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 その認識に誤りがあったと気付いたのは、もう随分と後のことだった。
 今更だけれど、考えてみればそういった予兆はそこかしこにあったのだ。
 ピアニー様との婚約が成立しなかった時に、兄が全くと言っていいほど、落胆する様子がなかったこと。
 それを見る父母も落胆する様子がなかったどころか、何だか嬉しそうな様子だったこと。
 兄だけではなく、私の婚約の話が、家の中の誰からも聞かれなくなったこと。

 兄のことはさておき、私自身新しい婚約者を探すために積極的に行動するのは正直なところ気が乗らず、これ幸いと思っていたので、うっかりしていた。
 まさか、こういう事態になろうとは。


 目の前に麗しい兄が跪いている。

「これは一体どういうことなのですか、お兄様?」
 星の形の花弁を持つ白い花の花束が、私に向かって差し出されている。

「お前付きの侍女に、お前がこの花が一番好きだと聞いたので、季節外れだから遠方より取り寄せたのだが」

 確かに今の季節にこの辺りで咲いている花ではない。取り寄せるとしたら季節が異なるくらい遠くの国からになるのかも。

「いえ、そういうことではなくて!」
「好きな花ではないのか?」
「好きですけど!」

 一瞬不安そうに揺れた瞳の中で星が瞬く。

「良かった。好きな花でなければ、もう一度仕切り直さないといけないからな」
「何を……」

 聞き返そうとして、思わず口を噤む。女性が一番好きな花を贈られる。そういったシチュエーションに思い当たったからだ。いや、でもそれは兄妹の間で起こるような出来事ではなかったはず。

「この国では相手の一番好きな花を束にして求婚し、求婚された方はそれを受け取るか否かで応えるんだろう?」

 喉の奥が詰まって、情けない声が出たのもどうか仕方ないことだと見逃して欲しい。

「だ、から、何故、お兄様が妹の私相手に……花を差し出しているんですか……」

 困り果てる私に全く頓着せず、兄は飄々と言葉を返してくる。
「お前に求婚しているからだ」
「私たちは兄妹でしょう?!」
「戸籍上は。でも、血はうんと遠くでしか繋がっていない」
 偶然にも、兄は私が以前心の中で言い訳したとおりの表現で返してきた。
「父母との養子縁組を解消すれば、俺たちはただの遠い親戚、婚姻は不可能ではない」

「勘違いするなよ? 父や母はお前と縁を切りたい訳ではない。これからも手元に置きたいがために、戸籍上一度他人に戻り、息子の嫁として迎え入れることを望んでいる」

 私が黙ったままでいることをどう捉えたのか、兄はいつもより饒舌だ。

「俺が家を継ぐためにはまだまだ足りないものばかりだ。それをお前が隣でサポートしてくれれば、こんなに心強いことはない。今までのお前の努力も報われる」

 矢継ぎ早に重ねられる言葉には、父や母、私への気遣いが溢れていて、私は反論せずにはいられなかった。

「私やお父様たちのことばかり慮って自分を犠牲にする必要はないんです。焦らなくとも、お兄様に相応しい素敵な女性にすぐに出会えるはずです」

 兄は目元を染めて笑む。

「もう出会っている」

 兄の視線は私を捉えて離れない。

「お前に初めて会った時に、俺の心はそれがお前だと言った。なのに、高揚した気持ちは、次の瞬間に叩き落とされた。運命を感じた相手が妹だなどと言われた俺の気持ちがわかるか?」

 運命を感じた相手。
 私の顔がぶわっと音を立てて朱色に染まる。

「妹だからと諦めようとした。なのにお前は、いつも俺の傍にいて、俺の世話を焼いて、俺の心の中にグイグイと入り込んでくる。だから俺は諦めることを諦めた。どうやったらお前を俺のものにできるのかを精一杯考えた。そして、その考えを父と母に説明して説得した。後はお前の返答次第だ」

 改めて差し出される花束。これを私が受け取っても問題ないように、兄はいろいろ考え、対処してくれたという。
 動けないでいる私の背中を押すように、兄は私を愛称で呼んだ。

「リア。どうか受け取ってくれ。無作法で無知で、他にもいろいろ足りてない俺を、正しく導いてくれるのはお前だけだ。お前の瞳の中の星が、俺を導く唯一つの明星なんだ」

 そう言って微笑む彼の瞳には、私の瞳の何倍もの星が煌めく。私だって、とうの昔にこの星々に囚われていたのだ。何とか逃れようと、他の女性との縁談成就を手伝うほどに。埋まった外堀を自ら埋めることなんて、できるはずもない。

「……お兄様、私、正直モテないんです」

 私の言葉に、兄は不思議そうな顔をしてから、嬉しそうに笑う。

「世の中の男どもが見る目がなくて、俺はツイてる。リアはこんなに綺麗で可愛いのに」
 さらに甘い言葉を吐いてくる兄から視線を逸らす。

「なので、こういった状況全般に慣れてなくて」
「あの元婚約者の男には言われなかった?」

 ちょっと不機嫌な気配を滲ませた声で訊ねてくる様子に、嫉妬心を感じて嬉しくなるなんて、もう本当にどうかしている。

「社交辞令的に褒められたことはあるような気もしないではないのですけれど、全く響かなかったのか覚えていません。だけど」

 一度、言葉を切って兄を見る。この泣きそうなくらい美しい瞳の人を諦めなくてよいのなら。

「お兄様の言葉のひとつひとつは、こんなに私の心に響いて動揺させられる」

 手を花束に伸ばす。指先が触れたそれは微かに震えている。兄の手が緊張で震えているのだと知り、思わず苦笑いが漏れる。兄らしくないし、
「私が拒むはずがありません。こんなに嬉しくてたまらないのに」

 受け取った花束から、大好きな芳しい香りが立ち上る。

「嬉しいのなら泣くな」
 堰を切って溢れた涙で目の前の人の顔が滲む。しっかり焼き付けたくて、瞬きで弾き飛ばした。

「泣きもするでしょう? どうしても手に入らないと思っていたものが手に入ったんです」

 怪訝そうにする兄に精一杯の笑みを向けて、私は告白する。

「初めてお会いした時からお慕いしておりました、ガゼット様」

 心の中では何度も呼んだ名で、目の前の人を初めて呼ぶ。その人は泣きそうな顔で微笑み返してくれたのだった。








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