12 / 39
12話
しおりを挟む
神殿の東庭――
王国中枢のひとつである聖域に、今日は穏やかな陽が差していた。
「……ええ、本日は“名誉客”としてお招きする形となっております」
神官長ミカエルが低く指示を出しながら、幾人かの高位神官とともに整えられた茶会席へと向かっていた。
白い布が張られた天幕、整然と並ぶ銀食器、風にそよぐ祭衣の裾。
本来ならば、聖女か王族か、もしくは外交客を迎える場。
だが今日、その席に座るのは――
「ごきげんよう、神殿の皆さま。お招きいただき、ありがとうございますわ」
シャルロット=ド=レーヴェンローだった。
淡い藤色のドレスに、銀の茶器を手にしたその姿は、まるで儀式の精霊のようでもあり、ただの令嬢のようでもあった。
神殿側の者たちは誰もが警戒の色を隠さず、それでも丁寧に迎え入れるしかなかった。
なぜなら今、王都の“民意”は彼女を見ており、“神託”と対立することこそが火種になる空気だったからだ。
「お嬢様……今日は、粗相のないように」
セバスティアンが背後からそっと耳打ちする。
それにシャルロットはにっこりと笑い、応える。
「ええ。今日は静かに、香りを愉しむつもりですのよ」
……そのつもりだった。
しかし、そうはいかないのが“あの猫”だった。
神官たちが並ぶ中、式次第の一つとして持ち込まれた巻物。
それは過去の神託記録をまとめた、神殿にとって“神の言葉”とされる由緒正しき文書。
「本日は、神託の御言葉を一読いたします」
長老格の神官が巻物を広げようとしたそのとき、どこからともなくふわりと飛び込んできた黒い影がひとつ。
「ニャッ」
ひと鳴きとともに、黒猫グレイが跳ね上がり、巻物に飛びついた。
「待て、それは――!」
紙が裂ける音。風が舞う。
文字が書かれた聖布が、粉々に空を舞った。
「あ、まあ……紙くずが、飛んでしまいましたわね」
シャルロットは無邪気な声音で、そっとポットを抱き直した。
「……神の……神の御言葉が……!」
「再記録を……いや、写本が……!」
神官たちの顔が青ざめ、席がざわめき、空気が凍りつく。
ミカエルは眉をしかめ、しかし即座には何も言わず、ただグレイを睨みつけた。
猫はくるりと尻尾を巻いて、満足げにシャルロットの膝の上へ跳び戻る。
「まあまあ。皆さま、お顔の色が優れませんわ。……もしかして、少し強めの香りにしてしまいました?」
「……それは違う」
ミカエルの声が低く響く。
「神託記録は、紙ではなく、そこに“意味”が宿るからこそ神たる。……だが、それが失われれば、ただの文字列となる」
「では今のは……」
「神託の“喪失”だ。少なくとも、形式上はそうなる」
神官たちが騒然とする中、ミカエルはようやく沈黙を破った。
「……この茶会は、中止だ。……だが、名誉客への無礼がないように」
その声は、明らかに制御された怒りを含んでいた。
セバスティアンが無言で歩み寄り、グレイを抱き上げる。
「……おとなしくしておられたかと思えば」
「グレイ様の行動には、意味があるのかもしれませんわ。……ただの偶然かもしれませんけれど」
そう言って微笑むシャルロットに、ミカエルは言葉を返さなかった。
紙片が舞う午後の風の中、神託は文字通り“吹き飛ばされた”。
それは、長きにわたる神殿支配の象徴を、根底から揺るがす前触れだった。
王国中枢のひとつである聖域に、今日は穏やかな陽が差していた。
「……ええ、本日は“名誉客”としてお招きする形となっております」
神官長ミカエルが低く指示を出しながら、幾人かの高位神官とともに整えられた茶会席へと向かっていた。
白い布が張られた天幕、整然と並ぶ銀食器、風にそよぐ祭衣の裾。
本来ならば、聖女か王族か、もしくは外交客を迎える場。
だが今日、その席に座るのは――
「ごきげんよう、神殿の皆さま。お招きいただき、ありがとうございますわ」
シャルロット=ド=レーヴェンローだった。
淡い藤色のドレスに、銀の茶器を手にしたその姿は、まるで儀式の精霊のようでもあり、ただの令嬢のようでもあった。
神殿側の者たちは誰もが警戒の色を隠さず、それでも丁寧に迎え入れるしかなかった。
なぜなら今、王都の“民意”は彼女を見ており、“神託”と対立することこそが火種になる空気だったからだ。
「お嬢様……今日は、粗相のないように」
セバスティアンが背後からそっと耳打ちする。
それにシャルロットはにっこりと笑い、応える。
「ええ。今日は静かに、香りを愉しむつもりですのよ」
……そのつもりだった。
しかし、そうはいかないのが“あの猫”だった。
神官たちが並ぶ中、式次第の一つとして持ち込まれた巻物。
それは過去の神託記録をまとめた、神殿にとって“神の言葉”とされる由緒正しき文書。
「本日は、神託の御言葉を一読いたします」
長老格の神官が巻物を広げようとしたそのとき、どこからともなくふわりと飛び込んできた黒い影がひとつ。
「ニャッ」
ひと鳴きとともに、黒猫グレイが跳ね上がり、巻物に飛びついた。
「待て、それは――!」
紙が裂ける音。風が舞う。
文字が書かれた聖布が、粉々に空を舞った。
「あ、まあ……紙くずが、飛んでしまいましたわね」
シャルロットは無邪気な声音で、そっとポットを抱き直した。
「……神の……神の御言葉が……!」
「再記録を……いや、写本が……!」
神官たちの顔が青ざめ、席がざわめき、空気が凍りつく。
ミカエルは眉をしかめ、しかし即座には何も言わず、ただグレイを睨みつけた。
猫はくるりと尻尾を巻いて、満足げにシャルロットの膝の上へ跳び戻る。
「まあまあ。皆さま、お顔の色が優れませんわ。……もしかして、少し強めの香りにしてしまいました?」
「……それは違う」
ミカエルの声が低く響く。
「神託記録は、紙ではなく、そこに“意味”が宿るからこそ神たる。……だが、それが失われれば、ただの文字列となる」
「では今のは……」
「神託の“喪失”だ。少なくとも、形式上はそうなる」
神官たちが騒然とする中、ミカエルはようやく沈黙を破った。
「……この茶会は、中止だ。……だが、名誉客への無礼がないように」
その声は、明らかに制御された怒りを含んでいた。
セバスティアンが無言で歩み寄り、グレイを抱き上げる。
「……おとなしくしておられたかと思えば」
「グレイ様の行動には、意味があるのかもしれませんわ。……ただの偶然かもしれませんけれど」
そう言って微笑むシャルロットに、ミカエルは言葉を返さなかった。
紙片が舞う午後の風の中、神託は文字通り“吹き飛ばされた”。
それは、長きにわたる神殿支配の象徴を、根底から揺るがす前触れだった。
155
あなたにおすすめの小説
無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……
タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
悪役令嬢発溺愛幼女着
みおな
ファンタジー
「違います!わたくしは、フローラさんをいじめてなどいません!」
わたくしの声がホールに響いたけれど、誰もわたくしに手を差し伸べて下さることはなかった。
響いたのは、婚約者である王太子殿下の冷たい声。
わたくしに差し伸べられたのは、騎士団長のご子息がわたくしを強く床に押し付ける腕。
冷ややかな周囲のご令嬢ご令息の冷笑。
どうして。
誰もわたくしを信じてくれないまま、わたくしは冷たい牢の中で命を落とした。
悪役令嬢はモブ化した
F.conoe
ファンタジー
乙女ゲーム? なにそれ食べ物? な悪役令嬢、普通にシナリオ負けして退場しました。
しかし貴族令嬢としてダメの烙印をおされた卒業パーティーで、彼女は本当の自分を取り戻す!
領地改革にいそしむ充実した日々のその裏で、乙女ゲームは着々と進行していくのである。
「……なんなのこれは。意味がわからないわ」
乙女ゲームのシナリオはこわい。
*注*誰にも前世の記憶はありません。
ざまぁが地味だと思っていましたが、オーバーキルだという意見もあるので、優しい結末を期待してる人は読まない方が良さげ。
性格悪いけど自覚がなくて自分を優しいと思っている乙女ゲームヒロインの心理描写と因果応報がメインテーマ(番外編で登場)なので、叩かれようがざまぁ改変して救う気はない。
作者の趣味100%でダンジョンが出ました。
王国最強の天才魔導士は、追放された悪役令嬢の息子でした
由香
ファンタジー
追放された悪役令嬢が選んだのは復讐ではなく、母として息子を守ること。
無自覚天才に育った息子は、魔法を遊び感覚で扱い、王国を震撼させてしまう。
再び招かれたのは、かつて母を追放した国。
礼儀正しく圧倒する息子と、静かに完全勝利する母。
これは、親子が選ぶ“最も美しいざまぁ”。
元公爵令嬢は年下騎士たちに「用済みのおばさん」と捨てられる 〜今更戻ってこいと泣きつかれても献身的な美少年に溺愛されているのでもう遅いです〜
日々埋没。
ファンタジー
「新しい従者を雇うことにした。おばさんはもう用済みだ。今すぐ消えてくれ」
かつて婚約破棄され、実家を追放された元公爵令嬢のレアーヌ。
その身分を隠し、年下の冒険者たちの身の回りを世話する『メイド』として献身的に尽くしてきた彼女に突きつけられたのは、あまりに非情な追放宣告だった。
レアーヌがこれまで教育し、支えてきた若い男たちは、新しく現れた他人の物を欲しがり子悪魔メイドに骨抜きにされ、彼女を「加齢臭のする汚いおばさん」と蔑み、笑いながら追い出したのだ。
地位も、居場所も、信じていた絆も……すべてを失い、絶望する彼女の前に現れたのは、一人の美少年だった。
「僕とパーティーを組んでくれませんか? 貴方が必要なんです」
新米ながら将来の可能性を感じさせる彼は、レアーヌを「おばさん」ではなく「一人の女性」として、甘く狂おしく溺愛し始める。
一方でレアーヌという『真の支柱』を失った元パーティーは、自分たちがどれほど愚かな選択をしたかを知る由もなかった。
やがて彼らが地獄の淵で「戻ってきてくれ」と泣きついてきても、もう遅い。
レアーヌの隣には、彼女を離さないと誓った執着愛の化身が微笑んでいるのだから。
断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます
山河 枝
ファンタジー
聖女が魔物と戦う乙女ゲーム。その聖女につかみかかったせいで処刑される令嬢アナベルに、転生してしまった。
でも私は知っている。実は、アナベルこそが本物の聖女。
それを証明すれば断罪回避できるはず。
幸い、処刑人が味方になりそうだし。モフモフ精霊たちも慕ってくれる。
チート魔法で魔物たちを一掃して、本物アピールしないと。
処刑5秒前だから、今すぐに!
離婚と追放された悪役令嬢ですが、前世の農業知識で辺境の村を大改革!気づいた元夫が後悔の涙を流しても、隣国の王子様と幸せになります
黒崎隼人
ファンタジー
公爵令嬢リセラは、夫である王子ルドルフから突然の離婚を宣告される。理由は、異世界から現れた聖女セリーナへの愛。前世が農業大学の学生だった記憶を持つリセラは、ゲームのシナリオ通り悪役令嬢として処刑される運命を回避し、慰謝料として手に入れた辺境の荒れ地で第二の人生をスタートさせる!
前世の知識を活かした農業改革で、貧しい村はみるみる豊かに。美味しい作物と加工品は評判を呼び、やがて隣国の知的な王子アレクサンダーの目にも留まる。
「君の作る未来を、そばで見ていたい」――穏やかで誠実な彼に惹かれていくリセラ。
一方、リセラを捨てた元夫は彼女の成功を耳にし、後悔の念に駆られ始めるが……?
これは、捨てられた悪役令嬢が、農業で華麗に成り上がり、真実の愛と幸せを掴む、痛快サクセス・ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる