29 / 54
第6章 9月-自覚(5)
しおりを挟む
「これ、お土産」
「わ、ありがとう」
次の日、仕事終わりに落ち合った希美に、高志は買ってきた讃岐うどんを手渡した。何度か行ったことのある会社近くの洋食レストランで、一緒に夕食を取って帰ることにする。
「……それさ、うどんなんだけど」
「あ、うん、ありがと。うどんツアーだったんだよね」
希美はいつものように明るい表情で頷く。
「うん。……いや、何かうちの妹がうどんに文句言ってたから」
「ええ? そうなんだ。私は嬉しいけど、讃岐うどん」
ちょうどその時、店員がオーダーを取りに来たので、それぞれ好きなものを注文する。希美はお土産の入った紙袋を横の椅子の上に置いた。
「うどん県の名物はやっぱりうどんだよねー。美味しいうどん、いっぱい食べてきた?」
「それが、結局一杯しか食べてなくてさ。何かタイミング合わなくて」
「そうなの? せっかく行ったのに!」
「あわじ島バーガーと淡路牛は食った」
「え、そっち?」
面白そうに笑う希美の顔を見ながら、やっぱり希美もよく笑うな、と高志は思った。
というより、人は親しい人と一緒にいる時、自然とこんな風に笑うものなのかもしれない。気付いていないだけで自分も誰かといる時には笑っているのだろうか。考えてみたが、少なくとも茂や希美と自分の笑顔の総量が同じとはとても思えなかった。
「どこか観光してきた?」
「ああ。鳴門の渦潮見て、あと美術館行った」
「美術館? 好きなの?」
「いや、何となく行ったんだけど。何か、有名な絵の複製ばっかたくさんあるところ」
「へえ、そんなところあるんだねー。面白そう」
「割と面白かった」
注文していた料理が運ばれてきたので、それぞれ食べ始める。希美はどうやらオムライスが好きなようだった。
「そっちは? 大学時代の友達と会ったんだろ」
「あ、うん。楽しかったよ。久々だったから、ひたすら喋ってた」
希美はそう言って、更に「彼氏できたって言ったら、めちゃめちゃびっくりされたけど」と続けた。
「びっくりって、何で」
「あは……まあ、女子大だったし、学生の時はそんなキャラじゃなかったっていうか」
「へえ?」
口元だけ微笑みながら、希美がさりげなく目を伏せる。高志はそれ以上聞かなかった。
背の高さからくるものか、それ以外の要因があるのかは分からないが、希美は自分自身の女性性についてどこかコンプレックスを抱いているように見えることがあった。そのことは希美と付き合う中で何となく高志にも伝わってきていた。男である高志から見れば希美がとりたてて何かを気にする必要は全くないように思えたが、かといって他人が何かを言うべきものでもなく、高志はできるだけそこに触れないようにしていた。
「ちゃんと自慢してきたか?」
とりあえず、冗談ぽくそう言ってみる。希美は笑いながら頷いた。
「めちゃめちゃしてきた! 私よりずっと背が高くて、優しくてかっこいい彼氏だって」
「そう聞くと、何かすごいやつみたいだな」
「でも本当だもーん」
おどけた希美の返答を聞きながら、高志は、希美が初めて高志の部屋に泊まりに来た日のことを思い出した。
その日の夜、希美はしばらく何かを言い淀んだ後、やがて意を決したように顔を上げて、胸が小さいのだと告げた。
高志は一瞬、返答に窮した。それから、そうなんだ、と答えた。
「あ、でも、だから何だってことじゃなくてね。ただ、いきなり見てがっかりするより、先に分かってる方がましかなって」
「……いや、別にがっかりとかしないし」
高志のTシャツを着た希美が、ベッドの端に座っていた。高志に横顔を見せて俯くその胸元には、それでもひっそりとした膨らみがあった。肩口は華奢にカーブを描いて落ち、半袖のはずの袖口はその肘の先までを覆っている。柔らかそうな白い腕と、頼りない細い手首。
そうやって座っている希美の佇まいが、そのままでもう本質的に女であるということ、そしてそれは大抵の男をどこか落ち着かない気分にさせるものであるということを、おそらく希美本人は分かっていなかった。口元に笑みを残したまま目を逸らすその表情を見ながら、高志は手を伸ばして希美の頭を撫でた。希美が高志の方を振り返り、目を細めて笑った。
高志の希美に対する気持ちは、恋愛感情ではなかった。
かと言って、ただ茂と再会するためだけに誰でもいいから付き合ったという訳でもなかった。他の人間よりは希美がよかった。同じだけの気持ちを返せないまま、高志は心の中で希美を拠り所にしていた。希美が高志に向ける好意は高志を安心させた。
コンプレックスを持ちながらも、希美は決して女としての承認欲求を恋人である高志にぶつけてきたりはしなかった。その後、高志が服を脱がせても、その胸に触っても、そして行為が終わった後でも、そのことについてはもう何も言わなかった。
自分は茂より薄情で利己的なんだな、と昔を思い返す。あの時、茂は佳代のために泣いていた。しかし高志は、恋愛感情を持たないままに希美と付き合い、他の男を知らないであろうその体を抱いても、不思議なほど罪悪感を持たなかった。
もしこの先希美と別れることがあるとしたら、それは自分の不誠実さに気付いた希美が別れを切り出してくる時だろう。
茂への気持ちを自覚して、希美の存在はむしろ高志の中で大きくなった。このまま希美と穏やかに関係を深めていって、茂への感情を消し去ってしまいたい、と思っていた。そうしなければならなかった。
「わ、ありがとう」
次の日、仕事終わりに落ち合った希美に、高志は買ってきた讃岐うどんを手渡した。何度か行ったことのある会社近くの洋食レストランで、一緒に夕食を取って帰ることにする。
「……それさ、うどんなんだけど」
「あ、うん、ありがと。うどんツアーだったんだよね」
希美はいつものように明るい表情で頷く。
「うん。……いや、何かうちの妹がうどんに文句言ってたから」
「ええ? そうなんだ。私は嬉しいけど、讃岐うどん」
ちょうどその時、店員がオーダーを取りに来たので、それぞれ好きなものを注文する。希美はお土産の入った紙袋を横の椅子の上に置いた。
「うどん県の名物はやっぱりうどんだよねー。美味しいうどん、いっぱい食べてきた?」
「それが、結局一杯しか食べてなくてさ。何かタイミング合わなくて」
「そうなの? せっかく行ったのに!」
「あわじ島バーガーと淡路牛は食った」
「え、そっち?」
面白そうに笑う希美の顔を見ながら、やっぱり希美もよく笑うな、と高志は思った。
というより、人は親しい人と一緒にいる時、自然とこんな風に笑うものなのかもしれない。気付いていないだけで自分も誰かといる時には笑っているのだろうか。考えてみたが、少なくとも茂や希美と自分の笑顔の総量が同じとはとても思えなかった。
「どこか観光してきた?」
「ああ。鳴門の渦潮見て、あと美術館行った」
「美術館? 好きなの?」
「いや、何となく行ったんだけど。何か、有名な絵の複製ばっかたくさんあるところ」
「へえ、そんなところあるんだねー。面白そう」
「割と面白かった」
注文していた料理が運ばれてきたので、それぞれ食べ始める。希美はどうやらオムライスが好きなようだった。
「そっちは? 大学時代の友達と会ったんだろ」
「あ、うん。楽しかったよ。久々だったから、ひたすら喋ってた」
希美はそう言って、更に「彼氏できたって言ったら、めちゃめちゃびっくりされたけど」と続けた。
「びっくりって、何で」
「あは……まあ、女子大だったし、学生の時はそんなキャラじゃなかったっていうか」
「へえ?」
口元だけ微笑みながら、希美がさりげなく目を伏せる。高志はそれ以上聞かなかった。
背の高さからくるものか、それ以外の要因があるのかは分からないが、希美は自分自身の女性性についてどこかコンプレックスを抱いているように見えることがあった。そのことは希美と付き合う中で何となく高志にも伝わってきていた。男である高志から見れば希美がとりたてて何かを気にする必要は全くないように思えたが、かといって他人が何かを言うべきものでもなく、高志はできるだけそこに触れないようにしていた。
「ちゃんと自慢してきたか?」
とりあえず、冗談ぽくそう言ってみる。希美は笑いながら頷いた。
「めちゃめちゃしてきた! 私よりずっと背が高くて、優しくてかっこいい彼氏だって」
「そう聞くと、何かすごいやつみたいだな」
「でも本当だもーん」
おどけた希美の返答を聞きながら、高志は、希美が初めて高志の部屋に泊まりに来た日のことを思い出した。
その日の夜、希美はしばらく何かを言い淀んだ後、やがて意を決したように顔を上げて、胸が小さいのだと告げた。
高志は一瞬、返答に窮した。それから、そうなんだ、と答えた。
「あ、でも、だから何だってことじゃなくてね。ただ、いきなり見てがっかりするより、先に分かってる方がましかなって」
「……いや、別にがっかりとかしないし」
高志のTシャツを着た希美が、ベッドの端に座っていた。高志に横顔を見せて俯くその胸元には、それでもひっそりとした膨らみがあった。肩口は華奢にカーブを描いて落ち、半袖のはずの袖口はその肘の先までを覆っている。柔らかそうな白い腕と、頼りない細い手首。
そうやって座っている希美の佇まいが、そのままでもう本質的に女であるということ、そしてそれは大抵の男をどこか落ち着かない気分にさせるものであるということを、おそらく希美本人は分かっていなかった。口元に笑みを残したまま目を逸らすその表情を見ながら、高志は手を伸ばして希美の頭を撫でた。希美が高志の方を振り返り、目を細めて笑った。
高志の希美に対する気持ちは、恋愛感情ではなかった。
かと言って、ただ茂と再会するためだけに誰でもいいから付き合ったという訳でもなかった。他の人間よりは希美がよかった。同じだけの気持ちを返せないまま、高志は心の中で希美を拠り所にしていた。希美が高志に向ける好意は高志を安心させた。
コンプレックスを持ちながらも、希美は決して女としての承認欲求を恋人である高志にぶつけてきたりはしなかった。その後、高志が服を脱がせても、その胸に触っても、そして行為が終わった後でも、そのことについてはもう何も言わなかった。
自分は茂より薄情で利己的なんだな、と昔を思い返す。あの時、茂は佳代のために泣いていた。しかし高志は、恋愛感情を持たないままに希美と付き合い、他の男を知らないであろうその体を抱いても、不思議なほど罪悪感を持たなかった。
もしこの先希美と別れることがあるとしたら、それは自分の不誠実さに気付いた希美が別れを切り出してくる時だろう。
茂への気持ちを自覚して、希美の存在はむしろ高志の中で大きくなった。このまま希美と穏やかに関係を深めていって、茂への感情を消し去ってしまいたい、と思っていた。そうしなければならなかった。
0
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】胃袋と掴まれただけでなく、心も身体も掴まれそうなんだが!?【弁当屋×サラリーマン】
彩華
BL
俺の名前は水野圭。年は25。
自慢じゃないが、年齢=彼女いない歴。まだ魔法使いになるまでには、余裕がある年。人並の人生を歩んでいるが、これといった楽しみが無い。ただ食べることは好きなので、せめて夕食くらいは……と美味しい弁当を買ったりしているつもりだが!(結局弁当なのかというのは、お愛嬌ということで)
だがそんなある日。いつものスーパーで弁当を買えなかった俺はワンチャンいつもと違う店に寄ってみたが……────。
凄い! 美味そうな弁当が並んでいる!
凄い! 店員もイケメン!
と、実は穴場? な店を見つけたわけで。
(今度からこの店で弁当を買おう)
浮かれていた俺は、夕飯は美味い弁当を食べれてハッピ~! な日々。店員さんにも顔を覚えられ、名前を聞かれ……?
「胃袋掴みたいなぁ」
その一言が、どんな意味があったなんて、俺は知る由もなかった。
******
そんな感じの健全なBLを緩く、短く出来ればいいなと思っています
お気軽にコメント頂けると嬉しいです
■表紙お借りしました
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
壁乳
リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。
最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。
じれじれラブコメディー。
4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。
(挿絵byリリーブルー)
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました【完結】
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる