったから。
一度は幼馴染みのあの男から結葉を略奪することに成功したはずだったのに、自分はどこで間違えてしまったのだろう?
偉央は山波想を見つめる元・妻の信頼しきった眼差しを見て、完全に自分の敗北だと悟ったのだ。
もうどんなに足掻いても結葉が自分の腕の中に戻ってくることはないだろう。
力尽くで閉じ込めたところで、彼女が反発して手の中からすり抜けていってしまう事は嫌と言うほど思い知った偉央だ。
そもそも偉央は結葉の身体だけが欲しいわけではなかったから。
不器用な愛し方しか出来なかったと認めるけれど、結葉の身体だけを支配するので満足だったことはただの一度もなかったと偉央は断言できる。
いつだって偉央は結葉の身も心もギュッと閉じ込めて自分だけのものにしたいと熱望していた。
「結葉……」
車に乗ってハンドルを握りしめたまま結葉の名を呼んでみたけれど、その声はもう決して彼女に届くことはないと分かっていたし、ましてや返事が返ってくることだってない。
ギュッとハンドルを握る手に力を込めると、偉央は結葉たちが役所から出てくる前に車を出した。
***
離婚届の提出は、昼休みを利用して行った三人だ。
ただ書類を提出するだけなのだからそんなに時間が掛かることはないと分かってはいたけれど、出した後の自分の精神状態までは予測不可能だったから。
とりあえず今日は自分には手術も往診も何も入れずにおいた偉央だ。
『みしょう動物病院』の裏口からそっと中に入ると、第二手術室で佐藤獣医師が猫の避妊手術をしている最中のようだった。
今日の手術予定は確か三件。
いずれも不妊手術で、雌猫の避妊手術が一件、雄猫の去勢手術が一件、雌犬の避妊手術が一件だった。
猫二匹は佐藤獣医師が、犬の避妊手術は第一手術室で早川獣医師が担当することになっていたと記憶している。
みしょう動物病院では、基本的に手術には獣医師の他に手術をサポートする動物看護師が最低でも二人はつくことになっている。
手術前の機材の準備や動物の毛刈り、消毒などはもちろんのこと、術中も看護師には術野を広げる手助けをしてもらったり、手術に必要な機器を手渡してもらったりする。
術後の機器の片付けや消毒、患畜の術後管理など、手術関連ひとつに絞ってみても、動物看護師たちの尽力なくしてうちの病院は回らないと偉央は思っている。
いつも大体十二時半から十四時の間に遅い昼食を済ませることになるスタッフたちが、その日の手術件数に合わせて各自が時間を考えて動き始めてくれて、各々割り当てられた仕事をこなしてくれる感じ。
午前中の診療がどのぐらい午後に食い込む形で長引いたかにもよるけれど、基本的にずっと立ったまま仕事をしているスタッフたちにとって、昼休憩は足を休めるという意味でも貴重な休息タイムになっている。
女性ばかりの看護師たちの休憩室を覗くことは、いくら雇い主の偉央とは言えはばかられるので、用事でもない限りしたことはないのだが、加屋美春がぽろりとこぼした話によると、昼食後はみんなして小さめのマイ枕などを持ち出して、思い思いに机に突っ伏して仮眠を取っていることが多いらしい。
そうやってちゃんと身体を休めてくれて、午後からも頑張ってくれるのだから有難いなと偉央は思って。
それと同時、結葉には絶対に自分の手伝いはさせたくないとも思ったのを覚えている。
あの華奢な結葉が何時間も立ちっぱなしの仕事をすると思うと心配で堪らないし、ましてや昼休憩時間、机に突っ伏して雑魚寝状態になるなどと言ったこと、どうしても想像がつかなくて。
スタッフたちには申し訳ないが、結葉は家でのんびりしているのが似合うとずっと思っていた偉央だ。
外に出して、自分の預かり知らぬところで誰かに触れられたり見られたりするのは我慢ならない。
かといって自分のそばに置いて動物病院の手伝いをさせることも無理だと思ったから。
偉央は結葉との三年間の婚姻生活の中、彼女を働かせず、専業主婦という形で家に縛りつけたのだ。
今となってはそれも結葉にとっては苦痛でしかなかったのかなと思って。
一体どう扱うのが正解だったのか、結葉と離婚した後になっても偉央にはさっぱり分からなかった。
結葉以外の女性ならば、偉央はここまで執着せずにいられたのだろうか。
歴代の彼女たちのことを思い浮かべてみても、結葉ほど自分の手の中に囲って外に出したくないと思った女性はいなかったから、きっとそうなのだろう。
***
今日は手術が数件重なってくれていてよかったなと思った偉央だ。
偉央は第一診察室に引きこもると、椅子に腰掛けてグッと両の拳を握りしめた。
ふと手元に視線を落とすと、未練がましく外し損ねたままになっていた結婚指輪が目に入って、偉央は小さく吐息を落とす。
今更「さよなら」を言うのも「今までありがとう」を言うのも変だと思ったし、何より愛しい結葉が、想に付き添われてどうこうしている姿を見たくなかったから。
一度は幼馴染みのあの男から結葉を略奪することに成功したはずだったのに、自分はどこで間違えてしまったのだろう?
偉央は山波想を見つめる元・妻の信頼しきった眼差しを見て、完全に自分の敗北だと悟ったのだ。
もうどんなに足掻いても結葉が自分の腕の中に戻ってくることはないだろう。
力尽くで閉じ込めたところで、彼女が反発して手の中からすり抜けていってしまう事は嫌と言うほど思い知った偉央だ。
そもそも偉央は結葉の身体だけが欲しいわけではなかったから。
不器用な愛し方しか出来なかったと認めるけれど、結葉の身体だけを支配するので満足だったことはただの一度もなかったと偉央は断言できる。
いつだって偉央は結葉の身も心もギュッと閉じ込めて自分だけのものにしたいと熱望していた。
「結葉……」
車に乗ってハンドルを握りしめたまま結葉の名を呼んでみたけれど、その声はもう決して彼女に届くことはないと分かっていたし、ましてや返事が返ってくることだってない。
ギュッとハンドルを握る手に力を込めると、偉央は結葉たちが役所から出てくる前に車を出した。
***
離婚届の提出は、昼休みを利用して行った三人だ。
ただ書類を提出するだけなのだからそんなに時間が掛かることはないと分かってはいたけれど、出した後の自分の精神状態までは予測不可能だったから。
とりあえず今日は自分には手術も往診も何も入れずにおいた偉央だ。
『みしょう動物病院』の裏口からそっと中に入ると、第二手術室で佐藤獣医師が猫の避妊手術をしている最中のようだった。
今日の手術予定は確か三件。
いずれも不妊手術で、雌猫の避妊手術が一件、雄猫の去勢手術が一件、雌犬の避妊手術が一件だった。
猫二匹は佐藤獣医師が、犬の避妊手術は第一手術室で早川獣医師が担当することになっていたと記憶している。
みしょう動物病院では、基本的に手術には獣医師の他に手術をサポートする動物看護師が最低でも二人はつくことになっている。
手術前の機材の準備や動物の毛刈り、消毒などはもちろんのこと、術中も看護師には術野を広げる手助けをしてもらったり、手術に必要な機器を手渡してもらったりする。
術後の機器の片付けや消毒、患畜の術後管理など、手術関連ひとつに絞ってみても、動物看護師たちの尽力なくしてうちの病院は回らないと偉央は思っている。
いつも大体十二時半から十四時の間に遅い昼食を済ませることになるスタッフたちが、その日の手術件数に合わせて各自が時間を考えて動き始めてくれて、各々割り当てられた仕事をこなしてくれる感じ。
午前中の診療がどのぐらい午後に食い込む形で長引いたかにもよるけれど、基本的にずっと立ったまま仕事をしているスタッフたちにとって、昼休憩は足を休めるという意味でも貴重な休息タイムになっている。
女性ばかりの看護師たちの休憩室を覗くことは、いくら雇い主の偉央とは言えはばかられるので、用事でもない限りしたことはないのだが、加屋美春がぽろりとこぼした話によると、昼食後はみんなして小さめのマイ枕などを持ち出して、思い思いに机に突っ伏して仮眠を取っていることが多いらしい。
そうやってちゃんと身体を休めてくれて、午後からも頑張ってくれるのだから有難いなと偉央は思って。
それと同時、結葉には絶対に自分の手伝いはさせたくないとも思ったのを覚えている。
あの華奢な結葉が何時間も立ちっぱなしの仕事をすると思うと心配で堪らないし、ましてや昼休憩時間、机に突っ伏して雑魚寝状態になるなどと言ったこと、どうしても想像がつかなくて。
スタッフたちには申し訳ないが、結葉は家でのんびりしているのが似合うとずっと思っていた偉央だ。
外に出して、自分の預かり知らぬところで誰かに触れられたり見られたりするのは我慢ならない。
かといって自分のそばに置いて動物病院の手伝いをさせることも無理だと思ったから。
偉央は結葉との三年間の婚姻生活の中、彼女を働かせず、専業主婦という形で家に縛りつけたのだ。
今となってはそれも結葉にとっては苦痛でしかなかったのかなと思って。
一体どう扱うのが正解だったのか、結葉と離婚した後になっても偉央にはさっぱり分からなかった。
結葉以外の女性ならば、偉央はここまで執着せずにいられたのだろうか。
歴代の彼女たちのことを思い浮かべてみても、結葉ほど自分の手の中に囲って外に出したくないと思った女性はいなかったから、きっとそうなのだろう。
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今日は手術が数件重なってくれていてよかったなと思った偉央だ。
偉央は第一診察室に引きこもると、椅子に腰掛けてグッと両の拳を握りしめた。
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