水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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2章

水の巫覡・2

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 温かくて優しい風が、僕の髪の毛をふわふわと後ろへ靡かせる。
 お日様みたいな匂い。レオの匂い。
 気持ちが良くて目を瞑る。

 レオリムの指が、僕の髪の毛を下から梳いて、ふわりと浮かせて離れてを繰り返して、整える。
 両肩をレオリムの大きな手が包む。
 僕の後頭部にレオリムの鼻先が当たって、くん、と吸われる。
 唇がそっと髪の毛を遊ぶ気配。

 くすぐったくて、頭を少し後ろへ傾けたら、すっと離れて、僕の身体はぐらりと後ろへ倒れかけてしまったけど、ぽすっとその胸に受け止められた。上向くと、僕を覗き込む蒼の瞳。
 夜の湖みたいな深い蒼が、さざなみのように揺れている。
 日に焼けた顔にぺたりと張り付いた濡髪に手を伸ばすと、指先を冷やした。

「レオ、座って」

 レオリムは、こくんと素直に頷いて、僕の身体を真っ直ぐに戻して、隣の椅子に腰かけた。
 僕は、立ち上がって、タオルを当てて、水気を飛ばす。
 鏡には、俯いて肩を落としたレオリムの姿。

 そんなに不安にならないで。

 乾けばいつも元気よくピンと跳ねる髪が、心なしか毛先が垂れてぺたんとしてる。叱られて耳を倒してしゅんとしてる大きな犬みたい。
 意地悪しているつもりはないけど、早く話を聴きたくて、聴きたい事があり過ぎて気持ちが渦を巻いているんだからね。多少言葉は少なくなるよ。僕、ちょっとだけ、怖い顔をしてたかも。

 前髪から後ろ髪までを手で梳いて撫でつけてみる。
 容の良い額が露わになると、憂い顔が、大人びて見える。なんだか、遠く感じてしまう。

 あまり見たことない顔をされて、僕はとうとう頬を緩めた。

「レオ、嫌なら、無理にまで聴く気はないよ?」

 ぱっと顔を上げたレオリムと、鏡越しに目が合う。
 瞳の蒼が揺れている。
 でも、その揺らぎが収まっていくのを、僕は静かに見詰めていた。
 レオリムが瞳を閉じて、身体の向きを変えて、僕の手を取って立ち上がった。

「シーラ、俺の話を聴いてほしい」

 僕の大好きな迷いのない蒼の瞳に、僕の顔が映る。
 それが僕は嬉しい。いつだって、君の瞳に映してほしい。
 瞳を逸らしたりしないで。

 僕は、レオリムの瞳を見詰めたまま、その瞳に吸い込まれるように、近付いて、はい、と答えて。
 それから、そっと強い意志の宿った唇へ、触れた。

 すぐに離れて、また瞳を見詰めれば、そこに映る僕の姿が歪む。
 蕩けるような笑顔は、僕だけのお日様。





 手を繋いで、渡り廊下を通って本邸の屋敷に戻り、居間の前まで来た時、レオリムは一度立ち止まった。
 少し考え込んで、ちょっと待ってて、と言うので、頷いた。
 レオリムは、扉に手を掛けて中を覗くと、父上、と声を掛けた。

「風呂、上がったから。それと、精霊が現れてうるさかった」

 僕の父さんの、せいれい? という声と、おやおや、というラドゥ様の声。
 くつくつという笑い声も聞こえて、レオリムはぱたりと扉を閉めた。

「行こう」

 緩く引かれて歩き出して、僕は、レオリムのピンと跳ねて揺れる黒髪を見た。
 いつものレオリム。
 ラドゥ様には、あれでいいんだね。離れて暮らして来ても、二人の間には絆があるよね。家族の絆というのかな。確かな信頼を感じる。

 部屋に戻ると、レオリムは僕をソファまで連れて行った。
 促されてソファに腰を降ろすと、レオリムは僕の両手を握って屈んで片膝を立て、少し下から僕を見上げた。

「今から話すことをどう受け取るか、シーラが感じたままでいい。信じても信じなくても夢の話だと笑ってくれてもいい」

 そこでレオリムは言葉を切って、ごくりと喉を鳴らした。
 握られた手は熱いのに、表面がひんやりとするのは、汗のせい。レオリムの緊張が伝わって、僕も唾を飲み込んだ。

「でも、が、を好きな事だけは、信じてほしい」

 胸の奥で、どくんと、心臓とは違う何かが鼓動する。
 胸の中に広がるこの気持ちは何だろう……愛おしい……? もっと、深く、広い……慈しみ?
 内側から湧き上がる気持ちが僕を優しく満たして、僕の中から外へとどんどん広がっていく。

 この気持ちで、レオを包みたい。

 僕は、レオリムの手を引いた。ぐらりと傾いた身体を、受け止める。
 胸に、レオリムの額が当たって抱き締めると、レオリムの腕が背中に廻って、ぎゅ、と更に密着する。微かに震える背中。
 つむじをそっと撫でる。
 伝わるかな。
 僕の中に湧き上がる、この気持ち。
 少し角度を変えて、レオリムの頭の向きを横にする。
 聴こえる? 僕の鼓動。

「僕とレオは、魂の伴侶でしょ? 心と魂で繋がるレオを、信じないわけ、ない」

 細く長い吐息の後に聴こえた、小さなあぁという声は、震えて、喉の奥が濡れて聴こえた。

 しばらくそうしていると、レオリムが、大きく息を吸って、それから声が、僕のお腹に直接響いた。

「俺は……俺として生まれる前の記憶がある。俺じゃない俺の記憶を、夢で見る。水の精霊たちあいつらの言っていた『ほのお』の記憶だ」

 うん。それじゃあ、やっぱり。

「シーラは、その時からずっと、俺の唯一の魂の伴侶だ」

 あぁ。僕たち、その頃から一緒にいるんだね。

 魂の伴侶。

 ねぇ、レオ、君はどういう想いでこの言葉で僕に呼び掛けていたの?

「あいつらのことも夢で見て知ってた。シーラを『みこさま』と呼んで纏わりついて……うるさかった」

 僕が胸の奥に広がる熱い気持ちに震えていると、レオリムの声が一段低くなってぶつぶつと呟いた。

「あいつら、あんな小さくて可愛い姿で出てくるけど、ほんとは形なんて持たない。シーラが小さくて可愛いもの好きだからあの姿で現れるんだ。最初に現れた時は大人の女の姿だったし、その時シーラを湖に引き込もうとしやがったんだ。助けるために湖干上がらせたら可哀想だって俺が怒られて……」

 な、なるほど……。それで、レオ、水の精霊のこと、嫌いなんだね。

 レオリムは、顔を上げて、僕を下から覗き込んだ。

「水の巫覡。自然の中の水の声を聴き、水と人を結ぶ優しい大魔法使い。水の天人と呼ばれるより、シーラは、そう呼ばれるのを喜んだ」

 レオリムの手が僕の頬を包んで、引き寄せた。

「炎の天人と呼ばれた俺の、唯一最愛の巫覡」

 重なる唇は熱くて、どろどろに融けてしまいそう。

 でも、僕も知ってる。

 君が烈火の如く激しく炎を燃やし、全てを焼き尽くそうとも、僕なら、僕だけが、その劫火を鎮めることができる。

 僕だけが、君を独りにしないんだ。
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