無敵だけど平穏希望!勘違いから始まる美女だらけドタバタ異世界無双

Gaku

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第一章:旅の始まりと最初の仲間

第3話:下水道の主、哀しきキメラ

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 リリアが「近道」と称した道の終着点、錆びついた巨大なマンホール。それは、この街の光と影を分かつ境界線であり、俺たちの平穏な日常(という幻想)への入り口を、無慈悲に塞ぐ地獄の門だった。

「せーのっ!」

 リリアとバルガスが、マンホールの縁に指をかけ、渾身の力を込める。ギギギ…と、長年固着していた金属が悲鳴を上げた。俺とグランさんは、少し離れた場所からその様子を見守るしかない。

 やがて、わずかな隙間が生まれた。その瞬間、凝縮された地獄が解放された。

 隙間から噴出したのは、単なる悪臭ではなかった。カビと汚泥が何十年もかけて熟成されたような、底知れない腐臭。どぶ川のヘドロが発酵した酸っぱい匂い。そして、正体不明の有機物が腐敗し、化学変化を起こしたかのような、鼻の粘膜を直接焼く刺激臭。それらが混じり合った暴力的なまでの悪臭が、俺たちの顔面を殴りつけた。

「うっ…!」

 俺は思わず後ずさり、鼻と口を手で覆った。この異世界に来てからというもの、俺の肺は、森の木々が放つ清浄なフィトンチッド、花々の甘い香り、焼きたてパンの香ばしい匂いといった、生命力に満ちた空気ばかりを取り込んできた。いわば、五年間の無機質な生活で汚染された肺を、この世界のクリーンな空気で浄化している最中だったのだ。その肺が、全力でこの致死性の空気を拒絶している。細胞の一つ一つが悲鳴を上げているのがわかる。

 バルガスが最後の力を込めて、重厚な鉄の蓋を完全にずらした。ゴトン、と重い音を立てて、暗く、底の知れない垂直の穴がその口を開ける。そこから立ち上るじっとりとした湿気が、まるで意思を持っているかのように肌にまとわりついてきた。

「よし、進むわよ!冒険の匂いがするわね!」

 俺の絶望をよそに、この惨状の元凶であるリリアは、目をキラキラと輝かせている。彼女は臆することなく、穴の縁に備え付けられた錆びた梯子に足をかけた。本気か、この女。その鼻は、腐敗臭をバラの香りとでも誤認する特殊なフィルターでも搭載しているのだろうか。

「リリアよ、わしの鼻には腐敗臭しか届かんがな…。むしろ、冒険が終わる匂いがするんじゃが…」

 グランさんの的確すぎるツッコミだけが、この場の唯一の癒やしだ。彼の顔は、すでに土気色になっている。一方、寡黙なバルガスは、すでに僧侶の力で自身の嗅覚に何らかの聖なる結界でも張っているのか、涼しい顔で周囲を警戒している。あるいは、長年の厳しい修行の果てに、嗅覚を自在にオンオフできるスキルでも習得したのかもしれない。心底羨ましい。

 俺は、意を決して梯子を降りた。一歩足を踏み入れれば、ぬかるんだ床が「ぐちゃり」と、聞きたくなかった不快な音を立てる。足首まで沈むぬかるみは、得体のしれない粘度で靴に絡みつき、一歩進むごとに体力を奪っていく。

 グランさんが、古びた杖の先端に光を灯した。
「ルーメン(光よ)」
 短い詠唱と共に、杖の先の水晶が、ぼうっと淡いオレンジ色の光を放ち始める。その光が、俺たちのいる空間の全貌を、おぼろげに照らし出した。

 そこは、広大な地下迷宮の入り口だった。アーチ状の高い天井、壁面を規則的に走る巨大な石の梁。この水都の地下に、これほど巨大な空間が広がっていたとは。しかし、その壮麗なはずの構造物は、今や汚濁にまみれていた。

 壁からは絶えず黒い汚水が染み出し、筋状の跡を作っている。その表面には、緑や黒、あるいは不気味な紫色をした苔やカビが、びっしりと繁殖していた。天井からは、一定の間隔で不気味な水滴が「ぽた、ぽた」と落ちてくる。その一滴が俺の首筋に落ちた時、氷のような冷たさに思わず悲鳴を上げそうになった。そのたびに俺のSAN値、もとい精神力はゴリゴリと音を立てて削られていった。

「こっちよ!匂いを辿れば、怪物の巣は近いはず!」
 リリアが、またしても根拠のない自信と共に、分かれ道を指さす。
「待てリリア、そっちは悪臭が薄い。むしろ風上じゃ。巣があるなら、匂いが濃くなる風下へ向かうべきじゃろう」
 グランさんの冷静な指摘がなければ、俺たちは今頃、この地下迷宮で永遠に迷子になっていたかもしれない。

 グランさんが灯した魔法の光を頼りに、俺たちは迷路のような下水道を進んでいく。光の輪が届く範囲はせいぜい数メートル。その向こうは、すべてを飲み込むような絶対的な闇が広がっている。時折、その闇の奥で、ネズミか何か、あるいはもっと別の何かが「カサカサ」と動く音が聞こえ、そのたびに心臓が跳ね上がった。

 壁には、真新しい爪痕がいくつも刻まれていた。巨大な獣が、苛立ち紛れに引っ掻いたような、深く鋭い傷だ。床には、何かの動物の骨らしきものが散乱している。光に照らされたそれらは、不気味なほど白く、闇の中でぼんやりと浮かび上がっていた。

 どれくらい進んだだろうか。時間の感覚はとうに麻痺していた。
 その時だった。
 暗闇の奥から、音が聞こえてきた。

 ―――グルルゥ……ウゥ……。

 それは、大型の獣が喉の奥で唸るような、低く威嚇的な声だった。しかし、それだけではない。その唸り声の合間に、まるで人間の子供が苦痛に耐えかねて漏らすような、か細い呻き声が混じっていた。苦しみに満ちた、聞く者の心をかき乱す声。

 それに混じって、シャラ…シャラ…と、重い鎖を引きずるような金属音が、湿った壁に反響して不気味に響いてくる。一歩、また一歩と、何かがこちらに近づいてくる音だ。

「…来たわね!」
 リリアの声が、緊張に満ちた空気を切り裂いた。彼女は腰に提げたロングソードの柄に、素早く手をかける。その横顔から、先ほどまでの能天気な雰囲気は消え失せ、戦士としての鋭い表情が浮かんでいた。

 グランさんも杖を構え直し、短い詠唱を始める。彼の周囲に、微かな魔力の粒子が集まり始めた。バルガスは、俺の前に立ちはだかるようにして、その鋼の肉体を盾とした。彼の背中は、まるで動かざる城壁のようだ。

(え、俺は帰っていいかな?)

 もちろん、そんなことを口に出せる雰囲気ではない。俺にできることと言えば、三人の邪魔にならないよう、壁際に引っ込んでいることくらいだ。

 音のする方へ、俺たちは息を殺して進む。ぬかるんだ床が立てる音すら、今は命取りになりかねない。やがて、通路が終わり、少し開けた円形の空間に出た。古い貯水槽か何かだった場所だろうか。中央には、淀んだ水が溜まっている。

 そこに、「それ」はいた。

 闇の中からぬらりと現れたのは、およそこの世の理から逸脱した、冒涜的な姿の怪物だった。

 魔法の光が、その異形の姿を照らし出す。しなやかで力強い筋肉を持つ、黒い猟犬のような胴体。しかし、その後ろに続くのは、ぬらぬらと濡れた光沢を放つ、緑色の鱗に覆われた大蛇の尻尾だった。尻尾の先端は、まるでそれ自体が意思を持つかのように、不気味に蠢いている。

 そして、その首の上に乗っているのは――人間の子供のような、あどけない顔。

 年の頃は十歳にも満たないだろうか。そばかすの散った頬、短く切りそろえられた亜麻色の髪。本来ならば、陽光の下で笑っているべき、愛らしい少年の顔だった。

 しかし、その顔と胴体をつなぐ首筋は、おぞましい縫合の跡で覆われ、つぎはぎだらけの皮膚は、見るからに痛々しい。紫に変色した部分、炎症を起こして赤く腫れ上がった部分。体の各部位が互いを激しく拒絶するように、絶えず痙攣を繰り返している。そして何より、その瞳。そこには知性の光などどこにもなかった。ただただ終わらない苦痛と、止めどなく流れる涙だけを映して、虚空を彷徨っていた。

 あれは、キメラだ。魔法によって、あるいは禁忌の錬金術によって、複数の生物を無理やり一つに繋ぎ合わせた、悲劇的な合成獣。

「……なんなのよ、あれ…」
 さすがの天真爛漫なリリアも、そのあまりに哀れで冒涜的な姿に、絶句している。彼女の瞳に浮かぶのは、敵意ではなく、戸惑いと、そして微かな憐憫の色だった。

 だが、キメラは俺たちという「異物」を認識した瞬間、その哀れな顔を苦痛に歪め、甲高い咆哮を上げた。それは怒りというより、恐怖と苦痛の叫びだった。見境なく、ただそこにある脅威を排除するためだけに、猛然とこちらに襲いかかってきた!

「くっ!来るわよ!」

 最初に動いたのはリリアだった。彼女は一瞬の躊躇を振り払い、鋭い剣閃を放つ。その太刀筋は、キメラの急所である首を避け、分厚い筋肉に覆われた肩口を正確に切り裂いた。黒い血が飛沫を上げて舞う。

 ギャイン!と悲鳴を上げ、体勢を崩したキメラの巨体を、真正面からバルガスが受け止めた。まるで岩のような体躯だ。彼はキメラの突進をびくともせずに受け止めると、その聖印が刻まれた鋼のガントレットで、重い拳をキメラの脇腹に叩き込む。ゴッ!と鈍い音が響き、骨が軋むのが聞こえた。

 後方からはグランさんの声が響く。
「炎の矢よ、敵を穿て! ファイアボール!」
 杖の先から放たれた灼熱の火球が、螺旋を描きながら飛翔し、キメラの背中に正確に炸裂した! 轟音と共に炎が巻き起こり、キメラの体毛を焦がす。

 見事な連携だ。攻撃役のリリア、盾役のバルガス、そして後方支援のグラン。方向音痴さえなければ、彼らは間違いなく一流のパーティなのだろう。

 しかし、キメラは倒れない。

 リリアに切り裂かれた傷口からは、黒い血が溢れるのも束の間、肉が意思を持っているかのように蠢き、瞬時に盛り上がって傷を塞いでいく。バルガスに殴られた箇所も、軋んだ骨がメリメリと音を立てて元に戻っていく。グランさんの炎に焼かれた背中も、焦げた皮膚が剥がれ落ち、その下から新しい皮膚が再生していた。

 驚異的な再生能力。それは、生命力の強さというより、体内に埋め込まれた「生き続けろ」という呪いのように見えた。

 戦いは、泥沼の様相を呈し始めた。リリアが斬り、バルガスが殴り、グランが焼く。そのたびにキメラは苦痛の叫びを上げるが、決して倒れない。傷つくたびに、その瞳の苦悩の色は深まり、攻撃はより一層苛烈になっていく。

 その、激しい戦闘の最中だった。
 不意に、この汚れた絶望的な空間に、まったくそぐわない、凛とした鈴の音のような声が響いた。

「お待ちください」

 その声には、不思議な力があった。荒れ狂うキメラの動きも、必死で応戦していたリリアたちの動きも、そして壁際で震えていた俺の思考さえも、ぴたりと止まった。

 全員の視線が、声のした方向――俺たちが来た薄暗い通路へと注がれる。
 そこから、一人の女性が、静かに歩み寄ってきた。

 純白の神官服。この汚泥と腐敗に満ちた空間において、その衣は一点の染みもなく、まるでそれだけが別の世界にあるかのように清浄な輝きを放っていた。柔らかな亜preciousな亜麻色の髪が、グランさんの灯す魔法の光を受けて、淡い金色にきらめいている。物静かで、慈愛に満ちた瞳を持つ、美しい女性だった。

 彼女は、俺たちの横を通り過ぎる際、軽く会釈をした。その動きは、どこまでも優雅だった。

「その魔物は…ただの魔物ではありません」
 彼女は、暴れるのをやめ、困惑したようにこちらを見つめるキメラから目を逸らさず、悲しげに言った。
「中に…中に、苦しんで泣いている魂がいます。私にはわかります」

 リリアが、警戒しながらも問いかける。
「あなたは…?」
「私はセレス。大神殿に仕える者です。数日前から、この街で強い苦痛の波動を感じ、その源を探していました」

 彼女――神官のセレスは、キメラの前にゆっくりと歩み出ると、その数歩手前で立ち止まった。そして、胸の前で白銀の聖印を組み、目を閉じて、澄んだ声で祈りを捧げ始めた。

「おお、光の大神よ。御身の慈悲を、この迷える魂にお与えください。その苦しみの軛(くびき)を解き放ち、安らぎの光で満たしたまえ…」

 セレスの祈りの言葉が、聖なる歌となって空間に響き渡る。すると、不思議なことが起こった。彼女の体から、柔らかな白い光の粒子が溢れ出し、それがキメラを優しく包み込んでいく。あれだけ荒れ狂っていたキメラの動きが、ぴたりと止まったのだ。体の痙攣が収まり、その瞳から、一瞬だけ苦痛の色が和らいだように見えた。虚空を彷徨っていた視線が、初めてセレスの姿を捉えたようだった。

「グルゥ…?」
 キメラの喉から漏れたのは、唸り声ではなく、困惑したような、甘えるような声だった。

 だが、それも束の間だった。

 キメラの体中の歪なパーツが、再びギシリと軋みを上げた。内部から、より強大な、根源的な苦痛の力が、神聖な祈りの力を上回ったのだ。白い光に、黒い亀裂が走る。埋め込まれた苦痛と憎悪が、束の間の安らぎを拒絶した。

 キメラは再び天を仰いで咆哮し、セレスの祈りを振り払うかのように、より一層激しく暴れだす。

「そんな…! 私の祈りが、届かない…。この子の苦しみが、あまりにも深すぎて、私の力では取り除いてあげられない…」

 セレスは唇を強く噛みしめ、その美しい顔を絶望に歪ませる。彼女の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 俺は、その一部始終を、ただ静かに、背後の壁に寄りかかりながら、冷徹なまでに観察していた。リリアたちの感情的な戦いも、セレスの慈愛に満ちた祈りも、この状況を打開するには至らない。

(なるほど。物理的な破壊は、超再生によって無効化される。精神的な癒やしも、内部に巣食う根源的な苦痛によって弾き返される、か)

 このキメラは、もはや単一の生命体ではない。犬の肉体、蛇の尻尾、そして人間の魂。それらが生み出す、それぞれの苦痛のベクトルが複雑に絡み合い、一つの巨大な「苦しみの塊」として存在している。外部からの攻撃も癒やしも、その表層を撫でるだけで、核にある苦しみの連鎖を断ち切ることはできない。

 ならば、どうすれば、この哀れな怪物を「救って」やれるのか。

 答えは、おそらく一つしかない。この悲劇的な存在を、その苦しみの連鎖ごと、完全に断ち切る方法。

 俺は、ゆっくりと息を吐き、壁から背中を離した。どうやら、ただの傍観者でいることは、許されないらしい。
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