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1章
天使サマはいいにおい
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天使サマが、透けるように白く美しい指先で父親の顔をひと撫ですると、その体から、ふわりと、光る丸い玉が浮き上がった。天使サマは、それを、大事そうに手で包み込んだ。
天使サマは、手の平の上で、その白く丸い玉を、眺めたり、覗き込んだりして、何かを確認したように、数度頷いた。そして、懐へ大事に仕舞いこんだ。
天使サマの足元で、父親は静かに眠り続けている。
あれはなんだろう。
シャルルは、天使サマが父親に触れた瞬間、いつも誰かや何かに怒っている父親が、美しい天使サマに掴みかかったりしないか、心配になった。しかし、すぐに、慈愛に満ちた表情で、父親の中から出て来た白い玉を優しく手に収める様子を見て、いくら怒りっぽい父親でも、あんなに優しそうで美しい人にはそうしないだろうと、確信した。
それに、ずっと寝たままだ。
安心して、天使サマの様子を見ていた。
シャルルは、大人が怖い。父親、母親、先生。それ以外も、たまに食べ物を分けてくれるシャルルにとって良い大人はいるが、大概は、シャルルを見て顔を顰め、煩わしそうな顔をするし、時には大きな声で追い払われる。
だから、普段は見ず知らずの人に、話し掛けたりはしない。いや、大人でも、子どもでも、知っている人でも、シャルルはいつも、自分から声を掛けることは出来なかった。
でも。
きっと、この人ならだいじょうぶ。
だって、天使サマだもの。
シャルルは、勇気を出して、それはなんですかと聞こうと、声を出した。
「天使サマ……」
シャルルが出したいと思ったよりも、小さい声だったが、天使サマは、弾かれたように振り返った。そして、シャルルを見て、目をまん丸にした。
先ほどまでの優雅な動きはどこへ、というように、びしりと固まって動かない。
驚かせてしまって、申し訳ない気持になった。
ごめんなさいを言おうにも、もっと近くでないと、聞こえないかもしれない、と思った。シャルルの声はきっと小さいから。シャルルは立ち上がった。
自分から近付こうと思うのは、シャルルにとって、とても珍しいことだった。美しい人を前に、シャルルの中からは、恐怖や躊躇、萎縮といったものが、抜け落ちていた。
立ち上がってしもやけで痛む足で天使サマに向かって歩き出すと、数歩も行かず、体に巻き付けていた服が落ちて引っ掛かってしまった。
ころぶ、と思った時、天使サマの羽が、ふぁさりと動き、シャルルの元に飛んで来て、受け止めてくれた。白い羽ばたきの音も、衣擦れの音も、美しい音楽のようで、シャルルは、うっとりとした。
いつの間にか、身を刺すような寒さも、眩暈のするような空腹も、消えていた。さっきまでの苦しさは、もう、ひとつも、ない。
すごく、すごくいいにおい……。
シャルルは、もう一度、天使サマ、と唇を動かした。音になったかは分からない。
心配そうにシャルルを覗き込む天使サマの瞳は、夜が明ける時の太陽みたいな色だった。まだ寒くなる前、よく川沿いの道を歩きながら眺めた空に輝く、太陽のような。
早朝の清々しい空気のような。
優しい夜露のような。
川面を渡る涼やかな風のような。
風に揺れる、名も知らぬ花のような。
シャルルの知る、どんな香りよりも、いいにおいが、鼻の奥を、胸の内側を、くすぐる。
とっても、とってもいいにおい……。
シャルルは、目を瞑り、いいにおいを、胸の奥まで深く吸い込んだ。シャルルの視界が、真っ白に染まって、いいにおいに包まれて……その後は、覚えていない。
天使サマは、手の平の上で、その白く丸い玉を、眺めたり、覗き込んだりして、何かを確認したように、数度頷いた。そして、懐へ大事に仕舞いこんだ。
天使サマの足元で、父親は静かに眠り続けている。
あれはなんだろう。
シャルルは、天使サマが父親に触れた瞬間、いつも誰かや何かに怒っている父親が、美しい天使サマに掴みかかったりしないか、心配になった。しかし、すぐに、慈愛に満ちた表情で、父親の中から出て来た白い玉を優しく手に収める様子を見て、いくら怒りっぽい父親でも、あんなに優しそうで美しい人にはそうしないだろうと、確信した。
それに、ずっと寝たままだ。
安心して、天使サマの様子を見ていた。
シャルルは、大人が怖い。父親、母親、先生。それ以外も、たまに食べ物を分けてくれるシャルルにとって良い大人はいるが、大概は、シャルルを見て顔を顰め、煩わしそうな顔をするし、時には大きな声で追い払われる。
だから、普段は見ず知らずの人に、話し掛けたりはしない。いや、大人でも、子どもでも、知っている人でも、シャルルはいつも、自分から声を掛けることは出来なかった。
でも。
きっと、この人ならだいじょうぶ。
だって、天使サマだもの。
シャルルは、勇気を出して、それはなんですかと聞こうと、声を出した。
「天使サマ……」
シャルルが出したいと思ったよりも、小さい声だったが、天使サマは、弾かれたように振り返った。そして、シャルルを見て、目をまん丸にした。
先ほどまでの優雅な動きはどこへ、というように、びしりと固まって動かない。
驚かせてしまって、申し訳ない気持になった。
ごめんなさいを言おうにも、もっと近くでないと、聞こえないかもしれない、と思った。シャルルの声はきっと小さいから。シャルルは立ち上がった。
自分から近付こうと思うのは、シャルルにとって、とても珍しいことだった。美しい人を前に、シャルルの中からは、恐怖や躊躇、萎縮といったものが、抜け落ちていた。
立ち上がってしもやけで痛む足で天使サマに向かって歩き出すと、数歩も行かず、体に巻き付けていた服が落ちて引っ掛かってしまった。
ころぶ、と思った時、天使サマの羽が、ふぁさりと動き、シャルルの元に飛んで来て、受け止めてくれた。白い羽ばたきの音も、衣擦れの音も、美しい音楽のようで、シャルルは、うっとりとした。
いつの間にか、身を刺すような寒さも、眩暈のするような空腹も、消えていた。さっきまでの苦しさは、もう、ひとつも、ない。
すごく、すごくいいにおい……。
シャルルは、もう一度、天使サマ、と唇を動かした。音になったかは分からない。
心配そうにシャルルを覗き込む天使サマの瞳は、夜が明ける時の太陽みたいな色だった。まだ寒くなる前、よく川沿いの道を歩きながら眺めた空に輝く、太陽のような。
早朝の清々しい空気のような。
優しい夜露のような。
川面を渡る涼やかな風のような。
風に揺れる、名も知らぬ花のような。
シャルルの知る、どんな香りよりも、いいにおいが、鼻の奥を、胸の内側を、くすぐる。
とっても、とってもいいにおい……。
シャルルは、目を瞑り、いいにおいを、胸の奥まで深く吸い込んだ。シャルルの視界が、真っ白に染まって、いいにおいに包まれて……その後は、覚えていない。
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