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嫌われ令嬢とダンスを
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「そこの騎士様、申し訳ありませんが、少し手をお貸しいただけませんか?」
ある日の夜会、そう声をかけられて振り向くと、手にした扇で顔を隠した女性がこちらを見ている。どうやら具合が悪いようで、慌てて傍に寄り様子をうかがう。
「いかがいたしましたか? 私でよろしければお力になりましょう」
「……少し人気に寄ってしまったようなのです。休めるところにお連れいただけませんでしょうか」
そう言ってその女性は俺の腕に力なく手をかけた。自ら男性に寄りかかってしまうくらいなのだ、大層切迫した状況なのだろう。彼女の連れを探すのは後回しにし、一言断りの言葉を入れ彼女を抱き上げようとしたのだが、それを拒まれる。
「目立ちたくはないのです。歩けます。少し休めば大丈夫かと」
「わかりました」
俺は了承し、彼女の肩を支えながら会場から離れた場所に小休憩できるように誂えられた客間の一室へ案内する。
こういった部屋は主に他の意図で用意されているものなので、警備の騎士が女性と一緒に入るのは好ましくない。扉を開け放したまま中へ案内しすぐにも退室しようとしたところ、部屋に入った途端に女性に扉を閉められた。
嵌められた、と俺が感じたのと同時に、彼女が扇で隠していたその顔をこちらに向ける。
「ミスリア嬢」
少しも体調が悪くなさそうにこちらを見るその顔は、初めて近くで見たけれど確かにエミリア嬢に似ている。一見エミリア嬢の方が気が強そうに見えるが、目の前の彼女の内に秘められた何かが俺に警鐘を鳴らす。
見た目以上に可憐なエミリア嬢とは違う。気を抜けば喰われる、そんな予感。
「なんだか失礼なことを考えていらっしゃるようね、ヒューバート・ロメオン様」
にこりと笑んで少しだけ首を傾げる様は、きっとわざと、だ。エミリア嬢の真似。
「私のような者の名をお知りいただけているとは光栄です」
「将来有望な殿方と、大層人気の方ですもの」
お互い気持ちのこもらない笑みを顔に貼り付け対峙する。しかし、不利なのはこちらだ。王太子殿下の婚約者と密室で二人きり、なんて、誰かに見られていれば一大醜聞となる。あっさり騎士の身分を剥奪され、将来など考えられなくなるだろう。
それに何より、エミリア嬢に誤解されたくない。
疾しいことは全くないのだが、それを客観的に証明するものがない。ミスリア嬢に全てを握られている。
とにかく部屋から出ないと、と思い立ったが、この機会にひとつだけ言っておきたいことを思い出した。
「ミスリア嬢、ひとつだけお願いがあります」
「何かしら?」
どういう意図で俺をここに連れ込んだのかはわからないが、まるでエミリア嬢を真似るかのようにこちらをじっと見ている。
いや、真似ていても違う。ミスリア嬢に見つめられても全く胸は高鳴らない。
「エミリア嬢は貴女を裏切っていない。だからどうか彼女を許してあげて欲しい」
噂の真相など知らない。
だけど俺の知るエミリア嬢が姉に対して疾しいことがないのは確信をもって言える。
俺がそう告げた途端、初めてミスリア嬢の瞳が感情を宿した。それを見て、ようやく彼女が演技をしていたことに気付く。エミリア嬢を真似ているだけではない。さらにもう一つ仮面を被っていたかのような。
冷めた瞳でこちらを見たミスリア嬢は、大きな溜息をつく。
「ムカつくわ」
吐かれた言葉に呆気にとられている俺を蔑むような眼で見て、さらに言う。
「エミリアが裏切っていないことなどわかっているわ。だから許すも何もない」
「では何故エミリア嬢を無視し続けるのですか? 彼女は許しを乞いたいのにそれも叶わず、ただずっと貴女を見つめ続けているのに!」
「今は仕方ないのよ。私が許していないフリをし続けないと、獲物が逃げてしまうのだもの」
「獲物?」
会話に異物が紛れ込んだような気がして、それを復唱すると、ミスリア嬢は嫣然と微笑んだ。
「そう、獲物よ。あの馬鹿、私の大切なエミリアにあんなことをしておいて、ただで済ませる訳がないでしょう?」
壮絶なまでの笑みに、自分がその獲物になってしまったかのような錯覚を覚え、背筋に悪寒が走る。
この話の流れでいう「獲物」とは……その事実にさらに寒気を覚える。
「ロメオン様、貴方も私に狩られる側かしら?」
そう問われ、無言で首を振る。しかし、何をもって「獲物」と見做されるのかはわからない。もしかしたら、エミリア嬢に対するこの感情でさえもその要因になりうるのか。
冷ややかな表情で、ミスリア嬢は告げる。
「あの子を傷付けるようなことをするのならば、容赦はしません」
「私はエミリア嬢を傷付けるようなことは、絶対しません!」
俺は即座に言い返していた。
「彼女を傷付ける者は、自分はもちろん、他の者でも許さない」
そう続けると、彼女は眉間に皺を寄せ「ムカつく」と呟くと、踵を返した。
「その中には、妹の謝罪を受け入れない私も含まれているってことね」
言われて自覚する。そう、俺は姉のミスリア嬢に対して、少なからず腹を立てていたのだ。
結局、何がしたかったのか分からないミスリア嬢は、俺より先に部屋から出て行き、俺は安堵の息をついたのだった。
警備の持ち場に戻り、すぐにエミリア嬢を見つける。初めて見かけた時と同じくまっすぐなその立ち姿は、変わらず美しい。
姉のミスリア嬢との会話から、やはり噂とは真逆の真実を知った。騎士団の一番の優先警護対象である王族に対する不信感に、騎士としての立ち位置を見失ってしまいそうだ。
「こんばんは、騎士様」
俺に気付いた彼女が、声をかけてくれる。モヤモヤした気持ちが一瞬で晴れる。
胸に込み上げる気持ちをすぐにでも伝えたい。
けれど、それは今ではない。
その時まで俺がこの人を何者からも守りたいと、切に思う。例えその手段として、偽りの忠義心で騎士であり続けることになるとしても。
彼女はまだ人との距離が近過ぎると無意識のうちに萎縮してしまう。
それでも、彼女は自分から俺に声をかけてくれた。
そんな日々の積み重ねが、少しずつでも彼女の心の傷を癒してくれたらいいと、心から思う。
そして叶うならば、俺がそんな日々の積み重ねの中の一助になりたいと、強く願う。
彼女の心が癒された時。
その時には改めて申し込もうと思う。
どうか俺と踊っていただけませんでしょうか、と。
ある日の夜会、そう声をかけられて振り向くと、手にした扇で顔を隠した女性がこちらを見ている。どうやら具合が悪いようで、慌てて傍に寄り様子をうかがう。
「いかがいたしましたか? 私でよろしければお力になりましょう」
「……少し人気に寄ってしまったようなのです。休めるところにお連れいただけませんでしょうか」
そう言ってその女性は俺の腕に力なく手をかけた。自ら男性に寄りかかってしまうくらいなのだ、大層切迫した状況なのだろう。彼女の連れを探すのは後回しにし、一言断りの言葉を入れ彼女を抱き上げようとしたのだが、それを拒まれる。
「目立ちたくはないのです。歩けます。少し休めば大丈夫かと」
「わかりました」
俺は了承し、彼女の肩を支えながら会場から離れた場所に小休憩できるように誂えられた客間の一室へ案内する。
こういった部屋は主に他の意図で用意されているものなので、警備の騎士が女性と一緒に入るのは好ましくない。扉を開け放したまま中へ案内しすぐにも退室しようとしたところ、部屋に入った途端に女性に扉を閉められた。
嵌められた、と俺が感じたのと同時に、彼女が扇で隠していたその顔をこちらに向ける。
「ミスリア嬢」
少しも体調が悪くなさそうにこちらを見るその顔は、初めて近くで見たけれど確かにエミリア嬢に似ている。一見エミリア嬢の方が気が強そうに見えるが、目の前の彼女の内に秘められた何かが俺に警鐘を鳴らす。
見た目以上に可憐なエミリア嬢とは違う。気を抜けば喰われる、そんな予感。
「なんだか失礼なことを考えていらっしゃるようね、ヒューバート・ロメオン様」
にこりと笑んで少しだけ首を傾げる様は、きっとわざと、だ。エミリア嬢の真似。
「私のような者の名をお知りいただけているとは光栄です」
「将来有望な殿方と、大層人気の方ですもの」
お互い気持ちのこもらない笑みを顔に貼り付け対峙する。しかし、不利なのはこちらだ。王太子殿下の婚約者と密室で二人きり、なんて、誰かに見られていれば一大醜聞となる。あっさり騎士の身分を剥奪され、将来など考えられなくなるだろう。
それに何より、エミリア嬢に誤解されたくない。
疾しいことは全くないのだが、それを客観的に証明するものがない。ミスリア嬢に全てを握られている。
とにかく部屋から出ないと、と思い立ったが、この機会にひとつだけ言っておきたいことを思い出した。
「ミスリア嬢、ひとつだけお願いがあります」
「何かしら?」
どういう意図で俺をここに連れ込んだのかはわからないが、まるでエミリア嬢を真似るかのようにこちらをじっと見ている。
いや、真似ていても違う。ミスリア嬢に見つめられても全く胸は高鳴らない。
「エミリア嬢は貴女を裏切っていない。だからどうか彼女を許してあげて欲しい」
噂の真相など知らない。
だけど俺の知るエミリア嬢が姉に対して疾しいことがないのは確信をもって言える。
俺がそう告げた途端、初めてミスリア嬢の瞳が感情を宿した。それを見て、ようやく彼女が演技をしていたことに気付く。エミリア嬢を真似ているだけではない。さらにもう一つ仮面を被っていたかのような。
冷めた瞳でこちらを見たミスリア嬢は、大きな溜息をつく。
「ムカつくわ」
吐かれた言葉に呆気にとられている俺を蔑むような眼で見て、さらに言う。
「エミリアが裏切っていないことなどわかっているわ。だから許すも何もない」
「では何故エミリア嬢を無視し続けるのですか? 彼女は許しを乞いたいのにそれも叶わず、ただずっと貴女を見つめ続けているのに!」
「今は仕方ないのよ。私が許していないフリをし続けないと、獲物が逃げてしまうのだもの」
「獲物?」
会話に異物が紛れ込んだような気がして、それを復唱すると、ミスリア嬢は嫣然と微笑んだ。
「そう、獲物よ。あの馬鹿、私の大切なエミリアにあんなことをしておいて、ただで済ませる訳がないでしょう?」
壮絶なまでの笑みに、自分がその獲物になってしまったかのような錯覚を覚え、背筋に悪寒が走る。
この話の流れでいう「獲物」とは……その事実にさらに寒気を覚える。
「ロメオン様、貴方も私に狩られる側かしら?」
そう問われ、無言で首を振る。しかし、何をもって「獲物」と見做されるのかはわからない。もしかしたら、エミリア嬢に対するこの感情でさえもその要因になりうるのか。
冷ややかな表情で、ミスリア嬢は告げる。
「あの子を傷付けるようなことをするのならば、容赦はしません」
「私はエミリア嬢を傷付けるようなことは、絶対しません!」
俺は即座に言い返していた。
「彼女を傷付ける者は、自分はもちろん、他の者でも許さない」
そう続けると、彼女は眉間に皺を寄せ「ムカつく」と呟くと、踵を返した。
「その中には、妹の謝罪を受け入れない私も含まれているってことね」
言われて自覚する。そう、俺は姉のミスリア嬢に対して、少なからず腹を立てていたのだ。
結局、何がしたかったのか分からないミスリア嬢は、俺より先に部屋から出て行き、俺は安堵の息をついたのだった。
警備の持ち場に戻り、すぐにエミリア嬢を見つける。初めて見かけた時と同じくまっすぐなその立ち姿は、変わらず美しい。
姉のミスリア嬢との会話から、やはり噂とは真逆の真実を知った。騎士団の一番の優先警護対象である王族に対する不信感に、騎士としての立ち位置を見失ってしまいそうだ。
「こんばんは、騎士様」
俺に気付いた彼女が、声をかけてくれる。モヤモヤした気持ちが一瞬で晴れる。
胸に込み上げる気持ちをすぐにでも伝えたい。
けれど、それは今ではない。
その時まで俺がこの人を何者からも守りたいと、切に思う。例えその手段として、偽りの忠義心で騎士であり続けることになるとしても。
彼女はまだ人との距離が近過ぎると無意識のうちに萎縮してしまう。
それでも、彼女は自分から俺に声をかけてくれた。
そんな日々の積み重ねが、少しずつでも彼女の心の傷を癒してくれたらいいと、心から思う。
そして叶うならば、俺がそんな日々の積み重ねの中の一助になりたいと、強く願う。
彼女の心が癒された時。
その時には改めて申し込もうと思う。
どうか俺と踊っていただけませんでしょうか、と。
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