52 / 54
最終章 12月(2)
しおりを挟む
「……要するに、お前の方に続ける気がないってことか」
高志が硬い声を出すと、茂は俯いたまま唇を噛み締めた。それから、ほんのわずか、見えるか見えないかの小ささで首を振る。
「――そうじゃない」
声に潜むかすかな震えに気付いて、高志は苛立ちをぶつけた自分をすぐに悔いた。静かに呼び掛ける。
「細谷」
「そうじゃなくて……俺は多分、そのうちお前の邪魔になるかもしれないけど」
「だから、そんなことないって」
「でも、俺もう……前みたいに我慢するって考えたら、しんどくて」
「我慢?」
「……お前のこと……」
いつしか、震えるその声は涙声になっていた。
「前みたいに、ただの友達みたいに何でもないふりするのとか、もうしたくない」
「しなくていい。俺も無理だって思った」
「お前が女の子とやりたいなら、いつでもやっていい。彼女とも別れなくていいし。別れたって、また別の彼女を作ったらいい」
高志の返事が耳に入っていないかのように、茂は言い募る。
「何年か後にお前が結婚したくなっても絶対に邪魔しないし。そうじゃなくても、お前が嫌になったらいつでも終わりにするから」
「細谷」
「だから今だけ……」
そこで、ついに茂が声を詰まらせる。顔を見せまいと俯くが、その拍子にぽたっと雫が手の甲に落ちた。隠すように、すぐにもう片方の手で手の甲を覆う。思わず高志は体を起こした。
「細谷……俺も同じだから」
茂のすぐそばに膝をつき、その頭を引き寄せる。茂が、涙を止めるようにその目を高志の肩に押し付けてくる。
「お前が言ったんだろ、俺が電話したんだって。お前が知らないだけで、俺はずっとお前のこと考えてたし、ずっとお前に会いたいと思ってた。あの時お前がいなくなってからずっと」
顔を高志の肩にうずめたまま、ごめん、と茂が声にならない声で言ったのが分かった。高志は宥めるようにその背中を撫でる。茂の温かい体。さっきまで高志を受け入れていた健気な体。自分の腕の中にある存在の得難さを噛み締める。ここに至るまでに味わった絶望を、喪失感を思い返す。高志は一拍おいた後に、その言葉を口にした。
「細谷。……俺と付き合って」
茂はしばらく何も言わなかった。高志の腕の中で、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。そのかすかな肩の上下さえ愛しく、一瞬、高志は茂の返事を待つことすら忘れていた。やがて肩口から小さな声が聞こえてくる。
「……うん」
それを聞いて、高志は目を閉じた。茂の呼吸はまた少しずつ途切れ始め、それに合わせて体も震え出す。その震えを少しでも止めようと、高志は再び腕に力を込めた。茂が声を詰まらせながら言う。
「付き合う……」
「うん」
応えるように、回した腕で背中を更に強く撫でる。茂は息を整えるように、何度か呼吸を繰り返した。
「お互いに同じこと思ってるんなら、それでいいんじゃないか」
「……うん」
「先のこと考え過ぎても、何があるか分からないし」
「……お前、彼女はどうすんの」
「正直言って今は分からないけど……もう少し時間もらってもいいか」
「いいよ。無理してどうにかしなくても」
「いや、ちゃんと考えるから」
「俺はいい。俺といる時だけ、お前が俺のものだって思えたらそれでいい」
そして茂は顔を上げ、高志をじっと見つめる。それからそっと手を伸ばしてきた。茂の指が頬に触れ、唇に触れるのを感じながら、高志は茂が今その心の内で何を思っているのか想像しようとした。やがて茂が口を開く。
「藤代」
「ん?」
「――俺、大学の時からずっとお前が好きだった」
意表を突かれて、高志は一瞬言葉を失った。
それは、茂が決して口にしないだろうと思っていた言葉だった。そんな高志の表情をしばらく見た後、茂がゆっくりと唇を寄せてくる。
「――」
茂の言葉が一瞬の追憶を呼び起こした。目を閉じた高志の頭の中には、かつて何度も茂と唇を合わせたあの部屋の中の光景が蘇っていた。あの頃と同じ茂からの口付けに、まるで今そこにいるかのような錯覚を覚える。茂がいなくなったと同時に高志の中で憧憬の対象へと変化していたその光景を、高志は再びその手に取り戻した。
それから、希美の顔が浮かんだ。
頭の中で、希美もやはり笑顔だった。そうやって自分の恋人であるはずの女性の存在を感じながら、高志は今、目の前にいる別の人間への恋心を静かに告げた。
「俺も……お前が好きだ」
唇を離し、茂の肩口に顔をうずめる。幸福感と胸の痛みが混ざり合う。どうしようもなく、迷いもなく、高志は目の前の茂を求めていた。そこには圧倒的な幸福があった。決して完全ではない、一方で他の人間を傷つけるしかない幸福。
希美の笑顔は消えなかった。その笑顔で高志の不実を責めていた。それは希美の顔をした自分自身だった。
そうやって自分を見つめる希美の目の前で、高志はただ腕の中の茂をいつまでも強く抱き締めていた。
(完)
高志が硬い声を出すと、茂は俯いたまま唇を噛み締めた。それから、ほんのわずか、見えるか見えないかの小ささで首を振る。
「――そうじゃない」
声に潜むかすかな震えに気付いて、高志は苛立ちをぶつけた自分をすぐに悔いた。静かに呼び掛ける。
「細谷」
「そうじゃなくて……俺は多分、そのうちお前の邪魔になるかもしれないけど」
「だから、そんなことないって」
「でも、俺もう……前みたいに我慢するって考えたら、しんどくて」
「我慢?」
「……お前のこと……」
いつしか、震えるその声は涙声になっていた。
「前みたいに、ただの友達みたいに何でもないふりするのとか、もうしたくない」
「しなくていい。俺も無理だって思った」
「お前が女の子とやりたいなら、いつでもやっていい。彼女とも別れなくていいし。別れたって、また別の彼女を作ったらいい」
高志の返事が耳に入っていないかのように、茂は言い募る。
「何年か後にお前が結婚したくなっても絶対に邪魔しないし。そうじゃなくても、お前が嫌になったらいつでも終わりにするから」
「細谷」
「だから今だけ……」
そこで、ついに茂が声を詰まらせる。顔を見せまいと俯くが、その拍子にぽたっと雫が手の甲に落ちた。隠すように、すぐにもう片方の手で手の甲を覆う。思わず高志は体を起こした。
「細谷……俺も同じだから」
茂のすぐそばに膝をつき、その頭を引き寄せる。茂が、涙を止めるようにその目を高志の肩に押し付けてくる。
「お前が言ったんだろ、俺が電話したんだって。お前が知らないだけで、俺はずっとお前のこと考えてたし、ずっとお前に会いたいと思ってた。あの時お前がいなくなってからずっと」
顔を高志の肩にうずめたまま、ごめん、と茂が声にならない声で言ったのが分かった。高志は宥めるようにその背中を撫でる。茂の温かい体。さっきまで高志を受け入れていた健気な体。自分の腕の中にある存在の得難さを噛み締める。ここに至るまでに味わった絶望を、喪失感を思い返す。高志は一拍おいた後に、その言葉を口にした。
「細谷。……俺と付き合って」
茂はしばらく何も言わなかった。高志の腕の中で、ゆっくりと呼吸を繰り返していた。そのかすかな肩の上下さえ愛しく、一瞬、高志は茂の返事を待つことすら忘れていた。やがて肩口から小さな声が聞こえてくる。
「……うん」
それを聞いて、高志は目を閉じた。茂の呼吸はまた少しずつ途切れ始め、それに合わせて体も震え出す。その震えを少しでも止めようと、高志は再び腕に力を込めた。茂が声を詰まらせながら言う。
「付き合う……」
「うん」
応えるように、回した腕で背中を更に強く撫でる。茂は息を整えるように、何度か呼吸を繰り返した。
「お互いに同じこと思ってるんなら、それでいいんじゃないか」
「……うん」
「先のこと考え過ぎても、何があるか分からないし」
「……お前、彼女はどうすんの」
「正直言って今は分からないけど……もう少し時間もらってもいいか」
「いいよ。無理してどうにかしなくても」
「いや、ちゃんと考えるから」
「俺はいい。俺といる時だけ、お前が俺のものだって思えたらそれでいい」
そして茂は顔を上げ、高志をじっと見つめる。それからそっと手を伸ばしてきた。茂の指が頬に触れ、唇に触れるのを感じながら、高志は茂が今その心の内で何を思っているのか想像しようとした。やがて茂が口を開く。
「藤代」
「ん?」
「――俺、大学の時からずっとお前が好きだった」
意表を突かれて、高志は一瞬言葉を失った。
それは、茂が決して口にしないだろうと思っていた言葉だった。そんな高志の表情をしばらく見た後、茂がゆっくりと唇を寄せてくる。
「――」
茂の言葉が一瞬の追憶を呼び起こした。目を閉じた高志の頭の中には、かつて何度も茂と唇を合わせたあの部屋の中の光景が蘇っていた。あの頃と同じ茂からの口付けに、まるで今そこにいるかのような錯覚を覚える。茂がいなくなったと同時に高志の中で憧憬の対象へと変化していたその光景を、高志は再びその手に取り戻した。
それから、希美の顔が浮かんだ。
頭の中で、希美もやはり笑顔だった。そうやって自分の恋人であるはずの女性の存在を感じながら、高志は今、目の前にいる別の人間への恋心を静かに告げた。
「俺も……お前が好きだ」
唇を離し、茂の肩口に顔をうずめる。幸福感と胸の痛みが混ざり合う。どうしようもなく、迷いもなく、高志は目の前の茂を求めていた。そこには圧倒的な幸福があった。決して完全ではない、一方で他の人間を傷つけるしかない幸福。
希美の笑顔は消えなかった。その笑顔で高志の不実を責めていた。それは希美の顔をした自分自身だった。
そうやって自分を見つめる希美の目の前で、高志はただ腕の中の茂をいつまでも強く抱き締めていた。
(完)
1
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
死ぬほど嫌いな上司と付き合いました
三宅スズ
BL
社会人3年目の皆川涼介(みながわりょうすけ)25歳。
皆川涼介の上司、瀧本樹(たきもといつき)28歳。
涼介はとにかく樹のことが苦手だし、嫌いだし、話すのも嫌だし、絶対に自分とは釣り合わないと思っていたが‥‥
上司×部下BL
有能課長のあり得ない秘密
みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。
しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。
【完結】それより俺は、もっとあなたとキスがしたい
佑々木(うさぎ)
BL
一ノ瀬(27)は、ビール会社である「YAMAGAMI」に勤めていた。
同僚との飲み会に出かけた夜、帰り道にバス停のベンチで寝ている美浜部長(32)を見つけてしまう。
いつも厳しく、高慢で鼻持ちならない美浜と距離を取っているため、一度は見捨てて帰ろうとしたのだが。さすがに寒空の下、見なかったことにして立ち去ることはできなかった。美浜を起こし、コーヒーでも飲ませて終わりにしようとした一ノ瀬に、美浜は思いも寄らないことを言い出して──。
サラリーマン同士のラブコメディです。
◎BLの性的描写がありますので、苦手な方はご注意ください
* 性的描写
*** 性行為の描写
大人だからこその焦れったい恋愛模様、是非ご覧ください。
年下敬語攻め、一人称「私」受けが好きな方にも、楽しんでいただけると幸いです。
表紙素材は abdulgalaxia様 よりお借りしています。
僕がそばにいる理由
腐男子ミルク
BL
佐藤裕貴はΩとして生まれた21歳の男性。αの夫と結婚し、表向きは穏やかな夫婦生活を送っているが、その実態は不完全なものだった。夫は裕貴を愛していると口にしながらも、家事や家庭の負担はすべて裕貴に押し付け、自分は何もしない。それでいて、裕貴が他の誰かと関わることには異常なほど敏感で束縛が激しい。性的な関係もないまま、裕貴は愛情とは何か、本当に満たされるとはどういうことかを見失いつつあった。
そんな中、裕貴の職場に新人看護師・宮野歩夢が配属される。歩夢は裕貴がΩであることを本能的に察しながらも、その事実を意に介さず、ただ一人の人間として接してくれるαだった。歩夢の純粋な優しさと、裕貴をありのまま受け入れる態度に触れた裕貴は、心の奥底にしまい込んでいた孤独と向き合わざるを得なくなる。歩夢と過ごす時間を重ねるうちに、彼の存在が裕貴にとって特別なものとなっていくのを感じていた。
しかし、裕貴は既婚者であり、夫との関係や社会的な立場に縛られている。愛情、義務、そしてΩとしての本能――複雑に絡み合う感情の中で、裕貴は自分にとって「真実の幸せ」とは何なのか、そしてその幸せを追い求める覚悟があるのかを問い始める。
束縛の中で見失っていた自分を取り戻し、裕貴が選び取る未来とは――。
愛と本能、自由と束縛が交錯するオメガバースの物語。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
サラリーマン二人、酔いどれ同伴
風
BL
久しぶりの飲み会!
楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。
「……え、やった?」
「やりましたね」
「あれ、俺は受け?攻め?」
「受けでしたね」
絶望する佐万里!
しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ!
こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる