【本編完結】異世界から来た迷い犬は婚約破棄令嬢を拉致することにした

夕木アリス

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それから犬の姿で会いに行く度に、マヤからたくさんの話を聞いた。

マヤは完全に俺のことを話し相手と認識しているらしく、ろくな返事を得られないにも関わらず色々な事を飽きることなく話し続けていたーーたぶん、元々が相当なお喋り好きなんだろう。


好きな食べ物のこと、好きな音楽のこと。

昨日見た夢、最近あった面白い話。

自分の家が治めている領地のこと。

死んでしまった自分の母親のこと。彼女とどう暮らしていたかということ。

それにーー今の継母ははおやと、腹違いの妹の話。


最後の方は大体どこか苦しそうな顔で、絞り出すように、少しずつ言葉を選んでは吐き出して。
そうして話し終えると「つまらない愚痴聞かせてごめんね」と俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。

話し終えた後の申し訳なさそうな、でも話す前よりはすっきりした顔を見て、俺は尻尾を振ってマヤの顔を舐めた。

そんな感じの時間が、俺にとっては七年、マヤにとっては一年と数ヶ月経った頃。


ーーーマヤが、婚約破棄をされた、と伝えてきた。







「婚約者様がね…ううん、もう婚約者様なんだけどーー
 アタシとの婚約を、なかったことにしたいって」

それを聞いて俺は鼻にシワを寄せた。行き場のない怒りが体に溜まり、背中の毛が逆立つのを感じる。

「ふふ、リュウったら代わりに怒ってくれているの?
 ーーでもね、それはいいの。アタシは大丈夫。
 …何となく、そんな予感はしてたから」

俺からそっと目線を外しながら、マヤは小さな声で呟いた。

「吃驚したのはね、婚約を破棄されたその場に春明シュンメイが…
 あ、言ったかしら。春明シュンメイって私の妹の名前なのだけど。
 ーーあの子が居て、彼に抱きしめられていたの」

いつの間に、そんなに仲良くなっていたのでしょうね。結婚の約束までしていたなんて、ちっとも気づかなかった。
でも、元婚約者様と小柄な妹が並ぶと、ぴったり、って感じでね。
悔しいというより、納得してしまったわ。アタシってばとんだお邪魔虫だったのね。

そう言ってため息を一つ落として、俺の体に腕を回してギュッと抱きしめた。

「アタシじゃあ、あんな風な絵にならないわ。
 だってアタシの方が彼より背も高いし…。
 春明は子供の頃から纏足もしていて、歩き方だって可愛らしいし」

言いながら、マヤはどんどんと顔を俯かせていったーーこれのどこが大丈夫だって言うんだ。
俺は尻尾をマヤの腕に打ちつけ、ぐりぐりと頭をこすりつけた。

「ありがと、リュウ…でも、本当に大丈夫なの。
 別に彼のことが好きだったというわけでもなかったから。
 父に婚約者と決められていて…そのうち結婚するんだろうな、と思っていただけで」

だから、もちろん衝撃は受けたけど、辛くて悲しいとかではないの。ただただ吃驚したというだけ。

「正直、結納式の場で皆が揃っている時を狙っての婚約破棄なんて、いい大人のする事じゃないと思ったしね。
 腹は立ったけど、むしろそんな常識のない人と結婚せずに済んで良かったのかも」

マヤは俺を撫でながらも、どこか遠くの方をぼんやり見やりながら説明を続けた。


「…元婚約者様と妹は、以前からお互いが気になっていたみたいでね。
 それなのに、父が無理矢理アタシの方を元婚約者様に宛てがっていたみたいなのよ。
 だから今回のことで二人が好きな相手と結ばれるなら、それはそれで良いかなって思って」

どちらかというと非道いのはウチの父の方よねと、マヤは苦笑いしていた。

俺から言わせれば、父親も元婚約者も、マヤから婚約者を奪ったその妹も全員まとめてクズだが。
マヤは妹のことも元婚約者のことも、大して恨んでいないらしい。


「そう、だから婚約破棄ソレのことはもう良いのだけど。
 ーー問題は、また別の誰かと結婚しろ、って言われてることよね」

婚約破棄された傷物の令嬢に、マトモな縁談なんてくるわけがないのにね。


このまま逃げてしまえたらいいのだけど、出来っこないわねと諦めたように笑うマヤに、何もしてやれないのが悔しくて情けなくて。今度は俺の方が項垂れる。

落とした視線の先には、毛むくじゃらの自分の脚と、そこにはまっている若竹色の石の腕輪。



ーーそう、か。そうだったな。

……犬の俺がしてやれることは何もない。けど、ヒトの姿の俺なら。彼女が本当に望むなら。


マヤを、逃してやれるかもしれない。



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